耳書き忘れ故意説

では、今日の授業のまとめだ。
「耳なし芳一、耳書き忘れ故意説」について。
??耳なし芳一、耳書き忘れ故意説ダイジェスト??
芳一は、身の危険を感じ、全身にお経を書くことにした。
しかし、小僧が耳だけにお経を書き忘れてしまったことにより、耳なしの称号を得ることに。
「こ、小僧のやろう。なんで耳書き忘れるんだよ。俺も気付かなかったけど・・・。」
ふと、芳一の脳裏に疑惑が生じる。
なぜ、あんなところからこんなところまで写経網羅した小僧なのに、耳だけ書き忘れたのだろうか。
そんなことが考えられるだろうか。
深まる疑惑。
うずまく陰謀。
そんななか、白金マンドリンクラブ一番の使い手、「波打つ小指、三浦」がクラブを脱退するとの問題発言!!。
そして、耳書き忘れ故意説が誕生する。
????
明日はその意味合い。
小僧がなぜ、そんなことをしたか。
その理由を考えてみようと思う。
じゃあ、すこぶる暑いので、次回だ。

おゆうぎ

蚊にどこそこを刺された。
顔や指の関節など、この題目では、人々はその内容に事欠くことはない。
この話が生かされるような場面がある限り、蚊はなかなかに有用な生物だ、と言える。
確かに、刺されたときは腹が立つだろうが。
先ほど、耳の後ろあたりを刺された。
気になる。
しょうがないので、カリカリとかく。
すると、メガネのテンプルにその指が触れ、メガネが上下に動く。
くまだまさしの出来上がりである。
「どうだいみんな、おゆうぎだろう?。」
この話が生かされないような場面である限り、蚊はなかなかに憤りを感じさせる生物である。

僕のガムシ その3

昨日からのつづき。
【あらすじ】
水生昆虫界の逆イアン・ソープ、ガムシと出会う。
図鑑には「ガムシは泳ぐのがへた」と記載されている。
記載されてしまうくらいなのだ。
どれだけへたなんだ・・・。
僕はさっそく、洗面器に水を入れてきた。
そこにガムシを入れる魂胆だ。
ふと、周りの大人たちは不思議な顔をしているのに気づいた。
前述したように、ガムシはコガネムシ型なのだ。
どうやら、大人たちはコガネムシを水につけてどうすんだ、と思ったらしいのだ。
僕は言う。
「コイツはガムシといって、水生昆虫なんだ。泳ぎがへたらしいけど。だから、水に入れてみる」
今思うと、この説明では、余計に不思議に思ってしまいそうだ。
反省している。
とにかく、準備はできた。
後は、ガムシを泳がせてみるだけだ。
虫かごからガムシを取り出し、水面に置いた。
・・・・・・
浮いた。
そのとき、ガムシが、浮いた。
マンタが、飛んだ。
ガムシは、「泳ぎがへた」とか、そういう予想に反して、水に浮いたのである。
泳ぐどうこう、以前の問題。
浮いたまま、微動だにしない。
指で水中に押しやっても、なんら反応をしない。
指を離すと、ぷかーと浮いてくる。
ガムシは、腹部分に空気を溜め込み、水中での呼吸に役立てることが知られている。
また、今回のガムシはそもそも水中への準備ができていなかっただろう。
浮くのは、別に不思議ではない。
しかし、このときの僕はショックだった。
「泳ぐ泳がない以前に、浮いてるよ・・・」。
水面でぷかぷか浮き、動かないガムシを見て、なんだかコイツはガムシではなく、普通の陸上生活をするコガネムシなんじゃないかと思えてきた。
洗面器を囲んで、そんな風な雰囲気が僕らを取り囲む。
僕はガムシを摘み、ティッシュにつかまらせた後、逃がしたのだった。
あのときのガムシは、本当にガムシだったのだろうか。
ともかく、僕にとってのガムシとは、水生どうこう以前に、浮く、というものなのだ。
追記
なんだか「水生昆虫」の変換が「彗星昆虫」となってばかりいる。
なぜなんだ。
とりあえず、「閃光少女」みたいなもんか・・・。

