ほたるのひかり

「蛍の光」の日本語歌詞を見直してみると、「春」と「秋」を意味する言葉がないように思う。
まぁ「蛍の光」は夏として、「窓の雪」は冬として。
おそらく、出だし部分で表そうとしたことは「ずっと」ということであり、それを示すのには相反する特徴を持つ2つの季節で十分、ということになったのだろう。
そう。
春と秋は、それほど自己主張しない季節だ。
ということで、彼らにその役割(蛍の光の出だし部分)を託し、かつ本来の意図を少しでも持っていてもらいたいとしたら、どうしたらいいだろうか。
蛍の光、1番である。
蛍の光 窓の雪
書読む月日 重ねつつ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れ行く
変えてみた。
マスクの白さ 黒部行き 
書読む月日 重ねつつ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れ行く
花粉症の季節であることと、なんとなく黒部ダムは秋、きれいなのではないかと思ったための変更である。
ちなみに「ゆき」は、かけておいた。
いろいろ変えてみる。
さくら、納税 たわわな穂 
書読む月日 重ねつつ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れ行く
適当だったが、なんとなく新社会人的なものをかもしてて、案外いいのではないかと思う。
恋に夢見て 恋に落ち 
書読む月日 重ねつつ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れ行く
これも適当っぷりが炸裂である。あんまり季節関係ないし、かけててもおもろないし・・・。
まぁ、みんなもいろいろ考えて、春とか秋をないがしろにしないようにしていただきたい。
まかせたぞ!!。

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