保存食

やはり保存食というので良くないコピーというのは、これに決まりだろう。
「鮮度一番」
たとえば水に戻すだけで食べられる刺身が開発されたとする。
するとどうだ。
水だけでOK!!
3年保存可能 お刺身「不死魚」
鮮度一番!!
こうスーパーや東急ハンズの店先に並んでしまうのである。
別に保存食としてお刺身が開発されたり、「不死鳥」になぞらえた品名が付いたりしても問題はない。
だが、やはり「鮮度一番」は少し嘘過ぎるでしょう?。
達筆過ぎるでしょう?。
そんな気がする。
しかも、ここでちゃんとJAROや公正取引委員会に報告しておかないと、保存食業界はこうしてくる。
「シーラカンスもびっくり魚うてん!!」
これではやばいので、まずJAROに報告しておくと、たぶんこのくらいになる。
「シーラカンスもびっくり!!」
さらに公正取引委員会にも報告しておくと、このくらいマイルドになるだろう。
「弊社社員平井が3年たったものを食べましたが、大丈夫でした!!」
そして結果的にはおそらく「平井監修」で収まるのではないか。
そんな気が、ほんとにするね。

太る

うちには猫が大量にいるのだが、だいたいが太っていて困る。
腹がたるんでいる雑種もいれば、なんか体がパンパンになったマンチカンもいる。
体がパンパンになったマンチカンは、もう歩いているハムみたいなもので、「保存食」という言葉がぴったりだ。
どちらにせよ、痩せさせなければ。
僕はなぞなぞが好きで、小さい頃にはよく本なんかを見ていた。
今となっては古典的だが、僕が感心したものの中に、こんなものがある。
「トイレを使うと痩せてしまうものは?」
正解はトイレットペーパーなのだが、確かにそうだ。
どんどん使われてしまうから痩せるばかりだ。
僕はその消費の仕組みを深く考えさせられた気がした。
となると気になるのが「トイレを使うと太るものは?」というもので、一体なんだろう。
強いて言えば「健康管理のため、トイレのたびに記録している排便、排尿量記録帳」だろうか。
そしてさらに気になるのが「トイレットペーパーが太るとき」で、これもありうるのだろうか。
強いて言えば「芯にあたりはずれが書いているメーカーのもので、あたりはずれを確認したので巻き戻そうとしたら、周りの他のトイレットペーパーも巻き込みつつ巻き戻した」だろうか。
だろうか、ってのも何なんですけど。

属性

「属性」というも、なかなか便利な言葉になってきた。
以前はせいぜいコンピュータ分野や「雷属性」などのゲームでの敵の情報でしかなかったことがほとんどだった。
しかし、「妹属性」というものが誕生した事により、属性は「人の嗜好」という広大な境地を開拓。
合間合間に「属性」を用いるだけでなんとなく分かった風の会話になるというのは知られたところである。
A「ちょっとマヨネーズとって」
B「それにマヨネーズ付けるの?太るよ」
このとき、CはAのマヨネーズ属性やデブ属性、Bの小言属性や老婆心属性を煽ればいいのである。
そしてDがCの造語属性を指摘し、Eが一番先に食事を済ませる。
いやあ、会話がはずむというのは、いいものですな!!

