無造作内容

「無造作ヘア」に代表される「俺ってやんちゃ系」、「ちょこっと混沌」が流行して久しい。
こう書かれている時点で既に「流行」という点からは遠ざかっているかもしれない。
だが、今日もつんつんした髪型の青年が、ガラス窓の前でつんつんに磨きをかけるし、ジーパンの多くは不規則に破れている。
こうした社会的な背景にあり、未だ、その魅力や注目度をうまく利用できていない分野が多いことに気付いた。
今日のブログが、そのような分野に対して何かしらの提示が出来れば、幸いである。
・無造作そうめん
もちろん太さ、長さは一定していない。
食すときも、一口サイズにまとめておく、というようなことはされておらず、むしろ全体を絡ませる感じで勝負している。
(派生として、無造作揖保乃糸がある。)
・無造作自動販売機のボタン
ボタン配置が明らかに異なるばかりでなく、お金を入れても出てこないこともあり、むしろそのほうが多い。
困ったときにかける電話番号が、うそ。
・無造作乱丁
こういう風にそれっぽく言われると、怒る気すら薄れそうである。
「無造作乱丁によるものは、お取替えの対象にはなりません。」
・無造作サッカー
ときどき11人対35人とかになっている。
審判は一般公募で、各種カードの持参を求められる。
・無造作係長
性格、髪型など、いろいろな「無造作」が考えられるが、どれにしても、案外働きやすい環境を提供してもらえそうな気もする。
・無造作ぐし
髪をとく部分の一本一本の長さ、硬さ、方向性が無造作。
誰しもこのくしを前にして思う。
「お前が無造作で、どうすんねん。」
・無造作歯ブラシ
無造作ぐしの亜種である。ところが、歯ブラシの用途から考えると、とんでもなくアリな方向でもある。さらりと流す。
・無造作生きざま
2?3回は、おいしくないご飯を1年ほど食べるような経験が必要である。
本が出せる。
・無造作パチンコ
想像するに、台に張られている透明な板に穴が開いており、パチンコをすると、ときどき玉が飛び出してくるような仕様であると思う。
・無造作ゼブラゾーン
もう、ぐっちゃぐちゃである。
よく、小学生が石灰で白線を注ぎ足しに来る。
・無造作暦
8月は42日くらいあり、喜ばれる。
カレンダーは、空白の方眼紙のようになっている。
サマータイム導入みたいなノリで、どうか。
・無造作配線
タコ足とかいうレベルではない。
消防署に確実に怒られる。
消防署は無造作ではないからだ。
・無造作中華飯店
すでに導入されている店もあるだろう。
いいことだ。
・無造作「クイズ年の差なんて」
そんなクイズ番組があった。
年齢差はせいぜい3歳くらいである。
・無造作金たわし
むしろ、今までのはそんなにテクニカルだったの?、と言わせる感じ。
しかし、今までの「金たわしの無造作っぷり」を覆す無造作っぷりの「無造作金たわし」の登場だ。
たくさん挙げた。
少々無造作を違う意味として取り上げた感もあり、何かためになった人は、いるんだろうか。
まぁ、こんな感じのは、いつかやるであろう「無無造作」の回でもありそうである。
おわり。

恋ドロビング

「日本でジョギングを流行らせた人が、亡くなったらしいよ。」
よく分からないのだが、とにかく亡くなったそうだ。
残念だ。
しかし、ちょっと疑問が生じた。
我々日本人は、彼がジョギングを流行らせてくれる以前、一体何をしていたのだろうか。
幸運なことに、日本人の間では「食べてすぐに横になると、牛になる」という、かなり民族伝承的であやしい噂が、まかり通っている。
したがって、「食後に何かしら運動する」ということは既に行われていた可能性が高い。
その中にいたはずなのだ。
「おれ、食後に、左足を前に出して、その後すぐ右足をその先に出すのをすばやく繰り返す運動してるんだよ。」というヤツが。
彼は、みるみる健康になり、体型も整った。
皆が何をしているだと聞くので、もっと詳細に言わなくてはならなくなった。
「おれ、食後に、左足を前に出してから、その先に右足を出す。それと同時にこう、体の重心を前に移動させていくような動きをすばやくやっているんだ。やるとわかるけど、ちょっと両足ともに地面から離れる瞬間とかもあるけど、すぐに慣れるよ。」
「それ、なんていう運動なんだよ?。」
「名前?。特にないけど、おれは「恋泥棒」って呼んでるよ。」
このとき「ジョギング」が流行る礎が、完成した。

