お手をどうぞ。

アンケート4
「都内に住んでいるひとり身に聞きました。自分にはなぜ恋人がいないと思いますか?。」
1位:出会いがない
2位:積極的になれない
3位:自分に魅力がない
4位:希望が高すぎてしまう
5位:どこかで政治的な圧力がかけられている
6位:自分のわがまま
7位:異性に魅力を感じない
A「このような結果が出ました。」
B「うーん。出会いがないというのも、積極的でないということですか。そうなると、上位の理由のほとんどが、そうなる」
A「そうですね。ちなみに1位、2位で全体の約70%を占めています。きっかけさえあればという一方、それほど積極的にもなれないという、受け身寄りな回答となりました。」
B「うん。じゃ、次をみてみよう。」
「都内に住んでいるひとり身に聞きました。恋人がいないことに関して、人に言ってしまうことは?。」
1位:「いつ来るんだよ、運命・・・。」
2位:「ムクドリですらたいがいペアなのにね・・・。ね!?」
3位:「おれ(私)、結構おいしいんだよ?」
4位:「結構一人でも生きていけるものよ」@あずまんが
5位:「いつだって全台大開放中なのになー」
6位:「どうもそういうシステムなんだよね、昨今」
7位:その他
A「ムクドリ、見られてますね」
B「見られてるな。」
註:
アンケート「首輪をどうぞ。」
アンケート「おはしをどうぞ。」
アンケート「TSUBAKIをどうぞ。」

口げんかを終わらせろ

=====
「おまえが○○だから、こうなったんだろ!!」
「あんただって××じゃん!!」
=====
これでは永遠にこの口げんかは終わらない。
一見終わったように見えても、それはどちらかがこの場での言い合いをあきらめたり、おなかが空いてきたり、何かの時間がきてしまったりしたための、いわば一時休戦の状態でしかない。
要は、口げんかは、両者が納得しうる結論に達しない限り、永遠に終わらない。
下手すると、彼らが死んでも、それは例えば書物のような形に変わり、終わらない。
事実、この世に存在している書物や戯曲の多くが口げんかの遺産である。
智恵子抄
・・・ごはんを食べるのが遅い高村光太郎に、智恵子が怒ったのが発端。
この詩集で智恵子が許したかは不明。
ファウスト
・・・牛乳配達のお兄さんがゲーテのことを知らなかったのが発端。
どのようなけんかにより、この戯曲が誕生したかは不明。
ミスター向田の年明けライドオン!!
・・・作者不明(おそらく向田さん)
さて、さっそく口げんかをうまく終わらせる方法であるが、ポイントは、「いきなりケンカ内容を、結論が決まっている話題へとずらしていく」ことにある。

「おまえが麦茶と天つゆを間違ったから、こうなったんだろ!!」
これに対して、
「仕方がないじゃない」
「だからどうだってんだ」
このあと、永遠に続くやも知れぬ不毛なやり取りを望まないならば、これは禁句である。
僕ならばこう言い返す。
「でも、猫たちが寄り添って寝ているときに、その間に手を突っ込むのがいいに決まってるじゃん!!」
ここで「おまえこんなときに何言ってんだよ」と返されても、猫の話題に終始することが重要である。
するといつの間にか問題は猫の間に手を入れるかどうかの話となり、それは、結論がひとつしかないため、両者ともそれに達し、このけんかは終結を迎える。
ちなみに、こんな言い返しもいいだろう。
「何行ってんの!!。お好み焼きは、ソースまでかけたらもう後戻りはできないに決まってる!!」
「まとめると、もうそろそろ洗面所のすみを掃除した方がいいってことでしょ?」
「結局、物置の戸が閉まりにくいのは、荷物を多く入れすぎてるだけでなく、車輪がちゃちいからだよ!!」

