プールサイドを走らない人

エスカレーターで僕の後ろにいた子供がもらす。
放尿ではない。
会話だ。
「今、どこのテレビもオリンピックばっかりだから。」
血は混じっていない。
ため息混じりだ。
やっぱりそうだ。
変わってない。
多くの子供たちにとってオリンピックとは、日頃やってるテレビ番組を軒並みつぶし、父親に、強固にチャンネル権を固執させ、同じような内容のニュースを闊歩させる、どうもつまらないものである。
ちょっと、言いすぎだろうか。
ただ、幼少よりそう思うことの多かった僕は、そんなイケズな考えが不幸にも現在進行形である。
確かに見ていて盛り上がるところがあるし、どんなすごいことをやるんだ、という気にもなる。
すごいぜ出場、と素直に感じる。
でも、各ニュースでわざわざ、冒頭に結果報告をせんでも、とも思う。
出場選手も、そんなに報告されては、ちょっといやなんではないだろうか。
どうも、オリンピックに対する力、特に視聴する力の入れ具合が、僕には足らないのである。
運動が苦手だから、あまりそういうのに近づかなかったせいかもしれない。
そんな気質のせいか。
どうでもいいところが気になる。
水泳の予選かなにか。
ダイナミックな泳ぎ方をする、各レーンの選手達。
とんでもなく速い。
でも、プールサイドの審査員らしい人が、そんな選手と並行している。
のんびり歩いているのだ。
それは、当たり前だ。
水中では、陸上で歩くくらいのスピードを出すことも、すごい大変な事なはず。
でも、わざわざ並行することはないと思うぞ、審査の人。
「すごく速く泳いでいるが、陸の人は歩いている」。
競技って、そういうことじゃないんだろうが、とにかく単純に歩く審査員が気になったの。
今回の内容をまとめると、僕は案外オリンピック番組を見ている、ということになる。
次回、なんとなく「オリンピックでこれやったら確実に怒られる」を挙げてみる予定。
昨今の流れ、性質上、だいぶゆるめです。

リオの回答

以前「注文したガトーショコラに添えられているミントの葉は、食べるべきか」というのを書いた。
ハーブの扱い
その後、店員さんに葉の処遇について聞いてみたところ、「飾りですから」との、ジオン軍整備士のような返答。
このコメントは「ステーキについているパセリ」や「さくら風味のケーキ上に乗せられている花びら」など、これまで多くの人々を悩ませ、あるいはネタとして使われたそいつらを、一言でさっぱり解決させる言葉。
「この葉は食べる対象なのか」かどうか、どうこうではなく、それより一歩前の事柄なのだよ、と教えてくれる。
ところで、実際に我々がこの問題に対し、「この葉は食べる対象なのか」ということだけに執着していたか、というとそうでもないと思われる。
消防車のサイレンがかすかに聞こえる。
どこか遠くで火事があったようだ。
そのくらいほんのりだが、どこかで「まぁ、飾りだよな。食べるどうこうじゃないよな」という思いがあったような気がする。
なぜならば、店員さんに聞いた「飾りですから」を、何の疑いが生じることもなく、納得できる自分がいるからである。
しかし、我々の幾人かはそれを無視あるいはうけながし「それにしてもコレ、食べるのかねぇ」と考え、質問し、ひとりでムフフしたりする。
どうやら、物事がおもしろくなりそうな方を選択してしまう構造を持つ人間が、この世には少なからずいるようだ。
それは一見、自然の摂理に反するやっかいな性質。
しかし、それでおもろいことになれば、それはそれでOKな場面も多く、文明社会において、それに多態性を持たせる一種のスパイスになっていると、言えなくもない。
脅威のメカニズムである。

ゆかた2

祭への心の準備ができていない人間にとって、浴衣を着た女性が駅にいることは「どこかで祭か花火大会が行われる」可能性があることを思わせ、それは困ったことである。
すなわち「祭がある」→「駅混む」ということであり、それは「駅混む」→「夜のコミケ体験」となり、大変なのである。
さきほど、駅でずいぶん多くの浴衣美人が魚の目をして歩いているのを見かけた。
こうもタイプしているが、僕の頭には「今日は祭、ありませんように」でいっぱいなのである。
それにしても、毎年浴衣について書いている気がするが、それはただ浴衣を見かけたからなので、それは短絡的と言わざるを得ないなぁ。

