見た目が何割か。 その2

【あらすじ】
僕はぜんぜん人を覚えられない。
=====
昨日、人を思い出すのにメガネがどうとか男女がどうとかを書いたが、それ以前に重要な事があった。
まず「人かどうか」だ。
あれ、この人こないだ会った人だっけ、と考える対象が自動販売機やポストではあまりに間の抜けた話である。
と、この人は何を言っているんだ。
人であることくらい当たり前のように判別できているだろうが。
そうおっしゃる御仁もいるだろうが、ちょっと待ってほしい。
それで済ませていいのだろうか。
それで済ませてしまった場合、特に何も進展しない。
進展、したいじゃないですか。
それに、昔「ゼイリブ」という、普通の人にまぎれて宇宙人が潜みまくっているという怖い映画があった。
「ゼイリブ」によると結構混ざっているらしいのだ、人じゃないやつが。
という2つの理由からも、人と判別する前提は前提で収まってはいけない。
むしろ、ちゃんと「人かどうか」を意識を持って判断しなければならないのだ。
=====
簡易版 人かどうか判断
・驚かせたときの跳躍力がせいぜい50cmであること
・透けていない事
・鏡にちゃんと映る事
・腕時計に向かって話しかけていない事
・塩気のあるものを食べている事
=====
簡易版じゃない場合、DNAを検査するだとかが必要で時間がかかる。
これらは僕が考えた時間のかからない方法で、まあもうこの話はやめますかね。

見た目が何割か。 その1

僕は人を覚えるのが非常に苦手だ。
全然覚えられない。
ということでまず「知り合いらしい」人と会ったときは、僕はまず「メガネをかけているかどうか」で思い出しの糸口を見出そうとする。
実は性別より先ということが、回顧してみて判明した。
おどろき。
僕が「あれその人、メガネかけてたっけ?」と聞いた時、まずはこのふるいにかけているのだと考えていただけると幸いである。
次に性別。
名前を聞いたときはたいがい名前で判断できるから助かるが、面と向かってだと緊張する。
それは「性別を間違える事は相手に暴力を振るうに等しい」と考えているためで、何が困るかというと世界には性別の判断に困る中年が多く、心の中では「中性の中年」と読んでいる妖精層が問題なのだ。
妖精のように中性に見えるのは良いが彼ら彼女らは妖精ではなく、まあ妖精であったとしても「暴力」はいけない。
ということで、覚えていない知人に対しては、男女を見た目で判断するという労力を払わなければならないのである。
次回。

さえずる価値 その2

完全憶測!!
うちのインコが人のまねをしない理由
一位
インコの世界では「おはよう」が「バルス」みたいなもの
二位
インコの世界では人の言葉を喋るのは人間に対して迎合し過ぎだと敬遠されている
三位
完全にコピーできているが、まあ人の前でさえずることでもないしな、と考えている
四位
人の「おはよう」の「は」のときの表情が大好きなので、人まねをすることで「おはよう」の顔をしてもらえなくなることを恐れている
五位
実はよく喋っているが、人には聞こえない音域
六位
一度、ご主人の前で喋ろうとした瞬間にご主人がどこかに行ってしまった事があり、それを今でも気まずく感じている
七位
ちゃんとインコ語で「おはよう」と何度も言っている
八位
ちゃんとインコ語で「今そういう気分じゃないんで」と何度も言っている
九位
ちゃんとインコ語で「私はカゴの中の小鳥。大空への飛躍を胸にそのときをただひたすら待つ」と何度も言っている
十位
インコの世界では「おはよう」の概念が無い
以上、よろしくお願いします。

さえずる価値 その1

インコやオウムなどを見かけると、うちで飼っていたインコを思い出す。
「インコちゃん」と名付けられた彼女は少々畸形で、それが原因かは分からないが売れ残っていた。
かわいそうということでもないが、我が家は以前も小鳥を飼っており、まあカゴもあるしと購入。
足が変形しているため止まり木に移るのが大変そうなのだが、それ以外はちゃんとセキセイインコなのだった。
さて、セキセイインコというものはコロコロとかわいい声で鳴くが、一方で人の言葉のものまねもよくする。
「インコに何を喋らすか」
ある人種ではそれだけで一日のうち二食をまかなえることで知られる、コストパフォーマンスあふれる議題である。
我々はよく、インコちゃんに向かって「おはよう」だの「こんにちは」だのを、口の動きが見えるように話しかけた。
どこかで聞いた話によると、インコというのは最初相手がどのような音を発するのかを覚えるため、じっとそれを聞く、のだとか。
自然下では集団で生活する彼女らとしては、さえずる事、相手のことを覚えるのは必須のコミュニケーション能力である、のだとか。
口の動きも見られるのなら、より覚えるのも速いのではないか。
そんな我々を、インコちゃんはさえずらずにじっとこちらを見ていた。
しかしインコちゃんは一向に言葉を喋らなかった。
ただ、じっとこちらのことを見ている。
しばらくはただ覚えるのに時間がかかっているのだとばかり思っていたが、あるときふと思った。
「おまえら、うるさい」と思っているのではないだろうか、と。
そんなはずはない。
あんなカラフルでごまのような目をした生き物がそんなことを考えるか。
しかし一方で、何も喋らない事により、飼い主に自分の意志「おまえら、うるさい」を伝えようとしていたとするなら、それはインコちゃんの恐るべき才能である。
「無い事で、何かを表す」
「雄弁は銀、沈黙は金」というのがあるが、インコではより効果的なのだ。
次回、他の理由を考えてみる。

