多くの歌がなぜ、「1番、2番を歌った後、サビをもう一度繰り返す」形式なのか、気になったことが、全くない。
と、気になったことがないということで、本当に「一番、2番を歌った後、サビをもう一度繰り返す形式」が多いのか、判断しきれない点がある。
でも、まぁ多いだろう。
何か、定石というか、ルールみたいなものがあるのだろうか。
「最後にサビをもう一度繰り返すことで、あなたの曲をより印象付けましょう。」
それとも、人間の、音楽による部分のどこかに「1番、2番で終わりだと、なんとなく寂しい。」といったものがあるのだろうか。
わからん。
ただ、よく考えてみると「一番、2番を歌った後、サビをもう一度繰り返す形式」というのは、要は「ホップ、ステップ、ジャンプ」の形式だ。
当たり前だが、曲を作った人は「サビ」で一番伝えたいことを言っていることが多く、そしてそこが一番、自信があるはず。
それを要所に挿入することは、至極当然と言える。
逆に、それ以外のところは、間を埋める程度でよいのかもしれない。
例えば、「愛は永遠じゃないけど、今は、ここにある!!」みたいなことを伝えたかった。
となると、とりあえずそれ以外(サビ以外)の部分は、最初はハミングだろう。
でも、結局間を埋める程度の扱いなので、ヘタすると完成時もハミングだったりするのだ。
そして「ハミングじゃマズイね」となって、「雨の日、ずぶ濡れになりながらも君の部屋を目指した」。天気の話に。
天気は安全パイ過ぎるね、となって、「僕が今まで会った中でも」。生い立ちの話に。
もう少し何か入れないとね、となって、「もう手の届かない日々」。距離の話に。
お、歌詞っぽい。
・・・と、ちょっと。
最初の話とはかけ離れるが、「2番のあとのサビが、どれほどの、曲まとめ役となれるのか」が気になってきた。
明日、以上をまとめてみる。
カテゴリー: 雑文
大人の推薦
人に何かを薦めたとき、その瞬間に責任が生じるのが、僕はいやなのだ。
例えば僕が「あそこの大判焼きがうまい。」と誰かに言ったとする。
するともう、その大判焼きがまずい、ヘタすると普通の味であったとしても、僕は何かしら負わなければならないだろう。
それは
「あいつが言うことは信用できない」というレッテルか。
「あいつは舌がヘビみたくなっている」という無根の噂か。
「あいつは大判焼きを上下に開き、先にあんこだけをピックアップする」という事実か。
「あいつは大判焼きとチョコパイの区別ができていない」というミラクルか。
結局、もし絶大にその大判焼きがおいしかったとしても、もちろん他の例えだったとしても、それは他の人にはそうでもない、といったことは少なからずあるわけで、見返りを考えるとあまりモノを人に勧めるのもどうか、という気がしてくる。
それは、情報を提供した際の、信頼性を保障する責任。
一方、薦められた側の責任も、僕は負いたくない。
「ねぇ、あの本、面白かったでしょ?。」。
このとき、その本を読んでいなくても「あー、面白かったよ。」と言わねばならない。
しかし、相手はまだ何かを期待して君を見ている。
そうなると「あの、ビアガーデンの舞台で偶然出会う2人のシーンなんて、最高」とか、具体例を列挙する羽目にもなる。
それは、相手の好意を裏切らない責任。
両例えはアレだが、その根源にある責任はやたらまともだ。
だからむずい。
ということで、誰かにモノを薦めるとき、薦められるとき、相手が「人それぞれだよね」という考えを普遍的に持っているかどうかが、いつも気になるのだ。
Wii Fitについて ?
