指定その2

昨日からのつづき
【あらすじ】
「R指定」って、色んなところで使えそうだけど、疑問もあるな。
「R指定」への疑問点は、その指定が定数で区切っちゃっているところ。
年齢だ。
「R-18」なら18歳、「R-15」なら15歳未満だっけか。
「R-54T」ならかなりロボットっぽい。
「R-120」なら未来への先手打ち過ぎだし、かなり生きる気満々だ。
人間、10歳になったら全員さかあがりができるといった十把一絡げ的な性質は、ひとつも持っていないだろう。
だから、
「R-15」を見るに耐えうる精神を修行で得た10歳が「R-15」と書かれたゲームの前で「もー!!、もー!!!!!」と地団太を踏むのを、
家庭が複雑で、まぁ色々あって、「R-18」を経験できる、絶えず安定した精神状態を保持できる能力を獲得した12歳が「R-18」と指定された覚せい剤根絶キャンペーン映画のDVDを手にとって「もー!!、もー!!!!!」とハンカチを噛むのを考えたとき、
なんとなく不条理な気がするのだ。
ちなみに、後述の例では、いよいよ本格的に不条理な気がするのだ。
よって、「R指定」は定数で指定しないようにするといい。
「R親知らず期」
:一生お世話にならない人もいる。
「R反抗期」
:子供向け、親向けと用途が分かれるため、表記は
「R反抗期」と「R反抗期(親用)」に分ける。
(子用)と付けないのは、エチケット。
「R倦怠期」
:ある意味、だいぶ過激なものになりそうだ。
消費者は、期待する商品を手に入れられるだろう。

指定その1

「R指定」というものは、もっと色んな風に使えばいいと思う。
例えば、書店などではよく「中学生のあいだに読んでおきたい本」みたいなものがあるが、これには「逆R(アンチアール)」を仕掛ければいい。
「AR15指定」なら、16歳以上の人には売らない。
こうなれば、なんとなくでも15歳までには読んでおかなくちゃ、となるはずだ。
もちろん、ネットなどで「AR18指定のものを違法に配信する」ことなどが懸念されるが、おそらくそんなに問題にはならないんじゃないかと思う。
なぜなら、「R指定」では「もっと人生積み重ねなくちゃいけないのに、それを一足お先に」的な需要が存在するけど、「AR指定」ではそんな需要に相当するものがないから。
「へっへっへ。「ライ麦畑でつかまえて」を46歳でも読んじゃったよ?」
相手が「あぁ、よかったね・・・。」と悲しい笑みを浮かべるのが、目に見える。
でも、この「R」の指定ってのには、疑問点もある。
明日へつづく。

おっきな兄さん連盟

誤解を恐れずに言うなら、からだの大きさと人間関係の広さは、比例する。
小学校低学年では、隣の机のマリちゃんと、給食のおかずを気にしていればよい。
しかし、その高学年にもなると、他のクラスになってしまったマリちゃんの他に、隣の机のハルカも気にしなくてはならない。
さらに中学生になり、からだが大きくなると、他のクラスのマリやハルカの他に、隣の机のケンタも気にする必要があるし、他のクラスのジュンコに気にされてしまったりするし、エロ本を貸してくれると約束したハカセには最大限の気配りが必要となり、大変である。
さらにその後、成長しつつ、他校との交流試合があったり、高校へ行って「マリ・ハルカ・ケンタ・ジュンコ・ハカセ」的な関係が2倍にも3倍にもなったりする。
そして、校庭を暴走族が暴走し、その名の由来を窓から見る者に知らしめるのだ。
たいがいのものは、この辺で成長も止まりだすので、人間関係もそれほど新規開拓されない。
例えば会社に入ったとしても、「からだ成長期」時代ほどの頻度では人間関係は更新されないのではないだろうか。
たまたま「からだ成長期」と義務教育期間が重なっているため「学校で、様々な人と出会う機会があるから人間関係が増える」と思われがちだが、実はそうではなく「からだが大きくなるから、人間関係が増える」のである。
だから学校に行かなくても、からだが大きくなるにつれて、上記の「マリ」を担当する者が、エロ本をくれるハカセを担当する近所のおっきな兄さんがいやおうなしに登場するのである。
・・・納得いかない?。
それもそうだ。
でも、見たまえ。おすもうさんを。
隣の人と、くっついてる。
見たまえ、おすもうさんたちを。
ほぼ融合している。

