別のいきもの

小説や物語で時折見られる「別のいきもののように」という、人の動きのとらえ方が、気になる。
例えばこんな感じで使われるのを見たことはないだろうか。
「その男の指だけが、まるで別のいきもののように、あわただしくうごいていた。」
※ちなみに、この言葉と下系の相性はS極とN極くらいに抜群だが、今回は触れない。
どうやら我らの体の一部は、時として別のいきものになるらしい。
そんな自我境界線防衛隊を素破抜く可能性のある部位、挙げてみる。
◆手
すごく早くピアノを弾くことのできる人や、タイピングが早い人の手が、別のいきものとなる。
おそらく、神がかり的にすごい状態のとき、その手を切り落としたら、その手は24時間くらいは動き続けるのではないだろうか。
そう考えると、アダムス・ファミリーのハンドくんはおそろしく長寿である。
◆首
何かを食べ、嚥下するときの喉の動き。また、鳩のモノマネをする人の首の動き。
別のいきものにはなっていないだろうか。
もうそろそろ新種(寄生種)として扱われることになるだろう。
◆足
ムーンウォークをしているときの足は、別のいきものと言える。
足は、第二の心臓だしな。
と、このように今回の内容を、下を感じさせる部位を除いた状態で書くと、こんな感じになってしまうのである。
今、僕の頭の中はベビーピンク一色なのだ。
明日。
自我境界線防衛隊を素破抜く部位と、そうでない部位について。

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