あかず の踏切りにて

本日の結論
マルチーズは、電車も喉元をつけば倒せると思っている。
=====
先日、ある踏切で信号待ちをしていた。
ここの踏切は、遮断に踏み切る電車の距離が非常に遠く、すこぶる待たされることでしかし、人の通行自体もそれほどないことから、特に有名とは言えない踏切である。
さて僕の後ろに、僕と同じように信号待ちをするおじいんさんがいることに気づいた。
そのおじいさんは、連れていたマルチーズをあやす姿を見る限り、かなりのマルチーズ好きのようすで、何かを絶えず語りかけていた。
突然、マルチーズがすごく吠えだした。
僕らにはまだわからないが、どうやら電車がこちらに向かっているらしいのだ。
線路の先に向かって、吠えている。
事実、少しすると電車が遠方よりこちらの踏切に向かってくるのが見えた。
すると、マルチーズの吠えは過激さを増し、でもおじいさんは愛おしむようにそれを見る。
そして、電車の先頭車両が踏切にさしかかった瞬間、マルチーズは線路沿いの道路をかけ、電車を追いかけ始めた。
もちろんおじいさんもそれに合わせ、よろよろ走り始めた。
僕は思った。
マルチーズはどうやら電車の先頭車両を、電車の頭であると認識しているようだ。
ただの威嚇なら、通過していく電車に対して吠えるだけだろう。
でも、彼もしくは彼女は電車の先頭車両を明らかにねらっている。
狩猟を行う動物が獲物に対してねらう部位は、まずは相手の動きを効率的に押さえることのできる、呼吸器官系であるというのをどこかで聞いた。
要は鼻であったり、のどであったり。
マルチーズは電車の先頭車両付近にそれがあると認識したのだ。
小さくて白くてふわふわしているヤツなのに、勇敢だ。
ただ、電車はその車両ひとつひとつに動力が付いている構造から、どちらかというと虫っぽいかも、と僕はため息を、特につくこともなくツタヤに向かったのである。
追記
電車は、その車両ひとつひとつに動力が付いている構造、かどうか、ほんとは知りませんので、ごみんなすい。

羽化登仙

最近、夜中の3時ごろに目覚める。
何か気持ち悪いので懸命に寝ようと試みるのだが、それが素晴らしく成功してしまうため、特に何事もなく寝ていることになる。
さて、その目覚めるとき、ふと思いつくことがある。
こないだは「アゲハの幼虫」についてだった。
誰しもが思い浮かべるのは、あの緑々した、オレンジの角を出すやつだが、あいつらは小さい頃、確か鳥のフンのような模様をしていた。
彼らは何回かの脱皮を繰り返すのだが、長い間鳥フンで容姿偽装していたのを、さなぎ一歩前の段階、終齢幼虫のタイミングで心機一転するという、ワケあり転校生のような人生を歩む。
これはなぜなのだろうか。
まず思いついたのは、さきほどの「心機一転」の部分。
昆虫とはいえ、人生において心機一転はしておきたい、というあらわれなのではないか。
しかし考えてみると、彼らにはそのあとさなぎから成虫という、一大プロジェクト「羽化  ?羽ばたく未来へ?」が待っている。
それで一転のたぐいは十分なのではないか。
実は、今のプロジェクト話はさっき思いついたことであり、ここからが冒頭の「夜中3時に起きたとき、なんか思いついた」の内容である。
せっかく鳥フンでやっていけてた幼虫が、いきなり極彩色へと変わる。
ここでもうひとつ、脱皮の際に彼らに変わってしまう点がある。
体の大きさだ。
僕が思いついたことは、こうだ。
「終齢幼虫の大きさになると、鳥フンの擬態がばれてしまう」
それまでの鳥フン擬態では、捕食者も「あ、鳥フンだ」ということで見逃すのである。
しかし、もし終齢幼虫で鳥フン擬態をしたならば、捕食者は「あれ、鳥フンにしては、ちょっと大きくね?」となってしまうのである。
終齢幼虫の大きさは、鳥フンとしては少しだけイレギュラーな大きさであり、それは捕食者に疑いを持たせてしまう、ギリギリの大きさなのだ。
いただろう、昔は。
終齢を鳥フンで貫こうとしたやつが。
しかし食べられてしまった。
そのため、アゲハは慣れ親しんだ鳥フン擬態を泣く泣くやめ、さなぎ、成虫になるまでをどうにか攻撃的なスタイルでやりくりしようとした。
かわいそうだ。
本当はいやだろうに、あんな緑々。
彼らの「週末をロマンスカーで」を。
ごめん間違えた。
彼らの「終齢を鳥フンで」を支える大型鳥類が今後登場することはないだろうが、それを切に願いたいところ。
そのとき、彼らは鳥フンの風貌で、胸のうちを明かしてくれるだろう。
「いやあ、あの緑はなかったと思いますけどね、私」

