ハラスメント?

昨日から。
【あらすじ】
場合によってはほとんどの人がそうと思わないような内容でも、人によっては不快感を受けることもある。
それをリスクと考えると、人に何かを伝えるもの(送り手)は大変だ。
??????????
部長
「スタイルいいね」
先日例に挙げたものである。
この、一見誰でも「ちょっとセクハラくさくない?」というセリフをどうにか、そうならないように喋ることはできないだろうか。
「スタイルいいね、上信越って」
まず思いついたのが「対象入れ替え法」。
「スタイルいいね、キミ」じゃないよという方向に持っていくのだ。
「スタイルいいね、明朝体」
「今日は普段よりも若いね、僕の頭皮」
「飲み行かない?。ああ、お前のすぐ後ろにいる、額に白い三角形をつけた人に言ったんだ」
「一緒に帰らない?。お月さん!!」
ただし、これではそもそも「スタイルいいね」などと言う必要がない気も。
まあ「センシティブなあいつをスタイルのことでほめたったぞ!!」ということで、モチベーションも上がり、いいのだ。
次に思いついたのが上記の発展版、「対象意味なし法」
「スタイルいいね、と書いた手紙」
意味はない。
意味はないが、誰かを気分悪くさせるくらいなら、意味のないほうがいい。
そんな方向。
「その香水、いい香りだねアドベンチャー」
「俺今日絶対早く帰るエピソード2」
「ちょっとお茶くれない豆腐を作ってんのかおからを作ってんのかって」
最後、こんなのはどうだろう「格言法」
「お前って体格いいよな・・・西郷隆盛」
なんとなく格言っぽくいうのである。
要は、偉人に責任転嫁。
「これで子持ちなんて信じられないなぁ・・・津田梅子」
「来週の日曜、麻雀するぞ・・・ジュード・ロウ」
「I LOVE YOU・・・尾崎豊」
本ブログが誰かの不快感を増長させていないことを祈る。

ハラスメント?

昨日から。
【あらすじ】
「なんちゃらハラスメント」というのは、受け手側の受容範囲によっては「こんなものでもハラスメントになるの?」となりそうであり、その結果「最近の若者は怒るとすぐやる気なくすー」とおじんおばんが嘆くのである。
そこへん、何か考える。
感受性高い、自意識過剰、すさまじい守備範囲かもしれないが、送り手の言い方にも、だいぶあるのだろうが。
??????????
「私はこれで、ハラスメントを受けました」
★セクハラ編
・「切手はかならず舐めて貼り付けてくれたまえ」と言われる。
送り手「他意はない」
受け手「唾液を持ち出した時点でアウト」
・「おはよう。いやぁ、今日も・・・。んー。」と言われる。
送り手「会話内容につまっただけ」
受け手「確実に「今日も・・・」のあと、「いいにおいがするね」が来ていたはずだ」
・立ち話をしているとき、持っていたCDを落とした。
送り手「落としただけ」
受け手「確実にスカートのなか or 下ななめから見た自分の顔を写そうとした」
・「鉛筆削りを持ってきてくれないか」
送り手「鉛筆を削りたい」
受け手「鉛筆削りは性行為のメタファーである」
・「さあ今日もがんばろう」と言われる。
送り手「がんばろう」
受け手「何をですか、何を」
★パワハラ編
・「昼ごはんどうする?」
送り手「なに食べようかな」
受け手「お弁当を持ってきていた自分に対する圧力」
・「宿題見せてやってんじゃんかよー」
送り手「今度おごって、くらいの意図」
受け手「お礼の質によっては付きまとうぞと言われている」
・「笑顔」
送り手「他意はない」
受け手「今日もお前が最後の電気を消していけ、と言っている」
・「机をとんとん指でたたく」
送り手「無意識」
受け手「死ねと言っている」
・「飾りについてるパセリも好きだけどね」
送り手「パセリうまい」
受け手「俺にパセリ食わせといて、お前は竹串も食わんのかい、の意」
次回
送り手側のリスク回避
こういえばハラスメントと受け取られないかも。

ハラスメント?