シエスタ気分

たいがいの人は昼ご飯を食べたあと、容赦ない眠気と戦いながら白目をむいていると思う。
実は僕もそうで、あれはどうすればいいのか、という今回。
眠ることを怒られない環境なら、十数分ばかりそれに費やす。
少しの休眠で眠気がなくなるというのはよくある話だ。
しかしそんな恵まれた環境はそうはなく、あるとすれば寝具や学習枕のテスターくらいだ。
そしてその程度では眠気も収まらない。
「眠気に油を注ぐ」結果にもなりかねない。
こうなると白目をいかに黒目に見せるかくらいしかないのだが、一方で「昼休み後の眠気」の評価をあげることも考えたい。
用は「昼休み後に眠ってしまうのも仕方ないよね」をもっと流行させるのだ。
ウルトラマンが本棚の片付けをしていたとする。
あと1冊、本棚に本をしまえば片付けは終了なのだが、そんなとき3分経ってしまったとしたら、あと1冊ではあるがそこから立ち去るだろう。
そのくらい仕方がないのである、昼休み後の眠気は。
あるいは、ウルトラマンが食器を洗っていたとする。
あとひと濯ぎすれば、その皿の泡は全て落ちるのだが、そんなとき3分経ってしまったとしたら、あとひと濯ぎではあるがそこから立ち去るだろう。
これも仕方がない。
仕方がないのだ、あの眠気は。
ということであと3分、寝かせてはもらえないだろうかと誰かに懇願する、13:00時。

夜を見ておけ。

せっかく流星群というイベントがあるにも関わらず、近頃はそんなニュースを見かけてもさほど心躍らなくなってしまった。
興味がないわけではないのだが、まあ時間もないし。
明日もあるし。
そして前にそんなことがあったとき、想像していたよりも流星少なかったし。
と邪魔な慣例、経験のいくつかが、そこらに寝転がらせる事を遮る。
特に「そこらに寝転がる事」自体が、市民権を得ていない。
それを実行すると、その7割は酔っぱらってしまった事による愚行。
1割はのぞき。
1割は発作。
最後の1割なのだ。
「あ、流星群を眺めているのか」と納得してもらえるのは。
確かに、交通事故のニュースでは「道に寝ていた人を轢いてしまった」みたいな内容のものがある。
あれはなんとも言えない気持ちになるもの。
泥酔を理由に、道路などで寝転がってはいけないのである。
しかし、道路でなくても。
例えば家の屋根やアパートの屋上などではというと、これはのぞきと間違われやすい。
奇妙な事に、星を見る事とのぞきというものの行為は、それほどかけ離れたものではない。
のぞきだと通報されてしまうと、そうではないことの証明は難しそう。
「星を見ていたんです」
「でも、星を見ていたという事は、例えばオリオンの裸体を見ていたということでもあるんじゃないのかね」
俺は何を言っているんだろう。
ともかくどこかで寝転がるというのは、時間的にも社会的にもなかなかしづらい世の中である。
だから、なんとか流星群を理由にそれをすること自体は、相当気分がいいはずだ。

残酷だね。

近頃はめっぽう忙しく、もう2ヶ月ほどもブログが停滞していて、特に問題はない。
「残酷な、ピグモンに毛糸のセーターをプレゼントする物語」
確かに残酷だ。
ぱっと思いつくだけでも2から3箇所、残酷なところがある。
しかし今の僕は忙しいので、それ以上の何かを考える事はできない。
あれ、くまモンってピグモンに体型似てるじゃん。
4文字である点といい、「モン」と付く点といい。
これらの符合は一体何を意味しているのだろうか。
何か事件の臭いを感じ取った僕は、明日は月曜日なので気持ちだけ熊本県へ向かう事にした。
気持ちに時刻表は関係ない。

