あて先のない手紙その3

昨日(おととい)からの続き。
【あらすじ】
ついに合体を果たしたブレイザー。
しかし合体のたびに、ブレイザーの右ひざジョイント部分に「薄幸の美壮年アールフォリア」が挟まれなくてはならないという仕様が判明する!!。
「なんでそんな設計にしたんだ、常盤博士!!。」
アールフォリアの深く刻まれた眉間が、さらにその深度を増す。
おととい、「人間は何を求愛ダンスの代替としたか」とか書いちゃったので、触れてみたいと思う。
例えば、男性は女性にプレゼントをすることによって、気をひかせようとすることがある。
この「プレゼントをする」行為は、人間の「求愛ダンスの代替行為」であるといえるのだろうか。
ここで、ひとつの事柄を挙げなくてはならない。
「男性は、女性のいないところでは、大抵求愛ダンスの練習をしている。」
これはあまり知られてはいないが、事実である。
実は「求愛ダンス」は人間にも見られる行動なのだ。
多くの男性は、夜半にむくりと起き上がり、15分ほど、居間や公園でステップの確認をする。
畳やフローリングなど、足場の違いが、ステップに影響するから、その確認なのである。
この「求愛ダンス」については、男性同士だとそこそこくだけて話すことのできる、日常的な出来事であるが、女性がいたら、厳禁となる。
それは、単純に「バレたら恥ずかしい」というのもあるが、それ以上に、法的に「求愛ダンス、バラすな」と規制されているからであり、それが「あまり知られていない」原因でもある。
※このことは「求愛ダンス」の効力の強さが尋常でないことを示している。
古書には「求愛ダンスを見せられたものは、必ずハート型の矢じりをした矢で狙撃されるであろう。」とある。
また、高名な学者によると、通常の求愛宣言の効力がメラだとすると、求愛ダンスのそれはイオラほどの効果(範囲)が認められたという。
夜、旦那や恋人が、夜な夜な起きだしてどこかに行くということはないだろうか。
それは、トイレや台所ではない。
たいてい公園や校庭に赴き、日夜ステップの向上に励んでいるのである。
見てみるといい。
前日に、キレイに整地されたはずの校庭が、朝には乱れているはずだ。
雪の日などで、朝早くなのに、すでに足跡のついた場所がある。
女性は「朝早くからの散歩ね」とか思うが、それを見た男性は
「朝稽古、ごくろうさん」と思っているのだ。
このように、その行為自体は禁止されているが、練習その他は問題ないため、かなり公に「求愛ダンス」は存在している。
月刊誌もあるくらいだ。
ゆえに、これだけ男女がいるわけだから、故意でないとしても「求愛ダンス」のことに気付かれてしまう危険性が常にある。
ある女性が「あの人、夜な夜な起きだして、何やってんのかしら」となり、求愛ダンスのことに気付いてしまうことは、充分に考えられるのだ。
事実、バレそうになったシチュエーションとして多く報告されている(注)のは、深夜こそこそ起きだすのを不審がられるということが発端であった。
この点について、事態を重くみた国は、かなり大規模な仕組みを施行した。
深夜は、男性向け番組が多い。
これは「求愛ダンス」がバレそうになったときの言い訳として使用されることを目的とした放送なのだ。
例えば、女性が「あなた、今求愛ダンスの練習してたでしょ!!。」と来たとき、男性側は
「うん?。今、ギルガメッシュないとの録画したやつ、見てたけど?。」
「A女E女見ようと思ったけど、あれってすぐに放送終了しちゃったんだよね。」
と切り返すことができるのである。
男性側としても、「A女E女」を持ち出すのは少々忍びないが、バレたら
「炭酸を飲んだあと、「アー」と言ってはいけない。」などの微妙に嫌な刑を処せられるので、持ち出すのだ。
あなたの近くの男性も普段は、何かのたびにお腹をぽんぽん叩いたり、足の指の間のごみをつまんでいたりしているかもしれないが、実は日夜パッション炸裂なのかもしれないのである。
近づいてみて、「なんかこいつ、パッションだな」と感じたら、その男性はほぼ練習後とみて間違いない。
その後、何かしらの危険を覚悟せねばならないはずである。
このようにして、現代社会を、男性は生きているのだ。
「求愛ダンスが法的に規制されたのは、その効力があまりに大きく、求愛の対象となる人以外に、近くの人にも影響を与えかねないからだ。」
この政治家は、次のように話をしめたと言う。
「ダンスは、個人に求愛する用途には向かないようだ。不特定多数への発信。それはあて先の書かれていないラブレターのようなものなのかも知れない。あ、ぼくぺヤングね。」
(注)
2003年6月 ダンスファンより

