僕の携帯には毎日、ほぼ2通のメールしか来ない。
そして、何にも心躍らない。
「某つたや」からのメールなんです。
携帯の活躍の場、無し。
サルの次郎君が持っていたほうがよほど携帯冥利に尽きるんじゃないだろうか、と感じるくらい、使わない。
そんな今日、気づくと3通の着信が。
1通はツターヤでないわけで、僕の心はオドールなわけです。
「誰からだろう・・・。」
つたや
つたや・・・
つたや・・・・・・
3つとも「つたや」かよ!!。
トリオだよ!!。
一姫二太郎だよ!!。
太陽戦隊サンバルカンだよ!!。
ダンス・ダンス・ダンスだよ!!。
昔の底抜けAIR-LINEだよ!!。
太陽戦隊くらいでやめとけばよかったよ!!。
一姫二太郎も違うよ!!。
3時間くらいの間に3通のメール。
ちょっとした緊急連絡である。
そうとう僕が、「セカチューの1.5倍の興行収入を誇る邦画」に興味のある顔をしていたと見える。
そう遠くない日に、家の裏にガリガリ君の棒でできた卒塔婆が。
「ケータイのはか」
そして朝6時。
アラーム音と共に、卒塔婆が揺れ倒れるのです!!。
今日のブログで一番困ったところ
「太陽戦隊」で止めるか、「サンバルカン」までつけるか、迷いました。
月: 2006年5月
天上天下唯我独尊
ネットで自分の名前を検索したことがあるでしょうか?。
引っかからないと悲しいけど、あったときはすごく勝手に親近感です。
もちろん自分自身のことでもいいんですが、やっぱり赤の他人の同姓同名がどんな人かが、わかりたいものです。
ところで、ちょっと違うけど、「ドッペルゲンガー」というのをご存知でしょうか?。
見た目から服装から自分そっくりの妖怪(?)で、こいつを見てしまうと自分が死んじゃうとか。
見た人が死ぬ前に「自分そっくりなヤツ見た!!」と誰かに言っておかないと生まれない話です。
みなさんもいつ、自分に似たみすぼらしいヤツに会うか、わかったものではありません。丁寧に悪態ついてみました。
そこで、ドッペルゲンガーに出会ってしまったときの対処法を教えます。なんかの本に載っていました。ちなみにこの対処法は、同じようなモノマネ妖怪に対しての対処法らしいです。
ザ・たっちもこの方法でお互いに生きながらえたそうです。
あなたは、台車についているコロコロを買いにハンズに行きました。すると、向こうから、あなたそっくりのヤツが歩いてきます。
注意深く見ていると、なんと、ヤツの靴にはコロコロがついているではありませんか!!。
違う。向こうから来るヤツは、服装まであなたと同じものでした。
「ドッペルゲンガーだ!!・・・」
あなたはたじろぎ、恐怖します。そしてスコールな冷や汗が。
けどあなたはこのブログでの対処法を思い出し、勇気を絞るのです。絞ったら、冷や汗が垂れました。
そして、ヤツに向かい、言います。
「てめーこのうすら馬鹿が!!、うすらって何だ!!」
「くさいんだよ!!、限りなく透明に近いくささだよ!!」
「さっさと去れ、そして行き先の違うバス乗れ!!」
対処法は、ヤツを思いっきり罵倒することでした。
この罵倒でヤツがすごすご去れば、セーフらしいです。
とにかく、「ラブストーリーは突然に」的な出会いでも、安心だネ。
また、自分に似たヤツをけなすことで、新しい世界が広がるかもしれませんよ。
追記
僕の同姓同名の一人は陶芸家です。道に迷いそうになったとき、割った茶碗のかけらを落としていく人だと思います。
語る言葉に恨み無し
「男はすぐ分析したがる」。
これをわが身で証明するかの如く、最近のブログは、書くことが野暮っぽく、長ったらしくなっています。
理由はひとつ。
書くことがないんです。
その上、このブログを開くまで全く何も考えていないため、誰に頼まれたのでもなく生みの苦しみを体得し続けています。
高校生の頃、「I(愛)とMの伝道師」と呼ばれていた僕だからこそできる継続です。
エイプリルフールにちゃんと嘘をつかないからストレスがたまるんだと思います。いかんね。最近またちょっと寒いしね。いかんね。
寒いといえば、昔、面白い商品を見たことがあります。
「グーの形の手袋」です。確か商品名は「ドラえもん手袋」。
本当に寒いとき、手袋をしていても指先が寒い!!。との消費者の声から生まれました。
小さいニット帽みたいな感じで、実際に寒くない。伸縮性にも富み、傘などは十分持てました。
僕の家における、冬の風物詩は、グー手袋をかぶらされた猫がバックしていく姿でした。
