君の名は

もうすぐで「世界樹の迷宮」というゲームの2が出る。
やりたくなるゲームなので楽しみなのだが、予約してなかった。
うーん、ざんねん。
ところでこのゲーム。
内容がレトロ感ありでテーブルトークみたいなのが人気だと思う。
しかし、それ以外にもポイントがあるとみた。
「登場人物に好きな名前がつけられる」。
この仕様だけで「購入」のボタンをクリックする人が30人はいるはずだ。
いつか「DSのファイナルファンタジー?は、固有の名前が付いていて、なんだかなー」ということを書いた。
ファミコンのときのそれは自由に名前がつけられたのだが、DS版では固有名が付いている。
DS版だってすごく面白かったのだが、好きな名前が付けられればなぁ、という気もする。
このように、ある種の人にとっては、好きな名前が付けられるというのは、重要。
好きな小説の登場人物。
クラスの好きな異性。
今まで飼ってきたペット。
そんな名前をつければ、ちょっとゲームが楽しくなる人たちだ。
一方、「むしろ名前つけるの面倒」という人もいる。
名前入力画面で何も入力せずにゲームを進めようとして、「名前を入力してください」とか言われ、カチンとくる人たちだ。
確かに、特別名前をつけることもない感じのときに名付けろと言われると、かなりめんどい。
ということで、この2人に将棋をやらせてみると、こうなる。
ぱちり。(いけ、フシギダネ(歩)!!)
ぱちり。
ぱちり。(進化だ、フシギダネ(歩)!!)
ぱちり。
ぱちり。(いい動きだ、よしひろ(歩)。)
ぱちり。
ぱちり。(逃げろ、フシギソウ(と金))
ぱちり。
あ!!。(よ、よしひろが・・・。)
・・・じゃまくさいな。
ちなみにチェスだと「クラスチェンジだ、?」とかなります。
ということで、あなたのとなりでサンドイッチを食べているあの人。
チョキとかグーに、名前を付けている人かも、し・れ・な・い・・・。
ちなみに僕がゲームキャラの命名をするとき、けっきょく何も浮かばないので、宇宙賃貸サルガッ荘(著・TAGRO)という漫画の登場人物からもらうことにしている。

法定速度

テレビ番組のラスト。
画面下を、すごい勢いでスタッフ、提供の文字が流れていく。
どんだけ読ませないつもりなのだろうか。
読まれたらマズいことが書いてあるのだろうか。
気になるので目で追う。
ナンバーすら確認できない。

メモ

例えば、何かを思いついたときのメモだ。
思いついたからといって、喫茶店でいきなりメモをとり始めると、なんだかアヤしいのだ。
メモとしては「悟られずに背中にシールを張っていく男?。それなら平沢だ」とかいうよくわからないものでも、周りの人から見れば急に神経質にメモをとりだした男である。
油断ならない。
ということで、まずはコーヒーを飲みながら本を読み、その合間あいまにメモをとるのはどうだろうか。
周りの人も、これなら「本に何かいいことが書いてあったんだわ」となり、安心だ。
今日の僕はそうした。
本「イモムシは土の中に入ると、転じてサソリとなる」
メモ「トトロの一番小さい白いヤツの動き」
一挙両得だね。

雪、ふたつ。

今日も夕方から雪が降り始め、あたりが暗くなる頃には、そこそこ彩られていた世界は、そこそこ手を抜いた世界になった。
こういう日の散歩は大好物なので、22時ごろ、家を出た。
森を歩く。
こういう日の森は、結構さわがしい。
木につもった雪の落ちる音だ。
とりあえず回転しないローリングソバットで、木を蹴りながら歩く。
遊んでいるように感じられるかもしれないが、木を蹴ることでつもっていた雪をふるい落とし、木が雪の重みで折れることを抑えているのだ。
足跡ひとつない広場に出た。
僕はここに侵入、足跡をつけるつもりである。
遊んでいるように感じられるかもしれないが、足跡をつけることで次の人がその足跡をたどれば雪に足を取られることなく、公園の中央部にまで到達することができるのだ。
一歩踏み出す。
おっとここで走り出してはいけない。
遊んでいるわけではないのだ。
乱れていない足跡でなければ、万事に影響する。
こんな雪の日に走っていいのは、犬、除雪車そして悪寒くらいだ。
少し、風邪気味なのである。