悪いやつ

怒れ。
社会に対して怒りののろしを上げろそしてあいさつを小声でしろ。
おろかなるは世界。
醜い文化そして公園にときどきある大量の犬の毛。
欲しいときに見つからないうちわ、その刹那、憤怒。
叫びは地の底へ届き、鬼たちはiPodのボリュームを上げる。
悪事の限りを尽くした王の、つややかな髪。
ミダルサスーン、ミダルサスーナー。
オンブバッタは引き剥がし、互いを反対方向へ投げろ。
事実は永遠に闇へ。
真理は天地にあらず。
あいつが笑っているのは、おまえがこの間、ポテコを指にはめようとしたことを知っているからだ。
許すな。
追え。
追って、ポテコの件について相談しろ。
人々はその、大いなる悪の誕生を、3食をきちんと食べることをもって祝す。
そのとき善人たちは、深夜の猫のけんかでなんとなく起こされるであろう。
追記
なんだこれ。

アイデア屋

やあ、こんにちは。
景気はどうかな?。
あ、そうでもない?。
この不景気じゃ、アイデアも売れないんですかね。
さて、今日は何かいいものがないかを探しにきました。
今日はいくつ、アイデアあります?
あ、3つですか。
じゃあ1番安いやつを。
え?。
だってそりゃあ、不景気だから。
・・・えーと、なになに。
「嫌いなやつのDSのタッチペンに、針を仕込め」って、何これ。
安いなら安いなりにいいものじゃなくちゃ。
質を落としちゃだめでしょ。
仕方ないな。
仕込むことは仕込むとして、次のやつのも頼むよ。
商売上手だなあ。
・・・えーと、なになに。
「バイブが強すぎて、絶えず開閉しているケータイ」って、何これ。
たいへんでしょ、これ。
マナーモードの時なんて、大暴れなんじゃないの?。
ああ、本物があるんだ。
やってみせてよ。
うわあ。
ポケットがえらいことになってるじゃん。
ピョン吉がカワイ子ちゃん見つけたみたいになってるじゃん。
まあ、こんなものか。
じゃあね。
・・・え?。
残ったのは見ないのかって?。
だっておやじさん。
それ、すごく高いじゃない。
手が出せないよ。
え、どんなものかでも見てってくれって?。
まあ、いいよ。
なになに。
「宝くじが当たったと思ったら、次の日背が伸びつつ首相から相談の電話がある方法」だって?。
え、いらないよ。全然。
だって、僕は怪しいものには金を出さない主義だから。

タンテール

先日、飲み屋で出た牛テールの煮物に対し、僕がそれを「牛タン」であると発言、物議となった。
牛テールを知っている人にとっては、それは牛タンとは程遠く、間違うものではないとのこと。
牛タン発言の僕は皆から総攻撃を受け。
そのかなりのいじられっぷりに、僕も新たな属性が獲得できたかと、少々負け組的な感じになったのだが、この事件で思い知らされたのは「人はいつ牛テールに触れるべきなのか」という点だ。
牛タン
牛テール
牛の中で最も離れた部位とも言える彼らは、カルビやハラミと言った大リーガーに対しては、少しばかり有名ではないところである。
今、「ネプリーグ」に出ているときのネプチューンは、ネプリーガーなんだと初めて気づいた。
もちろん「タンテール(玄人間の呼び名)は、ばりばり大リーガーだ!!」という意見もあるだろうが、もしそうだとしたらそのとき、カルビやハラミは宇宙ヒーローとなっているため、差は縮まらぬ。
おいしさは別として、取れる量もあるだろうし、ややグロテスクという面も否めず、少なくともタンテールはそういったマイナー扱いを受けやすい、牛の両端なのである。
大型スーパーで売られている、冷凍まるごと牛タンのざっくり感を見れば、そのマイナーたる理由がなんとなく分かる。
「うわあ」っぷりが、すごい。
そして大抵、その周りにはその印象を引き立たせる臓物類が存在し、花を添えている。
そんなみんなの仲間。
牛テール。
僕は牛テールに、手といい舌といい触れたがなかったため、それを牛タンと勘違いした。
「僕には、牛テールに触れるチャンスがあっただろうか」
考えてみる。
あんなにも、自分のしりをぱすぱす叩いている、尾である。
しかしテレビなどで見る牛テールのシチューなどは、素晴らしくおいしそう。
やわらかい、らしいよ。
どうも僕にとっての牛テール機会は、こういったマイナスイメージからの「牛テールはまずそうだな」や、シチューイメージからの「牛テールうまそう」といった意気込みからなるものだったはずである。
しかし残念ながら僕は、いくつか牛テール情報を入手していながら、牛テールについてなんら考えていなかったのである。
それゆえのタン違い。
あれ、駄洒落だ。
さて、その飲み会でめでたく、初牛テールを経験した僕である。
しかし、そのおいしさに「タンだがテールだがどうでもよくなりました。ウマイ!!」、などといったご都合感想を持つには至らなかった。
今ですら、「あのときの牛テールは牛タンだったのでは?」と疑っているのである。