あて先のない手紙その2

昨日からの続き。
【あらすじ】
僕らが無脊椎動物に教えてあげられること。
昨日、多くの無脊椎動物が、いかに自分の体にコンプレックスを持っているのかを書いた。
「ちょっと、くびれが消えかかってきた。」
「俺の手、もうちょっと繊細な動きができないかなぁ。」
「もっと、足の数が少ない方がいいのに・・・。」
「キスのとき、複眼が目立っちゃって・・・。」
「体の中に、芯があったら、もうちょっとしっかりしているように見えるのに。」
という、かなり重要なファクターを抑えて挙がったのは、
「体、もうちょっと大きくならないかな」であった。
こう思っているからこそ、オスは求愛ダンスで体を大きく見せようとし、メスは体の大きいオスを選ぼうとするのだ。
奴らに教えてやろうではないか。
「こうすれば、求愛ダンスのとき、もっと体が大きく見えるよ」というものを。
「刑期3年を終える」
この経歴により「あの人、何かすごいことやったんだわ」と「あの人、3年も生きれたんだわ」ということを思わせることが出来る。
もちろん、実行できていなくてはならないが。
「本物よりちょっと小さい1円玉をつくり、その上で踊る」
大きさというものは、比較できるもの、スケールが必要である。
この場合、多くの無脊椎動物が1cmにも満たない点であることを考慮し、にせスケール1円玉を用意させてもらった。
もちろん、1円より大きい無脊椎動物は「マッチ棒」「東京タワー」などを、にせスケールとして用いてもよい。
「踊りながらちょっとずつ近寄る」
かなりバレやすい方法かもしれないが、ダンスが驚異的にうまければ、メスは近づいてきていることに気付かない。
トンボの前で指を回転させながら接近しても、トンボが逃げない理論と同様である。
オスはかなり魅惑的なダンス能力を求められる。
「株に詳しくなる」
「携帯電話を3台活用する」
キーボードなんかを同時に複数扱えたり、高頻度で無脊椎文字を含んだメールを出せる無脊椎オスに対して、無脊椎メスはあらゆる分泌器官から性フェロモンを出すことをためらわないのだ。
「すっごい襟の服を着る」
自分の大きさくらいの襟のある服なら、それだけで2倍の大きさになれる。
ただし、必ず立てなければならない。
寝かせると、マントのようになるからである。
まぁ、こんなところだろうか。
どれも、かなり前準備は必要だ。
しかし、出来さえすれば、必ずや「求愛ダンス」の効力を増すことが出来るだろう。
よかったな、無脊椎。
ということで、これを伝えるべく、僕は無脊椎動物の前でバンザイすることにする。
次回
完全合体キングブレイザー第3話 「悲愴のアールフォリア」
お楽しみに。