あて先のない手紙その2

昨日からの続き。
【あらすじ】
僕らが無脊椎動物に教えてあげられること。
昨日、多くの無脊椎動物が、いかに自分の体にコンプレックスを持っているのかを書いた。
「ちょっと、くびれが消えかかってきた。」
「俺の手、もうちょっと繊細な動きができないかなぁ。」
「もっと、足の数が少ない方がいいのに・・・。」
「キスのとき、複眼が目立っちゃって・・・。」
「体の中に、芯があったら、もうちょっとしっかりしているように見えるのに。」
という、かなり重要なファクターを抑えて挙がったのは、
「体、もうちょっと大きくならないかな」であった。
こう思っているからこそ、オスは求愛ダンスで体を大きく見せようとし、メスは体の大きいオスを選ぼうとするのだ。
奴らに教えてやろうではないか。
「こうすれば、求愛ダンスのとき、もっと体が大きく見えるよ」というものを。
「刑期3年を終える」
この経歴により「あの人、何かすごいことやったんだわ」と「あの人、3年も生きれたんだわ」ということを思わせることが出来る。
もちろん、実行できていなくてはならないが。
「本物よりちょっと小さい1円玉をつくり、その上で踊る」
大きさというものは、比較できるもの、スケールが必要である。
この場合、多くの無脊椎動物が1cmにも満たない点であることを考慮し、にせスケール1円玉を用意させてもらった。
もちろん、1円より大きい無脊椎動物は「マッチ棒」「東京タワー」などを、にせスケールとして用いてもよい。
「踊りながらちょっとずつ近寄る」
かなりバレやすい方法かもしれないが、ダンスが驚異的にうまければ、メスは近づいてきていることに気付かない。
トンボの前で指を回転させながら接近しても、トンボが逃げない理論と同様である。
オスはかなり魅惑的なダンス能力を求められる。
「株に詳しくなる」
「携帯電話を3台活用する」
キーボードなんかを同時に複数扱えたり、高頻度で無脊椎文字を含んだメールを出せる無脊椎オスに対して、無脊椎メスはあらゆる分泌器官から性フェロモンを出すことをためらわないのだ。
「すっごい襟の服を着る」
自分の大きさくらいの襟のある服なら、それだけで2倍の大きさになれる。
ただし、必ず立てなければならない。
寝かせると、マントのようになるからである。
まぁ、こんなところだろうか。
どれも、かなり前準備は必要だ。
しかし、出来さえすれば、必ずや「求愛ダンス」の効力を増すことが出来るだろう。
よかったな、無脊椎。
ということで、これを伝えるべく、僕は無脊椎動物の前でバンザイすることにする。
次回
完全合体キングブレイザー第3話 「悲愴のアールフォリア」
お楽しみに。

