ヒッチコックじゃない「鳥」

今日で、自分の部屋から出なくなって1週間になる。
人の顔を見なくなって6日。
親の顔を見なくなって3日。
きっかけは些細なことだった。
一日、風邪で休んだだけだったんだ。
でも、次の日の朝から体調が良くなくて、ずるずると休むようになってしまった。
一日3回扉を開くだけの日々。
2回開けば目の前には食事が。
一回はトイレ。
休みだす前の生活を知っている分、こんな生活に耐えられないことを体が感じている。
でも、気楽に聞こえるかもしれないけど「気分が乗らない」のだ。
これじゃダメだな・・・。
こんな僕でも、最近ちょっとハマッているものがある。
「懐メロ」だ。
最近の歌はついていけなくて。
懐メロと言ってもけっこう昔のものだけどね。
昨日は渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」を繰り返し聞いてた。
窓開けっ放しでね。
「ハーバーライトが 朝日に変わる
 その時 一羽のかもめが翔んだ」
という出だしの歌だ。
次の日の夜、急に下の階が騒がしくなり、母親に呼ばれた。
4回目のドアを開けて降りていくと、制服の警官がふたり、居間で立っていた。
普通の人でさえ制服の警官をみると少しは挙動不審になる。
僕なんかはなおさらだ。
もちろん、こういうきっかけがないと呼ぶことができなかった母親もそう。
しかし、警官たちはだいぶくだけた感じで話し始めた。
「いやー。事件などではないんです。ただ、妙な話が複数寄せられたので。」
「と言うと?。」
「おたくの2階の窓から、たくさんの鳥が飛んでいくのを見たというものです。」
「はぁ・・・。」
「しかも、それがかもめだっていうんですよ。おかしなものです。」
「ちなみに、何か鳥は飼っていますか?。」
「いいえ。別にレース鳩とかに興味もありませんし。」
「複数の目撃があったんですが、見たところ問題もないですしね。お騒がせしました。」
警官たちは頭をかきながら帰っていった。
部屋に戻った僕は、窓から両手を出してみた。
なまぬるい空気がなでる。
壁を隔てた二つの空間。
隣り合っていても、今は想像もできないくらい相容れなくて、異質の世界同士なのかもしれない。
僕は部屋から飛び立つたくさんのかもめを想像した。
苦笑して、部屋を振り返ると、レンタル屋のふくろが投げ捨てられていた。
延滞している。
さて、返しに行かなくちゃな・・・。

エーテルよりも、ダークエネルギーよりも。

武士の一分っていう映画があるらしいです。
それにしても「もののふ」って、なんかかわいいな。
なんかわからないけどかわいい感じだなーと思っていたのに「ぬっぺふほふ」というものがある。
水木しげる属性の人は分かるだろうが、「ぬっぺらぼう」という妖怪の別名みたいなものらしい。
妖怪の話で「らしい」というのは申し訳ないが、そういうものらしい。
で、なんかいいでしょ?、「ぬっぺふほふ」。
日本語は、こんな抜けた言葉も許容しているんですね。まぁ使わないけど。
何だか食べられそうだ。
こうして今回のブログテーマ、「水木しげると食」に入ることができました。
いきなり妖怪じゃあなー、と人生を鑑みた結果、こうした流れとなりました。
いやー。
極めてナチュラルな展開!!。
読者のハートをがっちりキャッチである。
で、何が言いたいかというと、
ゲゲゲの鬼太郎の漫画版か何かで、人間の魂をてんぷらにするみたいな描写があったことをこの間、思い出したわけですよ。
いわゆる「原始肉」を食べてみたかった!!、ハイジのチーズが食ってみたかった!!、という意見は多いんです。
けど、鬼太郎のてんぷらというのは、ほとんど聞きません。
なぜだ!?。
・鬼太郎の市民権は原始肉、ハイジ(以下アレ)には及ばない。
・アレに比べて、あまりに食える機会が無さすぎる。
・人間にとっては、実はアレよりも食べたときの印象が想像しやすい。
たぶん全部かな・・・。
魂のてんぷらは、まわりはさっくり、中はふんわり。超淡白。
これ以外考えられないもんね・・・。
あと、食べたらたぶんMP回復するわ・・・。
善人、悪人の味とかは、みんなで考えて、今日はその夢見て。
頼むよ。

