神鳴り

なんだか綾瀬はるかの出ているCMは、ざんねんな感じのものが多い気がする。
これは関係ないが今、雷がすごくなっている。
僕は日ごろより「かみなりよりも火事のほうが怖い」と考えているため、個人的には「地震雷火事親父」ではなく「地震火事雷親父」であり、親父はもっとがんばってもらいたい。
ただ、今は雷こわい。
雷は、遠めで起きている分には、かなり派手な演出も幸いして、人気の自然イベントだろう。
誰しも稲妻が空をつんざくシーンに心躍らせた記憶があるだろう。
しかしそれが近いとなると、事態は変わる。
家のなかですら。
安全だとは思っていても、その轟音ともなう雨量に、思春期特有の行き場のない感情、声にならない叫び、そして恋。
まとめて不安みたいなものを感じずにはいられない。
ただ一方で、やっぱりイベントのような楽しみもあることにはあるのだ。
そういえば昔、そんな状況の中、サンボという猫が外出中であることが判明したことがある。
外は嵐なので、縁の下にでもいるだろうと考えられたが、それでも玄関で待ってはいないかと確認して回ったところ、ある小窓にへばりついている濡れ雑巾を発見した。
サンボはずぶぬれになりつつも家に入りたい一心で、濡れ雑巾になっていたのである。
濡れ雑巾を入れてあげると、彼女はニャーと鳴いてカルカンのある場所へ急いだ。
これを見るかぎり、猫にイベントは存在せず、人生の楽しみがひとつ少ないといえる。
さらに、いえねこにとっては地震も火事も親父にも楽しめる要素はない。
だいぶ損をしている。
そして、誰が何のために鳴らしているのかによっては、その損は少し被害の大きいものになるだろう。

ハーフタイム

スポーツにおけるハーフタイムというのは、何をする時間なのかを知らない。
何かで「適度な休息は次の作業を効率化させる」というのを見た。
それなのだろうか。
そのスポーツにおけるハーフタイム直前にて、昔誰かが発作を起こしてしまったのだろうか。
ちょっとは体休めろよということなのだろうか。
競技上、何かを準備する時間が必要なのだろうか。
全員集合だろうか。
そもそもハーフタイムに選手たちが何をやっているのか、よく知らない。
例えばサッカーでは、ハーフタイム中の選手たちの様子が見られただろうか。
わからない。
移動か。
確か陣地?が逆になるはずだから、その移動をしているのか。
そこらに転がっていたボールを蹴りながら移動していたら、おもしろい。
部活動っぽい。
ああ違うな。
ボールはほつれを直さなくちゃいけないだろうから、すぐ回収されてしまう。
やはり談笑しながらの移動になるはずだ。
ハーフタイムはチームの結束力もはぐくむ。
ところで「試合をしつつ、ハーフタイムもとれるスポーツ」というものもありそうだ。
野球、攻撃中はほとんどの人が休息しているように見える。
あれが野球におけるハーフタイムなのである。
休息するにはうってつけの時間だ。
だから
間違って打席中にヒットでもしようものなら、彼は塁に出つつも後悔する。
あー俺、この回はハーフタイム取れないわ。
ベンチ楽しそうだな。
チームを組むスポーツの割には、野球は孤高を生み出しやすいのかもしれない。

生クリーム

僕が女の子だったらエロくなるところだったよ!!。
生クリームをかけられてしまったとき、そう言おうと思っている。
それは関係ないが、何かデザート的なものを注文するチャンスを得たとき、少しだけ甘い生クリームのホイップがあるものかどうか。
それがポイントになることがある。
これだけで、ショートケーキの存在価値の高さがうかがえるというものだ。
最初に生クリームを食べたときの記憶は、ない。
しかし、そこそこ幼かっただろうそのときですら、口に含んだ生クリームに対して無感動のままでいられたとは考えにくい。
子供らしさを出すためのテクニックに「鼻の頭に生クリームついてる」があるように、それは子供のためのものである。
そして子供だったら必ず好きそうな味、感触なのである。
となると、生クリームが苦手な子供がいるとするなら、それは何かゆがんだ思想や健康法を押し付けられてしまったか、「誕生日ケーキに返り血が!!」みたいなトラウマを生じさせる事件があったりした子供である。
それは早急な矯正が必要であり、さもないと生クリーム白書な時期を逸することとなる。
もう、口のまわりにすごくシェービングクリームついてる
今の関係ないが、「誕生日ケーキに返り血」は、いやだ。
一番起きちゃいけないところで、起きちゃいけない事件が起きてしまっている気がする。
そんなのを見たら、もう白いものですら見たくなくなるんじゃないだろうか。
しかもいちご、みたいな。
ということで、子供がモンブランを所望していたら少し心配な気分になる。