連休

ちまたでは明日から3連休となり、僕もちまたの一員として、3連休だ。
なんら予定を立てていない。人としてまずい状況。
あわててネットで宿を探すことにした。
ところが、ほとんど空いていない。
特に「一人旅」になると、全くない。
調べ方が悪いのだろうか。
でも二人以上だと、いくらかの宿が検索できた。
何がだめなんだ一人。
一人分なので儲からないのだろうか。
それとも旅行先で自殺をはかるとでも思われているのだろうか。
検索で絞り込みをするとき「温泉」や「貸切風呂」等のチェックボックスがある。
そこに「自殺」とあったら、率先してチェックを外すタイプだぞ、俺は。

飽きフラグ

ちかごろ、久々にカラオケに行った。
複数人で行くカラオケは難しいもので、あまりに有名な曲を歌おうとするとかぶるし、あまり最近のものだと知らない。
と言って超個人プレイに走ってしまうと、5分と空気がもたない。
そんな中、僕は昔CM等で流れていた曲に交え、ユニコーンのローカル曲「忍者ロック」を中熱唱し、大失笑をかった。
アニソンタイムでは「ロマンティックあげるよ」を、感じとしては「浪漫献上」的な音域で、マイクを通してつぶやいた。
そんな、アゲアゲカラオケだった。
使い方、あっているのだろうかアゲアゲ。
ところで、長時間のカラオケは「飽き」との戦いでもあることは周知されている。
歌っている横で飽きられるのは辛いが、そもそも素人の歌声で飽きが解消されるようであるならば、玄人は必要なくなってしまうだろう。
ということで、もうかなり色々な方面でやられているであろう、人間の行動に見る「飽きフラグ」を考えてみた。
・ケータイを見る(飽きフラグ:3本立ち)
挙げるのもイカンと思うが、これは外せないだろう。
だいぶ飽きている。
どのくらいか。
夜中2時半。
例えば誰かが歌っている最中に、飲みかけのジュースをこぼしてしまったとする。
「俺、ぞうきん借りてくるよ!!」
彼はぞうきんを借りに行き、そのまま帰ってしまうのである。
終電もないのに、だ。
・曲リスト本をペラペラしだす(飽きフラグ:2本立ち)
これも「飽き」がなす行動だ。
そして、ペラペラすると、キワモノ系の歌手や曲が見つかったりするので、ちょっと楽しかったりする。
飽きているものにとっては、ちょっとした刺激だ、キワモノ。
・リモコンの裏を見る(飽きフラグ:立ち始め)
些細な行動である。
だが、おそらく飽き始めに見られるこの動き。
いわば飽き滑走路のスタート地点で、確実に飽き始めていくことだろうそうそれは石が坂道を転がり落ちていくように。
リモコンの裏を見て、何かあるとでも言うのだろうか。
歌っている人はその点、問いただしてみてもよいだろう。
と、こんな按配だ。
とにかく挙げたらキリなさそうな、カラオケでの「飽きフラグ」。
でも、自分が歌うこととかで帳消しにできるなら、まぁいいよね。
ということで、カラオケに行った話に「飽きフラグ」のことを躊躇せず書く僕に、幸あれ。