戦車

先日、必要があって「ガールズアンドパンツァー」のプラモデルを調べていた。
これは、男の子の好きな戦車と女子の組み合わせという、素晴らしい属性を備えたアニメである。
「ガールズアンドパンツァーズ」でないところを見ると、もしかしたら戦車はちゃんと全員に供給されていないのではないかと少し心配になるが、とにかく面白いだろう。
プラモデルの箱にも女子が描かれていた。
ただ、僕も大人になったのだろう。
以前だったら、この組み合わせのところは、こうの方が素晴らしいと思っていたはずだ。
「戦車とロボ」
男の子の好きな戦車とロボの組み合わせ。
まあトランスフォーマーなのだが。
もっと以前になると「戦車と巨人」とか「戦車と大鵬」、「戦車と卵焼き」とかになっていただろう。
戦車を中心に、巨人軍がポーズをとっているのだろう。
あるいは大鵬が戦車に対しててっぽうを行っているだろう。
どちらにせよ、野球と戦車と大鵬、どちらも「大砲」という言葉に共通点が見出され、大変良い。
また、「戦車と卵焼き」は何か海軍カレー的なものを彷彿とさせる。
もうさっきから、「陸軍卵焼き」のB級グルメ大会参加時のコラージュ写真が頭をよぎって仕方がない。
ほんと、仕方がない。

台所

吉田戦車の漫画に、「サンキュー」の誤った使用方法というものがあった。
確か轢かれそうになった子供を助けた青年に対し、親子で「サンキュー」と返す、というもの。
もちろんクセノフォビアを暗喩しているなどではなく、しかし少しだけ違和感。
「そこは緊急だったんだから、母国語出るものでしょう?」
そういうのがポイントの内容だ、と勝手に思っている。
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【妖怪 濡れかまど】
濡れかまどは新潟県の朱木地方で見られたという妖怪で、主に夜中、キッチンに現れる。
外見はほとんど和服の女性そのものだが、両手と裾が絶えず濡れていて、なぜか床の四隅と中央部分だけをびちゃびちゃに濡らす。
洗い物などを片付けず、そのままにしておくのを戒める存在と考えられている。
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とりあえず妖怪を新規に考えてみた。
ついでに新潟県にも新しい地方を追加してみた。
ともかく、ここはやはり「キッチン」ではなく「台所」と言った方がいいのではないか。
そう思われる事だろう。
それは全くその通りで、ここでもし「キッチン」と書かなければならない理由があるのだとしたら、それは「昔だけでなく、今も濡れかまどは存在している」ことを示すため。
何となく怪談話で、最後に「それはお前だ!!」で終了するような、ちょっとやらしい事情があるときだろう。
いやだねえ、事情。
また、こちらはかなり理由としては十分かも知れない。
「そもそも濡れかまどが外国にもいる」。
むしろ「濡れかまどの本場がアメリカだ」という場合でも、「キッチン」と書く理由には十分ではある。
ただ、こちらの場合は、調子に乗るとまずい。
何でも外国シフトしては、まずい。
【妖怪 濡れIH】
これでは、たいがいの家庭の夕食時に出現していることになり、しかもさっと一拭きでいなくなる妖怪になってしまう。
妖怪は、ばい菌みたいなものなのだろうか。

天下の0.9LDK

昨日のブログで「天下の台所、大坂」のことを取り上げ、そのなかで「天下の0.9LDK」という旨の記載をした。
もちろんその必要性は「台所」がポイントなのだが、一方で「LとD」の部分はどう考えればいいのか。
ふと足を止め、ガラスに映る自分の姿に、ああ歳をだいぶとってきたなとため息をついてしまった。
僕はほとんど大阪に行った事がないため、街の雰囲気から「LとD」を考える事はできない。
「道頓堀付近は俺のリビングだ」
おそらく「よく知っている場所だ」「庭みたいなものだ」なのだろうが、せっかく大阪なのだから、以下のほうがいいだろう。
「道頓堀付近は俺のダイニングだ」
大阪は美味しいものが多いため、これならある程度「よく知っている場所だ」が失われない。
一方で「外食が多いです」と聞こえなくもないが。
そもそも「天下の台所」を「0.9LDK」にする必要もなかった。
「0.9K」でも問題ないはずなのだ。
しかしいきなり「0.9K」だと、よくある「LDK表記」のことなのかどうか、分かりづらいと思った。
「K」を野球の三振やストライクのことであると勘違いされると「0.9K」とは、これまたどう考えればいいのか。
「9割はアウトだが、1割の確率でセーフとなる」
なんだこのサービス精神は。
一方、同じ内容なのだが、こちらはかなり疑問の生じさせない、明快な表記となる。
「野茂英雄 ドクター0.9K」
90%は三振を奪う、脅威のドクター誕生である。