そんなドラえもん手袋も、純粋にかっこ悪い点が致命的となり、姿を消したようです。
結構珍しいものなので見つけたら入手してみたほうがいいです。
多分無理ですが。
何せ、僕の心は15歳の4月1日で止まってるもんで。
(手袋、ほんとにあったらごみん)。
帰路のホトトギスはトイレに寄らず
はずれとはいえ、一応東京砂漠に住んでいます。
そんな僕が、東京の天気について、よく思うことがあります。
「東京の天気は、気が利いてる。」
統計とかはまったくありませんが、なんだか東京では、夜に雨が降って朝止む、といったことが多いように感じているんです。
そして、何故だか天気を人と捉えた言い方をしてます。
普通、僕たち霊長目ヒト科ホモサピエンスって、いやな事とか、UFOは宇宙人の乗り物だとかばっかり覚えていたりしちゃいます。
そんな中、東京の天候は、夜に湿らせてくれて、朝は傘いらずという、良さげ印象が強いんです。
逆を言うと、今日のような天気のとき、僕はよく「気が利いてないなー。」と言います。
何で天候を、人として捉えているのか、僕もわかりません。
多分、風の谷にはナウシカがいるように、トイレには「かんばり入道」という神様がいるように、バルタン星にはバルタン星人がいるように、こりん星にはゆうこりんがいるように、雨雲には主にブーとめがねがいます。
僕は、気が利く利かないっていうことを、ブーとめがねに対してつぶやいているわけです。
「自然や物と対話する」という言葉は、自然や現象、モノを、今流行りの擬人化していることを指すのでしょう。
ブーもめがねも擬人化しやすそうな言葉でしょ?(けっこう失礼)。
昔の人は物音ひとつでも、「妖怪」という形を与えて擬人化していました、みたいなことが水木しげるの本に書いてありました。
人は、何かを擬人化したがる罪深き生き物なのです。
すげー。まったく考えてなかったけど、何だか攻殻機動隊シフトな概念にやんわり変化だ!!。
この辺は「生産」「創造」とかのキーワードがあって、面白くなるかも、と思ったけど、めんどいので適当に茶をにごしとこう。
結論
みんなもっと油粘土で遊んだほうがいいよ。
アブラゼミにはなりたくない。
こないだ釣りに行ったとき、僕の脳内で、僕の運動能力低下が叫ばれました。
トーテムポール(テトラポッドとも言う)を渡っていくとき、多少のふらつきが。たぶん、金縛り以上に体が言うこときかない。困ったものです。
そんな僕も、一時期、インドアクライミングというものをやっていました。5回くらいですけど。
当ブログメンバのぐっちのすすめにより、ジュンキンスらと初めて行きました。
そこは異空間。東京ドームの30分の1くらいの空間に、壁。そして、壁に打ち付けられた色とりどりの出っ張り。そこにチーターや女豹が壁に張り付いています。
また、何かの工場のように、熱気を帯びた空気をでっかい扇風機で空気を排出しています。
僕たち子猫ちゃんは邪魔にならない壁に張り付いて、腕をプルプルさせていました。
素人にとっては、このスポーツは子猫ではなく、セミになることです。セミのように張り付き、力尽きたらそのまま落つ。夏の終わりのセミ死骸に似た趣です。
クライミングというと、単に登っていくものとばかり思っていましたが、色分けされた出っ張りは、そのレベルによって使ってよい出っ張り、よくない出っ張りが区別されていて、難易度が決められています。
なかなかクリアできないルートをクリアできたときの快感は、小鼻すっきりパックで「こんなにとれた?!!」くらいの規模です。
しかし、そのクライミング場がなくなり、子猫セミクラブも自然消滅に追い込まれました。
久々にプルプルしてみたい!!。
ぐっちは現在、関西で反復横とびをやっています。彼には大阪城と道頓堀があるから良しとして、どうするか・・・。
ところが、以前なくなったはずの場が、復活した模様。いつか行ってみますか。
欽ちゃんの仮装大賞で「夏の終わり」として出場できるくらい、セミを演じてみたいところです。
ところで今、仮装大賞を変換したところ、「仮想対象」となりました。「欽ちゃんの仮想対象」。今度、欽ちゃんがテレビジャックをすることになりました。
川相昌弘が名アーティストになる日
なんだか世の中便利になりました。
有名どころのプレイヤーなら、CDから取り込むときにアルバムや曲名も付けてくれます。また、歌もダウンロードしまくりな感じです。
