「菓子パンとは何か。それは上からかけられた液状砂糖である。」
ヘッセ、車輪の下の冒頭で語られる真実である。
このように、古くから多くの人々を魅了し続けてきた「菓子パンにかけられた液状砂糖」。
僕もそんななかのひとりで、菓子パンセレクションでは、この液状砂糖の存在がかなりの決定権を持つ。
この「液状砂糖」について、いつか何か書こうと思っていて、実際今がそうなのだが、ある問題が解決できずに困っている。
名前がわからないのだ。
確かあいつには名前があり、以前ドーナツ屋で働いていた知人がぽろりと言っていた気がするのだが、思い出せない。
ということで調べてみたところ、アイシングというらしい。
・・・知人のぽろりを聞いていたわりには、ぴんと来なくて情けないのだが、それにしても知名度が低いんじゃないだろうか。
人にアイシングの説明をするとき、多くの人は、冒頭の僕がそうであったように「液状砂糖」とか「甘だれ」とか言ってしまうだろう。
だが、本人は「この言葉では的確にアレ(アイシング)のことを示すことはできていない」と考えており、「自分がアレが好きなことを、ちゃんと伝えられているだろうか。」と不安になるのだ。
そして、本人も含め、ほとんどの人は「アイシング」を知らない。
もちろん、かろうじて他方が「アイシング」を知っていたとしても、それは何の不安材料の解決にならない。
ある喫茶店で。
A「僕、好きなんだよね。アイシングかかってるやつ。」
B「I sing かかってるやつ・・・」
Bは喫茶店で流れていたBGMのCDもしくはitunes Storeギフトカードを買ってきて、Aに送るだろう。
僕はそんなBを見たら、その発想に敬意を払い、超褒めるだろうが、やはり解決になっていないことを痛感するだろう。
パンの代わりにCDが置いてあるのだから。
もちろん、Bが打撲や筋肉疲労などに関するほうのアイシングを発想してしまったら、次にAに会うとき、相応の準備をしてくることが予想され、不安は解決されない。
この問題の解決法は、やはりアイシング名の普及だ。
菓子パンパッケージに「アイシングかかってます」的なプリントがあれば、かなり知名度が上がるのではないだろうか。
頼む、全国アイシング協会。
カテゴリー: 疑問結論など
いろいろ 2
昨日からのつづき。
【あらすじ】
どんなセンテンスにも、その最後に「人生いろいろである」をつけると、すばらしく完結してしまう。
でも、気になることが。
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人生いろいろの付加による、文章のおわりっぷりは、見事である。
「はっはっは、見ろ!!。人がゴミのようだ!!。人生いろいろである。(ムスカ 天空の城ラピュタ)」
見事だ。
しかし、気になることもある。
それは「見事すぎ」。
それだけ。
でも、ちょっとスマートすぎる。
こういうのは、ちょっとズレていたり、物事をひっくり返すようなものがあると、それはそれでいい感じになることを、僕は体得している。
そんなことを考えていたとき、なかなかいいのでは、と思うヤツが浮かんだ。
「でも、やっぱり猫が好き」である。
前日の例に、使ってみよう。
「春風に乱れる髪を押さえていたのは、僕が話しかけてしまった女だった。でも、やっぱり猫が好き。(吉田修一 パークライフ)」
「丸大豆醤油50%使用。まろやかで、こんがり香ばしい。でも、やっぱり猫が好き。(ハウス とんがりcorn)」
「スピーカーから、小さな音でビートルズの『ノルウェイの森』が流れ出した。でも、やっぱり猫が好き。(村上春樹 ノルウェイの森)」
「はっはっは、見ろ!!。人がゴミのようだ!!。でも、やっぱり猫が好き。(ムスカ 天空の城ラピュタ)」
ちょっとどころではなくズレているものもあるが、どうだろう。
もう、「そうなんだー好きなんだー」としか言えないじゃないか。
天然でこのような、まとまりそうなものをひっくり返すようなことを言える人はすごいが、周りは少し疲れるだろう。
意図的にそういうのを使える人がいたら、惚れるね。
耳障りノイズ
車を運転中、何か物音がしたら「あれっ、何かにぶつけちゃった?」と思い、あせる。
なんでそう思ってしまうのか。
例えばその物音が、何かが落ちたような、明らかに車とぶつかったようなものでなくとも。
「あれっ、何かにぶつけちゃって、そのはずみで何かが落ちた?」となってしまう。
なぜかぶつかった気満々なのである。
イヤホンで音楽を聴きながら、めしを食ってみる。
もう音楽どころではなく、くっちゃくっちゃである。
イヤホンを外せばいい話なのだが、音楽も聴きたい。
でも、音楽がくっちゃくっちゃに勝てたためしは、ない。