あて先のない手紙

このあいだ、会話中に何かの拍子で「求愛ダンス」と言う言葉が出た。
ふつう、あまり使わない。
何でこの言葉が出たのだろうか。
そのときの「何かの拍子」というのは、いかんせん「何か」程度なので、定かではない。
僕の人生と「求愛ダンス」について、今回の件以外で確実であると言えるのは「2?3年前にも何かの会話で求愛ダンスに触れた」ことである。
要は、今のところ僕は、多くの人よりはコンスタントに「求愛ダンス」に触れていそうだが、そのきっかけが「求愛ダンス」を引き合いに出すに値する事柄だったかどうかは不明なのである。
まぁいい。
ところで「求愛ダンス」とはなんだろうか。
僕が感じている、もしくはイメージとして持っているものは、
「オス蟹が、メス蟹の前でバンザイする」
「オス蜘蛛が、メス蜘蛛の前でバンザイする」
「オス鳥が、メス鳥の前でぴょんぴょん跳ねる」
というものである。
無脊椎動物群の求愛ダンス方法が「メスの前でバンザイをする」というイメージが100%を占めていて、怪しさと、せつなさと、申し訳なさが炸裂しているのだが、だからと言って一様に誤解のレッテルを貼られてしまうようなことでもない。
「バンザイをする」=「体が大きく見える」ことは、無脊椎動物たちにとって死活問題に直結する、非常に重要度の高い論題と言えるからである。
多くの無脊椎動物たちは日夜、危機に直面している。
危機とは「子供に捕まる」「足元にいるのに気付かれない」ことであり、「食われる」ことである。
彼らは分かっているのだ。
「子供に捕まる」ということは「自分が子供の力で捕まってしまうような大きさ」ということであり、
「足元にいるのに気付かれない」ということは「自分は小さい」ということであり、
「食われる」ことは「自分のサイズが、捕食者の捕獲器官における許容範囲に収まってしまう、場合によっては相手の口のサイズにジャストフィットしてしまう」ということを。
無脊椎動物の代表格である昆虫は、その進化の過程で、骨格の仕様を外骨格とすることとした。
外骨格法では、あまり体を巨大化できない(地上)、と聞く。
そのため彼らは「小さい」という、危険度の高いサイズで生存していかなければならないのだ。
よって、彼らの「ぎりぎりまで体を大きくしたい」「体を大きく見せたい」精神は並々ならぬものがあるはずで、オスがメスの前でバンザイするのも、メスが大きいものを選ぶのも、いわば当然なのである。
ねむたさみだれ打ち。
寝ます。
本当は「人間は何を求愛ダンスの代替としたか」みたいにしようと思いましたけど、そりゃ3回目くらいにしますわ。
次回
僕らが無脊椎動物に教えてあげられること。
お楽しみに。

入り口暴風警報

唐突に思ったのだが、「まさか」の逆はなんなのだろうか。
「まさか、ストローに口を付けたまま、くしゃみをするなんて・・・。」
人の英知が生み出したものにストローというものがあるが、その誕生からそれほど時を経ずして、人々はあることに気付く。
「ストローに口を付けたままくしゃみをすると、大変なことになる。」
まず、シャワーを浴びてしまう。
また、本来は口を大きく開けたとき分の面積から飛び出せばよかったはずの「くしゃみ吐息」が、ストローの面積から同量飛び出さねばならない。
君は知っているか。
ストローの断面積を。
結果、ストロー経由では「くしゃみ吐息」の排出量が抑えられてしまうため、なんかくしゃみをした気分にならない。
まぁいい。
「まさか、ストローに口を付けたまま、くしゃみをするなんて・・・。」
ここ「まさか」を変えて、意味を変えたいのである。
変えたい意味としては、
「あいつのことだから、ストローに口を付けたまま、くしゃみをするのも当然だ。」という感じか。
と、ここまで書いて、気付いた。
「まさか」と「なんて」はコンビであるということだ。
となると、その逆は「そりゃもう」と「だよね」なのか?。
「そりゃもう、ストローに口を付けたまま、くしゃみをするよね・・・。」
同意。
この彼は、話相手に同意を求めている。
「ストローに口を付けたまま、くしゃみをするよね・・・、ね!?。」
そんなニュアンスを持ってしまった。
「まさか」の逆は、なんなのだろうか。
すごく少ないのに、それになっちゃった、みたいなことにも感じるので、すごくたくさんあるのに、それにならなかった、みたいな意味の言葉なのだろうか。
わからない。
こくご、ぼく、にがて。
今日の敗因は例文ほか、いろいろあると思いながら背伸びをする、丑三つ時1時間前。