ちょっと前は、パソコンでCDを取り込んで、それをCDに焼いてオリジナルCDを作ったりしました。てきとーな僕は、取り込んだデータにてきとーな名前を付けるだけでした。
さらにちょっと前は、CDなんか借りてきても、ラジカセを使ってカセットテープにダビングして、ウォークマンで聞いてました。カセットテープのケースには自筆の曲目を書きまして。
もう少し前になると、骨や木を加工して単純な音源として楽しんでいました。
ともかく、ネットからのダウンロードによる曲購入が進むと、CD無くなるんじゃないでしょうか。
僕は危惧する!!。
将来、つまらん曲が多くなるんじゃないかと。
僕も含めた多くの人がダウンロードする曲は、いわば目玉、十八番、笑いでいう「ネタ」が多いんではないでしょうか。確実に受ける。点取れる。お菓子のホームラン王。
それに比べてCDだと、目玉となる曲を入れておけば、他はけっこう実験的な、自由のきく曲を入れることができると思います。もちろん、買ってきたor借りてきた人はもったいないんで目玉以外の曲も聴きます。
目玉曲がいいのはいいんだけど、そればかりはなぁ。それに加えて、そのアーティストが個性を発揮しているようなのも、ほしいなぁ、と。
僕の場合、CDでは「ナボナ曲」よりも、それ以外の曲が好きになったりすることがよくあります。CDを借りた時点では、「ナボナ曲」が好きなわけなんですが、CDを聴き終わる頃にはそのアーティストが好きになってるわけです。「ほな他の曲も聴いてみるか・・・。」
勝負、あった。
けど、結局聴くほうに問題がありそうです。CDを借りてきて、とりあえずパソコンに取り込んどくということはよくやられます。知ってる曲だけ抜粋して、後はデータに埋もれた曲、あるんじゃないでしょうか。全部の曲をオーディオレコーダーに移すけど、知らん曲は飛ばす人も多そう。どうも僕です。
こんなところにも、最近の「いいとこどり志向」が影を落とすかも。あなたのオーディオレコーダーは「去年の巨人ラインナップ」になってませんか?。
閑話休題。
ここに、僕が作ったオリジナルCDがあります。「冬のリヴィエラ」と「残酷な天使のテーゼ」が共存したCDは、この世でこれだけかも。
サンクチュアリ
今日は吉祥寺の喫茶店で読書。
なぜかというと、今日、5月5日の日にだけ、そこのブレンドコーヒーには「しょうぶ」が入っているのである。
違う。写真うつりの良い女の子くらい違う。「しょうぶ」と思っていたのはカプチーノに付いてくるシナモンロールだ。
ともかく、昨日はみんなと釣り、今日は読書と、GWをぜいたくに楽しみ中だ。
この日のためにとっておいた本を左手、父さんが残した熱い想いを右手にいきつけの喫茶店へ。
コーヒーは安くても600円以上。喫茶店はこんなものかもしれないが、「ネスカフェ」で日々をおくる人間にとってはスペシウム光線直撃の高さである。だが、今日はしょうがない。
酒に肴があるように、コーヒーには本がある。
紅茶?。うーん。
引き分けっ!!。
ということでとにかく読む。虫メガネで焦点合わせるような、本を焦がすくらい読む。目を放した先にカメラがあったら念写できてるんちゃうんかというくらい読む。
ほにゃららコーヒーで鼻と喉をうるおす。
時々、ガトーショコラをお迎えにあがる。
ほんとかどうか知らないが、酒の達人はとにかく酒を飲むため、肴をにらみながら何杯もいくそうだ。
また、とてつもなく塩辛い料理を肴にしたりする。
「塩辛いから少しずつしか食べられない。酒がすすむ。」
塩自体をなめながら酒を楽しむ人もいるという。
さっきの例えと違うけど、僕は本を読むためにコーヒーをなめ、ケーキを削っていくわけだ。
「もったいないから少しずつしか口にしない。本がすすむ。」
読み終わり、心地よい陶酔と脱力が。
この手の感覚を表現するには、彫刻刀と手ごろな木さえあれば経験できる。中学校などで、ひたすらに木を削っていたら、いつの間にか授業が終わってた、という経験を持つ人は結構多いのではないだろうか?。
外はまだ暑い。けど、無粋じゃあない。
夏だ。
今日は何だか文章が違う。昔の井上陽水を聞きながら書くと、こうもなるのである。
ちなみに、彫刻刀云々のところは、さくらももこのエッセイにも書いてあった。なんかハズいので、強制終了。
権利と義務
「メガネに目がねぇ」。
これは、僕がモノゴコロついてから、初めて自信を持って送り出したダジャレです。
そして、後に生まれた「めがねファチ」の出現についての予言でもあります。
「なるホゾ」。