あて先のない手紙

このあいだ、会話中に何かの拍子で「求愛ダンス」と言う言葉が出た。
ふつう、あまり使わない。
何でこの言葉が出たのだろうか。
そのときの「何かの拍子」というのは、いかんせん「何か」程度なので、定かではない。
僕の人生と「求愛ダンス」について、今回の件以外で確実であると言えるのは「2?3年前にも何かの会話で求愛ダンスに触れた」ことである。
要は、今のところ僕は、多くの人よりはコンスタントに「求愛ダンス」に触れていそうだが、そのきっかけが「求愛ダンス」を引き合いに出すに値する事柄だったかどうかは不明なのである。
まぁいい。
ところで「求愛ダンス」とはなんだろうか。
僕が感じている、もしくはイメージとして持っているものは、
「オス蟹が、メス蟹の前でバンザイする」
「オス蜘蛛が、メス蜘蛛の前でバンザイする」
「オス鳥が、メス鳥の前でぴょんぴょん跳ねる」
というものである。
無脊椎動物群の求愛ダンス方法が「メスの前でバンザイをする」というイメージが100%を占めていて、怪しさと、せつなさと、申し訳なさが炸裂しているのだが、だからと言って一様に誤解のレッテルを貼られてしまうようなことでもない。
「バンザイをする」=「体が大きく見える」ことは、無脊椎動物たちにとって死活問題に直結する、非常に重要度の高い論題と言えるからである。
多くの無脊椎動物たちは日夜、危機に直面している。
危機とは「子供に捕まる」「足元にいるのに気付かれない」ことであり、「食われる」ことである。
彼らは分かっているのだ。
「子供に捕まる」ということは「自分が子供の力で捕まってしまうような大きさ」ということであり、
「足元にいるのに気付かれない」ということは「自分は小さい」ということであり、
「食われる」ことは「自分のサイズが、捕食者の捕獲器官における許容範囲に収まってしまう、場合によっては相手の口のサイズにジャストフィットしてしまう」ということを。
無脊椎動物の代表格である昆虫は、その進化の過程で、骨格の仕様を外骨格とすることとした。
外骨格法では、あまり体を巨大化できない(地上)、と聞く。
そのため彼らは「小さい」という、危険度の高いサイズで生存していかなければならないのだ。
よって、彼らの「ぎりぎりまで体を大きくしたい」「体を大きく見せたい」精神は並々ならぬものがあるはずで、オスがメスの前でバンザイするのも、メスが大きいものを選ぶのも、いわば当然なのである。
ねむたさみだれ打ち。
寝ます。
本当は「人間は何を求愛ダンスの代替としたか」みたいにしようと思いましたけど、そりゃ3回目くらいにしますわ。
次回
僕らが無脊椎動物に教えてあげられること。
お楽しみに。

入り口暴風警報

唐突に思ったのだが、「まさか」の逆はなんなのだろうか。
「まさか、ストローに口を付けたまま、くしゃみをするなんて・・・。」
人の英知が生み出したものにストローというものがあるが、その誕生からそれほど時を経ずして、人々はあることに気付く。
「ストローに口を付けたままくしゃみをすると、大変なことになる。」
まず、シャワーを浴びてしまう。
また、本来は口を大きく開けたとき分の面積から飛び出せばよかったはずの「くしゃみ吐息」が、ストローの面積から同量飛び出さねばならない。
君は知っているか。
ストローの断面積を。
結果、ストロー経由では「くしゃみ吐息」の排出量が抑えられてしまうため、なんかくしゃみをした気分にならない。
まぁいい。
「まさか、ストローに口を付けたまま、くしゃみをするなんて・・・。」
ここ「まさか」を変えて、意味を変えたいのである。
変えたい意味としては、
「あいつのことだから、ストローに口を付けたまま、くしゃみをするのも当然だ。」という感じか。
と、ここまで書いて、気付いた。
「まさか」と「なんて」はコンビであるということだ。
となると、その逆は「そりゃもう」と「だよね」なのか?。
「そりゃもう、ストローに口を付けたまま、くしゃみをするよね・・・。」
同意。
この彼は、話相手に同意を求めている。
「ストローに口を付けたまま、くしゃみをするよね・・・、ね!?。」
そんなニュアンスを持ってしまった。
「まさか」の逆は、なんなのだろうか。
すごく少ないのに、それになっちゃった、みたいなことにも感じるので、すごくたくさんあるのに、それにならなかった、みたいな意味の言葉なのだろうか。
わからない。
こくご、ぼく、にがて。
今日の敗因は例文ほか、いろいろあると思いながら背伸びをする、丑三つ時1時間前。

グッボーイ

いつごろだったろうか。
「グッボーイ」を知ったのは。
外人さんが犬などを褒めたりするときに言うらしい言葉。
日本でいうところの、「よーしよし」と頭をなでてあげる行為みたいな感じだろう。
母「おとうさん。ただしがピーマンを食べれるようになったのよ。」
父「」
さとし「おばあさん。僕の席、座っていいですよ。」
うめ「」
かず「先輩。コントラバス、一緒に運びますよ。」
ひろこ「」
以上のようなシーンでは、相手との親密度や、あなたの人間性によっては「グッボーイ」が使用可能である。
相手に隙があったら、頻繁に使用するとよい。
「グッボーイ」は連発すると、ぐんと良さが増すから。
君はこれからの人生、どんなグッボーイに出会えるだろうか。
いつ出会っても大丈夫なように、家に帰ったときにでも発音練習しておいた方がいい。