セクハラ、パワハラともなるとかなり直接的、イカンところが明確であるため、迷うことは皆無。
今ではモラハラ、ドクハラなどもあるらしいが、それもそんなに蒙昧ではなさそうだ。
何を言いたいか。
簡潔に言うと「ハラスメントと思われる言動と行間」についてだ。
部長
「スタイルいいね」
これは相手が同性異性に関わらずセクハラ、場合によってはパワハラがプラスとなりそうである。
部長にとっては世間話みたいな感覚。
しかし相手はそう思わないことの方がありうる。
行間を読んでしまうのだ。
<良い意味>
ラブプラス
遠回しに健康に気を使っていることをほめられた
スタイルがいいねとほめられた
スタイルイイネ・・・まず、さ行3番目にある「ス」について考えてみよう
対してスタイル良くないのに皮肉られている?
スタイルの悪いおまえに言われても、な!!
スタイル以外は悪いんかい!!
<悪い意味>
一般的な「セクハラ」や「パワハラ」は、こんな何通りの意味を持つものではないだろう。
「げへへ尻、尻!!。スカート!!。」
「昨日やった大名行列に飛び出しちゃったごっこ、またやろうぜ!!」
直球である。
しかし一見何のあたりさわりのない言葉でも、範疇の持ちようによっては「ひらってしまう」こともあるだろう。
結局「スタイルいいね」をどうとらえるかは言われた側に主権がある一方、言った側には責任しかない。
双方に悪気がないのであれば、なかなかどうしてかわいそうなことになりますな。
次回:「その範疇、前衛的だわ」
次々回:声をかける側の人のリスクマネージメント
こんな感じで。

ラブプラスの使い方間違っていたらごめんなさい。

弱さ

※今確実に酔っている。
「12歳から90歳まで、幅広い読者の絶賛の便りを得ています」
ある、電車内の本の広告のコピーである。
面白い。
このコピーどうこうではなく、「感銘を受けた本へお便りを出す姿勢」がおもしろい。
何かの本では、いわゆる「放送塔への投書」の姿勢についてのおもしろさを問うたものがあるが、これはそれとほぼ等しいおもしろさがある。
「感銘を受けた本について、思ったことを書きましょう」
これは多くの人がやっているのではないだろうか。
つまるところの「感想文」ってやつだ。
小学生時代にさかのぼってみよう。
感想文、書かなかっただろうか。
テストの問題文、口調が優しくはなかっただろうか。
献立表、楽しみじゃなかっただろうか。
基本的に放課後、自由だったじゃないだろうか。
献立表、特に月末が楽しみじゃなかっただろうか。
まぁ最後のほうは違うかもしれないが、楽しみだったのは事実だろう。
しかしこれはなかったはずだ。
「その感想文を新聞社に送ってみましょう」
えっ、である。
先生なんかアツいな、である。
めんどくさいな先生、である。
先生長い休み取ったんだって、である。
で、だ。
もちろんこの「えっ」は、道徳性や意外性がどうこうではなく、むしろその「積極性」であることは想像に難くないだろう。
「こんなのを公の場に?」
本人以下が思う。
ところで、この手の「積極性」は全くもって悪いことではないのは明白であるが、妙な違和を感じるのは僕だけだろうか。
それは下心や他意、彼等の間の温度差のことと言うよりは、この行為にそこはかとなく漂う「人間の弱さ」が、一見積極性というものと反しそうであるからだろう。
一瞬、弱さが出てしまった。
何かを共有したかった。
そのことがおもしろくもあり、しょうがないよね感でもある。
よって、今回の冒頭※印も、しょうがないなりに、おもしろいはずであるのだが・・・。

ひどく気持ちのいいやつら

先日マジックな番組がやっていた。
あまり内容を覚えていないのだが、すごく面白かったように記憶する。
さて、この番組では面白かったほかに、見ていて気づいたことがある。
「マジックをやる人も見てる人も、やたらいい人に見える」
本当にいい人らなんだろうが、一応「に見える」とした。
とにかくいい人なんである。
マジックを自慢げに披露する人。
素晴らしいマジックだ。
テレビでやってもおかしくない。やってるのだが。
そして見てる人。
タネを破るとかいう無粋な考えは持たず、目の前で起こるマジックに感嘆の声を上げる。
本当はタネがチラッチラしたりしていて、内心穏やかでないのかもしれないが、そんなことは僕らは気にするものでもなく。
純粋に物事におどろく姿勢というのは新鮮だ。
そしてそうさせることがとても気分いいことを手品師達もよく知っているのだろう。
「かごの中の鳩が消えたと思ったら、なにやらいいにおいがしてきた」
番組中で鳩を使っていたとき、こんな手品を考えていた自分がはずい。