この世には音があふれているが、その中で耳を触るのはほとんど雑音だ。
上記の2つもそう。
だがそんな雑音は、結局は僕の性格や行動ありきで生じているものが多いので、どうにも困るのである。
いい話を聞いたあとには。
昨日からのつづき。
【あらすじ】
人は、いい話を聞いたときの感動度合いの自己表現としては「おー」というくらいしかない。
泣いてもいいが、多少きもい。
何かいい「わたしは今、感動しています」表現はないだろうか。
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そんな表現方法は、作ってしまって流行ってしまえばいいのだ。
たぶん、悲しいときに泣くことだって、最初は流行ってなかったのだ。
誰かが「俺は今、すごく悲しいんだ、を表現したい!!」と思い、彼は下まぶたに針をぐりぐりし、そこから液体を流した。
それが大ブレイクし、今日の「涙」に至ったに違いない。
(ブレイク寸前までは、人間に涙を分泌するための器官は存在しなかったという、信頼できる口頭伝承あり)
・・・2つばかり、考えてみた。
※シチュ
「いい話」系番組で、話の再現が終了後、映像がスタジオに戻ってきたシーン。
◆びんぼうゆすり
びんごうゆすりの度合いが、そのまま「感動している」パラメータとなる。
「それから、その坂は「ミツヨのこしまがり坂」と呼ばれるようになったとさ。」
スタジオに戻ると、すごくカタカタ言っているのだ。みな、感動している。
このやり方のいいところは、感動度合いがかなり定量化されており、客観的にそれがわかること。
「あ、あの人、両足のみならず、両手の指もゆすっている!!」
だいぶ、である。
ただ、これが採用されるためには「びんぼうゆすり」という言葉をどうにかしなくてはならないだろう。
改名いちおしは「こころふるえ」だ。
◆長そでをめくり上げる
そでのめくり上げ具合が、「感動している」パラメータとなる。
「待っているから、私。値札貼られても、待ってるから・・・。」
スタジオに戻ると、みな、感動のあまり、いっせいにそでをまくり始めるのだ。
このやり方も、定量的であり、わかりやすい。
名前も存在しないため、びんぼうゆすりのときのような改名も必要ない。
また、この表現方法は「あまりの感動に、鳥肌が立った」のを見せる行為の名残です、というように、あたかも既にやられてきたかのような印象を、流行りはじめに与えることができ、その点においては流行しやすい要素を含む。
名前は「そでがえし」とかか。
司会が言う。
「皆さん、だいぶそでがえしが上のほうになってきましたね?」
ところで、誰しも気になる「半そで」の扱いは、どうだろう?。
「感動しっぱなし」でいきたいところである。
そうすれば、今年の夏は去年よりも少し、アツいかもね!!。
※また、もっと定量的に表現できる方法として「へぇ?」ボタンみたいなものの、押下回数による表現方法もある。
「表現方法もある」ってのも、なんだかだけど。
まぁ、このように挙げてみたが、実践してみたくはなっただろうか。
結論
感動は、こころのなかで。
いい話。
最近「いい話」の番組が多い。
正直あまり見ていないのだが、こういう番組で気になるのは「いい話」が紹介されたあとの、スタジオの「間」である。
例えば「ヘビに飲み込まれた恋人を救うべく、自らも食われようとしたカエルについて」といういい話があったとする。
※もちろんこの例えは、その前に、いかにカエルがイイものであるか、ヘビがワルイものかを伝えていなくては、ただの自己満足話になってしまう。
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そして、そのカエルは飲み込まれていた恋人のなきがらから一時たりとも離れようとはしなかったのです。
わたしは、そのカエルたちが眠る裏庭に用事があったとき、いつも思うのです。
「なんかわからんが、ありがとう」と。
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ここでスタジオ等に戻るのだが、そのときの感じ。
出演者は「おー」とか「うーん」とか言うのである。
別にこれをどうこう、というわけではない。
ぼくだって、そうなるだろう。
でも、例えば「おもろい話」だったら、スタジオは大いにわいたり、つまらなかったらつまらなかったで誰かがフォローしたり、
どこそこがおもろいとかなったりするだろう。
しかし「いい話」だと、わくのも変だし、いい話とは思えなくても誰もそんなこと言えないし、どこそこがいいとかいうのも、ちょっと。
