絶品の、猿。

※当方咽頭炎の為、手抜きについて熟考中。
さんまのからくりTVで「からくりビデオレター」で、どこかの部族の酋長夫婦が出たら面白いのではないかと感じた人は多いだろう。
しかし、もちろんそれ自体が面白いことは言うまでもないが、それ以外にもいくつかいいポイントがあると思う。
僕が思いつくのは「このVTR中に問題が出題される」ことだ。
「ンバガ、お前の好きな猿を捕らえたから、楽しみにしておいでね」
「ところで今まで、お前に隠してきたことがあったんだ」
例えばここで「どんな隠し事をしていたのでしょう」という問題を出題されても、もちろん回答者、視聴者はそんなことよりも前に、既に問題が生じていると考えているため、「おいおいちょっとその前にさぁ」と言いたくなる。
「まず、ンバガはこのビデオレターを見ることが出来るのか、だよ」
「そして次に、この部族チョイスは、どうなの?」
「そこまできたら、やっと猿だよ」
もちろん最初からこういう方向性を狙ったものであるならそれでいいのだが、気づかれているだろうが、それでは面白くない。
かといって何らかの優劣が顕著に出て面白くなる、というのは、やっぱりつまらんよなあ。
となると、やはり東北地方のおばちゃん系が一番いいのだろうか、レターとしては。
ところで最近見てないけど、今でもやっているのか、ビデオレター、そもそもからくりTV。

無口

※当方咽頭炎の為、手抜キズムを推進。
熱が下がらないのでR。
ただし、高熱というわけでもないので、もやもやだ。
ということで、今日は「あまり話さない友人」に対して、今後使おうかと思っているつっこみを紹介だ。
「武蔵丸でももう少し喋るわ」
本当はどうかわからんけど。
「お前なあ、武蔵丸でももうちょっとおもろいこと言うで」
「なあ、何かおもろいこと言うてみ?」
「ちょっとみんな静かに!!、武蔵丸がおもろいこと言うって!!」
あだ名が武蔵丸になってしまうようだ。
無口な人は気をつけるように。
とにもかくにも、手抜キズムばんざい!!。

※当方咽頭炎の為、手抜きを手抜きと感知せず。
僕が、「七つの海をまたにかけた」という言葉がとんでもない下ネタであることに気づいたのは、つい最近だった。
で、だ。
この言葉について何かひと話題あればよかったのだが。
誰かにそのいやらしさを説いただとか。
逆に話題を広げたりだとか。
でも、ざんねん。
そういう機会に恵まれていない。
結局のところ、日常会話でこんな言葉、使わんのである。

ガンガゼ

※当方咽頭炎の為、手抜きによる罪悪感皆無。
そいつはいきなり僕に、こう言ったのである。
「やっぱ、センスはどんどん鋭く研いでいかなくちゃいけないよ」
僕は、こいつは何を言っているんだと思った。
「ちょうど、ガラスで出来た針みたくね」
僕は、ガラスで出来た針ってなんだと思った。
「でもそれじゃ、すぐ折れるだろ」
かまってしまった。
「そう。誰かに刺さって、すぐ折れる」
僕は、ガンガゼみたいだなと思った。
「でも、折れてそこに残ってることを考えたら、ねえ?」
僕は、気持ちの悪いやつだなと思った。

なんとなく

※当方咽頭炎の為、手抜きをしているんだってば。
「なんとなくご利益なさそうだぞ清明神社」
このときの「なんとなく」は、どういった意味を持つのだろう。
僕もよく使う「なんとなく」。
僕としては標的を曖昧というか、そのものを包む印象、いわば「うすかわ」を表現したいときに使う。
それはそのもの自体ではなく、そのイメージや一般的な特徴。
上記の例だと清明神社をどうこう言っているのではなく、そのやたら新調されている感じ、なんだかふた昔前の何かにあやかったくさい印象、それらを指摘したいときに使う。
ということで名指しでごめんなさい神社。
五芒星のおまもりがかっこいいので許すし、許して。

手品の要求

※当方咽頭炎の為、手抜き足抜き。
普通の人が言う「千円貸して」と、手品のうまい人が言う「千円貸して」は、たいそう意味が異なる。
ただ、それは受け手側の話だけであって、手品のうまい人が単にジュースを買いたいが大きいお金しかない、といった状況もありえることである。
しかし一般的には、手品のうまい人がお金、特に紙幣を要求したら、それはイリュージョンはじまりであり、そこになんら悪意は介在しない。
もちろん手品の人もこのような民意を感じており、そうやすやすとはお金を借りようとはしないだろう。
だから基本的には、手品の人が紙幣を欲したら、手品が始まる。
このとき、いくら紙幣を破かれようが、焼かれようが、大丈夫だ。
なぜなら手品なので、オリジナルが手元に戻ってくることは保障されているのである。
むしろ破かれなかったり、破損されなかった場合は注意が必要だ。
彼は、使う気まんまんの可能性がある。

