こころ、不可侵の証明

どうしても「密航者」という言葉が出てこなかった。
船などに隠れて乗り、どこかに連れて行ってもらおうという、不届き者のことだ。
「密入国者」
違う、国とかじゃないんだ。
「密輸者」
こんな言葉は無い気がする。
「密告者」
スケールが違うんだ。
似た言葉は思い出せるのだが、本人が出てこない。
このようなことが、僕にはすごく多い。
ところが、本人は出てこないのだが、それでも考えてると
「そういえばあの本の9巻の最初の方のページに、その言葉は使われていた!!。」とかいうのを思いつく。
そこまで出てるんなら「密航者」という言葉が出てきても良さそうだが、そこだけはすっぽりと抜けている。
不便。
そう。
それは、不便だ。
何が不便かって、結局あの本の9巻の最初の方のページを調べても、該当する言葉は使われていないのだから。

壁はもう ないのよ

トートバッグを買う。
気にいった大きさのものだったが、残念な事に「くち」にジッパーがない。
だだ開きである。
こういうかばんを持って店に入ると、店員さんは気が気でないのではないだろうか。
例えば商品と人体の間には、服があり、皮膚があり、筋肉がある。
よって店員さんは、お客さんが胃の横あたりに商品を忍ばせて盗みをはたらく、といったことは考えずに済む。
しかし、商品とだだ開きかばんの間には、何があるだろう。
おもいっきり開放系である。
お金の投入口が、手首が入るくらい大きく開いた貯金箱くらいの開放系であり、門限17時をいやいや守り続けてきた女性が、通学のための1人暮らしをはじめたときくらいの開放感である。
お客さんは、その気になれば店員さんに気付かれることなく、すばやく商品をかばんに入れることができる。
もし気付かれたとしても、店員さんは人のかばんをのぞくという、ある責任が生じる行動を起こす必要がある。
よほど自信がないと、難しいだろう。
また、そのお客さんが生粋の嫌われ顔だったりすると、知らないうちに他のお客さんから勝手にかばんに商品を入れられてしまうかもしれないし、下手すると商品が自らかばんにダイブする可能性だってあるわけだ。
どれも、料金を徴収できないまま、商品を持ってかれてしまう可能性があるものばかり。
要は、だだ開きのかばんを持ったやつは店に被害を与えるお客さん、いや客である可能性がジッパーかばんお客さんよりも、少し高い。
それを店員さんは知っているのである。
よって、だだ開きかばんの客はロックオンされる。
僕もそのような扱いをこれから受けるはずだ。
そこで、ロックオンをはずすことを少し考えてみたら、以下のものが挙がった。
1.だだ開きかばんを、既にパンパンにしておく。プラス長ネギ出が最良。
2.プレイボーイ袋とじスクラップなど、よりロックオンされやすいものを出入り口等に仕込む。
3.絶えず店員さんの目の届くところにいる(いつかはずれる)
本日の本屋で3を採用。
本棚の半分も、見て回ることができない。

確認し過ぎる、ことはないんですって。

昨日から。
【あらすじ】
すっぽんのスープに亀の形をしたラビオリを入れる意義
インディ・ジョーンズという映画の何作目か。
晩餐会に招待された主人公達に、一杯のスープが運ばれてくる。
しかし、それを飲もうとしたとき「何かの目玉」が入っていることが判明するのである。
それはまさに「目玉のスープ」だった。
主人公達はきゃーだのわーだのなったのだが、僕は、むしろ目玉のスープであることがわかってよかったじゃないか、と言いたい。
飲みたくなければ、飲まなければよいのだ。
また、目玉のスープであることが分かったからには、ちょっと無理して「蚊の目玉のスープなんだ」と自分に言い聞かせることができるかもしれない。
ただし、映像を見る限り直径4cmほどの目玉なので、かなり前衛的な蚊であることは否めないが。
「亀ラビオリ」の持つ意味は、食材の通知である。
昨日の「いもむしスープを、そうとは知らずに飲む人」。
本日の「目玉スープで阿鼻叫喚なジョーンズ一味」。
その通知が必要なのは「何の食材を使用したのか分からない料理を食べる人」であり、そのときに初めて意義のようなものを持つのだ。
スープをかき回すと、いもむし型のラビオリが。
あぁ、これはいもむしのスープなんや・・・。
スープに、目玉の形をした、お麩が。
あぁ、これは目玉のスープなんや・・・。
はじめて、通知が意味を持った瞬間だ。
ところが残念なことに「何の食材を使用したのか分からない料理」というのは、何かを期待した結果ではあるが「何を使ったか、一発で分かるパーツ」が入ってる場合が多い。
いもむしは大抵丸々投入されているし、目玉もくりっくりだった。
そう。
食材の通知が必要ならば、「一発パーツ」があれば事足りるのだ。
わざわざ、いもむしのスープにいもむし型ラビオリを入れることはないし、実際そうはしないだろう。
となると、わざわざ作られる「亀ラビオリ」が持つ意義というものが、いよいよ分からなくなってくるのだった。

