ちょっとそこまで。38

産山の村役場で待つこと10分くらい。
顔も覚えていなかったが、なぜか目の前を通る車がおじさんのものだとわかった。
阿蘇のおじさんはかなり阿蘇のおじさんで、元気そうだ。
交わす言葉もそこそこに、お家にお邪魔することにし、車で後をつけていった。
ここ産山は村役場を中心にそこそこは住宅が多いが、少しはずれると、山の隙間いっぱいに田んぼを作りました、という感じの風景になる。
おじさんの家に電話するまでの20分くらい、歩行者がおじさんじゃないかというチェックと散策をかねてうろうろしてみたのだが、おしゃれそうなカフェなどもあり、なんだか昔と違うなという印象。
僕は初めて阿蘇のおじさんを訪ねたときのことを思い出した。
おじさん、おばさん、僕の誰一人思い出せなかったのだが、何らかの方法で僕はおじさんの家にやってきたのだ。
その理由はひとつ。
タガメがたくさんいるというおじさんの話を聞いたからだ。
タガメというのは先日も触れてしまったが水生昆虫の一種で、攻撃的なフォルムが子供ウケし、独特な香りがアジアンの食欲を促す。
水のきれいな所にしかいないという触れ込みもまんざら嘘ではなく、僕は見たことがなかった。
そ、それがたくさんいるの!!。
今でも覚えているが、阿蘇に行くまで、僕は昆虫図鑑にどの水生昆虫を何ペア捕まえるかというらくがきをしまくったのだった。
だから阿蘇のおじさんの家に着いたときの「タガメはいないね」という台詞は、おじさんに殺意を抱かせるに十分だった。
殺害に至らなかった理由は、僕が殺意というものを殺意と認識することができなかったからだろう。
「何かアツいものがこみ上げてくるが、それが何かわからないので、特に何もしない」
今考えると、けなげ(?)だ。
そして何より、帰るまでの2日間はすごく楽しかったんである。

ちょっとそこまで。37

上り下りのスパンが広くなってきた。
より上って、より下って。
周りにトラックの比率が多くなり、そして車両自体は少なくなり始める。
周りの風景が「このへん、山と山の間あたりになります」と告げたとき、ナビが漠然と示す「産山地方」に到着した。
地図は広大で、しるしに欠ける土地を表示しているが、ナビは自信満々に「目的地にたどり着きました」。
「阿蘇のおじさん」に対するサプライズ訪問がここに来た目的だが、その居場所が分からないとなると、それは一体何なのだろうか。
「サプライズ何か」
それは知らないところではいつも何かサプライズが起きているということであり、いわゆる日々だ。
そう考えると、日常はかなりうかうかしてはいけないことになる。
後日おじさんに「サプライズ何かがあったんだよ」を伝えるのもいいが、正直おじさんの顔すら思い出せないので、そりゃあ会うべきである。
極秘に入手した電話番号で問い合わせる。
阿蘇のおじさんのうちには、3回くらい来たことがある。
しかし子供の頃であったため、漫然としか思い出せない。
「田んぼが両サイドにある道の、突き当たり」
これだけなのだが、案外僕は、おじさん自宅周辺にたどり着いたらそれを見つけられる自信のようなものがあった。
しかしわからない。
周辺なのかもわからない。
電話に出てくれたおばさんは驚いていたものの、おじさんを迎えに出してくれるという。
阿蘇での出来事が「阿蘇を通りました」よりも上質になることが確定した瞬間である。

ちょっとそこまで。36

2時間ほどかけて、熊本駅周辺にたどりついた。
しかしそのまま突き進む。
ナビは阿蘇を指している。
昨日までとは変わり、なんだか冴えない天気。
しかも行く先は阿蘇の産山地方なのだが、ナビで見る限り、なんだか広い。
「阿蘇のおじさん」とnimbus家で通っているその人の、住所は分からない。
それを知ったとき、軽いカルチャーショックのようなものを感じた。
毎年お米送ってきてくれるじゃないか。
でも、分からない。
日本には、未だに住所がなくてもいい地域がある。
それはさておき、空に雨も混じりだした。
そして山が多くなってきた。
必然的に坂道が多くなり、より運転に集中する。
あ、パンくんがいるらしい変な牧場みたいなところを通りすぎた。
パンくんはこんなところから志村どうぶつ園に通っているのか。
あ、パンくんの名前って、チンパンジーのパンから取られているんだ。
パンくんはこんなところから志村どうぶつ園に通っているのか。
新幹線の時間から逆算すると、産山地方で奇跡的な「着いたら会えた」が実現できたとしても、30分くらいしかいられないようだ。
そして産山地方どころではなく、阿蘇は広い。
なんたって熊本駅から1時間くらいでもう「阿蘇」という名前が道路標識などで見られたが、それがさらに2時間ばかり進んでも「阿蘇」なんだもの。
これで住所が分からないのだから、「阿蘇のおじさん」に出会えるかは、完全におじさんが暇で迎えにきてくれるかにかかっていると言えよう。
そして「阿蘇のおじさん」という名称はちょっと大まか過ぎだと認識した。
およそ2万人くらいいる。
また、おじさんにとって「阿蘇のおじさん」と呼ばれることは、ちょっと阿蘇の代表過ぎる。
謙遜でなくても、阿蘇の代表は辞退したいに違いない。
これからは「Greeeenの、eeeの人」くらいに絞り込んでから、おじさんを呼ぶべきだ。
おじさん一人に、阿蘇は広い。
そんな阿蘇から、パンくんは本当に志村どうぶつ園に通っているのかねえ。
10時。
産山ぜんぜんつかね。
※正解
パンくんの撮影は阿蘇のここでのみ行われているとのことだとか。

