僕は、美容室でやたらとしゃべる。
このあいだの美容室でのディスカッションは「チャックの開いている人に、どのようにそのことを伝えるか」だった。
美容師さんは「チャック開いてるよ」と相手に言うらしい。
僕は
・「あれ、なんだか風通しがいいよね、この席」と言う。
・さりげなく、しかし的確に水を相手の股間めがけてこぼす。
・どてっ腹に風穴を開けられた刑事ドラマの話をする。
・ねこだましをやってから、すばやく閉じる。
・「あれ、なんかトイレ顔になってるよ。うん、なってるなってる」と言う。
・机の下に物を落として、相手に拾わせようと仕向ける。
・「気持ちが出たがってる。出たがってる!!」と言う。
とかを連ねたけど、それは美容師さんの方が、正しいよね。
・何も言わずに、つまみをつかんで思いっきり上げる。
・スカートをめくるようなような動きで、つまみを思いっきり上げる。
・バドミントンの、羽を高く打ち揚げるような動きで、つまみを思いっきり上げる。
とかを連ねたとしても、それは美容師さんの方が、正しいよね。
追記
チャックの閉まってる人に対して、何も言わずに、つまみをつかんで思いっきり下げて、そのあとすぐに思いっきり上げるのは、なんだかつばめ返しだ。
投稿者: nimbus7942
俺にとっての、まさし。
こないだ珍品料理の話なんかを書いたときに思ったんですけど、「○○は現地の人にとって、貴重な××だ。」っていうフレーズは、おもしろいよ。
普通だったら、
「イモムシは現地の人にとって、貴重なタンパク源だ。」
どうしてもアボリジニを思い出してしまう。
今のは普通なので、次からはいろいろ嘘とかを入れてみて、楽しんでみよう。
「酢味噌は現地の人にとって、貴重なタンパク源だ。」
だいぶつらい場所であることは、分かる。
「近江牛は現地の人にとって、貴重なタンパク源だ。」
二重に納得。
「打楽器は現地の人にとって、貴重なキッチン用具だ。」
意外と使いやすかった。
「カレーは現地の人にとって、貴重な飲み物だ。」
ウガンダという元祖デブタレさんが、そう言ってたらしい。
「ゆーとぴあは現地の人にとって、貴重な娯楽だ。」
現地の人が「give me 娯楽!!」と望んだら、ゆーとぴあが遣わされた。
もう、○とか×を超えて、楽しんでみよう。
「ポストはお相撲さんにとって、貴重な稽古道具だ。」
「てっぽう」の練習。
「地球はみんなにとって、大切な宝物だ。」
なにやってんだ!!。こっちにきて、みんなで歌おうよ!!。
「テレビは僕にとって、唯一の話し相手だ。」
ちょっと無口なんだけど、根はいいやつなんだ。
「アリはオオアリクイにとって、格好の獲物だ。」
オオアリクイが、主食にアリを選んだ勇気に対しては、ただ脱帽である。
「まさしはきよみにとって、ちょっと気になる男の子だ。」
「まさしは今年、9歳になる男の子だ。」
「まさしは水をつけないでぎょうざの皮を閉じるのがうまい、きよみにちょっと気にされている、9歳の男の子だ。」
「まさしは掃除のとき、ちゃんとイスの足の裏についているホコリを雑巾で拭くのを怠らない、ぎょうざな男の子だ。」
「まさしはテニスが上手な男の子です。」
「まさしはペンを持っています。」
「まさしはペンを持っていますか。」
「まさしはどこから来たのですか。」
「誰がまさしですか。」
まさし is over.