手品師がいたら、手品を見よ。

「手品師が右手を差し出したら、左手を見よ」という感じのフレーズが、なにかどこかであった。
多少なりとも、口の近くの空気を吸ったり吐いたりする人生を送ると、そういう「裏を意識する」ような考えがどうしても生まれるもの。
また、「貯金しとく」と言われてお年玉を奪われたり、今日は誰とも遊ぶ約束できなかったな、と歩いていたら自分以外の全員がつるんで遊んでいたり。
そんな体験をしていると、もう少し「裏意識っぷり」が早めに生じる。
でも、そんな裏社会を垣間見た僕でも、手品のタネは見つからない。
もちろん、手品の技術もすごいんだろうけど、なんだかんだ言って結局、僕らは右手を見てしまっているのだ。
僕は意識した。
上の例における「左手」にこそ、真理があると。
「パラマウントベッド」という、介護ベッドの会社がある。
そのCMでは、以下のようなセリフをおばあちゃんが言う。
「ぱらまうーんと、楽よ。」
何か、ベッドの下にモーターがついているのか。
ベッドが寝ている人の上半身を自動で起き上がらせてくれるため、利用者、あるいは介護者も、ともに楽、ということである。
楽なのは実に結構だ。
しかし、それだけではない。
このセリフは「手品師の両腕」技法に則しているのである。
どういうことか。
手品師で例えると、差し出した「右手」は、明らかに「うーんと、楽よ。」の部分である。
そして、一見価値のなさそうな「左手」は、「ぱらま」である。
パラマウントベッドは、意図的に「ぱらま」を隠そうとしたのだ。
それほど隠したい「ぱらま」を、堂々と社名にすら使うとは。
確信犯である。

「彩りが、いいよね。」

「白いごはん」には、何が合うのでしょうか。
赤が映え、定番でもある梅干。
ご飯を包み込む時の「ぱり」という音が感涙モノの、のり。
程よい塩味を提供してくれるお新香類。
あとひく旨さ、納豆。
どれもおいしい。
そして、最後のは安いコピーのようになってしまいました。
ここ2、3日「ピラフ」には何が合うのか、という疑問が生じ、困っています。
本場(元来、トルコ料理らしい)では、
「やっぱり朝のピラフには、八角だよな。」
「ピラフがメニューにあるのに、オニオングラタンスープがないのはどういうことか。」
「ピラフを食べるときは、食卓に卒業写真を飾らないと感じがでない。」
「当店のピラフ・スプーンは、しゃぶるだけでピラフの味がするほど、ピラフをすくい続けております。」
「ピラフを枡につめるのは、ピラフに木の香りを移すためです。」
「えーと。懐中電灯、ラジオ、防災ずきんで、あと、氷砂糖とピラフ。」
「横綱にもなると、ピラフを撒く量が違う。」
「3月3日は、お友達を呼んで、おやつにひなピラフを食べましょう。」
とか言われているかもしれません。
そんなことは分からないですが、僕は、このピラフ疑問が生じた直後、
「ピラフにはジローラモが合う」
という回答を思いついてしまいました。
全く関係のない(あったらごめん)2つのものが、さも関係あるかのように、癒着しました。
それ以来、何か分からないんだけど、僕の中では圧倒的に
「ピラフとくれば、ジローラモだよな・・・。」
となってしまいました。
この、他に類を見ない「あらゆるものに影響をあたえないっぷり」を存分に発揮する「ピラフ→ジローラモ」誤解。
コレが解かれるのは、僕がよりピラフに合うものを見つけたときだ。
もしくはジローラモ氏に、ピラフをどう思うかを質問できたとき。
先は長い。