ちょっとそこまで。35

海岸沿いを行きたかったけどそういう訳にも行かず、住宅街を縫っていく。
朝早いので対向車があまりいないのがうれしい。
10分くらいたつとまた海が見え始め、道も広くなった。
僕は運転しながら、宿周りを散歩したことを思い出していた。
宿は住宅地にあったけど、その住宅は田畑を持っているらしく、田んぼがあった。
水路を覗き込んでみると、おびただしい数の小魚がスクランブル交差点みたくなっていた。
水がきれいなのだろう。
これなら水生昆虫がいるかもしれない。
以前書いたかもしれないが、水生昆虫という虫がいる。
それが好きなのだ。
正直、へびいますといった感じの草むらに入る必要があるけど、もう少しよく田んぼを見たい。
そう思っていざ踏み込もうとしたとき、働いている人がいることに気づいた。
これはだめだ。
田んぼを荒らさず、働いている人に迷惑をかけず。
これが水生昆虫友の会(たぶんない)の掟である。
田んぼを横に、さらに道を進んでいくと上り坂になってきた。
小さい山を登っていくようだ。
このまま山を越えるのも面白そうだ。
興味を覚えたので、どんどん進んでみることにした。
目を向けると、要所要所に畑がある。
私道なのだろうか。
結局、山を下りようと脇へと続く道の先は全て畑で、ちょうど蟻の巣を逆さにしたような。
畑の袋小路ばかりの道だった。
道を戻り終えると、さっき働いていたおじさんがこちらを見ている。
行き止まりだったのなら、教えてくれればいいのに。
その足で海岸へ行くことにした。
地元の水着ギャルが恋人と戯れているゆえ、それに全然気づいていませんの体を出すのがめんどくさかったが、波打ち際にヘルメットが漂着しているのを見つけ写真を20枚くらい撮ってしまった。
夕陽とヘルメットがかなりよかった。
さらに散歩を強行していくと、海へ小川が流れ込んでいるところにやってきた。
小さいころに牛深市に来たとき。
図鑑で見た「汽水域 」というものらしきところがあって、とにかくそこに行きたかったことを覚えている。
なんかわからないが、淡水と海水が混じり合っているところで、生き物が多様だそうだ。
僕には「ここだ」とずっと思っている「下水道と海が混ざっているところ」があって、そこは遠目でもカニが見えた。
いつか行きたいと思っていたが、子供ではなかなか行けない場所。
遠目のカニで我慢しつつ、気づけばこの年だ。
しかし今、「汽水域 」的なことになっていそうな所に、はからずもたどり着いてしまった。
なんということでしょう。
すっごい空き缶いっぱい落ちてる。
駅へ、そして阿蘇へと続く道から、海はもう見えなくなってしまった。

ちょっとそこまで。34

6時前に起きて、温泉は勝手に入っていいといわれていたけど。
まあなんとなくやめて。
朝早いので朝食は不要の旨を告げていたためか、宿の人はお弁当を用意してくれていた。
僕にとって早起きをする日は特別である。
それが海の近い場所ともなると、なおさらとなる。
温泉の湯でいれたというコーヒーをいただき、熊本駅へのナビをセットする。
いい宿だった。
夜、看板にヤモリがいたところが良かった。
夜、どこかの柴犬が一直線に宿の庭へ消えていったのが良かった。
夜がよかった。
車が見えなくなるまで手を振ってくれていたおかみさん。
僕は、おかみさんの進言とナビを天秤にかけて、ナビを選んだ。
結果、ばっちり通行止めの道に入ってしまったんだった。
ここから戻るとなると、さっき手を振っていたおかみさんゾーンを再度通ることになる。
道は一本道だった。
僕はこの旅のなかで、一番強くアクセルを踏んだ。

