バス停

人間は考える葦である。
めんどうである。
時として、人間はただの葦であった方がよい。
「○○女子高校前」のバス停留所から大量に車内へ流れ込んでくるおばあさんたちに、何かしらの感情や面白み、SFストーリーを抱いてしまう人は多いと思われるが、そんなとき我々は、本当は「ただの葦」であった方がよいに違いない。
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悪い例
「○○女子高校前」の停留所から大量にバスに流れ込んできたおばあさんたちを見て、僕は青ざめた。
僕「すいません、おばあさん。今年は何年ですか!?。」
老婆「えぇ、2009年ですけど・・・。」
僕「ああ、よかった。てっきり知らない間に未来にワープしちゃったと思いましたよ。おばあさんたちを見て、2009年の女子高生の未来を見たのかと思いました。」
老婆「全てがお前の考えどおりだとしても、未来でも結局乗ってくることのは女子高生のはずやろ。」
僕「たはー」
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重要なのは、女子高前のバス停からは、誰が乗ってくるのかは分からないこと。
経験知を持ってしても。
ということで悪い例。
今後踏襲しないようにするには、寝とくくらいしか・・・。

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