毒と空欄

最近、「公文式」のCMが気になっている。
CMでは、生徒が問題を解いている姿に問題文の映像が重なってくる場面がある。
その問題文には「空いている解答欄」があり、そこに解答が記入されるのだ。
その、記入された解答が「へびの毒」なのである。
へびの毒はすごく大きく分けて2?3つあり、特に「神経毒」と呼ばれるほうに関しては医療的な活用が見出されている。
多種類の小さいタンパク質が複雑に体内成分と作用し、様々な効果を生み出すことは、ナイスな研究材料となっていたりもするのだ。
確かに「問題の解答」としてはありそうなやつである。
しかし我々がへびの毒と聞いて、まず「神経毒はナイスだよね」と思う人がどれほどいるのであろうか。
多くの人にとってへびの毒は危険であり、忌むべき存在であり、コブラであり、死である。
そこまで誤解せずとも、せいぜいHPが歩くたびに減少することであり、ジャパンスネークセンターであり、千石先生ではないだろうか。
「なんでこの解答を記入するような問題文を、CMに採用したのかねぇ・・・。」
近くにいた姉に聞いてみると、
「へびの毒、っていう解答が必要な問題文が気になって、公文を訪れる人が多くなることが見込まれる。」と言った。
少年少女よ。
へびの毒を知りたくば、公文か図書館へ。

無限射程

以前、貼り紙について、ちらりと書いた
「ハチに注意して」みたいな貼り紙だった。
この貼り紙は僕に「貼り紙は2種類の距離を持つ」ということを気づかせた。
すなわち、「その字が読めなくなるまでの距離」と「実際にその情報を知らせたい距離」である。
「ハチに注意して」の貼り紙の例では、明らかに「見える距離>知らせたい距離」であるため、問題にはならないだろう。
貼り紙の文字が読めなくなるくらい距離の離れた場所でハチに刺され、そのことを広告主をとがめても、彼はこういうだろう。
「それ、うちのハチじゃありませんよ。」
また、そもそも貼り紙自体が読めないはずのため、被害者もただ運の悪さを思うにとどまるはずだ。
このようなケースは
「犬のフンおことわり」
「落石注意」(貼り紙じゃないか)
などでも同様だろう。
問題は「見える距離<知らせたい距離」の場合である。
幸か不幸か、警告や危険性を伝えるような貼り紙では、このようなケースはまずない。
「天変地異に注意」
「保険料問題をないがしろにしないでください」
これらは、既に大抵の人が注意していることであったり、そもそも「見える距離と知らせたい距離」の差が大きいため、貼り紙というツールが適切ではないということをみんな知っているのである。
よって、貼り紙としてあまり存在していない。
気になるのはある種の「広告系」の貼り紙である。
「トイプードル譲ります」
この内容は「見える距離<知らせたい距離」の状態であるべきではないだろうか。
そうだとしたら、ここは貼り紙ツールの出番ではない。
別の情報の伝え方があるのではないだろうか。
もっとも、広告主が「譲ってもすぐに会える距離がいい」というのであれば、広告主はえらいが、それでももう少し「譲りたい気持ち」を広げてはどうか。
このようなケースは
「家庭教師やります」なども含まれるだろう。
しかし、「貸しマンション」などの貼り紙に関しては、そこそこローカルでなくてはならない。
世田谷区に近畿地方の安いマンション情報を発信しても、それはほぼ「何も発信しませんでした」と変わらないのである。
貼り紙をこれから貼るというとき、以上のような点を考慮しなくては、貼り紙の効力を最大限に発揮させることは出来ない。
でないと、リーガルの貼り紙業界の人に「こいつわかってねぇよ」と思われてしまうことだろう。
結論
インターネットって、すごいね。