僕のガムシ その2

昨日からのつづき。
【あらすじ】
水生昆虫界の反逆児、ガムシと出会う。
熊本県、どこか。
親戚のうちに、僕はいた。
当たり前のように暗くなるまで虫取りに励むが、成果は振るわず。
おじさんも「最近はでかい水生昆虫は見かけない」とひとこと。
こういうとき、虫好きのヤツは、外灯に強い期待を寄せる。
虫というのは、うんたらということわざもあるように、光属性を持つのだ。
水生昆虫も例外ではない。
夜になると彼らは光に対して、まるでカワイコちゃんが座っていた座席に吸い寄せられる中高年サラリーマンのようになる。
20時ごろ、僕はアタリをつけていた電柱へ向かった。
虫かごのみ、持っていく。
水生昆虫が目的の今回の狩猟では、彼らが電柱にへばりつくことがない以上、虫取り網は要らないのだ。
ヘビの襲来にビビりながらも、到着。
その電柱の周りは、大盛況だった。
よくわからん、虫かどうかもわからん馬の骨が飛び回っている。
一匹くらいスカイフィッシュが、いたとしてもわからないだろう。
地面には、これまたよくわからんモノが落ちている。
一体くらいキン消しが紛れ込んでいたとしても、わからないだろう。
そのひとつひとつをじっくりみて、ターゲットを探した。
確かにゲンゴロウっぽいモノもいるようだ。
しかし、みんなとにかく小さかった。
なんだか、わからない。
ちょっとざんねんでした、みたいな雰囲気だ。
そんな中、ひときわ大きい昆虫がのっそりしているのを見つける。
それがガムシなのだった。
もちろん、そのときの僕は「ガムシでもいいから!!。」状態だったため、喜んで彼を摘んだ。
彼は何の抵抗も示さず、虫かごに投入される。
ガムシが、本日の成果だ。
さて、さっそく戻った僕は、あることがしたくてしょうがなかった。
図鑑に記載されていた「ガムシは泳ぐのがへた」が気になっていたのである。
み、見てみたい・・・。
つづく。

僕のガムシ

川辺近くの田んぼに水がはられてから、幾分たつ。
虫取り網を持つ少年達に混ざり、その水の中を覗き込んでみる。
すると、小さな生物がちょろちょろ泳いでいるのが見てとれる。
彼らは気づいていないようだが、ある種類のゲンゴロウが何匹かいるようだ。
もちろんそのゲンゴロウは、よく知られた濃緑色の、体長4cmくらいのヤツではない。
しかし、多くは体長1cmにも満たない種類なのに、ソイツは1.5cmくらいはありそうだ。
この田んぼにはよく来るが、この大きさのゲンゴロウが何匹もいることは、少し珍しいように思える。
さて、ノスタルジーな感じかつ、あまり興味深くない出だしでナニだが、今回は「ガムシ」について。
水生昆虫として知られている虫である。
ガムシは、冒頭で説明したゲンゴロウと同じく、甲虫(かぶとむし)の仲間で、こまごました種類も多い。
しかし、その知名度はかなり低いのでは、と思う。
確かに、その姿を図鑑などで見てみると、その理由もわかる。
たとえばゲンゴロウは、美しい流線型ボディを持ち、水をかくのに適した足を持つ。
カメムシ種系で泳ぎ回るタイプも、それに近い。
またカメムシ種系では泳ぎまわらないものもいるが、彼らはその分、やたら攻撃的なフォルムを持つ。
それに対し、ガムシはどんくさいコガネムシ型だ。
特異な姿をした水生昆虫は、子供達の人気者だが、このガムシにいたっては、その限りではない。
「こいつ、他の水生昆虫が水のことや狩猟のこと考えているのに、なんだこのていたらくは!!。」
その写真から、そう憤りを覚えることだろう。
形を見る限り、彼らは何も考えていないように感じるのだ。
ところで、この子供達の感想は、特別局所的な話ではない。
実際、彼らは腐った水草などを食し、そもそも捕獲器官はなくてもOKなのだ。
※ガムシの幼虫はゲンゴロウと同じく、がっつり他の動物を喰らうのだが、いかんせんイモムシ型なので、気持ち悪く、近くにおいておきたくないタイプである。
それに、図鑑にすら「泳ぐのがへた」と書かれてしまうのである。
図鑑の水生昆虫コーナーで、その特徴を「泳ぐのがへた」「体は流線型でない」と書かれてしまうガムシ。
子供達が興味を示さないのも、しょうがない。
ちょっと、水生昆虫を探しに行く子供達のなかに紛れ込んでみよう。
「よし、今日はタガメ(カメムシ系水生昆虫のトップ)とゲンゴロウを採ろう!!」
2時間後。
「タイコウチとか、小さいゲンゴロウでもいればいいんだけれど・・・。」
2時間後。
「アメンボはいっぱいいるんだけれどね。」
2時間後。
「もう、ガムシでいいから!!。ガムシでもいいから!!。」
こんな感じ。
ガムシには悪いが、水生昆虫を愛する子供達にとって、ガムシは最大限の譲歩なのである。
ところで、僕はこのガムシに一度だけ会ったことがある。
つづく。