おばさんのカバン

以前書いたかもしれない。
おばさんによくあることなのだが、すごくカバンの中が見えているのだ。
電車の中で、そんな赤裸々はいらんのだが、とにかく見えてしまう。
よくわからんガマクチポシェットには化粧品が入っているのだろうか。
その、ポケットティッシュを入れる布製のやつは、どこで売っているんだ。
見えている以上、そんな無粋なことを考えないこともないわけで、双方にとってよろしくないことになっている。
「家で見てみたら、知らないガムの包みが入っていた」
「知らないイヤリングがカバンの中に落ちていた」
「5円玉が入っていた」
そんなことになってるんじゃないだろうか、おばさんのカバン。
お、なんかいいな「おばさんのカバン」。
「みんなのうた」にありそうじゃないか。
とにかくリラックスしすぎなのだ。
そんなだと、よからぬものを入れられてしまうぞ。
「奥さんすいません。鉄道警察のものです」
「奥さんのバッグに薬物が隠されているという情報が入りまして」
「ちょっと検めさせてもらいます」
バッグに手を入れ、隠し持っていた粉末袋をつまみ出す。
「奥さん、これはどういうことですか!!」
そして粉末をひとなめ。
「ん、これは恋のマジックポーションですね。奥さん、お茶でもどうですか」
熟女好きのかた、どうでしょう?。

づくす。

「何々づくし」というのがなんだか面白いような気がした。
「豪華有頭えびづくし」
「カニづくし」
意外に例が思い浮かばず、何故か甲殻類「づくし」になってしまって恐縮だが、まあそういったときに使う「づくし」のことだ。
意味は「ばかり」「だけ」というものだろう。
ただ一般的には、たいがいがポジティブなときに使われるだろう。
「金塊づくし」とか「しあわせづくし」とかはあるが「今月仏滅づくし」や「画鋲づくし」などは、普通ない。
となると気になるのが「づくし」を使っていいかどうかの境目だ。
ここにさっき感じた「づくし」の面白さがあるに違いない。
「木目づくし」
うわあ。
いいか悪いか、全然わかんない。
彫るには都合が悪そうだ。
美術の時間、木目に苦労した人は多いだろう。
しかし味があるという向き、もあるかもしれない。
ただ木目って、それこそ目みたいで。
天井の木目が気になって眠れない幼少期を過ごした人も多いだろう。
まあ、5行に渡ってその善悪が語れるくらい、いいか悪いか、全然わかんない。
「はさみづくし」
怖い。
どんなおもてなしをされるか、わかったもんではない。
供養。
供養か何かなのだろうか。
「きみまろづくし」
正直ほんとにそう名づけられた何かがあるような気がするが、調べない。
ただ、実際づくされたCDはあるくさいし、づくされた人たちも多い。
「梵語づくし」
これも困る。
誰かに「自慢じゃないんですけどこれ、梵語づくしなんですよ」と言われたとき。
喜んでいいのかいけないのか。わからない。
ただ、とりあえず読めないであろう。
「積み木づくし」
まあ、礼儀ですな。
「千羽鶴づくし」
これはいい具合。
もちろんここでいい具合とは「いいか悪いかを判断しかねる」ことだ。
何がそうかって、この言葉が生まれるだろう物語の登場人物に、悪い人は一人もいないことがそうだ。
ということで、みなさんも自分の何かを誰かにづくしてみてはどうだろうか。
そうすると相手が言う。
「すぐそうやって色気づくし」
こういう終わり方って、新しい自分になれた気がするよね。
追記
別所実の本が「○○づくし」だった。
やっぱ「づくし」だよな、昨今。

「ん」の回避、3

昨日からのつづき。
【あらすじ】
しりとりにおける、美しい「んの回避」について。
1.鋳型を作っておく
例:○○主義が横行、という鋳型を使用すると・・・

インド→ドラえもんシステムダウン主義が横行
美しく「ん」の回避を演出できる。
=====
2.「んぼ」とする。
以前、辞書を見ていたら、なさそうな「ん」のページがちゃんとあって、そこには「んぼ」が載っていた、ような気がする。
それは「かくれんぼ」などに見られる「んぼ」だった。
意味は忘れてしまったが、その容易さからみても「んの回避」に使用しない手はない。
「パソコンぼ」
「ん」が回避できた。
しかも、「んぼ」をつけない「パソコン」よりも、ちょっと親しみやすくなっている。
「決議あんぼ」
これもやさしい感じだ。
「遊びながらできました」
幼児向けテキストのようだ。
「重大な欠かんぼ」
重大なのだから、それなりにまずい欠陥だったのだろうが。
思わず許してしまいそうだ。
さて、この「んぼ」の良いところは、なんだかんだいってしりとりお題が「ん」でなくてもいける、というところ。
「すずめんぼ」
本来、こんな「すずめ」表現法はみられないが、それでもかわいいすずめの子が思い浮かばれるじゃあないか。
「んぼ」はあらゆる言葉のラストを「ん」にできるとともに、その「ん」を回避する。
さらに相手には、ばすばす「ぼ」を返しまくるという、しりとりマニア垂涎のアイテムなのである。
「サンシャイン60んぼ」
「さくらんぼんぼ」
「脚立んぼ」
「こどもんぼ」
「白寿んぼ」
・・・なんか差別っぽいイメージがしてきたので、そりゃいかん。
このへんでおわりんぼ。

