ハウルの城 注)動く

「ハウルの動く城」では、ハウルという男前とヒロインの女前が「海の幻覚」を見せられる、そんなシーンがあった。
それを見たとき、なんかどこかで似たようなものを見た気が。
そして思い出した。
プレイステーションで「サガフロンティア」というゲームがあって、その中で変なロボットと最終ボスが戦うことがある。
その最終ボスというのが、戦闘中の背景を変えつつ自行動も変えることをしでかしていた。
その変化する背景の一つが「海に沈む塔」みたいなやつだった気がする。
※この戦闘時の音楽がなかなか楽しい曲だった。
思うに。
サガフロンティアの方の人たちの頭の中には「背景が変わることで、さもその環境にいるかのようなことになっちゃう幻覚」を表現したかったのだろう。
その戦いは、確かプログラム内に変なロボが突入してみたいな、ちょっとイメージしにくいストーリー背景があった。
だが、それを忘れていてもそうでなくても、ちょっとその表現は出来ていなかったような気がする。
突然「海に沈む塔」が背景として登場するため、「最終ボスの、今までの楽しい思い出が回想されているのか」とか思ったくらいだったし。
ゲームはすごく面白かったけど。
一方いきなりだが、ミスター・VTRという超人も、確かリング環境を変化させてたはずだ。
しかも彼のは本当に変化させちゃってた気がする。
その点、ばっちりゆでたまごだった(注:ここでは、うまいことやりましたの意)。
話が最初に戻るが、海の幻覚を見せられたらどうするか。
僕は大声で「まださびない!!」って言おうかと思う。

手形その2

昨日からのつづき。
【あらすじ】
不謹慎でごめんと謝りつつ。
血の手形について。
?????
「現場のこんなところに血の手形があったら、それは何かを考えるよ」集
・目薬のふた
被害者の手形だとしたら、目薬よりも救急車と言いたいところ。
それか、目薬のふたと関連のある人物が犯人であるというメッセージだろう。
よくいるよな、目薬のふたと関連のある人物。
・卓球のラケットグリップ部
これで抵抗したのだろうか。
縦に振ると結構攻撃力があるだろう。
それとも、昔のスマッシュでも思い出したのだろうか。
・0点のテスト答案
これは誰もが納得だ。
隠したいもの筆頭である。
同率、エロ本。
・おはし
これはもう、混乱していたとしか思えない。
それか、やはりおはしと関連のある知人が犯人とのメッセージだ。
・バレーボール
トスしている場合ではない。
「あらやだ加藤さん、血出てるわよ」
余談だが、バボちゃんを思い出しました。
・はいていた靴下
風呂の前に、救急車だ。
・色紙
これはちょっと、悪意あると思う。
・折り鶴の羽部分
折り目をぴんとさすよりも、延命を。
それか、どう考えても折り鶴の羽部分と関連のある知人ご指名だ。
・炊飯器の保温ボタン
律儀である。
・ポテトチップスの「パーティー開け」部分
パーティーは中止だよ、たぶん。
・歯ブラシ
寝る前に、救急車だ。
・サロンパスの箱
待ってくれ それで止血は できないぞ
以上、すいませんでした。