確認し過ぎる、ことはないってば。

昨日から。
【あらすじ】
すっぽんのスープに亀の形をしたラビオリを入れる意義
昨日書いたように、「亀ラビオリ」がその意味を持つシーンというのは「試食者が何を食べているのかわからないとき」であると思う。
そんなことがあるかって?。
昔の番組に「世界のゲテモノ的な料理を紹介する特番」があった。
※「世界の超豪華珍品料理」:
なかなかに国辱まがいなシーンもあり、そこはイカンのだが、それ以外は結構面白い番組だった。
リアクション芸人が無闇に映える。
細かい説明はいらないだろう。
我々日本人がゲテモノと思うような食材を世界中を回って探し出し「現地の人も、そうは食べんやろ」というような感じで食したり、出したりする、口の出入りが激しい番組である。
面白いことに、この番組におけるゲテモノ料理の紹介には、2つのパターンがある。
一つは「でちゃってる」パターンだ。
これは、ゲテモノの、ゲテモノたる由縁部分があらわになっている状態で出される料理。
いわゆる「姿焼き」系だ。
この場合、もうでちゃっているので、試食者は恐る恐る食すことになる。
それが視聴者の「ダークフォース部分」を刺激するのだ。
一方、「かくれ」。
これは主に「でちゃってるパターン」で現場がひと革命起きたのち、用いられることが多いパターンだ。
「うわー!!、あんなの食べちゃったよ!!。」
「じゃあ、このスープで口直しして。」
「なんだこれ、おいしいじゃないか。」
「実はこれ、いもむしのスープなんだ。」
ちょうどそのとき、スプーンで丸々太ったいもむしをすくう。
というような流れとなり、もうひと革命、勃発する。
それが視聴者の「起承転結、日本のワビサビ部分」を刺激するのだ。
で、すっぽんのスープに亀の形をしたラビオリを入れる意義。
明日、もう一つ、例。

確認し過ぎる、ことはない。

今、「メントレ」を見ていたら、なにやら料理のコーナーだった。
ちゃんと見なかったのだが「すっぽんのスープ」が紹介されているようだ。
そして、それには亀の形をしたラビオリが入っているとのこと。
なんだその再確認。
これとはかなり離れてしまうが、人間というものは「再確認」をしたがる生き物らしい。
たとえ。
「あ、ねこだ。」
ちょっと気を抜くと、人はねこを見たときに、このセリフを口にする。
わざわざ口にして確認せずとも、ねこであることはわかっているんである。
しかも「a(不定冠詞というらしい)」をつけて、強調すらしてしまう。
誰に確認しよう、ということではなく、とにかく気が緩むと人は確認をしてしまうのだった。
もちろん悪いことではなく、むしろいい面のほうが多そうだが、必要性というものもある。
冒頭の亀ラビオリは「あなたが今飲んでいるスープは、亀です。」を知らせる働きを持っていると考えられるが、この通知が本当に必要なのは、実はそのスープがすっぽんのものであることを知らない人に対して、だ。
だが、すっぽんスープを飲む人は、たいていすっぽん承知の上、である。
この点から、亀ラビオリの意義を、僕は見出せないのである。
次回
亀ラビオリの意義を求めて、北へ。

裏ワザ

明日からできる、ぎりぎりイケそうな裏ワザ大公開!!。
・履歴書やアンケート用紙の記入で「自分は中性派なところがウリです。」と印象付けられる裏ワザ
→性別のところで、男チェックボックスと女チェックボックスの中間にレ点を書き込もう!!。
・特に何のとりえもないけれど、なぜだかモテてしまう裏ワザ
→NHKのど自慢の「審査員特別賞」を狙うようなイメージで、生活し続けよう!!。
・鳥のから揚げがおいしくなる裏ワザ
→家族を持て!!。
・目の前の車がトランスフォームしたらどうしよう、と不安になったときに冷静になれる裏ワザ
→「大丈夫だ、トランスフォームはしない」と口に出して言おう!!。
・ハンカチがないのに手を洗ってしまったときの裏ワザ
→体質で押し通そう!!。
・ハンカチがないのに手を洗ってしまい、体質で押し通せない人が相手なときの裏ワザ
→蛇口から出口に向かうまでの間に、全ての力を、手の水滴を水しぶきに変えること、に費やそう!!。

