夢で逢えたら

夢の話で恐縮だが、こないだ四の字固めをやられた。
いや、やられたのだろうか。
というのも、僕が実際に四の字固めを経験したことがないためだろうか。
こんな内容だったのだ。
↓ここから
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がたいのいい男が僕の両足を持つ。
な、なにすんだ!!。
すると、その男はなにやら僕の足を試行錯誤し始めた。
右足の上に左足を乗せたり、右ひざの裏に左足の甲を当てたり。
そして、映像的にはその試行錯誤が続いているのに、なぜか僕は四の字固めを決められたことに気付く。
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↑ここまで
こんな感じ。
夢の中の僕は「四の字固めをやられている!!」というイメージ、なんらかの苦痛を感じているものの、そのかけられている姿は、なんだかはっきりとしない。
ちょうど、「四の字固めって、どうやるんだっけ?」と思っているレスラーが一生懸命それを思い出そうとしているような感じだった。
(ちょうど、ってのもないが)
しかし僕はなぜか「四の字固め」であると確信してしまった。
この夢に何かしら意味があるとしたら、それは「自身に四の字固めを教える」ことが考えられるが、当の型が未経験のため、こんなことになったのではないだろうか。
夢は時として、思いがけないイメージや、録画したくなるようなムフフな経験をさせてくれる。
そして、それはそれで意味を持たせようと思えばいくらでも持たせることができる。
でも、今回はよくわからない。
なぜそんなことを教えようとしたのだろうか、自分もしくは宇宙の意思。
四の字固めを早く覚えろ、とでもいうのだろうか。

液状砂糖

「菓子パンとは何か。それは上からかけられた液状砂糖である。」
ヘッセ、車輪の下の冒頭で語られる真実である。
このように、古くから多くの人々を魅了し続けてきた「菓子パンにかけられた液状砂糖」。
僕もそんななかのひとりで、菓子パンセレクションでは、この液状砂糖の存在がかなりの決定権を持つ。
この「液状砂糖」について、いつか何か書こうと思っていて、実際今がそうなのだが、ある問題が解決できずに困っている。
名前がわからないのだ。
確かあいつには名前があり、以前ドーナツ屋で働いていた知人がぽろりと言っていた気がするのだが、思い出せない。
ということで調べてみたところ、アイシングというらしい。
・・・知人のぽろりを聞いていたわりには、ぴんと来なくて情けないのだが、それにしても知名度が低いんじゃないだろうか。
人にアイシングの説明をするとき、多くの人は、冒頭の僕がそうであったように「液状砂糖」とか「甘だれ」とか言ってしまうだろう。
だが、本人は「この言葉では的確にアレ(アイシング)のことを示すことはできていない」と考えており、「自分がアレが好きなことを、ちゃんと伝えられているだろうか。」と不安になるのだ。
そして、本人も含め、ほとんどの人は「アイシング」を知らない。
もちろん、かろうじて他方が「アイシング」を知っていたとしても、それは何の不安材料の解決にならない。
ある喫茶店で。
A「僕、好きなんだよね。アイシングかかってるやつ。」
B「I sing かかってるやつ・・・」
Bは喫茶店で流れていたBGMのCDもしくはitunes Storeギフトカードを買ってきて、Aに送るだろう。
僕はそんなBを見たら、その発想に敬意を払い、超褒めるだろうが、やはり解決になっていないことを痛感するだろう。
パンの代わりにCDが置いてあるのだから。
もちろん、Bが打撲や筋肉疲労などに関するほうのアイシングを発想してしまったら、次にAに会うとき、相応の準備をしてくることが予想され、不安は解決されない。
この問題の解決法は、やはりアイシング名の普及だ。
菓子パンパッケージに「アイシングかかってます」的なプリントがあれば、かなり知名度が上がるのではないだろうか。
頼む、全国アイシング協会。

