カレーが食べたい

最近カレーを食べていないから、そろそろちょうだいしたなぁと思ったその日に、シチューだ。
こちらの心情を逆なでするのかのようなシチュー。
シチューは、食品会社による執拗なプロパガンダのおかげで今日、家族であったかよかったね食として揺るぎない地位を確立しており、これがあれば、あとはやさしいママとケーキを買ってきてくれるパパで、何かの必要十分条件を満たす。
よって、常にいがみあっている関係であったとしても、シチューが石油ストーブの上で湯気を立てている日くらいは、居間でトランプでもしようよの雰囲気になるものだ。
そんなシチューが逆なでする、カレー心情。
何が気に食わないかって、その材料があれば、カレーができたじゃない!!というところだ。
カレー、おいしいじゃない!!。
また、同類の気に食わな点だが、シチューの次の日はカレーではないという事実だ。
材料が同じということもあるのだろうが、どうもシチューとカレーはそれぞれ目指す方向が同じと考えられており、そんなものを連続した日には出せないと思われがちなのである。
だから明日はカレーじゃない!!というところだ。
カレー、おいしいじゃない!!。
さらにこの考え方は、ちょっとした奇跡がかなっていれば、カレー2日連続となった可能性も示唆する。
「カレーを作った翌日に、別のカレーをまた作る」
一見無駄が多く、変な手間かかるだろうことだが、悪いことではないし、一晩寝かせたあのうまさは、メーカーがどうにかしてくれる。
バーモントと非バーモントを食べ比べることもできるし、ちょっと冒険したカレーも楽しめるだろう。
そんなわけで、まだカレーは食卓にない。
そんな環境でトランプなんぞできるか!!。

くまについて

近頃、クマ的なキャラクターが大人気なのである。
雑貨を扱う店には、まずクマのぬいぐるみがあり、ストラップがあり、ハートがついていたり、鮮やかな色彩だったりと、まあいろいろ包括して、くまがある。
本来、くまは怖い動物のはずだが、一方ではかわいいやつとして親しまれている。
なぜなのだろう。
こぐまか。
こぐまがかわいいからなのか。
プーか。
プーがかわいいからなのか。
とにかく、我々が身近に接することのできるくまはたいていかわいくなっており、例えばくまの絵を描けと言われれば、それは鮭の肉片が口の周りに付いたくまではなく、幼稚園児のカバンに付着するアップリケのようなくまが描かれるはずなのである。
そしてくまを愛する人は多い。
知り合いの携帯電話は、くまなりだ。
すなわち、くまのキャラクターだらけなのである。
またある人は、店頭にならぶ大きなくまのぬいぐるみに声を上げる。
大きなくまのぬいぐるみ。
何かしらのシンボルが見え隠れすることは、誰しも認識しているところである。
このように、怖いながらもその存在はかなりかわいい方面に偏っている、昨今のくま。
しかし残念。
そんなくまと、くまを愛する人たちの行き着く先。
それはベアハッグによる、どちらかの殺害なのである。

有意義

みたらしだんご持っていたことを忘れて、長袖Yシャツを脱いでしまえ。
最近、そんな人がどれほど多いことか。
まず僕だ。
なんかの漫画でも言っていたが、ノープランで街に繰り出すなという話だ。
有意義なこと、一つもないぞ。
さっきの惨事を忘れて、長袖Yシャツを着てしまえ。
やはり僕だ。
猫が、ほんの少しの隙をついて、僕の部屋におしっこをするのだ。
有意義なこと、一つもないぞ。
☆☆☆☆☆
[これを持ちながら服は脱ぎたくないなベスト10!!]
あんずあめ
串かつ(たれ付き)
みそ田楽
両手いっぱいのふん
バーベキュー串
チリドック
手榴弾(ピン抜けてる)
お好み焼きにソースを塗るためのハケ
不良債権
ます酒
☆☆☆☆☆
有意義なこと、一つもないぞ。
当ブログ、有意義なこと、一つもないがゆえ。