アレゴリカ・ワークス3話

昨日からの続きです。
【あらすじ】
桃太郎を説明するとき、相手が「桃」と「犬、猿、キジ」、「鬼」と「退治」を知らなかった場合。
「あんず太郎は、AIBOと寛平ちゃんと鳳凰と出会いました。」 と例えてみた。
「そしてあんず太郎は、鬼退治に行きました。」
「鬼?。」
「桃太郎」を説明するとき、相手が「鬼」を知らなかった場合、何に例えればよいだろうか。
鬼といえば、「お地震カミナリ火事親父に」に代表されるように、恐れられているものベスト4を囲んでしまうほど、恐れられているヤツである(それにしても言いづらい)。
その圧倒的な恐れられっぷりを保てるような例えでなくてはならない。
・恐竜
なにげに、すごい名前付けられたね。
・糸を引くカレー
納豆入りというわけではないよ。
・虫みたいな動きをする車
キュッキュキュッキュ車線変更する黒い車は、怖いです。
・永遠の闇
何のゲームだ。
・死
ブログで書くことじゃあないな。
・コーチ
まぁ、なんか流れで書いた。
・強制終了すら受け付けない状態のPC
けっこうあるので、慣れたりもする。
・三角コーナー
ずぼらな人の家のは、もはやフロンティア。
うーん。
いまいち。
どれも怖い(と思っているもの)けど、鬼じゃあないね。
とりあえず、ラムちゃんでいいや。
「あんず太郎は、AIBOと寛平ちゃんと鳳凰を引きつれ、ラムちゃんとラムごっこをしました。」
そう。
本当は「鬼退治」なのだが、説明している相手は「退治」を知らないのである。
今回はみんな大好きラムちゃんのイメージを尊重し、「鬼ごっこ」を引用してみた。
こうして、「桃太郎」を例えるときに使う、新たな説明文が誕生した。
「あんず太郎は、AIBOと寛平ちゃんと鳳凰を引きつれ、ラムちゃんとラムごっこをしました。」
・・・オリジナルより、華やかさが上がりました。
追記
「ラムごっこ」って、なんだかすごい。

アレゴリカ・ワークス2話

昨日からの続きです。
【あらすじ】
桃太郎を説明するとき、相手が「桃」と「犬、猿、キジ」、「鬼」と「退治」を知らなかった場合。
「あんず」から「あんず太郎」が生まれた、と例えた。
「あんず太郎は、砂の山に割りばしを立てたりしたのち、犬と猿とキジに出会いました。」
「犬、猿、キジ?。」
「桃太郎」を説明するとき、相手が「犬、猿、キジ」を知らなかった場合、何に例えればよいだろうか。
犬を何かに例えなければならない現場に、私は居合わせたことがない。
それは、とっても幸せなことである。
要は、犬を何かに例えるのは、むずい。
猿を何かに例えなければならない現場にも、私は居合わせたことがない。
逆に、何かを猿に例えるというシーンは、そこそこあったし、テレビなどでもよく見られる。
これは犬のときにも言えることだが、「猿」は人間にとってかなりベーシックな存在なのだろう。
キジを何かに例えなければならない現場にも、私は居合わせたことがない。
これは、例えること以前に、人生においてキジをどうこう言う場面が少ないからである。
したがって、キジの例え方も「コレ以外ありえない!!」というわけにはいかないだろう。
このように、「犬、猿、キジ」を何かと代替するのは、難しい。
でも、あえて僕はこれらを「AIBO、寛平ちゃん、鳳凰」と例えてみたい。
AIBOは犬を模倣しているし、
寛平ちゃんは、見ず知らずの人間からですら、猿的なイメージを持たれている。
さらに、本人もそれを大事にしているのではないかと思わせる点を考慮した。
鳳凰は、まぁ鳥だから。
要は、面白そうだからである。
あれ、そうでもないや。
一行突破を待たずして、面白くなくなったや。
とにかく、このようにして物語は進んだ。
「あんず太郎は、砂場にゴムボールを隠したのち、AIBOと寛平ちゃんと鳳凰に出会いました。」
明日へジャンプ。
追記
あんず太郎が仲間に与えたのは、それぞれ「電力、机のかど(もしくは血)、竹の実」です。
調べてみた。