うっかり謄本

人がついうっかり作ってしまうのが、戸籍謄本だ。
先日、どこそこにて「トキの戸籍謄本」が作られたことを知り、やっぱり作ってしまうのだなぁとしみじみとしてしまった。
ちゃんと調べていないが、この手のはアザラシ、ラッコにも適応されてはいなかったか。
たしか住民票だったか。
何故か海産物しか思いつかなかったのかが、謎である。
とにかく人は、もちろんリターンも考えてはいるが、こういったやんちゃをしでかし、思いもよらなかったらしい問題を生じさせたりする。
アザラシやトキとしても、何か人を害す問題が生じるようなら、すぐにでもここを退きますといった心情を持っているだろうし、内心「戸籍謄本はやりすぎでしょ。まんじゅうとかでいいっすよ」と思っているはずだ。
ところで、私情ではあるが、トキの戸籍謄本よりもコウノトリの戸籍謄本のほうが面白そうである。
また、このノリなら歴史上の人物のそれを作ってもいいような気がする。
欄が超埋まりそうである。
さらに、既にもうありそうなのが、大仏系である。
もしないのだとしたら、それは明らかに何らかの悪意が介在しているので、関係者はすみやかにその悪意を排除するべきだ。
と、ここまできたら、これについて怒る人が激増しそう。
しかし、なんせ人は取りにも来ないヤツに対してうっかりと戸籍謄本を作ってしまい、売り物のさしみを指で押してしまい、たまごの賞味期限を見逃してしまうのである。
残念ながら、そのうっかりは治らない。

匿名

インターネット世界において匿名という考え方は、今までもそしてこれからも議論され続けるものだろう。
すなわち「数多くの情報」と「信用のおけない情報」との収支が不変ではないのである。
ではこの概念を、少し懐かしいパペットマペットに適用してみよう。
匿名の持つ「数多くの情報」という長所は、パペットマペットでは「隠れた顔の中、かっこいいかも」という推測にあたる。
同様に「左手、しなやかな長い指かも」「右手、毛はえてないかも」となる。
この作用は、必ずしもインターネット世界での匿名性における「数多くの情報が集まる」動きと同じではないと考えられる。
例えば男子は、たいがいマスクをした女子が好きである。
これは、マスクで隠れた部分を男子が勝手に好みのタイプで補填してしまうからである。
このような人間本来の動きが、パペットマペットをムダ毛なしと推測させるのだ。
ちなみに、同様な動きを見せるものにスキー場、仮面舞踏会がある。
一方、匿名の持つ「信用のおけない情報」という短所は、パペットマペットでは「本当は芸能人の※※なのかも」という推測にあたる。
同様に「左手、ナイフ持ってるかも」「右手、中指立ててるかも」となる。
顔については、一見長所とも取れる内容である。
しかし本人としては自分が芸能人の※※ではないことを十分承知しているため、その落差にあえぐこととなり、つらい。
もちろん、パペットマペットが芸能人の※※だったら、ごめんなさい。
さてここまで、匿名性をパペットマペットにあてがってみたわけだが、すでに判明しているように、彼には匿名性という点で重要な箇所が主に3箇所ある。
ゆえに彼の匿名性については、インターネット以上の議論が望まれることは想像に難くないのであるが、そこまでしてそれに是非をつけるのも忍びない、という気色もある。
たいていの人に。

いちご

いちごチョコは世紀の大発明ではないか。
既成概念を懸命に取り除いてみる。
「あ、いちごとチョコ混ぜなくちゃ!!」
たどりつかね。
まあ、とにかくすごい発明だよなと考えていた。
そして今。
2箱目のいちごポッキーを食べて、それが確信となった。
いちごチョコおいしい。
しかしなぜ、いちごとチョコを混ぜたかねえ。
そもそも、最初はいちごをチョコに練りこもうとしたのか。
それともいちご香料がたくさんできたので、混ぜてみようとしたのか。
というか、ふと周りを見てみると、いちごはやたら食品に混ぜられていることに気づく。
いちご大福
ゼリー
ケーキ
アイス
いちご大福
なんとなくいちご大福で包んでみたのは、思いのほか思いつかなかったからではあるが、それでもフルーツとしてはダントツなのではないか、いちごの混ぜられ具合。
混ぜられても、文句ひとつ言わない、いちご。
なんて都合のいいヤツなんだ。
友達に一人は欲しいタイプだ!!。