昨日からのつづき
【あらすじ】
色んなものに「Wii」とつけてみよう。
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・Wii ネオジオCD
あのネオジオCDの、怒涛のローディング遅さが、Wiiで再現。
こころにゆとりが生まれる。
・Wii 漫才
Wiiリモコンでツッコミを体感。
角度とスナップが高得点の鍵。
・Wii 回覧板
かなりローカルなネタを大々的に提供。
「○○小学校の運動会で不正発覚」など。
・Wii Paint
すぐにでも出そうだが、僕としては「Wii本体にらくがきするマーカー」であると考える。
・Wii Swim
これもありそうだ。同時に専用マットが発売される。
・Wii たけしの本当は怖い家庭の医学
これも何気に。普通に「家庭の医学」でもいいんですけど。
ちなみに調べたら「たけしの本当は怖い家庭の医学」は
「メディカル・ホラー・エンターテイメント番組」らしい。
最終警告!。
・Wii 血圧計
普通の血圧計と思ったら大間違い。
数値が全国的に集計され、ランキングになります。
ランキング上位であることがばれたら、保険料が上がります。
・Wii Dance
これもありげ。
タイトル上部に、吹き出しで「ラッキィ池田の!!」が入ります。
・Wii 料理
専用フライパンの取っ手にリモコンを装着し、料理をすると採点します。
「イタメモノガ コボレマシタネ」。
いわれずとも、その場でわかるのである。
・Wii 保健体育
12歳頃の子供のいる親が買っていき、そっとラックに忍ばせる。
・Wii ワンセグ
ワンセグ非対応テレビでもワンセグを。
よく知らないけど、こういうのはもうあるのかな。
・Wii 選挙
これもあるだろう。ネットで投票、の次くらい。
そうでなくても、セカンドライフ的な、何かでもだいぶありそうな話だ。
・Wii 潮干狩り
潮干狩りは「狩り」ってついてるけど、そんなにアクティブなものじゃない。
それを、居間で!!。
専用くまでのお求めを。
・Wii 鍛冶屋
リモコン持って、鉄を熱いうちにうて(鍛造というらしい)!!。
腕がよければいい武器ができるぞ!!。
何気にゲーム一部で使ってもいいんじゃないか、のアイデア。
・Wii お正月
百人一首はリモコンを持って、札をはねる体感ができます。
羽子板、凧揚げもしかり。
初詣も、ゲーム内の神社で済ませてしまえ!!。
羽子板等で勝利しないと、お賽銭がないです。
餅つきについては、上の鍛冶屋参照のこと。
・Wii スキンケア
Wiiボードの上に立ち、ボディローションを塗るしぐさをすると、どれほど隅々まで濡れたかを採点します。
ローション塗りにも練習が必要なのだ。
・Wii ひよこ選別
ひよこの雌雄決定は、色んなところで言われているようにムズいらしい。
初生雛鑑別師(かっこいい)なる人もいるみたい。
Wiiで練習だ!!、と思ったら、そんなゲームが一応あったらしい。ざんねん。
・Wii 編み物
リモコンとヌンチャクをハの字に持ち、画面を見ながらバーチャル編み物。
最初から本番の方がいいのでは、は、本ブログ内容全般に言えること。
うん。
適当だが、だいぶ挙げた。
それにしても、最初がネオジオCDとはね。
Wiiのある新しい生活(ちょっと気に入った)。
夢で逢えたら
夢の話で恐縮だが、こないだ四の字固めをやられた。
いや、やられたのだろうか。
というのも、僕が実際に四の字固めを経験したことがないためだろうか。
こんな内容だったのだ。
↓ここから
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がたいのいい男が僕の両足を持つ。
な、なにすんだ!!。
すると、その男はなにやら僕の足を試行錯誤し始めた。
右足の上に左足を乗せたり、右ひざの裏に左足の甲を当てたり。
そして、映像的にはその試行錯誤が続いているのに、なぜか僕は四の字固めを決められたことに気付く。
================
↑ここまで
こんな感じ。
夢の中の僕は「四の字固めをやられている!!」というイメージ、なんらかの苦痛を感じているものの、そのかけられている姿は、なんだかはっきりとしない。
ちょうど、「四の字固めって、どうやるんだっけ?」と思っているレスラーが一生懸命それを思い出そうとしているような感じだった。
(ちょうど、ってのもないが)
しかし僕はなぜか「四の字固め」であると確信してしまった。
この夢に何かしら意味があるとしたら、それは「自身に四の字固めを教える」ことが考えられるが、当の型が未経験のため、こんなことになったのではないだろうか。
