ボランティア

先日ふらりと歩いていると、見知らぬ男に声をかけられた。
またアンケートか何かか・・・。
申し訳ないが無視を決め込み、通り過ぎていく僕の耳に聞こえたのは、彼の「ボランティアの紹介をさせていただいており・・・」というものだった。
そこは無事に無視しとおせたけど、気になってしょうがなかった。
「勧誘で、ボランティアの募集とかならわかるけど、ボランティアの紹介・・・?」
確かに、社会的にもボランティアを行うということは色々いいことであるため、その紹介が行われることはありそうである。
しかし、街中で勧誘的に紹介するようなものではないと思うぞ、ボランティア。
「いいボランティアあるんですけど・・・。」
「えっ、ちょうど探していたんですよ、ボランティア。」
こう、なのか昨今。
ボランティアをしたい人は、自分で探してそこに行くもの、と思っていたが・・・。
献血みたいなものなのだろうか・・・。
ちなみに、上記の話は「ボランティアを欲している組織を紹介してくれる」という推測のものであるが、今回話しかけてきた男の言い方を考えると、こうも取れる。
「あ、この人ボランティアが必要だ・・・」と男は思った。
上記のが「ボランティアという役割」を紹介するという意味なのに対し、これは「ボランティア」を紹介するという意味。
ボランティアが必要、と相手が思ったのであるなら、僕はいかほどボランティアを欲している顔をしていたのか。
とりあえず、僕は石油にまみれてはいなかったのである。
ということで気になったボランティア話。
僕の知らないボランティアの種類があるのだろうか。

ちゃんと分かった。

♪ ぶーばぼぶぼべぼばばぶびぼびばばば ぼうぼびびびびぼぶぼびべぶぶ
♪ ばびぼばばばばび ぼばばばばばびばび
いっけね。
また、ゆずの「夏色」をば行で歌っちゃった。
あらくれ漁師たちが見るたび安堵する、希望の灯台こと7942でぃーっす!!!。
さーて。
今日はどうするかナ。
あっ、だめだそこの美少年。
そんなに興奮してはだめだ。
確かに、今日の数学の授業での「変数xに値を代入」って言葉は、考えようによっては刺激的過ぎる内容だ。
だからって、そんなに興奮してはだめだ。
え?。
yも代入されていたって?。
とにかく落ち着くんだ。
手が震えているじゃないか。
ほら見ろ、ちゃんと人の言うことが認識できていない。
「白線の内側でお待ちください」って、別に白線の上に爪先立ちしろってことじゃないぞ。
しかも震えているじゃないか。
落ち着くんだ美少年。
事情聴取も、慣れればいいもんだよ、たぶん。
さーて。
僕は散歩に出かけるかな。
え、どなたです?、あなた。
・・・いや、人違いですよ。
僕、ウラジミールキュプラスキーじゃありませんよ。
いやだなあ。
あ、ちょうどだ。
あそこ、見えます?。
あそこの人ごみの中にキュプラスキーさんがいるじゃありませんか。
ちなみに、人ごみって、けっこうすごい言葉になってますね。
いや、まあいいですけど。
ほら、あそこ。
青いジャンパーで、ハーゲンダッツのCMに抜擢されそうな顔立ちの。
あの、近所の薬局のポイントがたまってる人ですよ。
え、あそこに、そういう人がたくさん見える?。
へえ、不思議ですね。
僕には、該当者は一人しかいませんけどね。
まあ、お茶漬けおいしいですもんね。
じゃあ、あそこの人ごみに向かって、大きな声で呼んでみたらいいじゃないですか。
・・・恥ずかしい?。
仕方ないな、じゃあ僕が。
「ウラジミールさあーん!!!」
・・・みんなこっち向きましたね。
じゃあ、もう一度。
「キュプラスキーさあーん!!!」
・・・みんなこっち向いたままですね。
みんなキョトンとしているところをみると、やっぱりウラジミールキュプラスキーのチョイスは、どうかしていたんですね。
今日は、どうかしていることが分かったので、僕超満足!!。
じゃあね!!。

おっさん

おっさんがコーンポタージュを飲んでいることほど、不快なことはそうない。
何いいにおいを、その口から出してんだ。
どんな人でも、缶を片手に窓から車外をのぞき見るおっさんを見たら、そう感じることうけあいである。
さて、実はこの話、ここから広げようとは思っていない。
現在、花粉症の薬が効いているのか、気分がほわほわしているため、続きもしない話をそのままに書いてみてしまったのだ。
今、この話をどうこうするかと考えたとき、一番無難なのが「つぶつぶ入りコーンポタージュ」の方面だろう。
誰でも缶入りコーンポタージュのつぶつぶコーンについては、一家言あるはず。
その事柄に触れることで、面白くなかったとしても、いくらかのシンパシーは得られるに違いない。
一方、むしろ話をすぼめてみる、というのはどうだろう。
「おっさんがコーンポタージュを飲んでいることは、不快だ。」

