布石

オセロで、表裏両方とも白あるいは黒のやつが1枚だけあって、それぞれ1回だけ使用していいルールになる。
なんか面白そうな雰囲気になりそうだけど、あんがいその両面のやつを置く定石ゾーンがすぐに見つかってしまうかもしれない。
昔はよく、ローカルルールを勝手に作ったオセロを他人に強要してはいやがられたものだ。
1ターン2枚づつ置けるとか、どこから置いてもいいとか。
一番いやがられたのは「板を見せない」だった。
これは双方から「2のA」だとかで駒を置くところを聴き、僕がそれを置いていく。
ゲームをしている人は現状が見えない訳で、まとめると彼らの駒を置く僕だけが「あーあ」とか「おー」などと展開を楽しむ事ができる。
そんな感じ。
ちなみにその結果は、まさかの32対32。
白黒つかなかった。

これ、いかがでしょうか?。

重要

ある、全然知らない人の軽食中での言葉によると「重要な事は重要よ」ということである。
もっともである。
「鬼は外と福は内」
どちらがより重要か。
先ほどの全然知らない人は、福は内を言わなかったという相手に対して「福は内が重要なんじゃない!」と言っていたのだった。
それを聴いていて今回。
僕はどちらかというと「鬼は外」のほうが重要なんじゃないかと思った。
もちろんこの「鬼は外、福は内」にはローカル色あふれる亜種が存在するらしく、鬼も内に入れてしまう慈しみの精神あふれる地方もあるし、「鬼は外、福も外」という自立指向型、「鬼は福、福は鬼」というその日は朝から夜だった型などもあるため、一概にはどちらがより重要かなんてのは決められず、そして多少うそをついてごめんなさい。
「トイレ」
僕が一番重要だと思うのは「下半身についている衣類をほどほどに脱ぐ」だ。

様相

僕には「一度名前を覚えられなかった人は、ずっと名前が覚えられない」という申し訳ない癖みたいなものがあって、顔はよく知っているが名前はぜんぜん出ず、仕方なく再度確認してしまう。
そんな状況だから、もしかしたらその再度確認後にお話展開も再度だったりするかもしれず、これまた申し訳ない。
困るのが、その人がその場にいないときに会話だ。
名前が思い出せないので、その人ずばりを持ち出す事ができない。
ということで、今のところ僕の中には「帝都大戦の人」が2人、「げっ歯類の人」が3人、「かまきりめがね」が2人となっているのです。

苦手なジョア。

ジョアが嫌いだ。
たしかヤクルトみたいな飲み物だったはず。
僕はそれの、果実の入っているのが嫌いだ。
残留物が入っているのだ。
そしてそれが「売り」のようですらある。
だめなんだ、残留物が入っていちゃあ。
ある人はそれを「つぶつぶ」「プチプチ」という。
あれはそんなやさしい、かわいいものじゃない。
ジョアのオレンジ味だったか。
果汁の入っていたらしい皮が、残留しているだけじゃないか。
いくら整えても焼くとき丸まってしまうイカに腹を立てた犯行
今のは全然関係ないが、とにかく「残留物」と「つぶつぶ」はだいぶ違う。
「はっけよい」と「ハッピーバースデイ」くらい違う。
ジョア、ノーサンキュー。
はっけよい、トゥーユー。

おまえスペシャル。

本当にずっと、絵が苦手である。
中学のころに書いた人物画は全て同じ方向をむき、ほおづえは手刀となる。
うつろな瞳はまあ、何かよろしくないことを彷彿とさせるのだった。
そんな僕も、長期にわたる落書きチャレンジのおかげで「全然うまくないけど、一見して何かは分かる」程度の絵心を取得できたようす。
らくがきを見た者は口々に「何を書きたかったのかは分かる」というのだ。
それにしてもスペシャルマンの胸元のナンバリングは何だったろうか。
何かというと、深夜にらくがきをしていたのだ。
そのときは調子がよくて「ヘーベルハウスに登場するひつじのパペット」が非常に納得できるできになっていたりした。
そんな流れでの「スペシャルマン」。
確かキン肉マンに出てくる超人で、有名どころには一歩以上劣るがちょいちょい登場するやつだった。
彼の特徴は覚えていた。
昔のテレビを思い浮かべるとき、それについているアンテナ。
あるいは恒星のまわりを回る惑星の軌跡。
そんな感じのものが額についている。
スペシャルマンはそんな面持ちのほかに、確か胸元に数字が書いてあるのが特徴だったように思う。
しかし、それが思い出せない。
僕のスペシャルマンは何か叫んだような感じになってしまったが、それはナンバリングが施されていないがための、何らかの主張のようにもとらえられる。
89だった気がする。
しかしスペシャルだろうか、89。
100に11足らない数。
1から9までの九九の範囲を、少し超えたとしても1以外では登場しない数。
世界が89進数だったらスペシャルかもしれないが、今のところあまり映えない89。
こまった!!。
正解
99のよう。
しかも額に「S」、胸元の99の上には「SPECIAL」ってあるみたい。
「おれのナンバーは99で、しかもSもSPECIALもねえ!!」。
「もはや書き直しの域だよ!!」って、僕のらくがきは叫んでいたみたいだ。