ハンバーグ

さっき、ファミレスでハンバーグを食べてきた。
僕はどうしてもチーズの乗ったものが欲しかったが、そういうのはメニューになく、そのため、デミグラスソースのかかったものを注文した。
ところで、この「デミグラス」という言葉は、どんな意味なのだろうか。
真っ先に思いつくのが「濃厚な」と「ウルトラマンと敵対する怪物名」だ。
事実、彼は前面に濃厚さとその言葉の凶暴さを、押し出している雰囲気がする。
さて、上記3行は忘れていただき、今回は「ハンバーグの目指すもの」である。
フォークにさしたハンバーグ一切れに、ナイフを使って懸命にデミグラスを乗せていたとき、なんとなく思った。
「ハンバーグの目指すところは、一体なんなのだろう」と。
例えば肉界で、ハンバーグと双璧をなす料理、ステーキはどうだろう。
僕が思うに「ステーキの目指すところ」は「やわらかさ」である。
ステーキのナイス要素としてはその他「肉汁」「霜降り」などがあると思うが、それらも、まとめてみると「やわらかさ」になる。
肉をかみしめたところで「何これ、牛脂を練りこんだ脱脂綿?」というくらいに肉汁が出たとしても、それを噛み切るのに苦労するようでは、それは「ステーキの目指すところ」ではない。
一方、そのステーキが、噛み砕くほどに唾液を奪っていくような、バームクーヘンのようなものだったとしても、そのやわらかさが「感動をおぼえるもの」であった場合、それはステーキとして頂にあるのだ。
そんななか、ハンバーグの目指すところ、である。
やわらかさだろうか。
・・・いや、ハンバーグはひき肉の集まりだ。
もちろん硬いハンバーグは悲しいが、ハンバーグにとってやわらかさはその材料ゆえ、どうやってもある程度維持できる料理であると思う。
それが目指すところ、とは考えにくい。
ハンバーグである以上、その時点でやわらかさは十分にクリアされている、と思われるのだ。
となると肉汁である。
やはり、テレビなどで見られる「ハンバーグを割ったときの、あふれ出る肉汁」の映像は、膿んだ傷口から膿があふれ出るのと同じくらいのインパクトを持つ。
やわらかさのステーキ。
肉汁のハンバーグ。
どうやら、そういうことなのである。
ということで、ぜひハンバーグには、これからも肉汁を出しまくってもらいたい。
ちなみに、さきほどのハンバーグは、まだまだでした。

再会

このあいだ、久しぶりな人たちと久しぶりに飲み会が行われた。
僕が、大きな古時計のように動かず、夏のように何も言えなかった飲み会である。
さてその帰り際、「nimbusさんのまっくろくろすけのモノマネが云々」と言われた。
そう、僕はとなりのトトロに登場するウニ様のキャラ「まっくろくろすけ=すすわたり」のモノマネを披露し、幾人かの目をつぶしたことがある。
彼女は、それを覚えていてくれたのだ。
しかし僕は困惑した。
その日、彼女との初めての会話がそんなだったので、もはや「nimbus=まっくろくろすけのモノマネ」であることは疑う余地がない。
僕はまっくろくろすけであり、まっくろくろすけは「わーにゃ」と言うこと、すすであること、空を飛ぶことくらいしか知られていない。
残念ながら僕はすすではなく、空も飛べないので、またしてもモノマネをせねばならないのか、と困ってしまったのである。
もちろん、路上で披露するシロモノではない。
内容もひどいが、何よりもモノマネ中、僕はバナナマンの、ゾウのひざこぞうみたいな方の感じになってしまうのだ。
ということで、彼女には申し訳なかったが、僕はモノマネをすることもなく「そんな時代もあったね」と、そのとき話した。
自らのアイデンティティを放棄したわけだ。
そして「1ヶ月に1度くらいの頻度で「となりのトトロ」を放送すれば、日本の犯罪率は低下するのではないだろうか」という持論をといた。