女は褒めろ 硝子は見つけろ
このあいだ、通販の番組を見た。
テレビで商品を紹介する。
気に入ったものがあれば、画面に絶えず表示されている電話番号をかければよい。
商品を実際に手に取れないことが、難点といえば難点だが、それを販売員がフォローする。
紹介のうまい販売員なら、店頭で商品を売るよりも、売り上げを上げることができたりするかもしれない。
僕が見たとき、紹介している商品はガラスのコップだ。
「ガラスのコップ」。
その人は、コップを紹介しているのだった。
素人ながら、コップの紹介が難しそうなのは、分かる。
コップは液体を飲むのを楽にしてくれる道具。
それだけであるからだ。
だから販売員も、その紹介内容はデザインのことに終始している。
「ここのラインが、とても素敵ですよね。」
「一味違ったコップ・ライフをご提案します。」
もちろん後者はでっち上げだが、2つの例も出せぬくらい、デザインのことばかり言うのだ。
※懺悔すると「一味違った」というのも、カケた気がしてしまっている。
ただ、一回だけ、言った。
「ガラス製でして、水などを入れてみますと、口当たりもよくて。」
この一言は、いけない。
かなり、連想ゲーム風になってしまうからである。
視聴者は、コップのことを知っている。
だからこそ、その紹介には、かなりすごい機能でもない限り、デザインの有効性だけを謳っていればいいのだ。
と、僕の心配は無用のよう。
「あぁ、残りわずかになってきてしまいました。」
売れたようだ。
僕はなんとなく「光の屈折がなければ、透明な水の入った透明なガラスのコップを、私たちは探しだして持つことができない。」という、何かの本の話を思い出していた。
僕が販売員なら「このように透明な水を入れても、見失いません。」ということを、
「とても飲みやすい形状となっており、」
「今なら、かなりのお値打ちです。!!」
の間に音量を抑えて言い、その後さりげなくスタジオの雰囲気を探る。
こころ、不可侵の証明
どうしても「密航者」という言葉が出てこなかった。
船などに隠れて乗り、どこかに連れて行ってもらおうという、不届き者のことだ。
「密入国者」
違う、国とかじゃないんだ。
「密輸者」
こんな言葉は無い気がする。
「密告者」
スケールが違うんだ。
似た言葉は思い出せるのだが、本人が出てこない。
このようなことが、僕にはすごく多い。
ところが、本人は出てこないのだが、それでも考えてると
「そういえばあの本の9巻の最初の方のページに、その言葉は使われていた!!。」とかいうのを思いつく。
そこまで出てるんなら「密航者」という言葉が出てきても良さそうだが、そこだけはすっぽりと抜けている。
不便。
そう。
それは、不便だ。
何が不便かって、結局あの本の9巻の最初の方のページを調べても、該当する言葉は使われていないのだから。
爪を切る
A「え、夜に爪切ると、どうなるって?。」
B「だからー、親の死に目にあえないって言われてるよ。」
A「ふーん。そうなんだ。まぁ、いいか。俺は今、切りたいんだ。」
C「あれ?、うちのいなかだと、切ったやつが近いうちに死ぬ、って言われてる。」
A「近いうちに親と俺、みんな死ぬ!!。」
ということを思いついたのですが、この話にはアヤシイところがあります。
それは「自分の死んだ状態」は、「親の死に目にあえない状態」であると言えるのか、という点。
もしそうだとするとAは、近日死んだタイミングで自動的に「親の死に目にあえない」状態も達成できたこととなる。
すると、以下のように、全員がその契り(?)を果たすことができる。
A:爪切る
B:親の死に目にあえない
C:Aは死ぬ
また、Aの「みんな死ぬ!!。」という心配も無用となる。
Aが死んだ後、ほどよい時間がたってから、親は「あいつは、親の死に目にもあえないヤツだったよ・・・。」
と思いながら天寿をまっとうすることができるのだ。
ところで、僕は「親の死に目にあえない」というのは、その当人は生きていて、親が死ぬときにその場所に立ちあえない、というニュアンスを持つものと思っていたのだが、どうなのだろう。
このニュアンスで正しいのであれば、Aは夜の爪切りで家族全滅の覚悟をしなければならない。
「爪を切る」ことでAは近いうちに死ぬのだが、そのとき既に「親の死に目にあえない」経験を踏んでおかないと、Bが永遠に達成できなくなるからだ。
ところでこの話、どうなんだろうか。
そろそろ、Aは爪を切るのを断念してくれるだろうか。