ちょっとそこまで。33

実は、僕は天草に来ているんである。
これはある種の人たちにとっては垂涎、よだれ。
喉から手が出たとき、いっしょにだ液もどっぱー出ることなんである。
何のことやらわからない人は、手元にある妖怪辞典を調べてみたまい。
九州の妖怪の多くは、天草地方で報告されているのである。
たぶん、水木しげるが報告しているのである。
妖怪と認識できたやつがいたら、ひんつかまえて見世物小屋にでも売り払う所存だったが、もしかしたら妖怪よりも見世物小屋のほうが数の少ない可能性があって、ということはたまたま見世物小屋があっても、そこには既に妖怪が納品済みというわけである。
いや、むしろ雇ってる。
というか経営している。
そうかー。
経営してるかーと背伸びをしながらふとんに倒れ込み、そのままの姿勢で明日の予定を考える。
明日は15時くらいの新幹線で帰る予定だが、隙あらばもう一つの用事をこなすつもりである。
故に早く寝る。
かっぱが経営しているところの給料はきゅうりなんだろうな。
なー。
なーのところで電気を消す。
小さい頃は豆電球をつけていないと眠れなかったのに、今ではついててもついてなくても寝られる。
これで「もう真っ暗じゃないと寝られない」とかなら話は収束していけそうなものなのに。
豆電球って、なんで赤みがかった色してるんだろう。
全然収束しない。
駅の人、宿の人によると、阿蘇はあんがい近いという。

ちょっとそこまで。32

やはりたこやきの間食がいけなかったのか。
1日目の「大量の夕食をどうにか攻略」という偉業に対し、2日目の夕食は致命的なまでに食べられなかった。
仲居さんも心配する食べなさ。
その心配と僕の恐縮がまたしても混沌とし、もはや生きてこの部屋から出られはしないと覚悟すらする始末だった。
そして僕は今回の旅でひとつ、あやまちをおかしていた。
「海産物の苦手な人にとって、サザエ、アワビの肝はその旅行そのもの」
これは間違いで、正しくは「海産物の苦手な人にとって、サザエ、アワビの肝、カニ丸ごと、かぶと煮はその旅行そのもの」だった。
やはり地元で取れるから安いのだろうか。
もうなんか、豪華な物がたくさん出てくるのである。
そんななかでも、海の物が苦手な人にとっての「カニ丸ごと」「かぶと煮」もかなりのものだ。
朝食の「伊勢エビのみそ汁」もすごかった。
今、「伊勢エビのみそしる」とひらがなで書いたら「伊勢エビのみぞ知る」と読めて、まあ伊勢エビにしか分からないこともあるよな、触覚部分の脱皮の仕方とかなどと感じたのだが、とにかく朝食のみそ汁。
味はおいしいのだが一面に茶色の藻のような物が浮いており、失礼な話だがこれは主に動物園で、カバのいるところのプールに浮いている産物とそっくりなのである。
この手の物が苦手な人は、ちょっとつらいだろう。
そしてカニ丸ごと。
カニが好きで「やり方」を知っている人は、おそらくきれいに、かつおいしそうにそれを食べるだろう。
しかしカニが好きでない、あるいは「やり方」を知らない人にとっては、一般的に喜ばれる「かにみそ」部分がつらかったり、甲羅内側の何かびらびらしたものが怖かったりする。
かぶと煮。
かぶと煮とくれば「目のまわり」である。
これまた一般的には好まれるゼラチン質部分だが、苦手方面にとっては「おっ、ちょっとそれ待ってみて」と言いたくなること必至のぷるぷるだ。
食べたらおいしいことも多い分、ある意味もったいないことである。
ともかく、海産物苦手というものの認識を改める必要が生じた。
この改めは、今後いくらでも生じそうだが。