職業、モンスターハント。

最近「モンスターハンターポータブル2」というゲームばかりやっていて、いけないな、と思う。
ゲーム内容はいたってシンプル。
恐竜みたいなやつと戦い、アイテムを得ていくのだ。
だいぶ流行っているゲームで、人によって「ここが面白い」という点は違うだろうが、僕がこのゲームの面白さについて特記すべきと思う点は「主人公のもろさ」である。
スーパーマリオブラザーズでは、パワーアップしたマリオが敵にぶつかると、「ワンワンワン」とかいう効果音とともに、パワーダウンしてしまう。
モンスターハンターでは、たいてい主人公は「うわっ」とか言いながら景気よく吹っ飛び、ごろごろ転がる。
それはそれは転がる。
マリオに登場する敵は、基本的にマリオのことをあまり気にせず、頭上をジャンプで越えられても気にせず画面上から姿を消してしまうような、前向きなやつが多い。
それに引きかえモンスターハンターでは、基本的に主人公に対して、みな敵意むき出しである。
主人公に気づくやいなや、その喉元を狙ってくるのだ。
したがって、それはそれは転がる間に、たいていのモンスターは大接近してくるのである。
しかも、モンスターと戦っているというのに、主人公は腹が減る。
腹が減った状態で何か行動しようものなら、たとえ恐竜の面前でも、「はぁ」とため息をつく。
お前!!。
モンスターの前でため息なんかついたら、そのにおいを嗅いだモンスターの食欲をそそるだろうが!!。
でも、動かしてて楽しいので、やってしまう。
中毒性の高いゲームだ。
しかし、「腹が減る」以上にリアル志向のゲームが増えても、困ると思う。
「ああああ」は虫に刺された!!。
→まさかとは思ったけど、「ムヒ」10Gで買っといてよかった?。
「7942」の隣の席の男性が貧乏ゆすりを始めた!!。
1のダメージ。
1のダメージ。
1のダメージ。
→ダメージあるんだ・・・。
「すくえもん」は前の席に座るカップルが気になりだした!!。
→字で出るな、字で。
ここまできたら、ゲームをやらなくても大丈夫になるだろう。

ウランに青い飴を与えるな

世代の違う、特に年下の人との会話は、難しい。
なんたって「世代が違う」のである。
しかし我々は、往々としてそういうシーンを経験することが多い。
どこぞの親戚が小学生を連れてきただけで、いやおうなしに迫られるのだ。
「年下の人との会話」が。
一昔前の小学生男子との会話は、とりあえず「ポケモン」さえ出れば万事解決であった。
今はなんだろうか。
女子になると、小学生でも人によって独特で、会話内容に閉口してしまうことがある。
方向としては、相手が話す内容を広げて、それにかぶせて話す、といった感じか。
※男女ともに、猫などのツールがあると、会話ではないが場をもたせるのが楽である。
一方、いろんな人との出会いを経たような年代になると、男女問わずに適当な会話ができる場合が多い。
僕が思うに、一番こういうシーンで困るのが「思春期の女子」ではないだろうか。
男でも女でも、「思春期の女子」を前にしたら、電波少年のアイマスクを取った瞬間を味わうに違いない。
人間の人生の種類において、最も共有できる話題が少なく、ユニークであるのが「思春期の女子」時代な気がするのだ。
会話相手のこちらがおっつけないほど、先鋭的であったり、快活であったり、逆に内向的だったり。
いい意味でも悪い意味では「手が出せない」状態になりそうなのである。
未来、人型ロボットが作られたとしても、おそらく「思春期の女子」型が、色々な意味をもたせなくても一番高価になるだろう。
御茶の水博士が「アトム」や「ウラン」の年齢設定をあのようにした理由は、「思春期の女子」型AIが作製できなかったのではないか。
「思春期の女子のモデルが、明瞭にならない。」
「やつら、俺の鼻のことを異様だと思ってやがる。」
また、もしできたとしても、その年齢設定から「思春期の女子」をはずしたことが、これまた色々な意味で、なんとなく理解できるのである。

結社の揺るがない宣言

下水道用のマンホールをよく見ると、「汚」という字を丸で囲った表記が見られるだろう。
マンホールとはいえ、あんまりではないだろうか。
でも、分かりやすい。
この分かりやすさを他のものに採用してみると、例えば、丸に「電」だと何かケーブル的なものが通っているところなんだと想像できる。
丸に「車」だと、トンネルに通じていそうである。
丸に「バツ」だと、地下に警察署でもあるのか、と疑える。
丸に「穴」だと、そんなことは分かってるよ!!、と言える。
丸に「丸」だと、よかったよかった、と思える。
丸に「ゴーストの絵」だと、なんだ、ゴーストバスタれてないじゃないか、と思い電話する。
丸に「秘」だと、あぁ、やっぱり日本にもそういう地下結社があるんだなぁと、感慨にふけることが出来る。
そして、今ここに、丸「楽」を記すこととしよう。
おやすみなさい。