アレゴリカ・ワークス

「桃太郎」を知らない人に、そのストーリーを説明する。
「桃から生まれた人が、犬、猿、キジを連れて鬼退治する話だよ。」
「桃太郎」を知っている人の幾人かにとっては、もうちょっと詳細を加えてもいいと思うような説明である。
詳細
・おじいさん、おばあさん
・鬼を殺すため、木刀を振り続ける日々
・きびだんご
・おばあさん手作りのオール
・鬼ヶ島
・必殺・真空鬼殺斬(しんくうきさつざん)
・幽閉されていたお母さんに出会う
・必殺・真空鬼殺斬(しんくうきさつざん)
でも、単純な方が、相手に伝わる。
詳細はその後でもいいのだ。
しかし、ここで相手が「桃」と「犬、猿、キジ」、「鬼」と「退治」というものだけを知らなかったとすると、どのように説明すればよいだろうか。
「桃太郎について説明します」
この段階で「桃」が分からないのである。
私は断言する。
多くの人が「あんず太郎」と例えるだろうことを。
そして、この例えで我々は気付く。
つくづく「桃太郎」は「桃」から生まれてきてよかったなぁ、ということである。
「あんず太郎」
明らかに駄菓子的な商品名である。
※もちろん、逆説的には「我々はよく桃太郎を刷り込まれているなぁ。」となるが。
そんなこんなで「桃太郎」は「あんず」から生まれることとなった。
桃太郎が生まれた「大きな桃」に対し、「大きなあんず」が私に与える違和感はかなり大きい。
保守的な証拠である。
とにかく、これで「あんず太郎」が「あんず」から生まれたところまでは説明できただろう。
つづきは明日だな。
追記
ここまでの留意点は、桃のニュアンスを伝えたい場合のケースをあまり考えていないところだと思う。
桃があんずに変わっても大丈夫だと思うけど、実はストーリー上、もしくは個人的な理由で「桃でなくちゃ!!」の場合は、相手に桃を見せてあげよう。

火に、入る。

とある夜。
とある建物から出たいと思った僕は、塀の前に立っていた。
そこは正門にさえ行けば、どんなに深夜でも通過できるのだが、いかんせん遠いのである。
※駆け落ちした妻のお母さんが病気になってしまい、もう長くはないとの連絡が来たのが、土曜日の明け方だった。
「どうしても私達夫婦のことを見てもらいたい」と、妻が15年ぶりの帰郷を望む。
「あれから、ほとんど連絡してなかったっけ。」
電話があっても、あまり取り合わず、ないがしろにしてきたお義母さん、お義父さん。
駆け落ちだから、という負い目もあるけど、いい機会だ。会いに行こう。
こういうときの、妻の実家と私(夫)の距離くらいに、遠い。
したがって、めんどい輩は塀を乗り越えて外界へ行くという手法を取るのだ。
※上記の例でいうと、頻繁にメールのやり取りをする感じ。
もちろん僕もそう。
徒歩で正門に向かうくらいなら、足をくじいた方がマシだ!!、と思っている。
※上記の例でいうと、野球クラブに入ったはいいが、どうしても行きたくないときに、わざと布団をかけず、お腹を出したまま寝ようとする感じ。
ということで塀の前。
なかなかに高いんだ、これが。
※上記の例でいうと、網走での日々。
でも、慣れているので大丈夫。
その日も、塀に手をかけ、颯爽と飛び越え、警官の前に着地した。
警官。
何の因果か。
巡回中のおまわりさんの前に着地してしまったのである。
たいていのシーンで、間が悪いことをしてしまうと感じている僕だが、このときばかりは自分を「天才かも」と思った。
観客がおまわりさん2人だけというのが、癪だったが。
深夜、塀を乗り越えてきたサンダル姿の僕に、おまわりさんの一人が
「きみ、とりあえず怪しいよね。」とたずねた。
僕は「そうですね。」と答えた。