手形その1

不謹慎であり、あくまで表層としてのイメージとして考えてもらいたいのだが、やはり「血の付いた手形」は争った相手の衣類であったり、ダイイングメッセージを書くための床であったり、違った観点としては心霊スポットのトンネルを抜けた後の白い車のボディであったり、まあそういったところに付いているべきものである。
たとえばゲーム機のリモコンにそれが付いていたとしたら、それ自体が何かしらのメッセージと考えるのが普通だ。
なぜなら、一般的に血が出ているということは緊急事態であり、そんな状態でゲームのセーブをこまめにとることは、気持ちが動転しているようでなければ、まず考えないことだろうから。
「は、犯人は、この俺のセーブデータを、勝手に進めたヤツだ・・・」
対して、特にメッセージもないのに、そこに手形があったとしたら。
それを知った人は憤りすら感じるかも知れない。
「血が出ているのにゲームを優先するとは何事だ」
「こいつ、そこまでして2面をクリアしたかったのか・・・」
などと言いつつ、selectボタンについた血の跡から、ゲームを2playerで開始していたことが判明、現場にはもう一人いたことがわかったりするのかも知れないが。
一方、類似したものとして「ホワイトボードにかかれた血のダイイングメッセージ」を考える。
これも相当に何か意味を考えさせるものだ。
なぜ床でないのか。
現場が、見渡す限りホワイトボードが隣立する草原か何かであれば、このメッセージは妥当かもしれない。
土は血を吸うし、指でなぞったとしても風で消されてしまうかもしれないからだ。
しかしこういった環境はそう多くない。
ダイイングメッセージは基本的に、みんなに見てもらいたいけど、犯人にだけはあんまし見られたくないという、なんとなくセクシーアイドルのような葛藤を持つ。
あとで確認にくるだろう犯人の裏をかくため、ホワイトボードへのメッセージ記載、そしてそれを裏返しにして見えないようにしておくとかは有効かも知れない。
最後になんとなくだが、僕はダイニングキッチンで殺害されたくなく、もちろんメッセージも残したくない。
まあ、殺害はされたくないし、したくもないが。
次回、不謹慎を恥じつつ、つづく。

のりつっこみ

「のりつっこみ」という言葉がずいぶんと一般的に使われている。
事実、これはもはやコミュニケーションのひとつとして会話の一部をなしているといっても過言ではない。
となると、我々が楽しみにしなければならないのは「次ののりつっこみ」のことである。
いつか現れる。
今日ののりつっこみと一線を画す、ひと味違ったのりつっこみが。
たとえばこんなのだ。
「のりつっこま」
別にことばあそびをしているのではない。
対象がまだ誕生していないことを考え、とりあえず名称だけでも、といった按配なのだ。
ということで、まだ見ぬ「のりつっこま」が我々を驚嘆させてくれる日も近い。
だがしかし、のりつっこみの次に現れてくるのは、これかもしれない。
「のりつっこむ」
別にことばあそびをしているのではない。
次世代ののりつっこみは複数存在しているだろうことを示したいのだ。
そしてそれは、明らかに内容が違う。
明らかに「のりつっこむ」は「のりつっこま」よりも猪突猛進な感じがする。
ここまでくれば、我々は何の罪悪感を抱くことなく、以下の存在を予見できる。
のりつっこめ
のりつっこも
それぞれが「のりつっこみ」の血を受け継ぐ精鋭であり、その点楽しみである。
だが、その楽しみは、長くは続かないに違いない。
そう遠くないころ、過去の遺物を排除するべく幾人もの「のりつっこまん」「のりつっこめん」が登場するだろうし、さらにその黒幕として「ノリツッコマンA」がいることは想像に難くなく、我々の新たなる楽しみを底なしにするのだろうから。

撮ってるらしい

小生ビビりなるもオカルト系が好きであり、ちょくちょく借りる。
スコーンでも食べながらDVDをだだ流れさし、ときどき「こえー」とか「そらひどいやろ」とか言うのが好きだ。
こないだの心霊系のやつは、冒頭のことが気になって仕方がなかった。
再生が始まって最初、いきなりこんな感じのことをいうのである。
「・・・現世に潜む恐怖を紹介します。まずは心霊写真。みなさんもいろいろ撮られると思いますが・・・」
驚きの発言である。
みんな撮ってんだ!!。
知らなかった。
世間では、みんな撮ってる認識であってるのだろうか。
あれ僕、ちゃんと撮ってたっけかな?。
探してみるか。
・・・
なんだ、猫とか風景ばかりじゃないか。
まあいいや。
とにかく僕も「いろいろ撮られて」なくちゃ。
・・・
お、これ。何か顔に見える。
あ、これなんて、はっきりだ!!。
と、こうした余計なことが、何かを生むことがあるかもしれないが、今回の場合は、生まれるのが生まれるものだから。