結局のところ、「いい話」とはだいたい「よくない出来事」がベースにあるのであって、そこから最後にひと救い!!、というものが多い。
そして、よくない出来事に対する個人的な感想、意見などはどうしても言いにくい。
こんな背景の結果、だいたいの人は「おー」とかになってしまうのだ。
そして、人間には「感動したとき表現」の能力が足らない。
例えば、喜怒哀楽にはそれぞれ、表面的にそれをアピールするためのよい方法を、我々は体得している。
うれしいときには笑ったりするし、怒っているときは校舎のガラスを割ったりする。
悲しいときには食べているラーメンの塩味が濃くなるだろうし、楽しいときにはキーキー言ったりする。
しかし、「感動」にはそのような表現方法がない。
先ほどの背景もあり、あんまり動的にアピールするのもどうか、という考えもあったのだろう。
「おー」に落ち着いてしまったのだ。
しかし、せっかく「いい話」を紹介する番組があり、実際にいい話が聞けるのだ。
「おー」などで間を埋めるのではなく、もっと積極的に「わたしは今、感動しています」を表現できないものだろうか。
つづく。
川の流れのように
もう、いくつかのデパートでは、かぶと虫が店頭に並んでいるようだ。
虫かごに元気のない鬱カップルが収まっている。
あるケースで、ひっくり返ってもがいてるオスがいた。
気になったのでうまくケースをとんとんし、レスキューする。
そんなことをやっていたら、思い出した。
かぶと虫は死んでしまうとき、いつもひっくり返っているのである。
それは、別にひっくり返ってしまったから死んでしまう、ということではない理由だった気が。
確か、かぶと虫(まぁ、虫)は弱ってしまうと足が内側に曲がってしまうようで、そのため重心が高くなってしまい、そのままころん、となってしまう。
そんなだったか。
でも、とにかくずっとひっくり返っていたら、結局死んでしまうのかも・・・。
ソースが思い出せないが、とりあえず今回は、これは関係ない。
僕のレスキューしたかぶと虫は、なぜだかケース内でひっくり返ってしまったのであるが、問題は彼が自力で自分の体を引き起こすことができなかった点である。
彼らが生きていくうえで、ひっくり返ったときは自分の力で体を引き起こす。
これは、超重要だと僕は思うのだ。
だのに、ケースのかぶと虫は、ひっくり返ってわしわししていた。
僕が彼に「なぜ自分で起き上がれないのだ」と尋ねたら、彼はこういうだろう。
「ケースの中に、足がかりになるものがないのだ。」
そう、ケース内は虫ゼリー(えさ)くらいで、あとはおがくず。
何もないのだった。
彼としては、自然界ではとにかくわしわしさえしていれば、何かの出っ張りや近くのモノに足がひっかかり、それをきっかけに起き上がれるはず、と考えているのだ。
そして、おそらくそんなことは虫発生時からやられてきていたことで、それ虫にとって当たり前の行動だったのだ。
しかし、このケースには、それが通用しない。
出っ張りやモノがない、ただひらけたおがくず平線だ。
ケース内のかぶと虫を見て思う。
でこぼこ道を歩み続けた彼らにとって、平坦な道が目の前にあるのは、必ずしも吉報とはならないのである。
姿勢
「志村どうぶつ園」という番組がある。
僕はだいぶ前からカワウソのかわいさには注目していたため、それにフォーカスを当ててくれたことに感謝している。
ところで、今回はカワウソではなく、この番組の観覧お客さんについてである。
ある出演者が何か食ったシーンがあった。
普通、このときは志村けん氏や幾人かのゲストが「おいしい?」と聞く感じになるだろう。
そして食った人は「いやー」とか「めちゃくちゃうまいですよ」とかになる。
しかし、僕がたまたまテレビでその光景を見ていたとき、お客さんの反応がすごかった。
「おいしいいいいぃぃぃ!?」
何かわからないけど、出演者の感想を聞く姿勢が、やたらアグレッシブであった。
ひとりふたりではない。
かなりの数の観覧お客さんがいち出演者に対して「おいしいいいいぃぃぃ!?」とたずねる、いや発していた。
やたらフレンドリーに。
番組前に、スタッフの人にほっかほかであることを強制されたのだろうか。
前座の人が面白く、かつ親しみやすい人だったのだろうか。
番組としては、出演者とお客さんがわきあいあいで進行、という感じでよさそう。
だが、ひとりに対して何十もの「おいしいいいいぃぃぃ!?」が向けられたそのシーンは、圧巻だった。
おそらく、出演者がひとりでみこしを担ごうとしたら、お客さんは大声で「おもいいいいぃぃぃ!?」というだろう。
熱湯コマーシャル中は「あついいいいぃぃぃ!?」だろうし、罰ゲームで坊主にされてしまったら「みじかいいいいぃぃぃ!?」だろう。
まとめ。