無限射程

以前、貼り紙について、ちらりと書いた
「ハチに注意して」みたいな貼り紙だった。
この貼り紙は僕に「貼り紙は2種類の距離を持つ」ということを気づかせた。
すなわち、「その字が読めなくなるまでの距離」と「実際にその情報を知らせたい距離」である。
「ハチに注意して」の貼り紙の例では、明らかに「見える距離>知らせたい距離」であるため、問題にはならないだろう。
貼り紙の文字が読めなくなるくらい距離の離れた場所でハチに刺され、そのことを広告主をとがめても、彼はこういうだろう。
「それ、うちのハチじゃありませんよ。」
また、そもそも貼り紙自体が読めないはずのため、被害者もただ運の悪さを思うにとどまるはずだ。
このようなケースは
「犬のフンおことわり」
「落石注意」(貼り紙じゃないか)
などでも同様だろう。
問題は「見える距離<知らせたい距離」の場合である。
幸か不幸か、警告や危険性を伝えるような貼り紙では、このようなケースはまずない。
「天変地異に注意」
「保険料問題をないがしろにしないでください」
これらは、既に大抵の人が注意していることであったり、そもそも「見える距離と知らせたい距離」の差が大きいため、貼り紙というツールが適切ではないということをみんな知っているのである。
よって、貼り紙としてあまり存在していない。
気になるのはある種の「広告系」の貼り紙である。
「トイプードル譲ります」
この内容は「見える距離<知らせたい距離」の状態であるべきではないだろうか。
そうだとしたら、ここは貼り紙ツールの出番ではない。
別の情報の伝え方があるのではないだろうか。
もっとも、広告主が「譲ってもすぐに会える距離がいい」というのであれば、広告主はえらいが、それでももう少し「譲りたい気持ち」を広げてはどうか。
このようなケースは
「家庭教師やります」なども含まれるだろう。
しかし、「貸しマンション」などの貼り紙に関しては、そこそこローカルでなくてはならない。
世田谷区に近畿地方の安いマンション情報を発信しても、それはほぼ「何も発信しませんでした」と変わらないのである。
貼り紙をこれから貼るというとき、以上のような点を考慮しなくては、貼り紙の効力を最大限に発揮させることは出来ない。
でないと、リーガルの貼り紙業界の人に「こいつわかってねぇよ」と思われてしまうことだろう。
結論
インターネットって、すごいね。

職業、モンスターハント。

最近「モンスターハンターポータブル2」というゲームばかりやっていて、いけないな、と思う。
ゲーム内容はいたってシンプル。
恐竜みたいなやつと戦い、アイテムを得ていくのだ。
だいぶ流行っているゲームで、人によって「ここが面白い」という点は違うだろうが、僕がこのゲームの面白さについて特記すべきと思う点は「主人公のもろさ」である。
スーパーマリオブラザーズでは、パワーアップしたマリオが敵にぶつかると、「ワンワンワン」とかいう効果音とともに、パワーダウンしてしまう。
モンスターハンターでは、たいてい主人公は「うわっ」とか言いながら景気よく吹っ飛び、ごろごろ転がる。
それはそれは転がる。
マリオに登場する敵は、基本的にマリオのことをあまり気にせず、頭上をジャンプで越えられても気にせず画面上から姿を消してしまうような、前向きなやつが多い。
それに引きかえモンスターハンターでは、基本的に主人公に対して、みな敵意むき出しである。
主人公に気づくやいなや、その喉元を狙ってくるのだ。
したがって、それはそれは転がる間に、たいていのモンスターは大接近してくるのである。
しかも、モンスターと戦っているというのに、主人公は腹が減る。
腹が減った状態で何か行動しようものなら、たとえ恐竜の面前でも、「はぁ」とため息をつく。
お前!!。
モンスターの前でため息なんかついたら、そのにおいを嗅いだモンスターの食欲をそそるだろうが!!。
でも、動かしてて楽しいので、やってしまう。
中毒性の高いゲームだ。
しかし、「腹が減る」以上にリアル志向のゲームが増えても、困ると思う。
「ああああ」は虫に刺された!!。
→まさかとは思ったけど、「ムヒ」10Gで買っといてよかった?。
「7942」の隣の席の男性が貧乏ゆすりを始めた!!。
1のダメージ。
1のダメージ。
1のダメージ。
→ダメージあるんだ・・・。
「すくえもん」は前の席に座るカップルが気になりだした!!。
→字で出るな、字で。
ここまできたら、ゲームをやらなくても大丈夫になるだろう。