壁はもう ないのよ
トートバッグを買う。
気にいった大きさのものだったが、残念な事に「くち」にジッパーがない。
だだ開きである。
こういうかばんを持って店に入ると、店員さんは気が気でないのではないだろうか。
例えば商品と人体の間には、服があり、皮膚があり、筋肉がある。
よって店員さんは、お客さんが胃の横あたりに商品を忍ばせて盗みをはたらく、といったことは考えずに済む。
しかし、商品とだだ開きかばんの間には、何があるだろう。
おもいっきり開放系である。
お金の投入口が、手首が入るくらい大きく開いた貯金箱くらいの開放系であり、門限17時をいやいや守り続けてきた女性が、通学のための1人暮らしをはじめたときくらいの開放感である。
お客さんは、その気になれば店員さんに気付かれることなく、すばやく商品をかばんに入れることができる。
もし気付かれたとしても、店員さんは人のかばんをのぞくという、ある責任が生じる行動を起こす必要がある。
よほど自信がないと、難しいだろう。
また、そのお客さんが生粋の嫌われ顔だったりすると、知らないうちに他のお客さんから勝手にかばんに商品を入れられてしまうかもしれないし、下手すると商品が自らかばんにダイブする可能性だってあるわけだ。
どれも、料金を徴収できないまま、商品を持ってかれてしまう可能性があるものばかり。
要は、だだ開きのかばんを持ったやつは店に被害を与えるお客さん、いや客である可能性がジッパーかばんお客さんよりも、少し高い。
それを店員さんは知っているのである。
よって、だだ開きかばんの客はロックオンされる。
僕もそのような扱いをこれから受けるはずだ。
そこで、ロックオンをはずすことを少し考えてみたら、以下のものが挙がった。
1.だだ開きかばんを、既にパンパンにしておく。プラス長ネギ出が最良。
2.プレイボーイ袋とじスクラップなど、よりロックオンされやすいものを出入り口等に仕込む。
3.絶えず店員さんの目の届くところにいる(いつかはずれる)
本日の本屋で3を採用。
本棚の半分も、見て回ることができない。
伝言
前を歩く2人の女性達の会話が空気に残っていたようで、僕の耳に届いた。
「並木君って、超ウケる?!!。」
女性Aは、並木君によって、超ウケたのだ。
ところでみなさん、どうだろうか。
自分がすごく面白いと思っている話を、誰かに話すとする。
そのとき、その面白さは、相手に100%伝わっているでしょうか?。
例えば僕が、Bさんに「今度、俺の甘食食べたら、半殺し2回だからな!!。」と言ったとします。
僕は甘食を、甘い紅茶と一緒に食べるのが大好きなので、本気でこんなセリフを言うことあるかもしれません。
でもまぁ普通は、ひょうきんさをアピールする感じで使いますね。
このセリフ。
ひょうきんポイントはだいたい4つではないでしょうか。
1.甘食
:奔放過ぎる命名のされ方や、何故か悲しいその存在感。
2.甘食で半殺しの危機
:「え、だって、あの甘食だろ!?。」と思わせる効果。
3.半殺し2回
:全殺しなのか、3/4殺しなのかという点。
4.説明
:この程度のセリフを無理やりひょうきんに見立て、それを解説してしまうアホらしさ。
でも、おそらくBさんには全ては伝わらないでしょう。
それはBさんがちゃんとした人間である、とかそういうことが原因ではありません。
それまでの経験などから、物事をどうとらえるかが、人によって千差万別だからだと思います。
Bさんが甘食屋の娘だったとすると、ひょうきんポイント1は、スルーでしょう。
幼少の頃、甘食でたいへん面白い経験(靴の奥に詰められていた、など)をしたとすると、1は琴線に触れます。
昔、山で遭難したときに唯一の食料が甘食だったら、2のところできょとんとします。
このあいだ全殺しの憂き目にあっていたなら、3では笑うどころか、少し透けがひどくなるでしょう。
このセリフがおもろいかは別として、1から4全てに感慨深いものを感じ取れる、そんな濃度の濃い人間は、言った本人くらいなのです。
だから、どれかは伝わっていない。
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女性Aは、超ウケた。
だから、並木君は烈ウケることをやったに違いない。
並木君。
連絡求む。
押して帰るか。
一般的な自動車、な。
あれな、よく知らないけど、4人乗り、5人乗りとか言われてるんだよ。
でもそれって、運転手含めてるじゃん。