怪談のタイトルについて

怪談で興味をひくのは、そのタイトルだ。
「雨の日のバス停」や「病院」など、日常的に目にするものやことば。
これが「怪談を聞く」というフィルターを通すと、やたら意味ありげで怖いものになる。
「深夜のタクシー」や「トンネル」とかも。
となると今後期待されるのが、何かの一周をした場合のタイトルだ。
「ゆうれい」
なんて新鮮なんだろう!!。
あるいはそこからどう怖い話につなげるの?と考えさせられるのもいい。
「あゆの塩焼き」
この方向性はけっこう難しい。
冒頭のように、「日常的に目にするものやことば」が、怪談ともなると怪しげなものに感じられる。
ゆえにそこそこの「どう怖い話につなげるの?」なことばでは、ちゃんと怪しげなものになってしまうのだ。
「あゆの塩焼き」だって、全然知らない血まみれの人が毎夜ポストにあゆの塩焼きを入れて消えるという怪談になりえるし、あゆの霊だってのも考えられないことではない。
「サンガリア」
これは結構いいのではないだろうか。
突き詰めると「サンガリアで亡くなった人がいる」とかで派生できるが、亡くなる人はどんな会社でもどうしてもいるわけだし、それはもはや怪談タイトルが「サンガリア」であることもない。
何よりも現在も活躍中のメーカーなので、いろいろと「ちゃんと怪談になるの?」「いいの名前まるみえだけど」感が出てよい。
このくらい人は「怪談 サンガリア」と聞いたとき思う。
だから注目されるだろう。
「地デジ」
これも一見、怪談になりにくい。
なによりも「まだ」な点がそう。
しかし「地デジ化」だと少し気色が変わる。
「地デジ化」という言葉から地デジ化に乗り遅れたおばあさんを想像してしまえば、もはや怪談としての要素を必要十分もつ。
やはり「地デジ」のほうがいい。
似たものとしては「エコポイント」なども「そこからどんな怪談が繰り広げられるの」と興味がわく。
「宇宙人」
これはかなりダイレクトな怪談なのでは、と思われるかもしれない。
しかし怪談は、基本的にはゆうれいや人外のものの話であり、宇宙人はUFO話である。
だから怪談で宇宙人とは、そこからさらにゆうれいが生じる必要があり、不思議話のぜんぶのせ状態。
どういった怪談になるのか想像もつかないものになるのである。
「米軍機が撃ち落としたUFOの乗組員が夜な夜なゆうれいとして歩き回り、操縦レバーを探しまわる」
属性多過ぎである。

以前も触れた事あるが、走性というのがある。
例えば「おいしいものとまずいもの」があるなか、生物がおいしいほうへと行く。
これを「正の走おいしいもの性」と言えるわけだ。
なんだか分からないが、とにかくまずいものしか興味ない生物だった場合、それはまずいほうへと行き、「負の走おいしいもの性」となる。
中学だか高校だかの理科の授業であった。
ミドリムシという全然むしじゃない、プランクトンな感じの生物は「正の走光性」を持つというのだ。
どうも光合成ができるので、そのため光に集まりたいらしい。
変である。
なぜ「光に集まりたい」のなら、飛翔する能力を進化の過程で獲得していないのだろうか。
そのほうが、よっぽど光のほうへ近寄れるだろうに。
プランクトンだからかんべんしてくれとでも言うのだろうか。
「イカロスはロウで固めた鳥の羽で、太陽目指してん!!」
図解書のミドリムシ写真に鳥の羽を書いてあげたわけだが、ひとつわかったことがある。
「走性は生きていく上で重要な機能だが、ほどほどである」
光には集まるが、その性質があとあと空を飛ぶ能力、宇宙を駆け巡る能力にまで発展する事はないわけだ。
いや、まだ進化の途中だから、いつかは性質ががらりと変わったミドリムシがその時点でのミドリムシになりえるのかもしれないのか。
「空をめぐり、光のない夜間、自ら発光するミドリムシ」
今の僕らは、それを星と呼ぶ。