旅行5

その国には「貸し本屋」があった。
上記の文章はなんとなく「天国の本屋」を思い出させるが、とにかくそこは貸し本屋だった。
嬉々として入店する。
あらゆるスペースに置かれた本棚に納められているのは、ほぼ漫画。
日本の漫画だらけなのだった。
見てみると、かなり最近のものから少女漫画、萌え系まで何でもござれ。
漢字の文化を色濃く残す国であるため、漫画の文字は全て漢字に置き換えられているが、それ以外はなんら日本の漫画コーナーなどと変わらなかった。
少女漫画コーナーには10歳くらいの少女。
カウンタには暇そうな店員さん。
そして店内を物珍しそうにうろつく日本人2人。
その時間、本屋はそんな構成だった。
異国の貸し本屋。
僕らはその味のある空間にほんわかしたか、そうでないか。
なんて書いてあるのかいまいちわからないタイトルから、漫画を当てるゲームに、迷惑で申し訳ないが興じていた。
その本の背表紙には確か「魔法少女」と書いてあった。
ドラゴンボールや鋼の錬金術師は難なく解答できていた僕らの快進撃は、そこの棚で停止した。
その、やたらたくさん該当しそうなタイトルを持つ本。
僕は、考えた。
その棚の雰囲気。
少し萌え系の集まった棚だ。
それに、何か日本の本屋の棚でも、同じような出版社の配置だったような気のする、棚だ。
別に僕は出版社の名前を全然知らないのだが、背表紙の上のマークが、見覚えのある配置だったのだ。
この貸し本屋の棚における本の配置が、日本の本屋における本の配置に近いとにらんだ僕が出した結論は「マジカノ」だった。
なんかわからないけど、見たことありげな本が並び、その配置でそこに「魔法少女」とくる、萌え系・・・。
読んだこともないのに、なんかわからないけど「マジカノ」だと思った。
しかしそのころの僕は「マジカノ」のことを「マジ(本気の)カノ(彼女)」のようなものと推測していた。
要は、マジカノに興味が無かった。
だから「魔法少女」が「マジカノ」なのだと思っていても、それらが符合しているのはせいぜい「少女」のところしかないと感じられたのだ。
それから2?3秒後、僕はすさまじい快感を得る。
「あっ!!、マジカノのマジって、マジックのマジだ!!。」
異国で、僕は興奮した。
友人に「これ、マジカノだよ!!。マジカノのマジはマジックのマジなんだよ!!」と何度も言う。
「それに、この本のならび!!。日本の本屋のならびと似ていて、そうだとしたらこのポジションはマジカノなんだよ!!」
友人が手にしていた「魔法少女」を奪い取り、奥付を見る。
「マジカノ」だった。
異国にて、
ならびより本を見極める。
マジカノのマジの意味を知る。
店員さんやお客さんがいるのに、マジカノを連呼する。
去年、一番うれしかった瞬間は貸し本屋で訪れることになる。
「僕は異国の地で、本の配置をたよりにマジカノを当て、マジの意味も知ったぞ!!」
たった一度きりの
しあわせがくるのだった。
追記
まだ、マジカノのマジの意味を確認していないので、もしかしたらマジックのマジではないかもしれません。マジカルとかかもしれませんが、まぁいいか。