「おっさんが何か飲んでいることは、不快だ。」

「おっさんは、不快だ。」

「おっさんだ。」
やった。
おっさんが見つかった。
この話をすぼめてみたら、おっさんが見つかった。
今、電車のドアから外をうかがう、缶を手にした人物は、おっさんだったのだ。
うすうす、気付いていた。おっさんだって。
でも、本当にそうだなんて。
あ、おっさんの持ってる、缶。
コーンポタージュじゃないか。
なんだよ、今コーンポタージュのこと、書こうと思ってたんだよ、おっさん。
やさしいな、おっさんは。
やや、しかもつぶつぶ入りじゃあないか。
本当にやさしいな、おっさんは。

片面宿儺

扉の閉まる直前に電車から降りる人を見たら、二通りの人物像を考えてしまうのは仕方のないことである。
おねぼうさんか、追われているか、だ。
これは、一見よくある「自分が前に歩いているのか、地面が後ろに動いているのか」的な話に聞こえなくもないが、違うところがある。
社会的に深そうな意味を持つかどうか、という点だ。
後者は、客観性や観点の変更といった意図が、見えなくもない。
一方前者は、せいぜいどんな理由で追われているかを考察する余地が少しあるくらいである。
せちがらい世の中。
やはり追われている理由を考えているほうが楽しい。
高いヒールの女性がいたら、それは背が高いように見られたいか、つま先付近に憎いやつがいるかだろうし、寒い日に白い手袋をしている人を見たら、それは寒さに弱い人か、これから犯罪を犯そうとしている人だろう。
台所で包丁を持っている人を見たら、それは料理に関係した人であるか、これから犯罪を犯そうとしている人だろうし、笑ってる人なんかは、楽しいことがあったか、これから犯罪を犯すんだろう。
いやあ。
今まで片方の人物像の人だけと、僕は会ってきたようだ。
すごくよかったよ。

子守唄

昨日からのつづき。
【あらすじ】
「くびちょんぱ」の「ちょんぱ」について考えていたが、なんとなく、ちょんぱの「ぱ」は、ポップすぎる気がしてきた。
=====
「くびちょんぱ」のちょんぱっぷりを損なわず、他の言葉に出来ないだろうか。
今考えた「つぶし」「しるめ」「ざざ」をあててみよう。
「くびちょんぱ」

「くびつぶし」
「くびしるめ」
「くびざざ」
うん、なかなかいいのではないだろうか。
これらは半濁音でないし、なんとなく区切れている感、切れてる感、切れちゃってうわー感が出ている。
「しぼり」「投げ」「リリース」なんかは、どうだろう。
「くびちょんぱ」

「くびしぼり」
「くび投げ」
「くびリリース」
・・・なにか、こうもくびちょんぱについてばかり考えていると、少し怖くなってきた。
もうやめよう。
今のところ、最良は「く     び」だ。
=====
以上、怖くなったので「くびちょんぱ」関連の話は終わりにしたいと思う。
とはいえ、解決せなんだことが。
「ちょんぱ」の出生の、秘密。
たいてい「くび」に対してしか使われない雰囲気の、謎。
目の前の石を蹴ってしまう、男子小学生の狩猟本能の、はけ口。
思うに、どうせどこかの役所の人なんかが「はさみでちょんと切ったら、ぱっとできる」とかいうのを女性の同僚に、おもしろ風に言ったんだろう。
それを俺が何も知らずに無垢な心で由来を追い続け、ねずみ取りにかかったんだろ!?。
え!?。
いいさ。
そんな役所の人は、どうせひょうきんキャラで楽しいんだろうさ!!。
「やまもっちゃん」とかなんだろうさ。
でもな。
俺のちょんぱに対する、ここ45分くらいの調査のことも、考えてみてくれよ。なあ。
確かに、素晴らしく人生の汚点だよ。でもな・・・。
♪わかってくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか!?。
・・・誰に怒っているんだ、この「俺」は・・・。