ものごころ

「ものごころがつく」というのは、具体的にはいつごろからなのだろうか。
と、そう考えているとピンポイントな年齢を出す作業になりそうだが、そこには興味はなく、どちらかというと人によってかなり差異があるのではないかというところ。
「自分が考えるように、他の人も考えている」
人間同士の関係についての発見が「ものごころ」たる要素だとすれば、それはだいたい幼少期で落ち着きそうだ。
しかしその確立までを範疇に含めると、いきなり「ものごころはまだついていません」という26歳とかが現れてしまうかもしれない。
人生を理解し許容する姿勢がその要素だとしたら、もしかしたらほとんど「ものごころついてない」まま人生をまっとうしていたり。
一方で「ものごころついた」幼稚園児がいて、砂場で山を作っては静かにうなずいていたりする。
口癖は「それはもうわかっているんですけれど」で、ちょっと嫌な園児。
また、人生どうこうなどとそこまで行かなくても「なんとなく社会というものがどういったもので、どんなふうにやっていたら問題ないのか」がわかったとき、ものごころがつくのだとしたら、それは言い換えると「なあなあがつく」になる。
これは22歳とかで「なあなあがつく」人が多いのではないだろうか。
「いつもは横断歩道を使わず道路を横断してしまうが、パトカーの前ではそれをやらない」
なあなあがついている、良い例である。
人間関係の一片として、恋愛感情がそれにあたるとすれば、そこは心情的に「こいごころがつく」としたい。
これも人によってずいぶん差ができそうだ。
スカートめくりがその特徴的な動作だとすれば、小さい頃が「ものごころ発祥」だろうが、まあ大人でもやっちゃう人もいるわけで、まあそれほど掘り下げない。
最後に、ことばそのままの意味を考えてみる。
「ものごころがつく」
付喪神にたたられてますな。

寒さ対策

本日2回言われた「車でお越しですか?」。
僕は車についてはかなり疎く、車種とか全然分からないから事件の目撃者にはなりたくないと常々思っている。
なのに、なぜに車か。
それはどうも、薄着だからそう思われたよう。
いつか書いたかもしれないが、基本的には薄着である。
外出時に寒くない格好というのは、言い換えれば電車や店のなかでは過着になっていることだ。
暑苦しいのは苦手なので、その分を差し引いて、薄着。
車で来たわけではないことを知った相手は、なんだか腑に落ちない感じ。
「厳しかったときよりは、最近はあったかいでしょう?」
まだ納得いかないようだ。
こいつは寒さがわからないのではないだろうか。
となると、あとはこう言うしかない。
「ふるえも衣類の一部です」
言わないけど。

かみなり

「一部雷の発生するところがあります」
こう天気予報で言われたとき、気になるのが「自分のところが一部に入るのかどうか」という点だ。
もちろん自分のいるところで雷が発生したら「ここは一部だったんだ」となるが、やはり雷の発生は事前にわかっておきたいところ。
「一部雷の発生するところがあります」
これは、そういわれた全域の人が「自分のところは一部に入るかもしれないな」と気にしておいてね、と留意させるための魔法なのである。
面白いのは、結局雷が全然発生しなかった場合でも、誰も雷の発生についてはっきり決定できないところ。
「どこかで雷が発生するかもしれません」という言い方なら、自分のところは発生しなかったから、「今日は雷なかったよね」となる。
しかし「一部雷の発生するところがあります」という言い方だと、自分のところは発生しなかったとしても、例の「一部」のところでは起きたんだろうな、と感じてしまうだろう。
そもそも言葉の意味自体も、かならず発生する訳でないことを示唆しており、実際発生しなくても文句いわれる筋合いはなさそうだが。
一方で気象予報士側としては、せっかく「一部雷の発生するところがあります」と言ったのだから、どこかでは雷が発生してほしいと考えているに違いない。
泣きながら「ああっ、あれはなんだ」と空を指差し叫んだ気象予報士の話がある。
そして「グレートマジンガーがサンダーブレークを放とうとしている!!」と言いながら自分の携帯電話をはちみつの瓶につけ込んだという。
ここまで全然おもろいところなかったが、今2つおもろいことがイメージできた。
①グレートマジンガーなのかマジンガーグレートなのか、全然わかんなかった。
②はちみつの瓶の中で着信する携帯電話はおもしろく、イメージもいい。
正直なところ、あまりマジンガーZには興味がなく、そのグレートとなると、グレートたる部分は興味なさだけになる。
「グレートマジンガーの劇中、グレートマジンガーは半分くらいマジンガーグレートと呼ばれている」
可能性はあると思う。
そして恐ろしい事に、「サンダーブレーク」なのか「ブレークサンダー」なのかもいまいち自信がない。
これも劇中、混ざっていたと思う。
自信があるのは「ブレークマジンガー」や「サンダーグレート」は違うという点だ。
なんか「ブレークマジンガー」はだめな気もするし。
そして今「雷の話しているときにサンダーブレークなんてキーワードが出てきて、展開楽じゃん!!」と一瞬思ってしまったが、サンダーブレークはまさに雷の話のときに自ら持ち出したもので、今日はもうだめね。