天使シール

「あの、風に揺られている木の葉が落ちたとき、僕の命も尽きるんだね。」
「息子よ。どうやらその話は誤って伝わっている部分もあるらしいぞ。」
「え、そうなの?。」
*******
「じゃあ、ある日本家庭の、あるタンスに貼られているビックリマンシールが剥がれ落ちたとき、僕の命も尽きるんだね。」
「これでお前も、サグラダ・ファミリア完成の瞬間が拝めるな。」

のりしろ

ガダラの豚。
故・中島らも氏の代表作で、文庫本で「?」「?」「?」と3巻まである、面白いが少々購買意欲を削ぐ小説。
集英社文庫から出ていたが、近頃双葉文庫でも出たようだった。
僕はさっそく双葉文庫版の「上」を買い求め、その紙に書かれている文字をひとつづつ見てみた。
要は、読んだ。
この小説は、前半のまぁまぁ安穏な雰囲気と、後半のVガンダムさながらの赤血球流出な雰囲気の落差を楽しむものであると、僕は勝手に解釈している。
後半あたり、らも氏はだいぶニヤニヤしながら書いたのでは、と思う。
とりあえずそれはどうでもよく、とにかく「上」を読み終えた僕は、「中」を探した。
ところが、どこの本屋でも双葉文庫版の「中」がない。
なぜなんだ。
ふと、集英社文庫の方「?」があるのを発見。
うちにあったかどうかもわからない。
とりあえず「?」を買ってみた。
・・・なんということでしょう。
「?」の前半、半分くらいが、双葉文庫版の「上」のかぶった内容なのである。
「上」のつづきが見たいのに、それは?の後半、からなのである。
どうやら、集英社文庫で?、?、?の3巻として出していたものを、双葉文庫は上下の2巻で出したということのようだ。
僕は、その内容のりしろ部分を読み飛ばしながら、なぜ「?」を買ってしまったのだろう、と後悔した。
そうだ。
集英社文庫の「?」を買ったのは、双葉文庫の「上」のつづきが読みたかったが、双葉文庫の「中」が見当たらないから、という理由からでなのであった。
しかし、そもそも双葉文庫の「中」なんてものは、はなからない。
のりしろに強い憤りを覚えていた僕は、自分の方に過ちがあることを認めざるを得なかった。
ありもしない「中」を勝手にあるものだと勘違いし、セール日を間違えて、ありもしない安い卵を探し求める主婦のようになっていたのである。
「なんで僕、「中」があると思い込んでいたのだろう?」
すぐにわかった。
僕は以前から「ガダラの豚」が、文庫版で3巻まで出ていることを知っており、もちろん今回の新刊もそうであるに違いないと勘違いしたのだ。
だから、その「上」を見て、何の確認もせず「中」があると思ったのだ。
どうやら僕にとって、ガダラの豚はその内容もさることながら、とにかく3巻もある、やたら長いヤツ。
とにかく3巻もあるのかよ、という認識なのだった。
今、部屋の床に、その小説が3冊、平積みされている。
下から、上??の順だ。

おこらせメソッド

書くことが、あるといえばある。
しかし、それよりもPCが発する熱量の深刻度のほうが、絶対値が高い。
そんなときに便利なのが、羅列だ。
本日は「言葉で相手を、速やかに怒らせる」です。
怒りの種類は結構あると思いますが、まぁ見てみましょう。
◆会話の要所に「どこでどう間違ったんだか」と言いくわえる。
◆相手の会話を軽くさえぎり、「あ、うんわかった。うちかえって、フルーチェでもつくろうか」と言う。
◆なんかあんたの喋り方、混ぜ物はいってんじゃない?と言う。
◆もう、高野豆腐と話してるみたいな気分になってきたよ、と言う。
◆あぁ。今なんか、テレビでフルーチェのこと触れてたよ・・・。
やっぱいいよな。フルーチェ。
でもあんまし触れちゃったら、良さが薄れるからな、フルーチェ。
また、ほとぼりが冷めた頃に、ひとりで楽しむか。
でも、なんかざんねんムードなので、終わりに。