パチスロをしてみる。

先日初めてパチスロをやったのだが、あれはなかなか面白い。
画面がゲームやアニメのようにめまぐるしく動き、見ていて飽きない。
お店の大音量も、日常的でなくて気分が高揚するし、あとあと慣れてきて「耳が何も聞こえなくなる」状態で落ち着く。
しかしお金がすごい勢いで消耗されていく気がする。
考えてみると、他にもその消費速度に匹敵することは周りにいくらでもあるのだが、それでも群を抜いて消費されていく感がある。
おそらくそれは、僕がパチスロのことをあまり知らないからだろう。
まず、パチスロの台の上にはひとつずつ「スターウォーズ」のダースベーダー卿が胸に付けていた機械のような物がついている。
そこに何らかの情報が詰まっているらしいが、よくわからない。
そして何をすればいいかわからない。
僕は単純に絵柄をそろえる物だと思っていたのだが、よくわからないがそれ以外にも気をつけなくてはならないことがいくつもあるらしい。
そしてそもそも、絵柄がそろわない。
そろわない絵柄と大量にあるらしい情報。
お金さえあれば無尽蔵にコインを出してくれる隣接マシンを見ながら、大音量。
ビギナーズラックというものはコインと一緒に吸い込まれてしまった。
ざんねん。
ただ、コインをどんどんパチスロ機に入れるテクニックが身に付きました。

たいてい口内炎

口内炎ができていて、もう何を食べても、その50パーセントくらいしか良さがわからない状態だ。
氷で冷やしたりモンダミン的なもので痛みを麻痺させたりもするが、それは一過的な効果しか見出せず、まあモンダミン的なものは治癒にも役立っているかも知れないが、とにかく痛い。
下唇を噛んでしまったのだ。
口内炎は上の歯と下の歯のあととして2つあり、どうも上の葉の傷が悪化してしまったようだ。
こう、口内炎の痛さを実感していると、なぜ吸血鬼が上のキバをわざわざ人に見せるようにしているのかが何となく分かってきた。
あれはキバの収納スペースがないのだ。
そして無理に口の中にしまおうとすると口の中を傷つける。
本意ではないキバ出しなのだろう。
おそらく、彼らのキバから吸血鬼である事を指摘した時、彼らはあわててキバを隠そうと口を閉ざすだろうが、そのとき「つっ」と言うに違いない。
「いつっ」かもしれない。
どちらにせよ吸血鬼には吸血鬼なりの不便なことがあるようで、それなら「口内炎にイソジンを付けると治りが速いよ」とか教えてあげたいところ。
だが、吸血鬼とイソジンを考えた時、これまた「吸血鬼には吸血鬼なりの不便なこと」に触れたりやしないかと、どうも異種間のコミュニケーションは難しく。

イスラム帽子を探す、西荻窪で。

調べてみたが、布状のイスラム帽が見つからない。
しかし今回の僕はしつこかった。
自分でも感心するほどの調べにより、何なら西荻窪のアラビアンな雑貨を売っている店があることを突き止めたのだ。
ここを知るには多大な犠牲を払ったのだ。
多少の電気料金、睡眠時間。
イスラム帽があってもらわなくては困る。
だがなかった。
きらびやかな雑貨はあったが、イスラム帽はなかった。
しかも店の奥から出てきた店員さんが笑顔だ。
用事のないお店の店員さんがやさしいのは、もう申し訳なさすぎて心が苦しいのである。
すまない異国の店員さんよ。
あなたが僕の求めるイスラム帽をかぶっていてくれたら、「それほしいんだ」と言えるのだが。
僕には彼にイスラム帽を示す手段も思いつかず、店をあとにした。
夏は夜。
夏のいいときにはまだ時間があるので、このまま吉祥寺まで歩く事にする。
そちら方面の商店街を歩いていくと、面白い店があった。
何やら奇妙な形の鞄やオブジェが並んでいる。
それは主に虫をかたどったもので、男の子にはうれしいねえ。
よくできていたので店内をうろついてみると、帽子が売っている。
それは僕の求める帽子ではなかった。
布状ではなく毛糸。
しかも何やらもこものの装飾。
それでもツバのない、かといってニット帽ほど深くもない。
イスラム帽と呼べなくもない帽子。
買ってしまった。
その帽子は全然悪くはないのだが、なんとなく傷心の購入。
センスのいいお店の紙袋が夕陽に照らされた。
布状のイスラム帽探し。
イスラム圏のゲームなら「旅立ちの村」で50Gくらいで売っていそうなのに。
ともかく今回の散策を顧みる限りは、それはどうもライフワークにもなりそうな雰囲気なのである。