よくばり2

昨日からのつづき。
【あらすじ】
なんか映画とかって、「愛と友情のストーリー」というように、「○○と××」とわざわざ2段にしているね。
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今回は上記あらすじにある「○○と××」について、どのような基準で言葉が選ばれているのかを考えていく。
「崖の上のポニョ」。
この映画を「愛と友情のストーリー」と言っても、そんなすさまじく変ということはないだろう。
「友情」の方は厳しいかもしれないが。
一方、以下のものを僕は見たことがない。
「魚と魚好きのストーリー」
「海の幸と海の幸好きのストーリー」
「ポニョとその他大勢のストーリー」
そしてもちろん「ポニョと宗介のストーリー」というのも見たことない。
結局、○○と××にはかなり大雑把な、かつ好かれそうなあたりさわりのない言葉が入らなくてはならない。
それは当然のことで、あまりに具体的だと(例にある「魚」ですら具体的となるが)、まだ映画等見ていないほとんどの観衆が、おいてけぼりをくう、悪くなると勘違いまでさせてしまうから。
※さらに、よく考えるとポニョは海の幸ではないと思われるため、例はその点もだめだ。
「スーパーマン」。
以下のものを僕は見たことがない。
「飛行と怪力のストーリー」
「ライオンとイボイノシシのストーリー」
「タイツとマントのストーリー」
やはり、○○と××には、やたら大まかなことを書くべきだ。
妙に具体的だと、やはり観衆に勘違いをさせるし、なにしろ今回の例では、そもそもこの映画を見たいと思わないのだ。
「飛行と怪力のストーリー」にグッとくる観衆はあまりいないだろうし、「ライオンとイボイノシシのストーリー」は明らかにライオン・キングと間違っていて、かつライオンの次がイボイノシシになっているが、ライオン・キングにおいても、それほどイボイノシシは重要じゃないだろと指摘されてしまう。
「タイツとマントのストーリー」にいたっては、へたすると「タイツとマントが恋をした→スーパーマン誕生」のような誤った誕生秘話が創作されてしまうかもしれないのだ。
=====
以上より「○○と××」には、大まかな、もう「愛/友情/別れ/涙/勇気」くらいが入ればいいことが判明した。
この話の終着は何か。
例えば今年1年が終わるとき。
「今年1年、○○と××のストーリーだったな」とまとめることができそうだなぁ、ということである。
現状「眠気と薄着のストーリー」な人は、あと2ヶ月くらいで「帝王学と遺産相続のストーリー」とかにまとまるようにしてみよう!!。
これまでの話、まったく意味なくなっちゃったけど。

よくばり

「愛と友情のストーリー」といったものを目にすることがある。
このとき「○○と××」と、わざわざ2段にしている理由。
考えてみると、それはおそらく「ストライクゾーン広げ」であることに気づく。
例えば「愛のストーリー」だと、「友情は感じたけど、愛は感じなかった」人に対して期待はずれな思いをさせてしまう。
そして同様のことが「友情のストーリー」の場合でも言える。
その点「愛と友情のストーリー」なら、この両者はそれほど落胆せずに済むはず。
このように、期待はずれと感じさせてしまう人を少なくするために「○○と××」の形式があるのだ。
しかしこの形式は、欲張ってしまってはいけないだろう。
「愛と友情と青春、そしてカーアクションと涙のストーリー」
本当にそんな内容なのかもしれないが、とにかく欲張りすぎだ。
「二次元愛と友情のツープラトンと青春18きっぷ所持、そしてスタントマンによるハードなカーアクションとおすぎ涙のストーリー」
とにかく欲張りすぎだ。
「愛と友情のストーリー 別れも少々」
これも、しかり。
明日につづきます。

ひどくでかい

例えば、かまきりである。
かまきりが人間と同じくらいの大きさだったとしたら、これは怖いだろう。
動きは素早いし、ぎりぎり人間を常食にできそうだし。
アリが人並みにでかくなる映画があったりもしたが、とにかくこの手のものがでかくなると怖いのである。
ところで、これはどうだろう。
「関越地方を覆う羽を持つ、蛾」
でかすぎて、もはや怖くない。
なにかの冗談のような気がする。
富士の火口に頭をつっこむハナムグリ。
ジャンプするごとに砂煙が黄河まで届く、ノミ。
エベレストに腰掛けるチワワ。
月でじゃれるねこ。
太陽系おはじきな幼女。
これらは圧倒的被害をもたらしそうだが、ここまでくれば人間様が思うのは怖いどうこうではなく「もういいっすよ」しかない。
「うははでかすぎるにもほどがあるだろ」
半笑いで、あきらめである。
恐怖というのは、実はかなりの「ほどよさ」がないと成り立たないという、妙な例でした。
何故か結論が出た。