今回紹介したやり取りで面白いところは「いうまでもない」と「実はそれほど興味ない」が共存している点である。
ローカルあいさつ
人に会うと、だいたい「おはようございます」「こんにちは」と言い、そのあと「いい天気ですね」とかになります。
これが一般的な、普通のあいさつ。
ところで、誰でもそうだと思うのですが、気のおけない友人などに対しては「ローカルあいさつ」があるのではないでしょうか。
例えばいつもメガネをしている友人に会ったとき、「おはよう」ではなくいきなり「お、そのメガネ、ちょっと度が抜けてきてない?」とか言ってしまう。
それが「ローカルあいさつ」。
お笑い好きの友人には「最近のオススメは誰?」。
体型を気にしている友人には「やあ、今日は一段と、君のほうに地軸が傾いてるね」。
情報通の友人には「何か面白いネタはない?」。
これらも「ローカルあいさつ」。
普通のあいさつではないですが、彼ら、少なくともしている方にとっては、あいさつみたいなものとして使われます。
もし誰かに「お、今日も手つきが別の生き物みたいだね」とか言われたら、相手はあなたに対して少なからずの信頼を寄せているので、怒るな。
な?。
追記
僕はよく「最近面白い○○はないかねぇ?」というローカルあいさつを使います。
○○はほとんど、本か映画。
ある友人に対してこのローカルあいさつを使用すると、必ず「ショーシャンクの空に」と「モンスターズ・インク」が回答となります。
このあいさつで、僕は美しく変わらない返歌を聴いたような気持ちになり、それと同時に、この間会ったときから、彼の映画ベストが更新されることはなかったことを知ります。
無意味情報が手に入ったりするけど、少しだけ深みの増すあいさつとなるわけ。
拍手、上級。
昨日からのつづき。
【あらすじ】
居酒屋などで、突然聞こえてくる拍手。
それの、クールなやり過ごし方について。
◆上級
:その拍手に続け!!。祝福発起テク!!。
1.拍手が聞こえてきたほうに、少しだけ目をやる。
2.大まかな「祝福内容」を把握する。
3.視線を戻す。
4.その場でびっくり発言を行う。
5.店内が拍手で包まれる。
※1.は初級、中級と同じです。
拍手が起こっていることも知っているアピールとなります。
今回、ポイントとなるのは2.と4.です。
上級では「どこかで拍手が起きたら、こちらの場でも拍手を起こしてしまおう。」という、現場祝福三昧確定となる荒業に挑戦します。
そのため4.にて、あなたが拍手に値する発表をしなければなりません。
しかしそのとき、最初に巻き起こった拍手が「さくらんぼの軸を口の中で結ぶ技」を褒めたもの、あなたの発表が「日本の少子化問題に、あらゆる手段で挑んでいく。」というものであった場合、どうでしょう。
なんとなく「釣り合わない」感じではないでしょうか。
これを避けるべく、2.にて大まかな「祝福内容」を把握します。
祝福内容がさくらんぼ系なら、あなたの発表は「道の真ん中にいたヒキガエルをつついて、追いやってあげた。」くらいのものでよいでしょう。
上級を完璧にこなすことができれば、店内は拍手に包まれます。
また、上級者が店内に複数いた場合、それはスタンディングオベーションとなり、ひとときの地球平和が訪れることに。
そして友達は、あなたをこう見るでしょう。
「あいつ、たいした拍手のマエストロだな。」
拍手、おわり。
拍手、中級。
昨日からのつづき。
【あらすじ】
居酒屋などで、突然聞こえてくる拍手。
それの、クールなやり過ごし方について。
◆中級
:参加型!!。社会性を全面に出すテク!!
1.拍手が聞こえてきたほうに、少しだけ目をやる。
2.すぐに視線を戻す。
3.控えめに拍手をする。
4.隣の人が残しているパセリ等をもらう。
※1.と2.の動作は初級と同様です。
拍手が起こっていることも知っているし、それをやり過ごすべきものであるとも把握しているよアピールとなります。
初級と違うのは、その後3.にて拍手による祝福行為に参加しているという点です。
これは「見知らぬ人だけど、めでたいことであるなら、私も少しだけ、歓迎しますよ」という意味になります。
心の広さ、社交性の高さがうかがえます。
しかし、4.の動作にて、拍手がなかったかのような行動をとりましょう。
これは、この中級にて最も勘違いされやすい事象を避けるため。
その事象とは「勝手に参加してからんでくる、無神経でめんどくさい中年」と思われることです。
この点、タイミング等が難しいため、中級となっています。
中級を完璧にこなすことができれば、友達はあなたをこう見るでしょう。
「あいつは他人の祝福シーンにさりげなく参加できる、さわやかさんだ。あと味もいい。」
次回、上級。