羊を数えるバイトをやってるくらい・・・

比喩というものがあります。
あるものを説明したりするときに、例えを出してより詳細に、強調して物事を相手に伝えることができる。
「このコーヒーは熱い。」
さっき入れたコーヒーのこと。
これは、
「このコーヒーはアニメのDVDが出たときの、マニアのように熱い。」
となります。
僕も昔は好きなゲームの発売日などはこんな感じでした。
今はおっつけないゲームが多いですな・・・。
「牛乳を入れたらむしろ冷たくなった。」
熱かったので入れました。
これは、
「牛乳を入れたら、DVDを買ったことを知ったマニアの奥さんのように冷たくなった。」
となります。
家族でも恋人でも、あんまり価値観が違うとこういうこともあるんではないでしょうか?。
誰かにこんな愚痴を聞かされたら、「のろけるなーー!!」ってジェスチャーをするよ・・・。
「カフェオレはおいしかった。」
ほんと、僕はカフェオレを作るのがうまい。
で、これは
「カフェオレは、予約してないのに予約特典がついてきたくらい、おいしかった。」
となります。
人を惑わす限定品。
最近多いですね。
「さっきから、おなかがゆるい」
牛乳、賞味期限過ぎてました。
これが、
「さっきからおなかが、限定版DVDが出たときのマニアの財布のひものようにゆるい。」
となります。
僕の好きな、すごく昔のアニメで「宇宙船サジタリウス」というのがあるんですが、もっとDVDとか安ければ買うのに・・・。
なんだかアニメのDVDは高い感じが。
量的に多いからかな?。
最後くらいは、ふつうのを。
「おならがとてもくさい。」
これは、
「おならが、触れそうなくらいだ。」
となります。

薬よりもオブラートが苦手。

耳かきで耳をほじくり返したあと、その先端を見るのが楽しみな人は、これからも生きていける人だ。
大きい耳くそが取れたら、うれしいもんね。
また、ほじくっているときに「カサカサ」言ったりしたら、わくわくしない方がおかしいでしょ?。
自らの体が由来であるが故、人類における娯楽において耳くそのそれはかなり根源的なものだろう。
だけど、あんまし耳くそで盛り上がっている人たちはいなさそう。
盛り上がってたらごめん。
たぶんネーミングのせいだ。
なんだかとってもプリミティブ。
もっとオブラートに包んだ言い方をすればカフェでランチを楽しむ人たちの間でも話題になることができるだろう。
よし。
眠いからちゃっちゃといくよ!!。
「耳ペースト」
耳かきをしてもらっている時に限り、「ペースト」と略してもよいことにしよう。
「耳コロ」
なんかかわいいな。
何気にイチオシ。
「ひざまくらの産物」
「ひざまくらの産物、取って?。」とか言おう!!。
「耳のあれ」
美しい日本語です。
「分泌耳栓」
その役割を担えるほど育っても困りますが・・・。
「脳もれ」
まだ世間をよく知らない子供に教えてあげよう。
「耳ピーナッツバター」
我ながら汚いこと考えた。
けど、こんなこと考えてても、給食でピーナッツバターが出たときはうれしいもんだ。
けっこう包んだな。
では、おやすみなさい。
追記
耳くそには、しっとりとカサカサの2タイプがあるとか。
今日挙げたのも、どちらかによっては変わるかも。
いろいろ詳しい人はコメントでも。

曲がる必要性<<曲げる必然性

「折り曲げられるストロー」というものがある。
ストロー間の一部がじゃばらになっていて、そこで曲げられるという代物だ。
僕はいつも、この手のストローはじゃばら部分を最大限まで伸ばしてから曲げることにしている。
しかし、いつだったか、その行為について注意を受けたことがある。
「伸ばさなくても十分に曲がるよ」
「伸ばしたら飲み物と口の距離が長くなり、ある意味M度が上がるよ」
「伸ばすことで腕の筋肉を鍛え、飲み物と口の距離にくわえて高低差も増加し吸う力も鍛えられるよ」
下に行くほど脚色度が高くなることを詫びたい。
ともかく、「普通はそんなことはせずにただ曲げるのだ」と言うことである。
僕は自分に問うた。
思い通りになるじゃばらを前にして、何もしない人間などいるのだろうか?。
最大限に伸ばさない手はないはずだ、と。
あの、伸ばすときの「ぶぶぶぶ」と手に伝わる感触。
なにものにも変えがたいとまではいかないが、まぁ、もうないと思っていたお菓子の袋の中に、実はもう一個入っていたというくらいのうれしさくらいでは変えられないものだ。
僕はこれからもストローじゃばらをぶぶぶぶ言わせるだろう。
しかし、このストロー物議で気になったことがある。
じゃばらを引き伸ばすために、ストローの両端を持たなくてはならない。
ちょっときたない。
お腹が調子悪くなるときがあるのはこのせいではなかったか。
今は、袋に入った状態で伸ばしきってしまおうかと考えている。
袋も切れるので、一石二鳥、一挙両得だ。
追記
この程度の話で一挙両得って使ったら、すごく損した気分になりました。