天使のはね

「決定的瞬間」という言葉が使われたとき、それはおまえどんだけハードル上げてんのか分かってんのか、と言いたくなるくらいである。
ただ、上がる分くぐりやすくもなるわけで、その点よろしい。
先日、先を歩いていた女性の目の前に、いきなりさやえんどうが落ちてきたところを目撃した。
まわりにさやえんどうに関するものはなく、あるとすれば近隣マンションのベランダから落ちてきた、家庭菜園さやえんどうだろうか。
僕は女性の動向に釘付けとなった。
というのも、これは主観が入るのだが「さやえんどう」というのはだいぶ昔からそのゆるさが着目され、何かといじられてきた歴史を持つ。
それが目の前に落ちてきた。
さて、どうするんだい。
ある意志が介入してきたとしか思えないシチュエーションである。
さて、どうするんだい。
残念ながら、というか当然だが、女性は何事もなく、あるいは気づきもせず、歩いていってしまった。
回答のひとつである。
だから僕もそれにならい、気づかないふりをして、歩いていってしまった。

買い替え

「バーチャル笑っていいとも」が行われるとするなら、1回目ゲストはドラえもんか初音ミクじゃないかと思っている。
そして、製作会見で誰かが「タモさんの髪の雰囲気をCGで表現するのに苦労しました」とか言うのだ。
そんなんだったら、やめちまえVWI!!。
パソコンを買い換えようかと思っている。
なにやらOSを新しくしようかの流れになっており、そうなるとハード的に耐えられるのかなどを考えはじめると、もう買い換えるか、にたどりついてしまったのである。
しかし買い換え後の、データやら立ち上げやらのめんどうを考えると、どうしても躊躇してしまう。
醍醐味なのだ。
その、データやら立ち上げとやらは。
新しいパソコンを買う醍醐味としてのそれは、誰もがうなずく「包装をはがす」に匹敵することなんである。
実際やる状態になったならあんがい楽しめると思うのだが、それまでがなんだかめんどうだ。
そして発生するゴミだ。
パソコンを買うと、ダンボールが山積するのである。
そりゃあ、届いたパソコンを開けてみたら本体が粉砕。
これはかなり残念であり、その点ちゃんと保護してよね、はある。
ただ、とにかくゴミが大量に発生する。
途方にくれる。
そんな躊躇、心配があるため、購入したいが2ヶ月ほどは何もしないでいる。
この均衡を打破するには、パソコン小麦粉アタックくらいしかないかもしれないが、醍醐味のひとつを奪ってしまうことにもなりそう。
そんなんだったら、やめとくかPKA!!。

イモムシ

「イモムシハンドブック」
なかなかいい本を手に入れた。
それはコンパクトで、内ポケットなどに忍ばせておいても目立たなさそう。
写真と簡単な生態について記されたそれを所持していれば、いつ何時イモムシに関するあれこれが発生したとしても、不安にならないだろう。
名の如く、この本の主役はチョウやガの幼虫、いわゆるイモムシであって、成虫のほうは焦点を当てていない。
これは、なんかわからんイモムシを発見した際、ほとんどが成虫ばかりの写真である一般的な本よりも有効。
ただしその分、ずっとイモムシで、はしやすめがない。
イモムシが苦手な人は、ちょっとつらい。
とはいえ、僕もイモムシは得意じゃない、むしろ苦手だが、それでもなかなかかわいいじゃないか、と思うようなイモムシも数多く知ることができた。
そして一方、寄生バチに対する怒りのようなものも芽生えていることを感じ取ったが、まあ仕方ないかと勝手にクールダウンした。
あるポケモンが「ようちゅうちぎり」という技を覚えるんだったら、ぜったいそのポケモンは好きにならないだろう、というくらいの幼虫好きにはなれたが、そばには絶対にいてほしくないのは、ゆずれない。
イモムシだから。

ねこがでるでる

昨日から。
【あらすじ】
ねこを飼っている人に「ねこが出るぞ」と言ったら、あわてるかも。
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例えば、ねこを飼っている人のうちの玄関先で話しているとき、その人の背後を見ながら「あ、ねこねこねこねこ!!」と言ったら、もう確実に飼い主はあわてて後ろを振り向きつつ、玄関の開いている部分に自らの足をもって壁を作るだろう。
これは小型犬であってもそうだろうが、大型犬だと少し違う感じになる。
すなわち、大型犬は突進して玄関のすきまから外出を試みるのに、そのでかさゆえ、ねこや小型犬ほどの瞬発力は生み出しにくいのである。
一方、飼い主は、瞬発力こそないがパワフルに突進してきた場合、足くらいでそれが押さえられるとは思わないだろうから、おそらく玄関をいったん閉めるだろう。
「ねこが出る」という言葉が多少なりとも人をあわてさせるというのならば。
これらのことから分かるのは、その狼狽は主に「ねこが出るときのすばやさ」から生まれていると考えても良さそうだ。
かめならどうだろう。
実際に玄関先の廊下からかめが迫ってきていたとしても、飼い主へ「あ、かめかめかめかめ!!」と言うことで相手をあわてさせることはないのであって、むしろ「うちのかめをそんなに見たいのか」と勘違いすらさせてしまう。
かめはすばやくないのである。
ただ、さきほどの「出るときのすばやさが人をあわてさせる」とは、少しだけ気色の違うシーンもあることに気づいた。
「あ、さかなさかなさかなさかな!!」
熱帯魚を飼っている人に、同様にシチュエーションでそういってみたらどうだろう。
このときその人をあわてさせるのは、熱帯魚が外に飛んでいってしまうことではない。
その人は「さかなさかな・・・」を聞いたとき、おそらくこう考える。
なぜか水槽から飛び出してしまったらしい。それがぴちぴちはねて玄関先の廊下まで来たのだ。
早くしないと熱帯魚が死んでしまう。
死が飼い主をあわてるのである。
こういったシーンがあるとなると、やはりねこは外に出さない方がよい気もし、そして「ねこが出る」という言葉にそれはあわててしまうよね、の今回。