夢は時として、思いがけないイメージや、録画したくなるようなムフフな経験をさせてくれる。
そして、それはそれで意味を持たせようと思えばいくらでも持たせることができる。
でも、今回はよくわからない。
なぜそんなことを教えようとしたのだろうか、自分もしくは宇宙の意思。
四の字固めを早く覚えろ、とでもいうのだろうか。
続々・別のいきもの
昨日からのつづき。
【あらすじ】
「別のいきもの」ってのを色々使ってみるか。
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1.その猫は、あたかも別のいきもののように喋った。
・・・別のいきものは、100%人間である。
2.給食係、いきものがかり、別のいきものがかり。
・・・小学校の風景でも、インディースでも、なんでも可。
3.「あそこの動物園、あの「別のいきもの」が展示されているらしいぞ。」
・・・物語とかでの「別のいきもの」の使われようを考えると、結構粗雑で原始的なやつかもしれない。期待大である。
4.そのいきものは、まるで別のいきもののように振舞った。
・・・こうなると、そのいきものは結構生態とか知られているのに、名前がつけられていないのである。
5.ピカチュウは、別のいきものにしんかした!!。
・・・ある意味、ポケモンは全部別のいきものにしんかするな。
6.店内、ペットの持ち込みは禁止です。あぁ、別のいきものについては問題ありません。
・・・なぜ的確な語句を用いないのか。店側の意見が聞きたい。
7.「海辺の別のいきもの」図鑑
・・・これと「海辺のいきもの」図鑑があれば、全てのいきもの網羅となるはずだ。
8.「ウィキペディアと幹てつやって、似てね?」
・・・当ブログにはたびたび幹てつやが登場するのだが、そのたび、何かしら僕の胸に去来するものがある。
9.特選イカの塩辛(別のいきものは使用しておりません)
・・・うわあ。心象悪いな。いままでのが超気になるところである。
10.あの晩?。女となんか歩いてなかったよ。それ、別のいきものだったんじゃない?。
・・・自分もしくは自分と似た人をわざわざ「いきもの」という点に、男の罪悪感が見え隠れしているように、見えないか・・・。
そんなこんなで「別のいきもの」について、おわり。
続・別のいきもの
昨日からのつづき
【あらすじ】
「別のいきもののように」と表現される人間の部位には、手、首、足などがある。
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シモネッタさん系を除けば、「別のいきもののように」なる部位は上記のものくらいではないだろうか。
一方、人間の体の中には「別のいきもののように」なってはいけない場所もある。
例を挙げてみよう。
・あいつの背骨が、まるで別のいきもののように動き出したんだ。
・僕の腕の血管が、別のいきもののようにうごめいた。
このように、そもそも動かないものが「別のいきもののように」動いてしまうと、それはおそらく、本当に別のいきものなのであって、エイリアンである。
また、こんなのはどうだろうか。
・別のいきもののように、胃液が出てきた。
・別のいきもののように、鳥肌が立った。
確かにそんな状態になることがあるかもしれないが、自律的にコントロールされているものについて「別のいきもののように」動かれても、ぴんと来ない。
自律的ってのが、少なからず「別のいきもの」的だから。
さらに、この例では
「なぜ胃液がそう分泌されたことがわかったのか。」
「結局、そのいきものは鳥なのではないか。」
といった気になる点が露呈し、別のいきものについての言及はなおさら重視されない。
これらは「別のいきもののように」で表現されないもしくはされにくい部位であるといえる。
それはどちらかというと意識的に動く部分が、あたかもその制御を受けていないかのような振る舞いを見せるとき、使われるのだ。
次回、煩雑に「別のいきもの」をいじる。
別のいきもの
小説や物語で時折見られる「別のいきもののように」という、人の動きのとらえ方が、気になる。
例えばこんな感じで使われるのを見たことはないだろうか。
「その男の指だけが、まるで別のいきもののように、あわただしくうごいていた。」
※ちなみに、この言葉と下系の相性はS極とN極くらいに抜群だが、今回は触れない。
どうやら我らの体の一部は、時として別のいきものになるらしい。
そんな自我境界線防衛隊を素破抜く可能性のある部位、挙げてみる。
◆手
