羽化登仙

最近、夜中の3時ごろに目覚める。
何か気持ち悪いので懸命に寝ようと試みるのだが、それが素晴らしく成功してしまうため、特に何事もなく寝ていることになる。
さて、その目覚めるとき、ふと思いつくことがある。
こないだは「アゲハの幼虫」についてだった。
誰しもが思い浮かべるのは、あの緑々した、オレンジの角を出すやつだが、あいつらは小さい頃、確か鳥のフンのような模様をしていた。
彼らは何回かの脱皮を繰り返すのだが、長い間鳥フンで容姿偽装していたのを、さなぎ一歩前の段階、終齢幼虫のタイミングで心機一転するという、ワケあり転校生のような人生を歩む。
これはなぜなのだろうか。
まず思いついたのは、さきほどの「心機一転」の部分。
昆虫とはいえ、人生において心機一転はしておきたい、というあらわれなのではないか。
しかし考えてみると、彼らにはそのあとさなぎから成虫という、一大プロジェクト「羽化  ?羽ばたく未来へ?」が待っている。
それで一転のたぐいは十分なのではないか。
実は、今のプロジェクト話はさっき思いついたことであり、ここからが冒頭の「夜中3時に起きたとき、なんか思いついた」の内容である。
せっかく鳥フンでやっていけてた幼虫が、いきなり極彩色へと変わる。
ここでもうひとつ、脱皮の際に彼らに変わってしまう点がある。
体の大きさだ。
僕が思いついたことは、こうだ。
「終齢幼虫の大きさになると、鳥フンの擬態がばれてしまう」
それまでの鳥フン擬態では、捕食者も「あ、鳥フンだ」ということで見逃すのである。
しかし、もし終齢幼虫で鳥フン擬態をしたならば、捕食者は「あれ、鳥フンにしては、ちょっと大きくね?」となってしまうのである。
終齢幼虫の大きさは、鳥フンとしては少しだけイレギュラーな大きさであり、それは捕食者に疑いを持たせてしまう、ギリギリの大きさなのだ。
いただろう、昔は。
終齢を鳥フンで貫こうとしたやつが。
しかし食べられてしまった。
そのため、アゲハは慣れ親しんだ鳥フン擬態を泣く泣くやめ、さなぎ、成虫になるまでをどうにか攻撃的なスタイルでやりくりしようとした。
かわいそうだ。
本当はいやだろうに、あんな緑々。
彼らの「週末をロマンスカーで」を。
ごめん間違えた。
彼らの「終齢を鳥フンで」を支える大型鳥類が今後登場することはないだろうが、それを切に願いたいところ。
そのとき、彼らは鳥フンの風貌で、胸のうちを明かしてくれるだろう。
「いやあ、あの緑はなかったと思いますけどね、私」

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