まんが感

悲鳴で、飛び起きる。
トイレへ向かうと、便器付近で悲鳴発生源の母親が「も、も・・・」とか言って狼狽している。
床はびしょ濡れだ。
その光景で僕は全てを把握した。
まずはOKシーンから。
「わっ。トイレ元の水道管が壊れたの?。だから、水道の「元栓」を締めてくれってことね?」
そんでもってNG。
「えーっ!!。モモがトイレに流されちゃったの!?」
モモとは、うちの猫でして、まぁ一般的な猫ですので、ちょっとトイレでは流せない大きさだと思います。
僕の朝の脳は、NGでした。
・・・助からない。
モモは助からない。
しかし、おそらくどこかで詰まっているだろう亡骸でもいいから、もう一度抱いてあげたい。
まぁそんな風に、全てを把握した。
家族のものの話によると、僕は「元栓はどこだ!!」と一度だけ叫び、はだしのまま外に飛び出、元栓を締めていたそうだ。
そして「何があったの?」と聞く現状を知らない者に対し、僕は「モモがトイレに流された・・・」と弱々しく話したという。
※「そのもの あおきころもをまといて こんじきののに おりたつべし」
※元栓を締めるその姿は、今でも語り継がれている。
元栓を締める。
しばらくすると、その地面から伝わってくる冷たさを感じるくらい、僕は冷静になってきた。
それは「ちょっと、猫は洋式トイレには流れないんじゃないか」というのがまだわからないくらいの冷静さだ。
このとき、僕はふたつの奇跡を呪っていた。
ひとつは猫(モモ)がトイレに入ったということ。
もうひとつは、母親がトイレのレバー(おそらく大)をひねってしまったこと。
・・・モモよ、何故お前はトイレに入ってしまったのか・・・。
水面に映る自分が面白かったのだろうか。
・・・そう、お前は変なヤツだったよ。
そんなお前だって、今までトイレに入ったことなんてなかった。
それがなぜ入り、しかもそのタイミングで流れてしまうのか・・・。
母親も母親だ。
何か誤ったのだろうが、何でそんなときに流してしまうのか・・・。
奇跡が、ふたつ同時に起きるなんて・・・。
僕が、今回の騒動が、単にトイレの水道管が外れたことによる件であることを理解するのには、もう少し時間がかかった。
そして、それを知ったときの安堵っぷりといったら、なかった。びしょ濡れは、大変だったけど。
窓を挟んで家の中からはだしの僕を見たモモは、猫なりに恐怖していたようだ。
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ひとつおりこうになった。
「朝の脳は、時として「まんが感」である」と。
本件、冷静に考えれば、「まんが」の出来事だ。
しかし、朝、飛び起きた僕は、水道管を抑える母親が、元栓と言おうとしている光景より「まんが」を現実として把握してしまった。
昔、飼えなくなったからといってトイレに流されてしまったワニが下水道で成長、がおーとなる映画を見たことがあった。
今回の騒動にリンクしなくもない。
だが、何より朝だった。
朝のまんが感に、僕はやられてしまったのだ。
この騒動時、我が家付近を歩いていた人が「モモがトイレに流された・・・」という弱々しい声を聞いていたとすると、その人にとっても我が家は「モモという何かがトイレに流されてしまった」という、「まんが感」満載の、ファンタジーハウスとなる。
「まんが感」の拡大だ。

忙しい味

最近、おいしいラーメンがわからなくなってきた。
店でラーメンを食べる。
おいしい。
でもなんか、他のところと同じような、曖昧な感じを受けることが多くなった。
仕方ないかもしれない。
僕は味蕾に自信がないし、鍛えてもいないし、鍛えることができるかも知らない。
なんとなく、僕はそんな曖昧な感じを受ける味を「忙しい味」と名づけた。
おいしい、文句はない。
でも、うーん。
なんか、どこかでも同じようなのを・・・。
そんなのが「忙しい味」。
「ラーメン激戦区」ということばが生まれた頃、同じように誕生した味かも。

そんなひと

この世には「なんだかわからないけど、人からモノがもらえる運命」が定められた人がいる。
給食で好きなおかずが人より多い。
家も呼んだ友達が、なにやら持ってくる。
食堂で、盛り付けてもらった量が人より多い。
なんか、プレステのソフトを置いていかれる。
誰かの家を訪れれば、何かを持たされる。
このような人、あなたの周りにもいないだろうか。
なんなんだ「このような人」!!。なんでもらえるんだ。
うらやましいぞ。
概して「このような人」は気さくで人柄のよい人物であることが多い。
ところが考えるに、この世のほとんどの人は気さくで人柄がよい人物ではないのだろうか。
彼らは「気さくで人柄がよい」からモノがもらえるのではなく、そういう運命なのだ。
そんな運命のもと、誕生した生命。それが彼ら。
・・・解せない。
僕もそう思う。
彼らと、そうでないものたちとの差は何なのだ?。
違いはなんだ?。
このモノをめぐる違いはどのあたりから見られるものなのだろうか。
考えてみると、砂場で遊んでいるとき、砂団子をやたら獲得していた友達がいたような・・・。
素質はかなり早い段階から見られるのか。
先天性の、何かなのだろうか。
そう、双子!!。
双子で実験できないだろうか。
双子をこう、引き離してだね・・・。
と、ここまでやる必要はない。
おそらく差などないのだ。
なんだかんだ言って、人は誰でも多くのものをもらっているものだ。
そう。
彼らだって僕らだって、この世に誕生するにあたって、平等にいのちがもらえたじゃないか。
ということで、今回書きたかったのは「なんか適当に、いい話風にすんなや」でした。