ねこがでる

ねこを飼う、多くのものにとって恐ろしいことと言ったら「ねこが出る」ことではないだろうか。
外出させまくる飼育方法ももちろんあるが、事故や周囲近所へのいたずらは怖い。
ねこは出さないことに越したことはないという意見は、そこそこ正解なのではないだろうか。
そうしたなかでの「ねこが出る」。
なかなかに暴力的で魅力がある言葉である。
我が家では、例えば窓を開けているものに「ねこが出るぞ」というと、あわてて後ろを振り向きつつ窓を閉める動作を一律して行う。
わかっているのだ。
ねこが出たときのめんどうくささが。
勝手に帰ってくる気もするのだが、なんだか心配なときは近所を出歩くことになる。
夜になっても帰ってこない場合は車や縁の下をライト片手に探すことになる。
見知らぬ人が自分のうちの車の下にライトをあて歩いていたら、いやでしょう。
実際、のぞきと間違われたことがある。
正直ライト片手にのぞきを行うのは、リスクが高すぎるし、なんだかアナグロ(まちがい)だ。
ただ、こちらの方が明らかに分は悪いため、「のぞきじゃありません。ねこです」と回答しどうにかその場を収めた。
とはいえ、周囲を不安にさせる行動なんて、いけないのだが。
ということで、「ねこ出る!!、ねこ出る!!」とか言われると、かなり焦る。
あわてて周囲を確認する。
またそれが、一見自分がそうなりそうなことをやっていないときに言われると、なおさらだ。
「ねこ」が何かの隠語で、自分の社会的容姿のどこかから、見えてはいけないものが見えそうになっているんじゃないかとすら思ってしまう。
ただ、今回の内容が、どれほど一般的なものなのかを問われると、少々困ってしまう。
ねこ飼い主に対して、唐突に「ねこが出るよ」と言ったことがないからである。
次回
何かいろいろ考える。

実家通い

子供ながらに思ってた。
「カブトムシの背中にある注射痕は何なんだろう」って。
お父さんに聞いてみたら、あれは標本にされるぎりぎりのところを抜け出してきた跡なんだよって。
笑って答えてくれた。
阪神タイガースが優勝した1985年。
僕が家族だと思っていたみんなが、実はユニットであることが分かった。
お父さんじゃなかった。
TO-SUNだった。
お母さんじゃなかった。
アトモスフィアK.Aだった。
弟じゃなかった。
ボブだった。
あのときは、だまされていたショックがひどかった。
カブトムシのことを思い出して、自分が標本にでもなったような気分だった。
だまされてみじめな姿を見られているようで。
確かに辛い時期もあった。
けど、今では仲間でよかったと思ってるんだ。
こうしてみんなも前で歌うことで、背中の傷も癒えたんだ。
じゃあ聞いてくれ、「おうちに帰ろう」。

生き方

なにやら「ロックバー」なるものが出現。
明かりのともったその店を、のぞき見したくなる。
僕は今のところ「ロックな生き方」はしていない、と思う。
そもそも「ロック」なるものをちゃんと把握しているかどうかもあやしく、さらには音楽全体のカテゴリわけが把握できるものなのかもよくわからない。
ゆえに、ロックらしき何かの、過剰過ぎるイメージばかりが印象にあるのかもしれない。
それにしてもその店から「無印商品で無難なものをそろえました」みたいな服装の人が出てきたときは、ちょっとだけ驚いた。
偏見なのだろうが、やはり革ジャンがよかった。
ひどく人の良さそうな顔だ。
これはどうすることもできないのかもしれないが「人の良さそうなロック」というものは想像しにくい。
「髪型に興味を持った幼児に、セットしたての髪を触らせてあげる」
これはロックじゃない。
お父さんだ。
いや、そういうことじゃないのだろう。
「いつもはいい人だが、金曜夜はロック」
いや、そうですらない。
「いつもはいい人で、金曜夜はロック」
このくらいだろう。
いいこととロックは相反しないのだ。
人の良さそうな彼がケータイを取り出す。
もちろん折らず、普段の会話だ。
彼はお酒を飲んでいるだろうから、それを踏まえて、大型アンプを仕込んでいないタクシーか何かで帰るのだろう。