ちょっとそこまで。31

海を見ていた。
日の暮れて間もないそこは、冷めていくようにもとのコンクリートの色に戻っていき、まもなくそれも月明かりの色へと変わっていった。
僕の右手も例外じゃなかった。
海のにおいと波の音だけで、体がゆらゆらとゆすられているような錯覚を覚えた。
小沢健二の「地上の夜」が流れてきた。
海は対岸の町の灯りを反射して、しかもそれを千々に乱し。
夜空よりもよほどきらめいていた。
あれを思い出さないか。
「何でしょうか。あれというのは」
クロノクロスっていうゲームのやつだ。
「たしか、海がテーマみたいなゲームでした」
そう。その序盤でのイベントだ。
平行世界では死んでしまっていた主人公に対する母親のことばをおぼ「そういえば、この間の震災のときにも思い出しました」
えていたんじゃないか。
そしてそれを海を見るたび、思い出したんじゃないか。
もう誰もこの子から
奪うことはできない
もう誰もこの子に
与えることはできない
海から贈られたものを
ただ海に返しただけ
「そうでした。別に海の近くに住んでいたわけじゃないですし、親しい人が海で亡くなったわけでもない」
そう、震災があったから、被災された方にはとてもじゃないけど悲しい内容。
「それでも、すごく心に傷を負わされたような気分になりました」
だからずっと覚えてた?。
「そして今、また思い出しました」
「これを思い出すと、他にもいろんなことを思い出すんです。たとえば映画「恐怖のハエ男」では、実験で飼い猫が別次元に行ってしまって、姿は見えないけど鳴き声だけ聞こえる状態になったこと。漫画「ぼのぼの」では、好きな子がいなくなった時の気持ちを、ぼのぼのが理解したこと」
つらそうだが、それは俺の知らんところのものだ。
それにしても、お前に対してずいぶん何かを考えさせるフレーズだったんだな。
よくできてるみたいだし、何か元ネタでもあるんじゃないか。
気づくと、僕は月明かりで陰ができるくらい、透きとおった夜の中にいた。
音をさせないように立ち上がると、僕は「元ネタのない世界」へ向かって歩き出した。

ちょっとそこまで。30

お腹の減りを我慢できなくなってきた僕は、もう砂時計みたいなコルセットをはめることができそうなくらいになっていた。
故にシートベルトも「あれ、俺と座席の間に誰もいないんじゃない?」と思うほどで、早急に食べ物を摂取する必要がでてきた。
16時。
お手軽な食事をもくろみながらの運転を続けていると、道路左側に大阪たこやきと銘打った店舗が目に入った。
観光地ならではの「現地もの」ではなく、大阪をうたっているという、明らかに「地元住民向け」のたこやき。
せっかく天草なのに、そこで大阪たこやきとなると、現在地の天草、たこやきの大阪、僕の住んでいる東京。
「天草-大阪-東京殺人ルート」が西村京太郎によって創作されてしまう。
しかし、もう何でもいいから食べたい。
「そんなことより、「らめぇ」っていうのは、本当は嫌がってないと思うんだ」
腰が折れる。
チェーン店らしきそのたこやき屋さんは、少々危険だとは思っていたが、やはり「作って保温していたもの」を出してきた。
いいのだが、やはり外はかりかりで、中がほんわりしたやつが食べたかったな。
とか考えながら口に含むと、全体がほんわりなのは予想できたが、一方できなかったのがたこの大きさだ。
ずいぶんでかい。
やはり海が近いと仕入れやすいから、チェーン店といえどもそうなってしまうのだろうか。
それとも海にうるさい地元住民をもうならせるため、無理しているのだろうか。
どちらにしても、僕はたこやきにおいてたこをそれほど重視していないため、大きさ以上の何かを見いだすことはできなかった。

ちょっとそこまで。29

道が混まなければ、宿へは16時くらいに帰ることができるだろう。
目安がつくと、急に昼ご飯を抜かしたつけが回ってきた。
道自体の気持ちが迷走しているようなくねくね道沿いには、食べ物屋さんがないことはない。
しかし前日に恐ろしい量の夕食を出され、どうにかそれをこなしたことを考えると、ここは何も食べないで、本日の夕食の準備をするのが正解だ。
しかし腹は減っている。
そんなことを考えながら迷走していると、個人経営と思われるお土産屋さんのあることに気づいた。
旅には、お土産も必要である。
ただその理由のみで、寄ってみることにした。
海が目の前だからだろう。
そしてお土産という性質。
ただちに食う的なものがないことは、腹の減っている僕にはいいことだった。
要は、手当り次第にお土産を買おうとしない。
これは声を大にしていいたいのだが、天草は、こっぱもちである。
こっぱもちはサツマイモの餅で、こんがり焼くと、ちょっとどうしたんだといううまさになる。
以前はそうでもなかったのだが、最近のはハチミツ配合のせいか。
焼くとやわこくなり過ぎ、コンロを汚しやすいのが難点だが、それを差し引いてもうまい。
というかそういうのはうまさと単位が違うから、差し引けない。
そんなこっぱもちがあったので、さっそくかごに入れた。
店内は一夜干しとウニ瓶的なものが多く、えいひれだとか、それそのものだとどうすればいいのか分からないものを面白いと考え、購入。
さらにうろつくと、いいものがあった。
たこの干物である。
天草地方をドライブしていると、たこ丸ごとを何かの刑のようにさらしている光景が時折見られる。
あれは一体何に使うんだろうとずっときになっていたのだが、まさかそのまま売るのだとは考えていなかった。
3000円とたこ自身も驚く金額だが、見てくれはかなりいい。
魔除けみたいだ。購入。
結局、天草に直接関係なさそうなものも含め、結構買ってしまった。
宅急便で届いたころには、手に余る強敵ばかりのお土産である。