昔、「なるへそ」という言葉が流行りました。それに対抗し僕が生み出しました。ホゾは、「臍をかむ」のほぞ。へそです。
・・・。
ダジャレの説明ほど死にたくなることはありません。
人は何故、ダジャレを言うのでしょう?。なにげに深遠です。
頭の体操?、ボキャブラリーの誇示?、退行現象?。
何かの言葉を聞いたとき、頭の中で「意味の検索」みたいなことが行われていて、類似した言葉が引っかかってしまうため?。
僕のダジャレは、なんか知らんけど勝手に生まれてきたという、「たまひよ」に載ってそうな感じ。ただし、生まれてきてもそれを口にすることは、まぁないなー。
ひとつ言えることは、おそらく本人は良かれと思ってやっていることです。
つまり故意であって、ポロリみたいなものではありません(故意のポロリもありますが)。
故意という以上、そこには責任が付きまといます。結局、何故ダジャレを言うか云々ではなく、「言うからにはおもしろく!!」に考えがうつってしまいます。
場の雰囲気を完全に読みきり、一言。
ダジャレを自在にあやつる人は、「居合」ができる人でしょう。
人は何故、ダジャレを言うのでしょう?。
多分、相手を「居合い切り」したいんでしょう。
うまいこと言って、相手に一太刀!!。振るう太刀が斬鉄剣かモップかはその人のプロフィールによります。
そうか。
なんでダジャレを言った人が、相手を見て「どうだ!?」という顔をする理由は、相手を切り伏せることができたかどうかの確認なわけだ。
なるほぞ。
関係者以外土足禁止
相手の表情、感情を変えることができるというのは、実はすごいことである。
笑わすにしろ、怒らせるにしろ、悲しませるにしろ。
なんだかんだ言って相手の感性に立ち入り変化させているわけだ。
人間の感情を表す言葉に、「喜怒哀楽」というのがある。
相手の感性に立ち入りたいとき、どうせだったら怒る悲しむよりは、喜ばしたいものである。
とか考えたりは、あんまししないんですが、この「喜怒哀楽」。なんか「楽」だけ仲間はずれな気がします。
Yahoo辞書だと、「喜びと怒り、悲しみと楽しみ。人間のさまざまな感情。」とあります。
例として、「―が激しい」。
「喜怒哀楽が激しい」。確かに使います。でもなんかなー。
「激しい怒り、激しい悲しみ」はまぁ、おかしくない。
「激しい喜び」。結構あやしい。しかし、「激しく喜んだ」とかなると、超合金のおもちゃを買ってもらった子供などに当てはまりそう。
問題は、「激しい楽しみ」。これはないんじゃないかな?。
「激しい楽しみ」とは何でしょうか。
「楽しいムーミン一家」。
絶対激しくない。もしくは激しくあってほしくない。激しいムーミンは見たくない。激しいミーと、激しいスニフはセーフ。
「Mの人がムチでの打たれ待ち中」。
このブログでは、ムチネタ3回目。これは激しい楽しみでしょう。それにしても「ムチネタ」って韓国家庭料理にありそうです。
「明日から、新青梅街道は、真・青梅街道となります」。
これは、明日が楽しみになります。確実に道路がカタパルトになってます。「激しい楽しみ」といえるでしょう。
ともあれ、楽しみというのは、結構すてきなニュアンスを含んでいる事に気づきました。
面白くもあり、うれしくもあり、リラックスもあり。
「楽しませる」ってのもすごいことみたい。
みなさんもマジックインキを使って、寝ている人を「楽しませる人」に変えてあげましょう。
蠍の火は二人を照らす
新説「銀河鉄道の夜」
-何でか知らないけど、ジョバンニとカムパネルラはブルートレインの寝台車に乗っていました。
ジョ「あ・・・。カムパネルラ・・・。」
カム「あーもう!!。ジョバンニじゃん!!」
ジョ「ぼくらはどうしたんだろうか・・・。」
カム「気分がフォルテッシモなんだよ!!。白井!!。」
-何でか知らないけど、カムパネルラはホカホカでした。戸惑いながらもジョバンニは最低限の受け答えをするのでした。
ジョ「ぼく、白井じゃないよ・・・。」
カム「あー。高いとこ行きてー。道場六三郎の和食に対する志くらい、高いとこ。」
ジョ「??。」
カム「うっそあれ、アモーレの鐘じゃん!?。鳴らしてー。」
-ブルートレインが美ヶ原高原美術館近くを通るはずありませんでした。ジョバンニは悲しくなりましたが、どうにか話題を逸らそうとしました。
ジョ「さそりの話、聞かせてくれない?。」
カム「斎藤陽子のこと?」
ジョ「カムパネルラーーーーーー!!。」
夜のアモーレの鐘が夜の12時をお知らせしそうなので、これにて。