悪いやつ

怒れ。
社会に対して怒りののろしを上げろそしてあいさつを小声でしろ。
おろかなるは世界。
醜い文化そして公園にときどきある大量の犬の毛。
欲しいときに見つからないうちわ、その刹那、憤怒。
叫びは地の底へ届き、鬼たちはiPodのボリュームを上げる。
悪事の限りを尽くした王の、つややかな髪。
ミダルサスーン、ミダルサスーナー。
オンブバッタは引き剥がし、互いを反対方向へ投げろ。
事実は永遠に闇へ。
真理は天地にあらず。
あいつが笑っているのは、おまえがこの間、ポテコを指にはめようとしたことを知っているからだ。
許すな。
追え。
追って、ポテコの件について相談しろ。
人々はその、大いなる悪の誕生を、3食をきちんと食べることをもって祝す。
そのとき善人たちは、深夜の猫のけんかでなんとなく起こされるであろう。
追記
なんだこれ。

嘘つき村民への回答

人生のオチ探しをすることも、もうできなくなる。
この目的に全てを捧げてきたのだが。
それをまっとうすることなく病の床に臥した。
私を待っているのは、ただ目の前の死だけである。
そんな私を献身的な看病してくれた妻の見守る中、そのときを迎えようとしていた。
と、妻が急に私の耳元で囁き始めた。
「あなた、まだ声が聞こえる?」
かろうじて頷く。
「じゃあ言うわ。私、実はあなたのことがずっと嫌いだったの」
「実は籍も入れていないのよ」
「だからあなた、私にとってはずっと、どこかの向井の見知らぬ文二だったのよ」
「あ、ごめんなさい。間違えたわ」
「あなた、私にとってはずっと、どこかの向井さん宅の見知らぬ文二さん?、だったのよ」
私は最後の力を振り絞り、どうにか発するべき言葉を口にすることができた。
「愛してる」

同列

COFFEE & RESTAURANTとかかげてある飲食店を見つけ、少し気になった。
「コーヒーとレストランって、並べていいのか」ということである。
コーヒーと厚焼きトーストの店。
よい。
休憩所とレストラン。
なんかさみしいけど、よい。
しかし「コーヒーとレストラン」。
言いたいことはわかるけど、ちょっと種類が違うじゃん、と感じるのだ。
一般的に、単位の違うものは直接比較をしてはいけない。
「いってらっしゃいの音声量と、スプーンひとさじの愛情。どっちがアメリカンホーム自動車保険に近いか?」
僕なら自信満々で音声量のほうを挙げるが、ごめん。
たとえが最悪。
とにかく、コーヒーとレストランが同列というのが気になる。
他に似たものがないか、考えてみる。
「茶碗蒸しとまごころの店 いぬい」
いきなりだが、これは同じ並びで、同列でいいような気がする。
「茶碗蒸し」がかなりまごころっぽいから。
これが「重火器とまごころの店 いぬい」だと、どうこういう前にイリーガルっぽくて、またごめん。
まあ、少なくとも重火器とまごころは、種類以前に並べてはいけないだろう。
「夢を見る女と夢を諦めた男の町、東中野」
これは並べてもいいだろう。
同じだ。
「有機野菜と実力派講師陣がお届けする高品質な授業」
これは並べてはいけない。
売り文句のようだが、両方とも「売れて」いない。
読点を間違えると、何がお届けするのかされるのか、すら分からない。
「サイモンとガーファンクル」
これはまた別の問題が・・・。
「特製バームクーヘン & 羽田木工所」
これはほぼ「COFFEE & RESTAURANT」と同じだ。
え、だいぶ違うって?。
というか今回、いつも以上にわけがわからないって?。
はい。
僕も今回のは、5行目あたりから同意得られないなあと思っておりました。
以上、nimbus & 7942でした。