すごく早くピアノを弾くことのできる人や、タイピングが早い人の手が、別のいきものとなる。
おそらく、神がかり的にすごい状態のとき、その手を切り落としたら、その手は24時間くらいは動き続けるのではないだろうか。
そう考えると、アダムス・ファミリーのハンドくんはおそろしく長寿である。
◆首
何かを食べ、嚥下するときの喉の動き。また、鳩のモノマネをする人の首の動き。
別のいきものにはなっていないだろうか。
もうそろそろ新種(寄生種)として扱われることになるだろう。
◆足
ムーンウォークをしているときの足は、別のいきものと言える。
足は、第二の心臓だしな。
と、このように今回の内容を、下を感じさせる部位を除いた状態で書くと、こんな感じになってしまうのである。
今、僕の頭の中はベビーピンク一色なのだ。
明日。
自我境界線防衛隊を素破抜く部位と、そうでない部位について。
ほたるのひかり
「蛍の光」の日本語歌詞を見直してみると、「春」と「秋」を意味する言葉がないように思う。
まぁ「蛍の光」は夏として、「窓の雪」は冬として。
おそらく、出だし部分で表そうとしたことは「ずっと」ということであり、それを示すのには相反する特徴を持つ2つの季節で十分、ということになったのだろう。
そう。
春と秋は、それほど自己主張しない季節だ。
ということで、彼らにその役割(蛍の光の出だし部分)を託し、かつ本来の意図を少しでも持っていてもらいたいとしたら、どうしたらいいだろうか。
蛍の光、1番である。
蛍の光 窓の雪
書読む月日 重ねつつ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れ行く
変えてみた。
マスクの白さ 黒部行き
書読む月日 重ねつつ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れ行く
花粉症の季節であることと、なんとなく黒部ダムは秋、きれいなのではないかと思ったための変更である。
ちなみに「ゆき」は、かけておいた。
いろいろ変えてみる。
さくら、納税 たわわな穂
書読む月日 重ねつつ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れ行く
適当だったが、なんとなく新社会人的なものをかもしてて、案外いいのではないかと思う。
恋に夢見て 恋に落ち
書読む月日 重ねつつ
何時しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れ行く
これも適当っぷりが炸裂である。あんまり季節関係ないし、かけててもおもろないし・・・。
まぁ、みんなもいろいろ考えて、春とか秋をないがしろにしないようにしていただきたい。
まかせたぞ!!。
非スペース
注文した料理名を他のスタッフにも聞こえるように叫ぶと、その他スタッフ達もその料理名で呼応する。
スタバでそんな風景を見た。
スタバといえば、本来「なんか、砂糖だれ(?)のかかった、チョコレート生地のスコーンがなくなって久しい件」について追求されるべきであるが、本日は冒頭の件について。
キャラメルマキアートを注文すると、レジの方が「キャラメルマキアート?」と言い、それに追随して他スタッフの方が「キャラメルマキアート」という。
注文ミスを防ぐのが目的と考えられる。
このシステムから僕らが想像することといえば「12時方向から熱源接近!!」的なことである。
レジの方に、どうにかして「12時方向から熱源接近?」と言わすことができれば、おそらく他スタッフも「12時方向から熱源接近」といい、彼らはスペースクルーとして申し分ない感じになるはずなのだ。
だが、レジに向かう熱源は客くらいしかおらず、どちらかというとそれは店にとって歓迎である。
よって、接近を緊急事態として知らせる必要はなく、彼らのスペースクルーとしての素質を垣間見ることはできないだろう。
もったいない。
秋の空
誰だってそうだろうが、気持ちというものはかなり速いターンで変化するものだ。
僕も、ヘタすると秒単位で気分が高揚したり落胆したりと、反復横とび並みのソーウツ感なときがある。
だからこそ、今の気持ちを大切にしたいと思うのだ。
今この瞬間、僕がやられて一番いやだなぁと思うのは「グランプリと書かれたタスキをかけられる」ことだ。
お、俺はグランプリなんていう、すごいことはできないよ!!。
そして、プリッてなんだよ、プリッて。
だいぶやだ。
そして気持ちは切り替わる。
今、一番やなのは「キーボードにポカリスエットをこぼされる」ことになった。