マイル

致命的に唐突で申し訳ないのだが、やはりマイルだ。
あの、貯まるヤツではなく、本来「距離」でしか使われないマイル。
それは、使い方によっては単なる距離、以上の意味を持つもの。
見てみよう。
◆歯医者まで5マイルあるよ。
明確である。
「5マイルもあるよ??。行くのやめようよ?。」である。
この印象は、単に「1マイルが結局、何kmに相当するのか、よくわからん」がゆえの遠さイメージもあるが、それに加えて
「わざわざkmで言えばいいところをマイルに言い直す」ことにより、
「その距離に対してどのような感情を持っているのか」を含ませた効果、であると言える。
◆「次の駅まで、何マイル?」
明確である。
「もうあるけなーい。荷物おもーい」である。
キロメートルをマイルと言った彼女は、キロメートル以上に歩けなくなっており、ハンドバッグも重い。
上記のように、たいていの場合、マイル置換は負の感情を伴う際に使用されるが、そうでない感じのものもある。
浅田次郎「天国までの百マイル」は明らかに「100マイル、遠いなー。でも、がんばるよ。助け合うし。椿山課長と会うし(注:会いません)。赤川次郎と間違われるし。」みたいなものを含んでいる。
これが「天国までの1609km」だと、「なんだおい車でぎりぎり行けそうだな、夏休み中に行っとくかヘブン」となったり、「天国にいちばん近い島って、なんだっけ」とかなり、赤川次郎もざんねんだ。
と、このように、マイルは距離以外の要素を持つ。
ドラマ、小説などでよくキロメートルではなくマイルが使われるが、これは特にメートルに対するあてつけではないのだ。
僕も、ちとハズいが、使っていこうと思う。
「なぁ、「ラストファイナルソルジャーの恋」っていう映画、絶対面白いから、いこうぜ?」
「えっ、でも、ここから映画館まで、結構なマイルありますよ?」

長ぐつの勝因 その4

昨日からのつづき。
【あらすじ】
巷における「釣り針に長ぐつ」な理由。
理由1
「長ぐつ」は、釣り場で、釣れてもよいギリギリのラインである。
理由2
「長ぐつ」は、いい形をしている。
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本当は理由3もありましたが、思いのほか本テーマにて長くなってだれましたので、今回の「これが釣れれば、長ぐつに引けを取らない映えっぷりだ」でなんとなく終わります。
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【これが釣れれば、長ぐつに引けを取らない映えっぷりだぜおっかさん】
◆スマート編
1.女子のスカートすそ
非常にわかりやすい事例。
逆に、スカートのすそを釣られたことのない女の子なんているの?、くらい思う。
2.ジョッキ
手で持つところがひっかかります。
「海と乾杯」という、やっかいなコピーもご一緒に。
3.ストッキング
びろんびろんである。
4.隣でリリースされたばかりの魚
どれだけ栄養を得ようとしているのか、君は。
5.入れ歯
ありがちだが、よく考えると、思いのほか多くのドラマが期待できそうではないだろうか。
◆ひねくれ編
1.おぼれていた人
おぼれている人の近くで釣り糸を垂らす勇気と、そんなことをやったからには必ず助けろよ!という重圧を跳ね除ける意志の持ち主のみが成し遂げる、人命救助。
2.舞城王太郎の話に出てきそうな女子高生
そのまんまですね。
3.釣りえさが2匹に増えていた
釣りえさのことを言及しない僕の姿勢、けっこういいと思います。
4.まちばり
釣り選手権で、そのテクを拝ませてもらいたいものだ。
5.10年前になくしたと思っていた結婚指輪
ラストに持ってくるほどのものではないね。
やはり雪之丞、女子率が高くなってしまった。
しょうがないよ、夏休みだし。
長ぐつの勝因、終わり。

