デモ・2

昨日からのつづきです。
【あらすじ】
デモを見た。
ところで今回見かけたデモでは、開催者(?)が懸命に主張を叫んでいた。
しかし僕は、実のところ彼らが何を叫んでいるのか、わからなかったのである。
「叫びながら言うと、何言ってんだかわからない。」
なかなか考えさせられる、根源的な問題である。
例えば、法定速度が40キロとかいう世界で、販売されている普通自動車は100キロ以上の速度が出せる。
何かのテレビでやっていたが、これは突発的な事故など、緊急のときにそれを回避できるように、というのが理由の一つにあるのだそうだ。
通常の会話が法定速度だとすると、叫びは明らかに緊急事態が発生したときに発せられるものである。
そして、緊急というからには、その用途はまず「緊急事態発生」を知らせるものでなくてはならないだろう。
要は、内容自体は、それほど重要ではないということだ。
ジェットコースターに乗っている人が、何かを叫んだとする。
彼は、緊急事態として「ジェットコースターに乗るとき、椅子に座ると下げられるトイレの便座みたいなやつが、乗っている間にゆるくなってきている。」
ということを伝えたい。
以下、叫んだ内容である。
「ゆるんでるぅーーーーー!!!。」
「こ、故障だぁーーー!!!」
「トーッ、トイレのあーーー!!!。」
このように叫ばれては、監視員は最速でジェットコースターを止めにかかるだろう。
特にラストのは、本来の意図が伝わっていなかったとしても、である。
ところが、このように叫んだら、どうだろうか。
「便座がぁーーーー!!!」
※本人は「便座みたいなやつが、ゆるくなっている」と叫んでいるつもりなのだが、
叫びによる「何言ってんだかわからない」効果に加え、ドップラー効果も発生、より何言ってんだかわからなくなった。
ジェットコースターで便座と叫んだわけだ。
しかし、それでも監視員は危険を察知し、相応の対応をするだろう。
結局、叫びは緊急事態の発生をかなり直接的に知らせることができるが、逆に言うとそれだけを伝えるものなのである。
何か、詳細な内容を伝えるには、少し向かないと思われるのだ。
よって、何かの主張を行う際、単に叫ぶのではいけない。
その主張は、時として感情が抑えきれなくなるような内容かもしれない。
それでも時として、叫びを情報伝達に用いると「結局、何言ってんだかわからない」状況になるのである。
難しいところである。
ただ、よくわからないのだが、大声を出すのと叫び声を出すのは、たぶん違う。
「デモのときは叫び声じゃなくて、大声で」やると、いいのではないだろうか。
この2つの違い、ベテラン女優なら、どう分けるのだろうか。
ぜひ知りたいし、これからデモの方も、参考になると思われる。
さもないと「デモとは、意味不明のことを叫びながら練り歩く行動」とジャポニカロゴスで紹介されることになり、警察に届出をしての意味不明練り歩きと、だいぶ悲しいものになってしまう。

デモ

先日、初めて「デモ」っぽいものを見た。
海外ニュースで時折見られるような、何かが飛び交うようなものではなく、主張を叫びつつ、ゆったりと30人ほどが練り歩くというものだった。
「もっと我々に、よく出る台をー!!」
「台をー!!」
「食堂に、使用制限無しのソースをー!!」
「ソースをー!!」
「紙を使い切ったときは、次のロールをセットしろー!!」
「セットしろー!!」
ところで、これはしょうがないことであり、むしろ重要だという意見もあると思われるのだが、デモの人たちと、そうでない、例えば歩行者との間の温度差は、どうにかならないものなのだろうか。
ましてや、季節は冬。
外気温との差も加わり、どうしても彼らの主張に耳を傾ける労力を払いたくなくなるのである。
だからといって夏では、その熱意が夏の暑さにプラスされ、もはややりどころの無い怒りすら感じてしまうかもしれない。
デモは、秋ぐちがいいのではないだろうか。
明日へ。

年の瀬

今年も終わりが近づいてきている。
僕は、今年あった色々なことを思い出そうとしていた。
ふと、駐輪禁止の場所に雑然と並べられた自転車を綺麗に並べなおす警備の人が目に入る。
うーん。
いいね。
対比が、いい。
「駐輪禁止」の看板と並べなおす動作の対比が、いい。
写真を撮ったら「自転車を撤去する警備の人」となるだろうな。
あれ、何しようとしてたんだっけ。
そうだ、口内炎パッチ買いに行こうとしてたんだ。
と、このように、思い出を回想するにも忙しい年の瀬なのだ。

作法

「ケータイ忘れちゃったよ?」
「携帯してなくちゃ、ケータイじゃないやろ?」
よく見られるコミュニケーション作法のひとつである。
このような会話がまだ見られる以上、
「身につけていたいものではあるが、まだ忘れる」というのが、ケータイに対する人類の率直な感想である。
ということで、忘れぬために生体内にケータイ的なものを埋め込む「ウメコミ」が、まぁ個人情報とか何とかを負かしてでも誕生する日が来るだろう。
そのとき、晴れて人類はこの類の「忘れ」を克服することができるわけだ。
「ウメコミ忘れちゃったよ?」
あまり見られないと思われるが、これに対する作法としては
「あー、事故におうたんや?」となる。
この作法がよく見られるようなら、人類はまだ克服できていないものが数多くあるに違いない。