つむじ風、舞う音も。

日曜日のテレビは、何故かゴルフが多い。
ルールとか分からないので、あまり見ないのだが、こないだ、たまたま見ていると気になることがあった。
グリーン上、選手の打ったボールが穴に落ちる瞬間、
「かんからかん」と聞こえたのである。
その音がすること自体は問題ないのだが、それを拾っているマイクはどこにあるのだろう、と思ったのだ。
もちろん、グリーン上に音声さんや、あの、大きいつくしのようなマイクは映っていなかった。
まず考えたのが、「穴の横」あたりにマイクが仕込まれているというものである。
テレビでは、ボールが穴に入ったかどうかが見づらい場合があるのかもしれない。
したがって、その世紀的瞬間を逃さぬために、穴にマイクを仕込み、視覚以外の感覚機器でもホールインスリーとかが分かるようにしたのだ。
しかし、この考えは、穴との距離が結構ある選手がボールを打った瞬間に「こつ」と聞こえたことで、再検討が必要となってしまった。
ボールが穴に落ちるときも、選手がボールを打つときも、音がひろわれた。
第一打を打つような、強いショットではないと思うので、本来の音はそんなに大きくないはずだ。
これは、選手かキャディさんがマイク係も担っていると考えて、間違いないだろう。
※ちょっと意外なところでゴルフクラブに仕込まれていることも考えられなくはないが、ボールを打つときに単三乾電池がぼろーっと出たりすると思われるので、可能性は低いだろう。
また、ボール自身にマイクもありえそうだが、ナイスショットが空中分解し、ボタン電池がきらめいた、という話は聞かないので、ありえないだろう。
でも、この「選手・キャディさんマイク所持案」にも、疑問点が残る。
選手とキャディさんの会話が、ひろわれていないのである。
いや、ひろっていても、それをうまいこと放送しないだけかもしれないが、少しくらいは「あれ、帽子変えた?」くらいの会話が聞こえたっていいではないか。
いや、たまたま僕が見たヤツでは、会話が入っていなかっただけで、いつもの放送ではバリバリ「めちゃイケ」についての会話が入っていたりするのだろうか。
当たり前かもしれないが、選手とキャディさんはそんなに喋らないのかも知れない。
打つときはなおさらだ。
うーん分からない。
もちろん、会話でなくても、独り言をマイクがひろっていてもいいのだ。
「風は、と・・・。」とか
「生きろ、生きろ、生きろ・・・」とか
「もう、20ワットだな・・・。」とか
「鈴木、間違えて逆方向にショット打て、打て・・・」とか。
もしマイクが選手に仕込まれていたとしても、独り言がこんなんばかりだったら、確かに放送しないようにするな・・・。
まぁ、結論が出ないので、アフレコということにしておく。
技術の進歩である。

「そろそろ和名で呼んでくれ」

「おっと。そんなことしたら、俺のにゃーにゃが許さないぜ。」
こんなフレーズが沸きました。
幼い子が、猫のことを「あ、にゃーにゃだ?。」とかいうと、ほほえましいものがあります。
しかし、なぜ「にゃーにゃ」なのでしょうか?。
彼、彼女らは、あるとき認識しました。
「猫はにゃーん」っていうぞ・・・。
「猫はにゃーん」っていうわ・・・。
こうして、猫と遭遇したのち、すぐに「萌え」の意識が植え付けられるのです!!。
カッコや句読点の位置って、重要ですよね。
とにかく、
猫は「にゃーん」と鳴くことを知っているがため、
「にゃーん」というやつ→「にゃーにゃ」となったらしい。
でも、僕が疑問に思うのは、なぜ「にゃー、にゃ」と呼ばれ、「にゃ、にゃー」とは呼ばれなかったか、という点です。
とりあえず分からないので、発音してみたらひらめきました。
ポイントなのは、抑揚です。
ちょっと、口に出していってほしいのですが(恥ずかしかったら、耳をふさいで、近くの人に聞いてもらうとか、録音もよし)、なんだか2回目のにゃーの方が強く発音してしまいせんか?。
そして、そのせいか、なんだか何か、迫力あるものが登場しそうな感じに。
そう、「にゃにゃー」は、ちょっとアクシデントというか、脅威というか、そんなものを感じさせるものなのです。
子供たちが猫に脅威を感じてきたならば、おそらく猫のことを「にゃにゃー」と呼び、身構えるはずなのです。
よって、子供たちが猫を「にゃーにゃ」と呼ぶことは、猫を脅威と感じていないことを示しているのです。
猫よ。
「にゃにゃーだ!!、逃げろ!!。」と呼ばれるまで、がんばれ。
もしくは、
「猫だ!!、逃げろ!!。」と呼ばれるまで、がんばれ。
もしくは、
「イエネコだ!!、逃げろ!!。」と呼ばれるまで、がんばれ。
それにしても、冒頭「俺のにゃーにゃ」が依然として解決しないのです。