紫煙八景・例の件で

僕の机の上に、たばこが置いてある。
確か今年の1月くらいに買ったやつだ。
中を見てみると、ほぼ満員御礼。
ほとんど吸っていないのだ。
その理由は簡単。
僕は、たばこを吸うチャンスを作ることができていないのである。
そんなたばこの箱を見ていたとき、僕は気付いた。
たばこを吸う人は、そのチャンスを作り出せる魔法の言葉を知っている、ということ。
「一服」
なんと、便利な言葉だろう。
どんなに忙しい作業の合間でも。
「ちょっと、一服してくる。」
たとえ体育館内ドミノ100万枚イベントの前日ラストスパート時期であっても、この言葉で作業から抜けることができるのだ。
そして、ヘタするとたばこを吸わないで少年ジャンプの巻末はがきコーナーで笑っていたりして、それを見られたとしても「まぁ、一服だからな。」と思われるに違いない。
※それに比べて、たばこを吸わない人にとって、「一服」に変わる言葉があるだろうか?。
「ちょっと一休みしてくる」
自動販売機の前で伸びをしているだけで「何やってんだ」と言われそうだ。
「一服」という言葉のカリスマ性は、ない。
このように「一服」という言葉の、たばこ吸い人に対する包容力は、目を見張るものがある。
しかし、それは「たばこを吸う行為」がなんとなく仕事、ノルマっぽい、という感じのあらわれでもありそうだ。
「たばこを吸う人は、たばこを吸うのが当たり前であり、義務である」というイメージ、考え方が浸透している。
例えば、たばこを吸わない人は、喫煙が「たばこ代も馬鹿にならない」「健康に悪い」「におう」ものであり、すすんでやるような行為ではない、と感じている。
だから、彼らは「喫煙は、絶対的なモノに無理やり押し付けられた、仕事みたいなものなのではないだろうか。」と推測するのだ。
※この推測に「わっか」「しゃぼん玉に煙を入れると、面白い」などといった少数派「ファンタジー枠」も、一応は含まれているはずだが、悪い喫煙イメージを払拭する力は、「ファンタジー枠」にはない。
そして、喫煙者のほとんども、喫煙に対するこの「仕事イメージ」を少なからず持っているだろう。
だから、「一服してくるね。」という言葉はある意味「ちょっと、別の仕事してきます。」と同等に違いない。
たばこを吸う人は、魔法の言葉を使ってよくいなくなるが、それはそれでかなり忙しい。
僕がたばこを吸うチャンスを得るために「一服」という言葉を使うかどうかは、ちょっと考えどころなのだ。

洗手 3

昨日からの続きです。
【あらすじ】
黒い油で手が汚れているのだが、洗う場所がない。
下北沢という町は、雑貨と寺山修司氏が大好きな人々の集まる町、と言っても過言ではないが、もちろんそれ以外の人が来ても、うろうろできる。
しかし、手の汚れている人は、来てはならない。
まず、何も手に取れない。
ところせましと店が並び、魅力的な、なんだか用途のわからないものが売られているが、それを手に取ってしまうと黒い油で汚れるので、触れない。
じっくり選別することが許されないのである。
確か、気になっていためがね屋があった。
でも、ざんねんなことに、手が汚れているのだった。
めがねのふちを汚してしまう。
財布がほしいと思ってから、かれこれ3ヶ月くらいたつ。
でも、ざんねんなことに、手が汚れているのだった。
新品の財布が使用感たっぷりになってしまう。
なんだかお腹がすいてきた。
でも、ざんねんなことに、手が汚れているのだった。
ナイフや箸の美しい光沢を損ねてしまう。
ずいぶん前から、一辺50cmくらいの、木でできた正方形に近い、足が角ばった、学校の木工室にありそうな机を探していた。
でも、ざんねんなことに、そんなものはなかった。
ここで買えたとしても、どう持って帰るかで途方にくれてしまう。
このように、手が汚れていると下北沢のウリのひとつ「雑貨」が楽しめなくなってしまう。
あ、あそこに、寺山修司氏が歩いている!!。
・・・なんだ、ポスターか。
無意識のうちに、歩いている人とポスターを融合させてしまったようだ。
彼はずいぶん前、けっこう若いときに亡くなっている。
もし彼が生きていて、なぜか下北沢を歩いていて、なぜか僕と互いに「寺」「7」と呼びあう仲だとしても。
今の僕は手が汚れているので握手とかできないし、そもそもやっぱり近寄れないだろう。
このように、手が汚れていると下北沢のウリのひとつ「寺山修司氏関連」が楽しめなくなってしまう。
このように、下北沢で楽しめなくなった僕。
それを助けてくれたのは駅前のスーパー「ピーコック」だった。
そこのトイレには洗浄液とアルコールが置いてあったのだ。
そこで、無我夢中で手を洗った。
手を洗うときに、後ろの人を長く待たせることなんて、そうはない。
すばらしい爽快感と、洗浄液の芳香。
ありがとう、ピーコック!!。
ありがとう、洗浄液!!。
こうして僕の中では、下北沢は「雑貨とピーコックと寺山修司氏の町」となったのです。
「ピーコック2位で、寺山修司が3位かよ!!」と思われる方がいらっしゃるかもしれない。
だが僕は、本が読めない状態で、この町に出て来た。
ほんの。
ほんの少し、彼の言葉を踏襲した気もするのである。