バス停

人間は考える葦である。
めんどうである。
時として、人間はただの葦であった方がよい。
「○○女子高校前」のバス停留所から大量に車内へ流れ込んでくるおばあさんたちに、何かしらの感情や面白み、SFストーリーを抱いてしまう人は多いと思われるが、そんなとき我々は、本当は「ただの葦」であった方がよいに違いない。
=====
悪い例
「○○女子高校前」の停留所から大量にバスに流れ込んできたおばあさんたちを見て、僕は青ざめた。
僕「すいません、おばあさん。今年は何年ですか!?。」
老婆「えぇ、2009年ですけど・・・。」
僕「ああ、よかった。てっきり知らない間に未来にワープしちゃったと思いましたよ。おばあさんたちを見て、2009年の女子高生の未来を見たのかと思いました。」
老婆「全てがお前の考えどおりだとしても、未来でも結局乗ってくることのは女子高生のはずやろ。」
僕「たはー」
=====
重要なのは、女子高前のバス停からは、誰が乗ってくるのかは分からないこと。
経験知を持ってしても。
ということで悪い例。
今後踏襲しないようにするには、寝とくくらいしか・・・。

緊張

誰もいないことが確認できていたとしても。
やはり、ATMでお金を下ろすときくらいは「そこにいるのは分かっている。」とつぶやきたい。
さっと後ろを振り返りたい。
タッチパネル画面を70%エタノールで拭きたい。
そういった感情が出てくるものである。
ところで、そんなことを考えていたら、ATMでの背後を気にする雰囲気。
それって他にも類似したのがあるなぁと感じた。
例えば運転中、後ろにパトカーがきたらそんな感じになる。
気になってしょうがない。
それがいやだから、一時停止をしたくもなる。
まきたくもなる。
だが、それらの行動はむしろめんどうな方向に発展する可能性があるから、めんどうだ。
つらいが、人々は「後ろパトカー」を耐える。
例えば、バレンタインデーの教室内。
そんな感じになっていたような気がする。
ただ、さきほどのパトカーの例とは違うところがある。
いやな感じなのは同じだが、バレンタインデー教室の場合、その「いやな対象」が曖昧。パトカー役が不明なのだ。
強いてその対象を挙げるとしたら、2月14日という日付だ。
こればかりはカレンダーの2月14日を黒く塗りつぶしても、切り抜いてもどうすることもできない。
国外逃亡くらいしか、そのいやな感じを払拭する方法はない。
この例のいやな感じを受けやすいのは、おそらく小学生?中学生だと思われるが、彼らに国外逃亡や日付変更線またぎは難しいため、甘んじて2月14日を迎える。
「こんな感じになるなら、教室の入り口にチョコフレークの入っている「ご自由にどうぞ」と書かれた箱があるほうが、よっぽどましだ」
そう思っているに違いない。
我々はそれまでを生きてきた経験上、そんなに頻繁にATM使用中後ろに犯罪者が暗証番号を盗み見しようとしていたり、運転中に「前の車、止まりなさい」と言われたり、机の中からあふれんばかりのチョコが発掘されたりすることのないことがわかっている。
それでも、その可能性を完全に捨て去ることの出来ない理由は、やっぱり自分が好きだからなのだろうか。

適切な使用を。

「拳銃」が「がちょーん」という名前だったら。
<警官発砲、犯人3週間の怪我>
昨夜23時ごろ、民家に強盗が入ったとの通報を受けた松木署は、直ちに警官を派遣した。
現場に到着した警官は立てこもっていた強盗を説得しようと玄関に接近。
そのとき強盗が激しく抵抗したため、警官は空に向けて、威嚇射撃を1回行った。
しかし、強盗はなおも抵抗を示し、包丁を手にしたため、警官は強盗へ2発発砲。
そのうち1発が、強盗の右大腿部に命中した。
その後、強盗は取り押さえられ、民家の住人も無事であることが確認された。
松木署では警官による発砲という事態を受け、「がちょーん使用は適切だった」とコメントしている。
しかし、近隣の住人からは「日本も、これからは「がちょーん」が氾濫していくのではないか」との不安の声も聞かれており、安易に「がちょーん」に頼る警察の姿勢を疑問視する動きも起こっている。

虫食いりんご

何かの格言的な、何か。
「虫のかじった跡のあるりんごは、見た目が悪い。でも、虫が食べてしまうくらい、おいしいりんごなのです。」
ここで重要なのは、虫の味覚である。
「たで食う虫もすきずき」ということわざもあるわけで、やつらの味覚は、アヤシイ。
ただ、それは人間中心に考えている場合であって、我々がアヤシイと思っている食物を、彼らはおいしくいただいているに違いない。
ところで、彼らの「くち」は、その種類によってずいぶん変わる。
チョウチョはストローのような口だし、カブトムシはブラシのようだ。
バッチリ食物を噛み砕くヤツもいれば、口のないやつもいる。
だから「ある虫は、ある特定の食物しか食べられない」ということが起こる。
チョウチョは液状の蜜。カブトムシも、そのブラシでこそぎおとせるものしかダメだ。
…虫よ。
咀嚼の方向でまとめておけば、よかったのにー。
咀嚼の方向で。
そんなこんなで次回。
チョウチョ、蜜に飽きるの巻。