おでん

味がしみ込んでいようが、まっしろであろうが、僕は非常にはんぺんを好む人間なので、おでんの中にはんぺんがないときはかなり悲しい。
先日、関西の人から聞いた「はんぺんというものを最近初めて見た」という事実は、僕の関西の印象を著しく低いものにした。
「関西の人、ちょっとはんぺんがないのはまずいんじゃない?」
何がまずいのかというと、せっかくたこ焼きなどのおいしいものがある「天下の台所」であるわけだから、そこがはんぺんを逃しているのだとしたら、「天下大部分の台所」とか「天下90%の台所」、「天下の0.9LDK」などと記さなければならない。
そこがまずい。
ちなみに僕は「天下の台所、大坂」はもうさすがに「天下の台所、大阪」でいいんじゃないかと思っている派である。
ともかく、はんぺんがないのは悲しい。
ただ、これもそうサンプル数がない意見であるから、関西で全くはんぺんがない、ということではないだろう。
僕からしてみればはんぺんはかなりうまいから、その知人のところでもそれがなかったとは考えにくい。
おそらくだが、「はーぺん」など少し違った呼び方だけされていて、実際はあったのだと思う。
ということで、僕の中でのおでんの最たるものは、「ふたを開けたらはんぺんが膨れて表面を覆っている」ものである。
そして具がちくわぶばかりだったら、申し分ない。
どうも、味がしみ込まない食材が好きなのである。

体温計

ちょっと体調が悪かった。
喉がすごく痛かったり、ぼーっとしたり、全然変換決定しようと思ってなかったところでエンターキーを押してしまったり。
とりあえずかぜ薬飲んで寝ようとしたら、その夜中に自分の熱で目が覚めた。
自分の熱で目覚めるとは色気もへったくれもなく、いろいろと傾向が良くない。
熱っぽいので体温計を探すが、見当たらない。
発見しても電池切れだったりする。
以前、飼い猫の体温を測るために使用していた体温計は、と探しはじめと同時に躊躇する。
確かあれは、猫のお尻に突っ込んでいたものだ。
時に人の脇、口内、時に猫のお尻など、体温計というものは肉圧され続けるものなのだなあと考えた訳ではないが、なんとなくあれはいやだ。
かろうじて発見できたのが水銀を用いたアナログなもので、測ってみると39度もあり、これは目覚めてしかたないなとため息をついた。
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水銀の体温計で体温計が割れてしまうシチュエーション考察
①保健室で片思いの子が隣にいることに気づいた時
②口にくわえて計測中におでんのたまごなどを強制的に食わされる
③気圧がすごく低い場所での計測
④炎の魔人的なものが体温計を爪楊枝がわりにしようと持った時
⑤体温計の彼女が悪者に誘拐され、「昔のマンガみたく体温計がリミット限界で割れるシーンを見せてくれたら温度計ちゃんを返してやる」と言われた時
⑥ずっと液体窒素の中に入られたのち、いきなり人の脇に挟めたため、速度の加減がわからなかった時
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頭痛もひどいので、とても寝られたものではない。
汗もかくくらい熱いが、一方で寒くもある。
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デジタル体温計で表示部分が壊れてしまうシチュエーション考察
(※体温計最大計測値を42度とした場合)
①保健室で片思いの子が隣にいることに気づいたため、体温計なりの演出として表示部分に「ハート」を表示しようとがんばった時
②外気温が43度
③説明書に載っているやってはいけない事をだいたいやった時
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まあ、薬飲んだら良くなったんでいいんですけど。
最後に、デジタル体温計を首に刺して相手を殺す、必殺仕事人みたいなことを考えた時、相手が死ぬと同時に「ピピピ」と鳴ると面白いと思いました。