「ん」の回避、2

昨日から。
【あらすじ】
しりとりを華やかに演出する「ん」の回避。
失敗しない回避方法とは。
=====
先日書いたとおり、「しりとりにおける「ん」の回避は、一番スリリングな瞬間」なのである。
しかし、その演出は難しく、例えば「みかん、あ。みかんジュースね」などという感じのはかなりいかんことになっている。
慣れている者であれば、何の準備がなくとも、すらりと「みかん、狩りに行こう 愛媛県だより」などと美しい「ん」回避が可能なのであるが、今回は初級として「失敗しない「ん」回避」を考えてみる。
1.鋳型を作っておく。
お手軽で、かつ有効な方法だ。
「○○(しりとりお題を含んだことば)」に付加する言葉をあらかじめ決めておくのだ。
※しりとりお題(例:いか→からすにおける「す」のこと)
ここでは例として「と私」を付加する言葉として用意してみる。
「○○と私」形式にすればいいのだ。
あとはしりとりお題に対して「ん」で終わる言葉を考え、形式にあてがう。
「からす→スミソニアン博物館と私」
ここでポイントなのは、おそらく問題になるであろう「それ、しりとりになってなくね?」という反論に対する防御が可能な付加言葉を選別しておくことである。
上記「スミソニアン博物館と私」。
ごくまれにではあるが、相手が「それって言葉ちがうでしょ」などと言ってくることがある。
このとき、付加言葉が「対応された」ものであるなら、こう言い返すことができるだろう。
「スミソニアン博物館と私っていう、宮崎あおいの写真つきエッセイ集だよ」
うそである。
うそではあるが、無いものを無いと証明するのはめんどくさい。しりとりは続けられるだろう。
ちなみに上記例では「ん」が2度回避されており、言うところの「二段」というやつになっている。
一方、付加言葉がテキトーなものであると、大変だ。
「スミソニアン博物館で17時に待ち合わせ」
付加言葉に「で17時に・・・」を選んでしまったため、しりとり判定どうこうの前に「おまえ嘘つくな」となってしまう。
気をつけられたし。
次回
2.「んぼ」をつける。

「ん」の回避、1

しりとりに興じるなかで何が一番スリリングであるかというと、それは「ん」の回避である。
「りんご、ご、ごはん。」
「あ、んがついちゃった!!」
しりとりに油断は禁物なのではあるが、そこはヒト。
どうしても凡ミスがつきまとう。
そのときの「あばれ」としてよく用いられるのが「んの回避」だ。
「ごはん。ごはん。ごはんですよ、でお願い。」
これで「ごはん」によるしりとりの終焉は避けられ、彼の敗北は、一時的にではあるかも知れないが、無しになるのである。
しかし、僕に言わせてみれば、これはそれほど美しくない。
唐突な事故に対する緊急避難的な感じがするため、どうしても「しりとりのスリリングさ」の観点においては最良といえない気がする。
「コッペパン大好き人間 たかひろ」
あるしりとりで生まれた回答である。
ここでは2回、「ん」を回避している。
「コッペパン」と「人間」。
コッペパン

あ、「ん」だ。

コッペパン大好き人間

あ、「ん」だ。

コッペパン大好き人間 たかひろ
「しりとりのスリリングさ」を語る上で書かせない「美しい「ん」の回避」は、上記のような流れを相手に悟らせないことだ。
「あたかも一つのフレーズとして生まれました」
「さっき、実際に言ってました」
そんな風に、自然に回答できた方がいい。
その後、「あ、あいつ。さっきの回答で「ん」を2回も回避していやがる。しかも美しい」と気づく相手。
計算しつくされた「コッペパン大好き人間」に感動するだろう。
次回
「ん」の回避例。