割引き

「二木の菓子」というお菓子屋さんというか、問屋さんがある。
何かのTVで、ずいぶん昔にやっていたCMを見た。
故・林家三平がやっていたものである。
それは確か、二木を連呼するスタイル。その後「二木の菓子」と続き、そして最後に「5割引もあるよ」と言うのだった。
僕はすぐに、この「5割引もあるよ」が気に入った。
とはいっても、それは目新しいものではない。
今でも5割引きの何かはある。
というか、今と昔で5割引きの概念が違ってしまっては一大事だ。
「あれ、昔の5割引きは、もっと5割引きだった気がする。」
程度、思考の差はあれど、そんなことはないのである。
さて、僕がこの「5割引もあるよ」に興味を持つに至った点としては、「なんだか文章に入れると面白そう」というのがある。
というか、これしかない。
以前、とにかく最後に付け加えると味が出るよという言葉を紹介したことがある(注)。
それと同じ感じだ。
何かやってみよう。
・省エネ・快適なエアコンで、夏を迎えよう!! (5割引もあるよ)
・父の日。何をあげるか決まったかな? (5割引もあるよ)
・ターミネーター4 (5割引もあるよ)
・われ思う。故にわれあり。 (5割引もあるよ)
・晴天を誉めるなら夕暮れを待て (5割引もあるよ)
・すぽると! (5割引もあるよ)
もちろん商業的なものでは、ああ販売価格が5割引なんだなということになるが、一歩間違えると何を5割引にしてんだ感が出て、面白い。
ああ、確かにターミネーター2もあったよな、夕方は生鮮食品が値下がりするよな、とかなる。
みんなも使ってみよう。
まあ今回は内容も5割引ってことで、どうもすいません。

いろいろ1
いろいろ2

田園風景

「1たす1は?」と聞かれれば、それはちゃんとした大人なら「2だよ」と答えて「田んぼの田だよー」という返しを受けるのが筋である。
しかし、その返しに「あちゃー」という顔をしながらも、気になってもらいたい点がある。
「なぜ「田んぼの」と、わざわざ指定してくるのか」である。
例えば、この「1たす1は?」という問題について、肩透かしを食らわせるのが目的とするならば、その解答に「田んぼの」はいらない。
「1たす1は?」
「2だよ」
「残念。田だよ」
となる。
ところが現実は、
「1たす1は?」
「2だよ」
「残念。田んぼの田だよ」
となる。
この付属品「田んぼの」。
今では形骸化してしまっているだろうが、本来の意図はおそらく問題提供者の保身からのものであると考えられる。
すなわち「1たす1は?」と質問した際、相手がまじめに考えた結果の「2だよ」に対する肩透かし「田だよ」は、時として問題提供者を傷つけることになる。
被験者の冷めた返事「は?」。
これを避けるための「田んぼの」なのである。
例えば「田んぼの」をつけない場合、以下のような展開となる可能性があるのだ。
「1たす1は?」
「2だよ」
「残念。田だよ」
「は?」
相手がまじめであるほど、数式1+1の解答をちゃんと考えるため、「その解答が数字の2ではなく漢字の田であること」が、つかめない。
彼にとって、1+1と田は、次元が違っているからだ。
彼の中では、2ではない理由を「タダヨ」と言われても、何言っているのか、分からない。
なんだタって、となる。
そういった背景から生じる「は?」なわけだが、この言葉(?)がいかに人を傷つけるのかは論じなくても誰もが知っている。
超傷つく。
これを知っているから、「田んぼの」というワンクッションを問題提供者は置く。
そうすれば被験者も、いかに数字に執着していたとしても「ああ、田んぼの。ね・・・。」と納得なのである。
となると当然被験者としては、そんなこと気にするなら、そもそもそんな問題を出してくるな!!、となるが、そこが問題提供者のかわいいとこ。
被験者としても「田んぼの」の意図をちゃんと理解したうえで「やられたー」感を出していきたいところだ。
ただ、今回の「田んぼの」はその意図を知らなくても、もう「田んぼの田だよ」という言葉がひとくくりにされているため、現在の問題提供者はこの点についてそれほど留意していない。
むしろ最近、彼らの悩みのタネになっていることは、以下のとおりであるそうだ。
「1たす1は?」
「は?」