暗転の恩恵 3

【あらすじ】
決めポーズのない歌手達は、歌い終わったあと、困っている。
CMなり画面切り替えなり。
その曖昧な時間を解決するもしくはやり過ごす、よい区切りの仕方を考える。
お。
窓から綺麗な月が見える。
やったね!!。
なんだ。
「おもいでエマノン」の漫画が出てるじゃないか。
やったね!!。
あれ。
かわいい子犬がこっちに向かって走ってくる。
やったね!!。
いけね。
何も上記、解決方法を考えてなかったから、現実逃避しちゃった。
やったね!!。
いくつか考えてみる。
「歌い終わったあと、歌手達はこれをすれば、綺麗に区切ることができる」
1.マイクを床に置く。
きわめて正攻法。
相応の年齢を召したお前なら、どうしても伝説のアイドルグループを思い出すだろう。
次の画面切り替わりなどの時間ぎりぎりに、ゆっくりした動作で置けば、美しく区切れる。
「あぁ、歌い終わったんだな。」
視聴者も納得する。
ただ、歌手の方から見ると、そのまま普通の女の子に戻ってしまうよう(or戻りたくなる)な気にもなりそうである。
「あぁ、歌い終わって、かつ歌手生命も終えたんだな。」
そう思う、そして思われる可能性あり。
気をつけられたし。
2.作曲するとき、エンドレスにしておく。
このようにしておくと、歌い終わっても曲が流れ続けることになり、「それにノってます」という風に、動物園のゾウのようにゆらゆらしていることができる。
もちろん、みんなも曲がエンドレスであることを知っており、適時CM等に移してしまうため、歌い終わりのゆるい時間をやり過ごすことができよう。
ただ、明確に歌い終わり、と区切れているとは言いがたく、これでも十分ゆるい時間だ、と考えられる向きも多いだろう。
しかし、にやにやしながらカメラから目をそらしたり、どこか遠くを見る、といった動作よりは、いいと思う。
3.セットの片付けをしだす。
マイクのコードをくるくるーっとまとめだしたりする。
衣装さんとかが登場してきて、ティアラを外したりする。
後ろでスタッフらしき人が、ダンボールを運んでいる。
どこから見ても、終わりだ。
4.舞台が回転しだす。
回転先は、スタンバっていた次の歌手でも、コント風居間でも、お好きなほうを。
歌手の方に頼みたいのだが、このとき、回転中はむしろ気取っていて欲しい。
5.ケータイをいじりだす。
歌い終わり。
一寸先はプライベート時間である。
6.緊急速報が流れる。
歌い終わったと同時に緊急速報が流れる。
内容はもちろん「○○さん、歌い終わる」である。
7.歌い終わり直前くらいから、音がフェードアウトし「ごらんのスポンサーの提供で・・・」が流れ出す。
提供終了前くらいに歌い終わり、提供終了とともにMCへ。
8.歌い終わり直後、マイクのスポンジが飛ぶという、どっきりが発動する。
歌手はもちろん怒るが、内心「歌い終わりが区切れて、本当によかった!!」と小野キャップに感謝しきりである。
・・・どうも、挙げすぎだ。
僕としては「9.歌い終わり、なぜかマイクがハウリング(きーん音)する」が、誰の心も傷付けず、いいのではと、今思いました。
ということで、文量もしりつぼみつつ、終わり。

暗転の恩恵 2

【あらすじ】
「暗転」って、何事も確実に一区切りしてくれるから、いいよ。
先日、音楽番組を見た。
なにやら女性アイドルグループが歌い踊り、呼吸し、生き。
そして歌い終わったとき、それぞれポーズを決め、動かなくなったところで司会の方に画面が移行した。
この「それぞれポーズを決め、動かなくなった」は、一種の「暗転」ではないか。
歌が終わり、ポーズが決まる。
完結した。
※ただ、このとき彼女達がポーズに耐え切れず、微妙に揺れていたのが印象的だった。
これを見て、僕は心配になった。
「ポーズを持っていない歌手は、大丈夫だろうか?。」
ここでの「大丈夫」は、暗転しなくても、うまくはけることができるか、ということだ。
歌い終わり、彼らはどうしているのだろうか。
僕はあまり音楽番組を見ないので、いまいちイメージがつかめなかった。
知人に聞いてみた。
彼は妙な顔つきをしたが、「とりあえずその点、DAIGOは例外だね」と言った。
彼は確かに、とりあえず両手をクロスし、その手先は謎のフィンガーサインと。
そのポーズをとれば、安泰である。
確かに例外だ。
知人は少しして、「あまり思い出せないが、そういうポーズとかを持ってない人は歌い終わり、カメラから目線を外したりして、ちょっと笑ったりして、ちょっと手持ちぶさたな感じだ」と言った。
僕は確信した。
ポーズのない歌手の人たちは、困っている、と。
いい具合の一区切り方法がないため、そんな曖昧な行動をしてしまうのだ。
次回、歌い終わったあとの区切り方法を考察。
現在の方法数ゼロだが。