長ぐつの勝因 その3

昨日からつづいている。
昨日からつづいている。
【あらすじ】
なぜ、「釣り針に長ぐつ」がナウなのか。
理由1
「長ぐつ」は、釣り場で、釣れてもよいギリギリのラインである。
今日は理由2。
============
考えてみた。
2.「長ぐつ」は、いい形をしている。
長ぐつの形を思い浮かべてみよう。
単なる円筒形ではなく、ぴよっと曲がっています。
そのちょっとしたアクセントが、全体の形を引き立たせているのです。
そして、「長ぐつを釣り上げてしまった人のシルエット」を頭の中に思い描いてみましょう。
ちょうど、夕日を背景にした感じで。
どうでしょう。
彼は、何かのゴミでも、藻でもなく、ばっちり長ぐつを釣ってしまっているのではないでしょうか。
このように、長ぐつの形は他のものと間違うものではありません。
したがって、書きやすいし、わかりやすい。
また、もうひとつ、その形状で長ぐつは、他の多くのものより「釣ったらナイス」です。
それは、「何か入る」という点。
残念なことに、今まで僕は長ぐつを釣ったことがありませんので今、頭の中でシミュレートしてみます。
うーん。
プルルルル。
頭の中の僕は、釣り上げた長ぐつを、逆さにしました。
海水が流れ出ています。
プルルルル。
このように、釣り上げられた長ぐつには「ギリギリ、魚が中に入ってんじゃねーか」と人に思わせる効果があります。
人は、その可能性が皆無であるにもかかわらず、長ぐつを逆さにしてしまうのです。
さらに、そこまで考えずとも、長ぐつに入っている海水を見るだけでも、ちょっとナイスだと思います。
「何、入ってんだよ水。」
こんな感じ。
そんなこんなで、やっぱり釣ってよし、履いてよし、水たまりよしの長ぐつなのでした。
・・・だいぶずれてきたが、まだつづく。

長ぐつの勝因 その2

昨日からにつづき。
からに。
【あらすじ】
釣り針に何がひっかかっていたらナイスか。
空き缶、帽子(カツラ)、藻など。
話が尽くことはない。
しかし、なんといってもローマに通ずる最短距離は「長ぐつ」ではないだろうか。
事実、漫画などでは、よく長ぐつが釣られている。
なぜ、長ぐつなんだ・・・。
============
考えてみた。
1.「長ぐつ」は、釣れてもよいギリギリのラインである。
先日、釣れモノの例として「ゆたんぽ」を取り上げた。
なるほど、大きさといい、金属製のものであればその光沢といい、なんとなく釣り糸の先についていてもおかしくはなさそうだ。
しかし、いかんせん破天荒すぎるのだ。
その点、長ぐつは釣り人が使用していそうだし、それが流されてしまうこともあるだろう。
かといって、そんな頻繁に「ビーチに流れ着く長ぐつ」を拝むことはない。
その、可能性ギリギリラインの稜線が美しく、オモシロとして好まれるのだと考えられる。
ちなみに、ゆたんぽを釣り上げるときの、最も一般的に映える流れは
・日曜午後3時くらいからやっているバラエティー番組

・インドネシア沖

・何か釣らないと、別行動で材料を探しているチームと同調できない

・アタリ!!

・強いひき

・「あ、何か光った!!」

・ゆたんぽ
です。
長くなったので次回。

長ぐつの勝因 その1

長ぐつを釣ったとき。
それをどう思ったかで、変わったのである。
結論から言うと、「おいしい」と思ったヤツがいた。
※世界的に有名な釣り大会にて長ぐつが釣られたことがあった、とかいう出来事はないと思う。
※イタリア半島を長ぐつに見立て、何か風刺的な意味で「長ぐつ釣った漫画」が出回った、という出来事もないと思う。
だから「長ぐつを釣るイメージ」は現在、単に「釣りに行ったけど、何も釣れませんでした」ということだけでなく「何も釣れないし。それどころか、これだもの。もう、困っちゃうよネ」的な要素を持つ共通意識として、全国にいきわたっているのである。
※外国はどうなんだろう?。
ソイツは「おいしい」と思ったがゆえに、言いまわった。
「こないだ釣りに行ったんだけれど、何もつれなくて。でも、長ぐつが釣れたんだよ。えへへ。」
ここで、彼が出現もしくは長ぐつを釣る前に、「ゆたんぽを釣ってしまい、それがおいしいと思ったヤツ」がいたら、どうだったろう。
彼は飲み屋でこういうだろう。
「こないだ釣りに行ったんだけれど、何もつれなくて。でも、ゆたんぽが釣れたんだよ。えへへ。」
しかし現在、釣り上げてオイシイものといえば、長ぐつである。
いち早く釣り上げられて、よかったな、長ぐつ。
しかし、この「長ぐつの勝因」。
ただ「おいしい」と思ったやつが他のより早く発生した、だけではないと思う。
つづく。