夏の虫

昔はだいぶな決め文句だったんだろうな「飛んで火に入る夏の虫」。
しかし、ことわざ系全般にも言えることだが、その使い方が気に食わない。
「飛んで火に入る夏の虫とはきさまのことだ!!」
こう言う。
少なくとも時代劇ではこう言う。
ここで相手が「なにを!!」となればいい。
だが、相手がうっかりさんだったらどうなるか。
「飛んで火に入る夏の虫とはきさまのことだ!!」
「え、虫?。違うよ。」
そういうことじゃなくてと地団太を踏む悪代官が目に浮かぶ。
ということで、勘違いされないためにも、こういう使い方の方がいいだろう。
「きさま!!。よく見てみると夏の虫みたいな顔しているな!!」
これでは相手は「なにを!!」と言う他ないわけだ。
内心は「どういうこと!?」って思うんだろうけど。
「きさま!!。よく見てみると夏の虫みたいな顔しているな!!」
「なにを!!」
「それで、あれだ。火の中に入ったりするんじゃないのか、え?」
「どういうこと!?」
「自分も燃えちゃうのに、火のなかに入ったりするんじゃないのか?」
「というか、現状もう火の中に入っているようなものなんじゃないのか?」
「え、火?。違うよ。」
地団太を踏む悪代官が目に浮かぶ。

健康法

生きている以上、健康に暮らしたいと思うのは至極当然のことであって、実際人々は様々な試行錯誤を繰り返しつつ、健康を獲得してきた。
紅茶きのこ
僕だってどういったものなのか知らない。
ただ、昔はやった健康法であること、おそらくまずいであろうことくらいを知っている。
ぶら下がり機
ぶら下がるのだろう。
これがどういった効用をもたらし、健康に結びつくのかは知らないが、おそらく開始5秒くらいは気持ちいいだろう、くらいを知っている。
以上2点、かなり昔だがよく知られていると思われるものを挙げた。
しかし、これらは現在、その存在は週刊誌の欄外コーナーにすら取り上げられることはそうない。
それはいわば流行。
健康法は流行であるとも言えるのだ。
ところで話は変わるが、「紅茶きのこ」「ぶら下がり」がそもそも健康を保つために生まれたものかどうかを考えると、実はそうでないだろうことになる。
以下のような流れがあり、その地位を確立したのだろう。
・なんかわからんが、紅茶きのこというものがあった

・使ってみたら、健康でした

・健康モノとして流行
すなわち、健康かどうかが判断されるまで、少なからずお試し期間があったはずなのだ。
以上2点、
・健康法は流行だ
・健康かどうかは判断期間がある
を踏まえると、今後こういったものが生じるとは考えられないだろうか。
ボディコン健康法
考えられないよね。
でもそれだと終わってしまうので、これでまたぎたい心境な今日。

元気

元気がいちばん、とは言うものの、元気でも困るものってあるんじゃないだろうか。
先日Suicaにチャージをしたところ、取り出し口からSuicaが、何故かいきおいよく飛び出してきた。
「そんなにチャージしたことがうれしかったのか」
「チャージの本質って、いきおいよく飛び出してくるという、技か何かだったのか」
ってなことを感じたのだが、何よりもカード取り出し口から、カードが元気よく飛び出してはいけないと思った。
びっくりする。
このように、元気ではいけないものもあるのだ。
と、ここで何かしら例を挙げるのだが、いかんせんベタなものしか思いつかない。
そして早めに切り上げたい。
?????
観覧車
回転すし
シーソー
エスカレータ
?????
案外思いつかないと勝手に考えているのが自動ドア、霊柩車の運転手あたりか。
ろくろもいいし、あやとりもなかなか想像させてくれる。
ガンとかは、みんな納得だ。
ナマケモノも、あんまし元気なのもどうかと思う。
もちろん元気であっては欲しいのだが。
と、いままでのは、どうも「元気≒活発」という式の上になりたつものでありそう。
となると、活発じゃいけないものということにもなるが、これは帰宅部が筆頭になるだろう。
なるだろう、ってのもないですけど。

白熱デモンストレーション

「さあ始まりました、因縁の対決、ドン嵐山 vs カペラ本庄の対決です」
「この二人の対決は前世から、とも言われているくらいですからね」
「あーっと、ここでドンのバックドロップが決まった!!」
「そしてそこから流れるように延髄キックだ!!」
「カペラ本庄、ピンチですね」
「しかしカペラもラリアットで応酬だ!!」
「そして・・・、あ、ついに出た伝家の宝刀、まんじ固めだ!!」
「これは入ってますね!!」
「ああ、抜け出せないドン!!。きつそうな顔だ!!」
「さあ、どうなるんでしょう」
「もう動けない!!、完全に技が決まっている!!。絡み付いている!!。ついに決着がつくのか!!」
「つらいドン!!、つらい!!」
「・・・あ、あーっと、ここでついに!!」
「ついに決まった!!」
「ついに、一人になりました!!」
「究極合体、やっとドンカペラ山本の入場ですね」