無造作内容

「無造作ヘア」に代表される「俺ってやんちゃ系」、「ちょこっと混沌」が流行して久しい。
こう書かれている時点で既に「流行」という点からは遠ざかっているかもしれない。
だが、今日もつんつんした髪型の青年が、ガラス窓の前でつんつんに磨きをかけるし、ジーパンの多くは不規則に破れている。
こうした社会的な背景にあり、未だ、その魅力や注目度をうまく利用できていない分野が多いことに気付いた。
今日のブログが、そのような分野に対して何かしらの提示が出来れば、幸いである。
・無造作そうめん
もちろん太さ、長さは一定していない。
食すときも、一口サイズにまとめておく、というようなことはされておらず、むしろ全体を絡ませる感じで勝負している。
(派生として、無造作揖保乃糸がある。)
・無造作自動販売機のボタン
ボタン配置が明らかに異なるばかりでなく、お金を入れても出てこないこともあり、むしろそのほうが多い。
困ったときにかける電話番号が、うそ。
・無造作乱丁
こういう風にそれっぽく言われると、怒る気すら薄れそうである。
「無造作乱丁によるものは、お取替えの対象にはなりません。」
・無造作サッカー
ときどき11人対35人とかになっている。
審判は一般公募で、各種カードの持参を求められる。
・無造作係長
性格、髪型など、いろいろな「無造作」が考えられるが、どれにしても、案外働きやすい環境を提供してもらえそうな気もする。
・無造作ぐし
髪をとく部分の一本一本の長さ、硬さ、方向性が無造作。
誰しもこのくしを前にして思う。
「お前が無造作で、どうすんねん。」
・無造作歯ブラシ
無造作ぐしの亜種である。ところが、歯ブラシの用途から考えると、とんでもなくアリな方向でもある。さらりと流す。
・無造作生きざま
2?3回は、おいしくないご飯を1年ほど食べるような経験が必要である。
本が出せる。
・無造作パチンコ
想像するに、台に張られている透明な板に穴が開いており、パチンコをすると、ときどき玉が飛び出してくるような仕様であると思う。
・無造作ゼブラゾーン
もう、ぐっちゃぐちゃである。
よく、小学生が石灰で白線を注ぎ足しに来る。
・無造作暦
8月は42日くらいあり、喜ばれる。
カレンダーは、空白の方眼紙のようになっている。
サマータイム導入みたいなノリで、どうか。
・無造作配線
タコ足とかいうレベルではない。
消防署に確実に怒られる。
消防署は無造作ではないからだ。
・無造作中華飯店
すでに導入されている店もあるだろう。
いいことだ。
・無造作「クイズ年の差なんて」
そんなクイズ番組があった。
年齢差はせいぜい3歳くらいである。
・無造作金たわし
むしろ、今までのはそんなにテクニカルだったの?、と言わせる感じ。
しかし、今までの「金たわしの無造作っぷり」を覆す無造作っぷりの「無造作金たわし」の登場だ。
たくさん挙げた。
少々無造作を違う意味として取り上げた感もあり、何かためになった人は、いるんだろうか。
まぁ、こんな感じのは、いつかやるであろう「無無造作」の回でもありそうである。
おわり。

恋ドロビング

「日本でジョギングを流行らせた人が、亡くなったらしいよ。」
よく分からないのだが、とにかく亡くなったそうだ。
残念だ。
しかし、ちょっと疑問が生じた。
我々日本人は、彼がジョギングを流行らせてくれる以前、一体何をしていたのだろうか。
幸運なことに、日本人の間では「食べてすぐに横になると、牛になる」という、かなり民族伝承的であやしい噂が、まかり通っている。
したがって、「食後に何かしら運動する」ということは既に行われていた可能性が高い。
その中にいたはずなのだ。
「おれ、食後に、左足を前に出して、その後すぐ右足をその先に出すのをすばやく繰り返す運動してるんだよ。」というヤツが。
彼は、みるみる健康になり、体型も整った。
皆が何をしているだと聞くので、もっと詳細に言わなくてはならなくなった。
「おれ、食後に、左足を前に出してから、その先に右足を出す。それと同時にこう、体の重心を前に移動させていくような動きをすばやくやっているんだ。やるとわかるけど、ちょっと両足ともに地面から離れる瞬間とかもあるけど、すぐに慣れるよ。」
「それ、なんていう運動なんだよ?。」
「名前?。特にないけど、おれは「恋泥棒」って呼んでるよ。」
このとき「ジョギング」が流行る礎が、完成した。