運転手はな、自動車にとって、デフォルトだよ。
その人も乗車許容人数に含めたら、だめだよ。
例えばな、ここにほどよく焼けた肉が、5枚あるとするよ。
2人でそのテーブルを囲んでいるなら、やっぱり2?3枚分は、相手属性の肉だと思わなくちゃ。
「2、3枚が相手の分なのは当たり前だから、僕のは残りね。」
自動車も、残った分で考えなくちゃ。
「1人は自動車の初期装備だから、残り分で乗りましょう。」
残った分じゃなくて、あるもの全てで考えていいのは、近未来まで待とうや。
運転できない5人が乗車している姿は、時としてかわいいが、時としてせつな過ぎる。
確認し過ぎる、ことはないんですって。
昨日から。
【あらすじ】
すっぽんのスープに亀の形をしたラビオリを入れる意義
インディ・ジョーンズという映画の何作目か。
晩餐会に招待された主人公達に、一杯のスープが運ばれてくる。
しかし、それを飲もうとしたとき「何かの目玉」が入っていることが判明するのである。
それはまさに「目玉のスープ」だった。
主人公達はきゃーだのわーだのなったのだが、僕は、むしろ目玉のスープであることがわかってよかったじゃないか、と言いたい。
飲みたくなければ、飲まなければよいのだ。
また、目玉のスープであることが分かったからには、ちょっと無理して「蚊の目玉のスープなんだ」と自分に言い聞かせることができるかもしれない。
ただし、映像を見る限り直径4cmほどの目玉なので、かなり前衛的な蚊であることは否めないが。
「亀ラビオリ」の持つ意味は、食材の通知である。
昨日の「いもむしスープを、そうとは知らずに飲む人」。
本日の「目玉スープで阿鼻叫喚なジョーンズ一味」。
その通知が必要なのは「何の食材を使用したのか分からない料理を食べる人」であり、そのときに初めて意義のようなものを持つのだ。
スープをかき回すと、いもむし型のラビオリが。
あぁ、これはいもむしのスープなんや・・・。
スープに、目玉の形をした、お麩が。
あぁ、これは目玉のスープなんや・・・。
はじめて、通知が意味を持った瞬間だ。
ところが残念なことに「何の食材を使用したのか分からない料理」というのは、何かを期待した結果ではあるが「何を使ったか、一発で分かるパーツ」が入ってる場合が多い。
いもむしは大抵丸々投入されているし、目玉もくりっくりだった。
そう。
食材の通知が必要ならば、「一発パーツ」があれば事足りるのだ。
わざわざ、いもむしのスープにいもむし型ラビオリを入れることはないし、実際そうはしないだろう。
となると、わざわざ作られる「亀ラビオリ」が持つ意義というものが、いよいよ分からなくなってくるのだった。
確認し過ぎる、ことはないってば。
昨日から。
【あらすじ】
すっぽんのスープに亀の形をしたラビオリを入れる意義
昨日書いたように、「亀ラビオリ」がその意味を持つシーンというのは「試食者が何を食べているのかわからないとき」であると思う。
そんなことがあるかって?。
昔の番組に「世界のゲテモノ的な料理を紹介する特番」があった。
※「世界の超豪華珍品料理」:
なかなかに国辱まがいなシーンもあり、そこはイカンのだが、それ以外は結構面白い番組だった。
リアクション芸人が無闇に映える。
細かい説明はいらないだろう。
我々日本人がゲテモノと思うような食材を世界中を回って探し出し「現地の人も、そうは食べんやろ」というような感じで食したり、出したりする、口の出入りが激しい番組である。
面白いことに、この番組におけるゲテモノ料理の紹介には、2つのパターンがある。
一つは「でちゃってる」パターンだ。
これは、ゲテモノの、ゲテモノたる由縁部分があらわになっている状態で出される料理。
いわゆる「姿焼き」系だ。
この場合、もうでちゃっているので、試食者は恐る恐る食すことになる。
それが視聴者の「ダークフォース部分」を刺激するのだ。
一方、「かくれ」。
これは主に「でちゃってるパターン」で現場がひと革命起きたのち、用いられることが多いパターンだ。
「うわー!!、あんなの食べちゃったよ!!。」
「じゃあ、このスープで口直しして。」
「なんだこれ、おいしいじゃないか。」
「実はこれ、いもむしのスープなんだ。」
ちょうどそのとき、スプーンで丸々太ったいもむしをすくう。
というような流れとなり、もうひと革命、勃発する。
それが視聴者の「起承転結、日本のワビサビ部分」を刺激するのだ。
で、すっぽんのスープに亀の形をしたラビオリを入れる意義。
明日、もう一つ、例。