感銘

※当方咽頭炎の為、手抜き7割増しの術。
「絶対おもしろいこと言わないといけない、って思っているよね」
などと言われ、飽きられることがある。
僕はある人にこう言われ、ひどく感銘を受けた。
「お前はいちいちおもしろいな」
いちいちおもしろい。
この考えは、本ブログ根幹の一部である。
ところが、だ。
「絶対おもしろいこと言わないといけない」って言われるのは、なぁ・・・。
そんなやつは、今思いつくのは「まえだまえだ」くらいだ。
まえだまえだか?。
え?。

形見

※当方咽頭炎の為、基本的にふわふわしております。
ピーター・パン2というものがあるらしい。
ディズニー映画「ピーター・パン」の続編とのこと。
物事には、続く終焉と続かない終焉がある。
これを映画に当てはめてみると、こう考えていただいて差し支えない。
続く終焉・・・一回こっきり
続かない終焉・・・続編がある
思いのほか人気が出たため、それにあやかる形で続編が登場、なんとなく残念な感じになることは、よく知られたことである。
さて、最初に挙げた「ピーター・パン2」はどうだろうか。
ディズニー映画の、この手の「2」は残念なことが多い。
しかし「ピーター・パン2」は見たことないので、感想はない。
しかし、それでも僕は自信を持って言えることがひとつだけある。
それはこの映画のラスト。
フック船長がチクタクワニに食べられてしまい、そのワニが彼のフックをプッと口から吐き出すシーンがあると思うのだ。
いや、あるに違いない。
吐き出したフックを手に取り、にんまりするワニのシーンが、ほらありそうだ。
ややうそーんな展開だが、ほらありそうだ。
げっぷするワニが、いそうだ。
そのあと、何事も無かったかのように場面はピーター・パンとの別れのシーンに、なりそうだ。
以上、楽して終わります。

咳止め その2

※当方咽頭炎の為、全体的にやる気を喪失。
【あらすじ】
咳止めシロップについて。
咳止めシロップがその効用を一番発揮できるような飲み方は、どんなのだろう。
そんなことを考えたのは、咳止めシロップを飲んだときだった。
やはり、飲んだあとも患部にずっと留まるようなことができれば、一番いいだろう。
しかしドロドロであるとはいえ、飲み終わったらそれまで。
つばを飲み込む動作を何回かしたらもうそこにいなくなっているような気もする。
ということで編み出した。
上を向き、ちょうどうがいをするような感じで口内にシロップを満たしたあと、少しずつ嚥下する方法を。
※このあとをまとめると、僕はシロップを噴出してしまい、さんざんな目にあった。
べとべとなもので全身をやられることのいやさは、誰しも様々なべとべとで経験しているだろうから、追求しない。
今回最大のイベントを、まとめてしまいました。
ちなみにまとめなかったら、こう。
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「父さん、雨が降ってきたよ」
母親を探すたびに出ようとしていた少年アノイは、そんなときでも父親を気遣った。
そんな子を、父親は誇らしく思っていた。
「あ、父さん。黒いよ、黒い雨だよ」
何か不吉な予感のする、黒い雨。
父親は息子の性格を知りながらも、こう聞いた。
「アノイ、この雨は不吉だよ。それに母さんのことでは、つらい事実を目の当たりにするかもしれない。それでも行くのかい?」
「もちろん。この雨も、なんかべたつくけど、いつかはあがるのさ」
出発のとき、雨はあがっていた。
歩き出し、もう遠くになった息子の背中に、父親はこう叫んだ。
「アノイ!!、母さんはどこの誰よりも美人だったぞ!!」
アノイの背中は見えなくなっていた。
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まとめてみて、やっとその良さがわかる、まとめ。

咳止め その1

※当方咽頭炎の為、「手抜きの方おられませんか」のときに挙手。
少し前、当ブログにて「咳止めシロップ」について触れていたことを思い出し、なかなかタイムリーなことを書いていたのかと感心した。
現在咳がひどく、咳止めシロップを飲んでいるのだ。
この咳止めシロップ。
弱いとはいえ、ブログ的にも映えるまいっちんぐ成分が含まれているものもあることで有名だが、それは他方に任せておき、ここではその味について追求してみたい。
僕が最初服用していた咳止めシロップは、大きく「非麻薬系」と印字されたものだった。
咳止めシロップを服用されていた方はご存知だろうが、このシロップはしこたま甘ったるく、飲んだあとは「やけつくいき」で相手を麻痺させることができそうなことで有名。
まずいのである。
それは予想通りまずかった。
やはり咳止めシロップと味の両立は贅沢すぎる。
そのことを再認識させてくれた。