続々・別のいきもの

昨日からのつづき。
【あらすじ】
「別のいきもの」ってのを色々使ってみるか。
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1.その猫は、あたかも別のいきもののように喋った。
・・・別のいきものは、100%人間である。
2.給食係、いきものがかり、別のいきものがかり。
・・・小学校の風景でも、インディースでも、なんでも可。
3.「あそこの動物園、あの「別のいきもの」が展示されているらしいぞ。」
・・・物語とかでの「別のいきもの」の使われようを考えると、結構粗雑で原始的なやつかもしれない。期待大である。
4.そのいきものは、まるで別のいきもののように振舞った。
・・・こうなると、そのいきものは結構生態とか知られているのに、名前がつけられていないのである。
5.ピカチュウは、別のいきものにしんかした!!。
・・・ある意味、ポケモンは全部別のいきものにしんかするな。
6.店内、ペットの持ち込みは禁止です。あぁ、別のいきものについては問題ありません。
・・・なぜ的確な語句を用いないのか。店側の意見が聞きたい。
7.「海辺の別のいきもの」図鑑
・・・これと「海辺のいきもの」図鑑があれば、全てのいきもの網羅となるはずだ。
8.「ウィキペディアと幹てつやって、似てね?」
・・・当ブログにはたびたび幹てつやが登場するのだが、そのたび、何かしら僕の胸に去来するものがある。
9.特選イカの塩辛(別のいきものは使用しておりません)
・・・うわあ。心象悪いな。いままでのが超気になるところである。
10.あの晩?。女となんか歩いてなかったよ。それ、別のいきものだったんじゃない?。
・・・自分もしくは自分と似た人をわざわざ「いきもの」という点に、男の罪悪感が見え隠れしているように、見えないか・・・。
そんなこんなで「別のいきもの」について、おわり。

続・別のいきもの

昨日からのつづき
【あらすじ】
「別のいきもののように」と表現される人間の部位には、手、首、足などがある。
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シモネッタさん系を除けば、「別のいきもののように」なる部位は上記のものくらいではないだろうか。
一方、人間の体の中には「別のいきもののように」なってはいけない場所もある。
例を挙げてみよう。
・あいつの背骨が、まるで別のいきもののように動き出したんだ。
・僕の腕の血管が、別のいきもののようにうごめいた。
このように、そもそも動かないものが「別のいきもののように」動いてしまうと、それはおそらく、本当に別のいきものなのであって、エイリアンである。
また、こんなのはどうだろうか。
・別のいきもののように、胃液が出てきた。
・別のいきもののように、鳥肌が立った。
確かにそんな状態になることがあるかもしれないが、自律的にコントロールされているものについて「別のいきもののように」動かれても、ぴんと来ない。
自律的ってのが、少なからず「別のいきもの」的だから。
さらに、この例では
「なぜ胃液がそう分泌されたことがわかったのか。」
「結局、そのいきものは鳥なのではないか。」
といった気になる点が露呈し、別のいきものについての言及はなおさら重視されない。
これらは「別のいきもののように」で表現されないもしくはされにくい部位であるといえる。
それはどちらかというと意識的に動く部分が、あたかもその制御を受けていないかのような振る舞いを見せるとき、使われるのだ。
次回、煩雑に「別のいきもの」をいじる。

別のいきもの

小説や物語で時折見られる「別のいきもののように」という、人の動きのとらえ方が、気になる。
例えばこんな感じで使われるのを見たことはないだろうか。
「その男の指だけが、まるで別のいきもののように、あわただしくうごいていた。」
※ちなみに、この言葉と下系の相性はS極とN極くらいに抜群だが、今回は触れない。
どうやら我らの体の一部は、時として別のいきものになるらしい。
そんな自我境界線防衛隊を素破抜く可能性のある部位、挙げてみる。
◆手
すごく早くピアノを弾くことのできる人や、タイピングが早い人の手が、別のいきものとなる。
おそらく、神がかり的にすごい状態のとき、その手を切り落としたら、その手は24時間くらいは動き続けるのではないだろうか。
そう考えると、アダムス・ファミリーのハンドくんはおそろしく長寿である。
◆首
何かを食べ、嚥下するときの喉の動き。また、鳩のモノマネをする人の首の動き。
別のいきものにはなっていないだろうか。
もうそろそろ新種(寄生種)として扱われることになるだろう。
◆足
ムーンウォークをしているときの足は、別のいきものと言える。
足は、第二の心臓だしな。
と、このように今回の内容を、下を感じさせる部位を除いた状態で書くと、こんな感じになってしまうのである。
今、僕の頭の中はベビーピンク一色なのだ。
明日。
自我境界線防衛隊を素破抜く部位と、そうでない部位について。