洗手 2

昨日からの続きです。
【あらすじ】
オトナは、手が汚れてちゃ、ダメだ。
以前、土を掘ることとかを、を書いた
この話でミソとなる部分のひとつは「おとなの手が汚れていたら、変だ」という点であると思っている。
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このあいだ、髪を切断するため、駅に向かっていたとき。
自転車のペダルがやたら軽いことに気づいた僕は、すぐにチェーンが外れていることに気づき、いやだなぁと思った。
それは、自転車のギア部分にチェーンをつけなくてはならないということであり、イコール自転車のギア部分についている黒い油をニベアニベアすることを意味している。
そして、この油は洗ってもなかなか取れず、石鹸に対しても、子猿を奪われた母猿のように強いのだ。
しかたないので、手を汚しながらもチェーンをはめていく。
黒い油は、ハンバーグを作るときのひき肉油のように、半端なく手につくのだった。
でも、このとき僕は油断していた。
駅で手を洗えばいいや、と思っていた。
それまでの辛抱だ、と。
ところが、期待は裏切られた。
皆さんも覚えておかれたほうがよいと思うのだが、近頃の駅には石鹸がない。
固形の石鹸はもちろん、液状の、なにやら緑色のやつもないのだった。
美容室の、予約した時間が迫る。
そのまま電車に乗ることにした。
電車の中で手が使えないのは、なんとつらいものか。
つり革が、つかめない。
本が、読めない。
ケータイの意味が、ない。
頭も、かけない。
シートにべとーって塗りたくる、勇気もない。
ヘリから垂れるはしごにも、届かない。
理想の自分にあとちょっとで、届かない。
お金も、ない。
ここぞというときに、ふでばこに消しゴムがない。
入れたはずの水着が、ない。
希望もない。
水筒に、一滴の水もない。
そして・・・
★最後のオチ的なヤツは、下の5つから、自由にひとつだけ選ぼう!!。
1.もう、どうにも止まらない。
2.ラララ人生、アン、ドゥ、トロワ。
3.このあいだ「幹てつや」って言葉をテレビで聞いたときは、うれしかったな。
4.最近23時過ぎからの10chのゆるさが、なんだか楽しみでね。
5.あの山の方から、光が、びゅーっと、ね。びゅーっと、来たんですよ。
これまたしかたがないので、手のにおいをかいだり「自転車の油で、どれほど指紋が残るか」で遊ぶしかなかった。
結局、行く駅の全てのトイレには奇跡の水グリーンウォーターは存在せず、美容室の時間も過ぎてしまった。
よって、時間を2時間ずらしてもらうことになり、その分、さらに僕は彷徨しなくてはならなくなったのだ。
手は汚れたまま。
犯罪者の気分であるが、このように手が真っ黒に汚れる犯罪というのは、せいぜい「銭湯の煙突にチン入者あらわる!!」のようなものくらいだろう。
続かなかった、俺の書きたい気持ち!!。
続く。

洗手

人間には、やってはいけない事がある。
「人殺し」
いけないね。
何がいけないって「殺し」だ。
これがなければ「人」となり、なんかこうして一文字で見ると堂々としてていいな、とかなり、いけなくない事となる。
やってはいけない。
同様にオトナ限定で、やってはいけないコトがある。
例えば「ソフトクリームを鼻につける」というのは、ある程度の属性を持っているオトナでない限り、やってはいけないことである。
「大勢で同じ言葉を大声でゆっくり言う。」という項目も、常連。
オトナたちを呼んできて「林間学校」と言ってもらえば、よく分かるはずだ。
また、少々意外かもしれないが「バナナの皮でスベる」というのも、かなり上位をキープし続ける要素である。
だが「オトナが、やってはいけないコト」で、そのやってはいけないぶりから永久欠番となっているものあることをご存知だろうか。
「手が汚れていること」である。
そんなに重要じゃないじゃん、と思われるかもしれないが、そんなことはない。
絶対、オトナはやっちゃだめ。
もしやっちゃってたら、いち早く洗うべきだ。
また「俺の手は、呪われた血でべったりだ・・・。」とかいうのの比喩ではなく、本当に汚れていることである。
考えてもらいたい。
「電車の中で、黒く汚れた手を嗅ぐオトナ男性。」
助手が来ないので、近くにいたおじいちゃんに胴体切断のマジックを手伝ってもらうくらいの危険度である。
これは、やってはいけない。
明日に続け、俺の書きたい気持ち!!。
続く。