一分

いつだったか、こう言われた。
「nimbus、武士の一分があるよ。」
な、なに?。
僕、なんかカッコいいこと言ったっけ?。
「みんな、さりげなく一番星」
こないだ言った、これだっけ。
・・・あぁ、映画ね。
しかも、言ったのは親だ。
親が見たいというので、連れて行く約束だった・・・。
ということで連れて行った。
「武士の一分」
江戸時代、どこかの城で毒見役をしている侍を演じるは木村拓
これ以上はネタバレになってしまうので止めておくが、面白かった。
特に、侍が高速道路のど真ん中にタイムスリップして狼狽するところがよかった。
これほどにネタバラサナイ自分を、ほめてあげたいと思う。
ところで、映画をご覧になっていない方には申し訳ないが、母親の感想が秀逸だった。
「登場人物全員に武士の一分があって、本当によかったね。」
映画を見た限りでは、この感想はかなり画期的な気がする。
僕にはないものを、持っているようだ。

旅行4

空港、搭乗口付近ロビーでの待ち時間は、暇だ。
唯一の売店では、本棚コーナーの最上段が官能小説一色で、もはやそこだけフランス領である。
僕らは上空でも、三大欲のいくらかを満たすことはできるわけだ。
上下左右。
忙しいものである。

インストール

新しいソフトをインストールする。
でも、そのときは特に用がないので、PCをログオフしようとする。
すると「新しいソフトがインストールされました」という吹き出しが「ログオフ」「終了オプション」ボタンを隠しやがるのだ。
ちょっと、どういうことなのかしら。
これに犯罪抑止効果があるとかだったら文句は言わないけど、ないよ。
これに何か効果があるとしたら、それは自由にログオフできないストレスを賭博で発散しようとする、貯金抑止効果だよ。
そういえば、都心のお店なんかの貯金抑止効果、そしてその影響を受ける額は高い。
また、インターネットで色んなところを見て回るだけでも、バナーの数々。
その効果も絶大で、僕らの貯金意識の壁をいともたやすく打破してくる。
それに比べて浪費抑止効果は、だいたいコンビニで「こっちの方が10円安いから鮭ハラミはあきらめよう」とかいう、こじんまりしたものからしか期待できない。
あぁ効果。
この世は効果だよ。
どうせ「あなたのためを思ってやっているのにっ!!」って言うんだろ?。
もう「おかか」で我慢するよ。
なんだよ「おかか」の「お」って。
となると「か」はなんだってなるけど、おそらく「かつおぶし」の「か」だろう。
なに、もうひとつ「か」付けてんだよ。
外人に発音させたら絶対「オカーカ」になりそうだよ。
そしてたぶん「オカーク」とかになるよ。
かつおぶしも、晴れてインターナショナルだよな。
こうなんだよ。
また、派生したよ。
せめてログオフくらいは円滑にやらせてくれよ。

紙とペン

「はいもしもし、nimbusです。」
「え、はい。どなたですか?。」
「えぇ、えぇ、はい。で、ご用件は?。」
「あ、はい。紙と、・・・ペン。はい。ちょっと待ってください。」
・・・
「はい。用意しましたよ。それで・・・?。」
「え、ちょ、ちょっと待ってください。なんですか、2分47秒って?。」
「え?。僕が紙とペンを用意するのに要した時間、ですか?。」
「え、えぇ。でも、それが何か?。」
「え?。あ・・・っと。何でそんなに怒っているんですか?。」
「えぇ、えぇ、。何・・・か、あったときのことを考えると・・・はい。遅い、と。」
「ちょっとねぇ。あなたいきなり何なんですか。」
「全然意味のないことでしょう、ねぇ。」
「そもそもですねぇ、断りもなしに、何をタイム計っているんですか。」
「え?。えぇ。タイムのことを、えー、知らせたら。意味が無い、と。」
「あぁまぁそうかもしれませんけどねぇ。「何かあったとき」のことですもんねぇ。」
「でもですねぇ、なんだかんだ言ったって、いきなりタイムはないでしょう。タイムは。」
「あのですねぇ、僕だからいいですけどねぇ。気にする人は気にするんですよ、タイム。」
「ねぇ。あなたは親切心からかもしれないけど、結構迷惑している人もいるんじゃないですか?。」
「え?。えぇ。そりゃ僕だってその気になれば、えーと、2分、でしたっけ?。あぁ、47秒。」
「2分半くらい、朝飯前ですよ。」
「いや、僕のことはいいんで。とにかく、いきなり電話でタイムのことをとやかく言われると、迷惑でしょう?。」
「え?、えぇ。いや、いやいや。あなたは特異だからですよ。ユニーク。え?、いや、ユニークですって。」
「え?。あ、いや。もういいですから。もう、タイムのこともいいんで。」
「えぇ。もういいですから、切りますから。」
「でもね。ちょっと誤解されているようですからね?。」
「あなたが思っているほど、僕は紙とペンを用意できない人間じゃありませんからね。」

旅行3

観光目的で教会やら寺院やらを回ったのだが、そのとき、僕は帽子をかぶっていた。
一般的に帽子をかぶったまま建物の中に入るのはだめ、だったような気がする。
そんなことを思い出し、境内に入るときに僕は帽子を脱いだ。
ところで、帽子を脱ぐという行為は、何を意味するのか。
寺院、教会もしくはそこに奉られているものに対する敬意だろうか。
後世にまで影響を与えているのである。
そら帽子を脱がないかんな。
でも、一方でこんな言葉を思い出していた。
「人の残したものが、そのまま永世残されると思うか?。」
「残るものは、自然そのものだけだ。」
うーん。一理あるね。
人の作った物理、精神的なもの。
どちらでも、いつかはなくなるだろう。
人がいなくなっちゃったりすると、なおさらだ。
まぁなんだ、両方大切なのだなぁ。
次はなにやら宝石店へ向かうことに。
そこでは肉食動物の目をした店員さんたちが、僕らを狩ろうとしている。
要は、なんか買え的な雰囲気だ。
でも、僕は教会で、帽子を脱ぐことで敬意を払ったのだ。
ここでは帽子を脱ぎ、何も買わないことで宝石に敬意を払おう。