ほたるのひかり

「蛍の光」の日本語歌詞を見直してみると、「春」と「秋」を意味する言葉がないように思う。
まぁ「蛍の光」は夏として、「窓の雪」は冬として。
おそらく、出だし部分で表そうとしたことは「ずっと」ということであり、それを示すのには相反する特徴を持つ2つの季節で十分、ということになったのだろう。
そう。
春と秋は、それほど自己主張しない季節だ。
ということで、彼らにその役割(蛍の光の出だし部分)を託し、かつ本来の意図を少しでも持っていてもらいたいとしたら、どうしたらいいだろうか。
蛍の光、1番である。
蛍の光 窓の雪
書読む月日 重ねつつ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れ行く
変えてみた。
マスクの白さ 黒部行き 
書読む月日 重ねつつ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れ行く
花粉症の季節であることと、なんとなく黒部ダムは秋、きれいなのではないかと思ったための変更である。
ちなみに「ゆき」は、かけておいた。
いろいろ変えてみる。
さくら、納税 たわわな穂 
書読む月日 重ねつつ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れ行く
適当だったが、なんとなく新社会人的なものをかもしてて、案外いいのではないかと思う。
恋に夢見て 恋に落ち 
書読む月日 重ねつつ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れ行く
これも適当っぷりが炸裂である。あんまり季節関係ないし、かけててもおもろないし・・・。
まぁ、みんなもいろいろ考えて、春とか秋をないがしろにしないようにしていただきたい。
まかせたぞ!!。

非スペース

注文した料理名を他のスタッフにも聞こえるように叫ぶと、その他スタッフ達もその料理名で呼応する。
スタバでそんな風景を見た。
スタバといえば、本来「なんか、砂糖だれ(?)のかかった、チョコレート生地のスコーンがなくなって久しい件」について追求されるべきであるが、本日は冒頭の件について。
キャラメルマキアートを注文すると、レジの方が「キャラメルマキアート?」と言い、それに追随して他スタッフの方が「キャラメルマキアート」という。
注文ミスを防ぐのが目的と考えられる。
このシステムから僕らが想像することといえば「12時方向から熱源接近!!」的なことである。
レジの方に、どうにかして「12時方向から熱源接近?」と言わすことができれば、おそらく他スタッフも「12時方向から熱源接近」といい、彼らはスペースクルーとして申し分ない感じになるはずなのだ。
だが、レジに向かう熱源は客くらいしかおらず、どちらかというとそれは店にとって歓迎である。
よって、接近を緊急事態として知らせる必要はなく、彼らのスペースクルーとしての素質を垣間見ることはできないだろう。
もったいない。

落雷

ここ何年か、雑学をみんな大好きになっている。
先日、「金属をつけているとカミナリが落ちやすい?」というのがやっていた。
その番組では、検証実験が行われていた。
落雷を再現する装置の下に、普通のマネキンと、金属を身につけたマネキンが置かれる。
その状態で装置を作動させ、落雷を再現し、その様子をハイスピードカメラで撮影し、どちらに多く落ちるか、を実験したのだ。
・・・結果は同じくらい。
普通のマネキン:金属マネキン = 11回:9回とかだったか。
差などなかったのである。
僕は結果にすごく期待していたのだが、これには落胆した。
そして同時に、そらしょうがないよな、と思った。
僕はこういうのをみると、たいがい
普通マネキン:金属マネキン:ハイスピードカメラ = 10回:8回:2回
とかを期待しているのだ。

秋の空

誰だってそうだろうが、気持ちというものはかなり速いターンで変化するものだ。
僕も、ヘタすると秒単位で気分が高揚したり落胆したりと、反復横とび並みのソーウツ感なときがある。
だからこそ、今の気持ちを大切にしたいと思うのだ。
今この瞬間、僕がやられて一番いやだなぁと思うのは「グランプリと書かれたタスキをかけられる」ことだ。
お、俺はグランプリなんていう、すごいことはできないよ!!。
そして、プリッてなんだよ、プリッて。
だいぶやだ。
そして気持ちは切り替わる。
今、一番やなのは「キーボードにポカリスエットをこぼされる」ことになった。

もちネタ

特に書くことも無いので、本ブログに書いたこともあるが、僕のもちネタをいくつか挙げてみる。
1.浜村淳のモノマネ
2.これからすごく速く走りそうな人のポーズ
3.ひとりパロスペシャル
4.一発ギャグ「それいけ日の丸飛行隊」
5.ハッピーバースディを歌うマリリン・モンロー
こう挙げてみて、どれも披露したことがないな、と思った。
どれもすごくキレがないので、披露できないのだ。
かわいそうな話だ。
ちなみに、なぜこうも列挙してみたのかというと、これらがもちネタなことを、忘れそうになるからである。