石油

タンクローリーの後ろを走ることに一家言ある人が多い事に、少し驚いている。
知り合いが「タンクローリーの後ろを走ると気持ち悪い」と口にした時、何が気持ち悪いのか、全く想像つかなかった。
しかし聞いてみると何の事はない。
鏡面のように光を反射するそのボディに、自分の車が映るのが、何かしら錯覚を見ているような気分になるということなのだ。
確かに、タンクローリー車のいくつかは、どうしたんだと思うくらいテッカテカである。
石油だかガスだかを運ぶから、温度変化を抑止したいのだろうか。
しかし幾人かは、その構造にときめきを感じるようだ。
「テッカテカだなー」くらいしか感想がなかったのだが、気にしてみるとなかなか面白い。
おそらく、あのテッカテカと曲線。
昔の体温計が割れたときに見た、水銀を思い出した。
あるいは青空を映し出した水たまり。
はぐれメタル。
いずれもその意外性、幼い日の思い出や経験値と、何かしらときめきを産み出すには十分だ。
だが、冒頭の知人の件もあるように、ときめかない人もいる。
彼はなぜ気持ち悪いのかというと、「吸い込まれるような気がして気持ち悪い」ということだ。
水銀が産出できた鉱山では、水銀が地下水のように壁面を流れていたと聞く。
暗かったと勝手に考えるが、そこに流れる光沢ある液体。
あるいは昔から水銀は不老不死の薬として扱われた時代がある。
あくまで推測だが、おそらく権力者は今のウイダーinゼリーくらい、がぶがぶ飲んでいたはずだ。
それで命を落とした権力者の話も多い。
どちらにせよ、いい気のしない話である。
そして申し訳ないのだが、もう眠いので以下の話は省略する。
・底の見えない、濁った水たまりに飛びいるときの緊張感について
・はぐれメタルを服用したときの経験値の考え方について
・水たまりへ飛び込むこと、はぐれメタルを服用するという2点と知人の「吸い込まれる」という感覚の、言葉の共通点について
・水銀は180kcalなのかどうかについて
・ウイダーinゼリーのパッケージが銀色から変化しない点について
いやーいま省略した部分が、結構面白くなる予定だったんですけどね。

ボーリング

ボーリングが苦手だ、という人の話は多い。
まず、機材をそろえるのがたいへん。
そして規模が分からない。
目的も分からない。
調査目的なのか、石油なのか。
よし!!。
ということでよく言われるのが「仲間ときゃっきゃ」の部分だ。
一投してストライクなんか取った日には、戻り際にハイタッチ。
あれが困るというのだ。
確かに、ボーリングは明確な競争相手がいない場合も多い。
そんな中、チーム内で盛り上がるしかないのである。
ただ、この「仲間ときゃっきゃ」が苦手という話は、少々聞かされすぎている気がする。
苦手なのは分かる。
しかし、人間関係というものは案外、どんな人であれ苦手な部分があると思う。
「三度のメシよりコミュニケーションが好きでね」
そんな人はあまりいない。
もしいたとしても、上記のフレーズは信用できないし、何か卑猥な感じすらする。
ちょっと冒頭の方の「ボーリング」を持ち出してもいいかもしれない。
ともかく、実は人々が思っている以上に「仲間ときゃっきゃ」は、つらいのである。
そんななのだから、「仲間ときゃっきゃ」が苦手というのはもう「自分は人間です」みたいなものだ。
人間の、共通部分だ。
「自分は人間です」
「自分は呼吸をして生きています」
「自分は球をおもいっきし曲げて投げる人の、投げ終わったときの姿勢に興味があります」
「自分は拍手を、音量を重視して少し角度を付けて手のひらで音を出すようにします」
「自分はスイートポテトはもう少しカロリーが低ければな、と思います」