届け、僕らのハーモニー

いくら相手との距離が離れていたって、暗証番号は叫んじゃいけません。
極端な例ではありましたが、叫んではいけない言葉はけっこうあります。
もちろん日常生活では、我々はほとんど叫ぶことがありませんが。
一回、叫んでみると分かるかも。
なんとも新鮮な気分のはず。
そこで、僕は考えます。
何を叫んだら「よい」のか?。
現在、学級崩壊などの社会問題が多くのメディアで取り上げられています。
その象徴として「奇声」というものがあります。
せっかくなんだから、意味のある「よい奇声」で「学級崩壊」を超えてみようじゃあないか!!。
何を叫んだら学級崩壊を超えるんでしょうか?。
学級大惨事、学級一揆、学級関ヶ原の合戦、バトルロワイヤル、学級テンペスト、第三次学級大戦、学級ジハード、学級ハルマゲドン。
もういいと思うのでやめますが、せめて学級一揆を目指してみたいと思います。
「もののーけぇーたちぃーだけぇぇぇぇ!!!!」
別に甲高い声でなくてもよいです。
その場合、由来が分からなくなる場合がありますが。
「春の祭典スペシャァァァァルッ!!!!!!」
こう言ってたらもっと長く続いた番組かもしれません。
「タラちゃん、それ取ってぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
昔のサザエさんの歌。
確実にトラウマが心配されます。
タラちゃんにとっても、言われた先生にとっても。
「もっこもこだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
突然叫ばれたら、かなり怖いです。
ネコが何にもないところをじっと見ている感じ。
もっと色々考えていたけど、眠たいのでやめます。
ちなみに、僕が一番叫んだら面白いと思っているのは
「風のリグレェェェェェット!!!!」です。

扇動の終焉

ひとつ、詫びたいことがある。
冬の提案では、私事によって傾倒したものになってしまったようだ。
結局、鍋は、余ると片づけがめんどいのである。
鍋に参加した以上、具材を根絶やしにする義務があるのだ。
謝る。ごめん。
ところで、私は、客観的に物事を主張するということを忘れてはいまいか。
例えば今。
私は「何だかよく分からない主張をしているヤツ」と思われているようだ。
残念だが、そのとおりだ。
この間、背広にシールを貼られた。
知らないおばさんに「主張のほう、どうですか?」と聞かれた。
うちのポストにきくらげが生えた。
あんましみんなに愛されていないようだ・・・。
私は最後の提案をする。
これからはみんなのことちゃんと聞くんで、
いろいろとよろしくお願いします!!。

吐息のデマゴーグ

ひとつ、詫びたいことがある。
秋の提案では、私事によって傾倒したものになってしまったようだ。
要所に挿絵があることで理解力が上がる人もいるようだ。
また、絵本で挿絵無しとかは、ただの本だし、なんか戦時中である。
謝る。ごめん。
ところで、我々日本人は、四季の美しさ、尊さを忘れてはいまいか。
例えば冬。
冬は、鍋物の季節である。
家に帰って鍋が用意されていると、簡単に言わなくても、とてもいいのである。
この点は、諸君も共感をおぼえるところではないか?
しかし、非常に残念な季節でもある。
せっかくの鍋なのに、嫌いなものが入っていることがあるのである。
しかも、親が勝手に人の皿にそれを入れたりするのである。
私は提案する。
個人の嫌いな食べ物を把握できるシステムを構築し、その主張を尊重しようではないか!!。

落葉のデマゴーグ

ひとつ、詫びたいことがある。
夏の提案では、私事によって傾倒したものになってしまったようだ。
人間全てが虫好きとは限らないのである。
私も、昔ふとんのなかにイモ虫がいたとき、3日間くらいはいたところを避けて寝ていた。
謝る。ごめん。
ところで、我々日本人は、四季の美しさ、尊さを忘れてはいまいか。
例えば秋。
秋は、読書の季節である。
何かしら本を読んでいると、色々と、何かが「わっさー」となり、
簡単に言うと、とてもいいのである。
この点は、諸君も共感をおぼえるところではないか?
しかし、非常に残念な季節でもある。
せっかく本を読んでいるのに、挿絵があるとなんとなくハズくて、そのページが開けなくなるのである。
しかも、半ページ挿絵のもう半ページ部分に限って、重要だったりするのである。
私は提案する。
挿絵は、無しか、見開き全部を使おうではないか!!。