昨日からの続き。
【あらすじ】
HP120で火に弱いヤツを考えてみたら「HP」って血液量のことかも、って思えてきた。
「HPって血液量かも?」と思えたのだが、もう一つの特徴「火に弱い」についても考えてみると、すぐに難題にあたる。
ほとんどのゲームにおいて「火に弱い」ヤツといえば、だいたい以下のものではないだろうか。
・ゾンビ
・ミイラ
・木がモンスター化したもの
血液、ない。
木については、どうにか樹液を取り上げることができるだろう。
「怪物樹に30のダメージ!!」
怪物樹からは樹液が「30」流れ出す。
彼が怪物になる前、かたぎの時代は、どんな種類の樹木だったのだろうか。
うるしだったら攻撃した側も何らかのダメージがあるかもしれないし、くぬぎだったら子供たちは夜が待ち遠しい。
このように木だったらまだ「HP=血液量」説をどうにか採用できるが、ゾンビ、ミイラにはつらいところ。
それでもゾンビはちょっと残っていそうだが、ミイラともなるとむしろ「体液ありません」が売りのような面もあり、血液案を採用する余地は、ない。
ここだけは、血液量ではなく、包帯まき量と代えさせていただきたいところだ。
でも、結局「HP120で火に弱いヤツ」がどんなやつなのか、いまいち把握できないまま、眠くなる時間になってしまった。
「HP120で火に弱いヤツ」を探す行為は、学者が「モノポール」を探す行為にほんの少しだけ似ている。
そして、かぐや姫が求婚者のひとりに要求した「火鼠のかわごろも」を探す行為には、ほぼ等しいのだ。
カテゴリー: 疑問結論など
つもり。その2
昨日からの続きです。
【あらすじ】
HP120で火に弱いヤツを考えてみる。
ゲームを指定していない時点で、だいぶ破綻しているが、まぁ考える。
上記のようなヤツを考える上で、とにかく問題となるのが「HP」の概念だ。
何なんだ、HP。
多くのゲームにおいて、HPがなくなると戦闘不能という扱いになるので「生命力」とでも言い換えられるのだろうか。
しかし、言い換えても問題は解決しない。
何なんだ、生命力。
一番最初に思いついたのが「体の大きさ」だった。
しかし「体の大きさ120」が、敵からの攻撃を受けて「体の大きさ60」となってしまうのは、ちょっと具合が悪い。
HPが0になってしまうと、戦闘不能となる。
それもそのはず、体の大きさが0になってしまうのだ。
HPが0になると復活できないゲームもあるが、それでも死体くらいはあるだろう。
HPは体の大きさではなさそうだ。
そのあと、いろいろ考えてみた。
・肺活量
・生きる力
・コミュニケーション能力
どれも今ひとつで、しかも冒険などよりは道徳や保健体育の授業でレベルアップできそうなものばかりだ。
と、思い出した。
「HP」は「120」と定数で表すことができ、しかも回復させられる(増減する)という点だ。
「血液量」はどうだろう。
この案のいいところは「攻撃される→傷つく→血が出る」というところ。
「血液量120」が、敵からの攻撃を受けて「血液量60」となるのは、問題ないだろう。
HPは血液量のことだったか。
ゲームによって単位が異なるのか、かなり値に差があるため一概に「HP120のヤツは26歳くらいだよ」とか「献血はHP400以上の方から」と言うことはできないが、とにかく血液量だったのだ。
人間の血液量は、その体重の何%分だったか。
そして、どのくらい体内から失われてしまうと生命の危機が懸念されたか。
忘れてしまったが、とにかく想像していただきたい。
例の「HP120」のヤツが「24」のダメージを受けたとしよう。
ゲームでは数値の増減くらいでしか認識できないが、かなりジョッファーッとなっているはずだ。
しかも2割。
血液を2割失ったのだ。
HP120のヤツが「敵」なら、あとはじっと見ているだけでよい。
もし「味方」なら、間髪いれずにあらゆる回復処理を試みた方がよい。
ゲームのやつらは、僕らが思っている以上に体はってる。
しかも、二重。
一般的に、人間はティッシュより強いと考えられている。
箱から強制的に引きずり出せるし、丸める、濡らす(濡らしたティッシュを口にあてがうことで、強くなるときもある)、燃やす。
相手の意向などお構いなしに、やりたい放題である。
しかし、電車の座席に置かれた「しわくちゃのティッシュ」はどうだろうか。
「座席に何か置かれている、もしくは捨てられていると、そこに座らない」という人や、そういう人を見た人は意外に多いのではないだろうか。
※ここで民衆意識や人間の弱さなどを指摘するつもりは、毛頭ありません。
上記のティッシュ。
普通、座席なんて空いていない時間帯や乗客数なのに、空席を見つけたなら、そこはほぼ確実にティッシュが置いてあるはずである(時間帯により、置いてあるもの変化)。
そのティッシュは十中十十捨てられているのだが、「捨てられている」という言葉を使うのがはばかられるくらい、強い。
「いらっしゃる」とかいう言葉を使ってもいいくらいだと思う。
もちろん、その席の前の乗客はティッシュを摘み上げる指握力と、その後そこに座る勇気と腰力くらいは持ち合わせている。
このようなシチュエーションで勝敗を分けるのは、「一瞬の判断」であろう。
彼がティッシュのいらっしゃる座席の前に立ち、ティッシュがあるのを確認した瞬間にティッシュを摘んでいれば、その座席は人類のものとなったはずなのである。
一瞬でも。
一瞬でも躊躇してしまうと、ティッシュを除外し、座る力があるにも関わらず、なんか「タイミング逃した」的な雰囲気が自他問わず生じてしまうのだ。
こうなると、その雰囲気を味わっていないニューカマーが来るまで、その座席はティッシュのものとなる。
一瞬の判断が勝敗を分ける際、勝利するために必要な力は「ティッシュを摘む力」くらいでよいのかもしれない。
有無
24時間テレビがあったから、というわけではないが、今欽ちゃんの「ばんざーい、なしよ」が思い出された。
「ばんざーい!」と言いながら、実際ばんざいをする。
しかし、ばんざいしつつ、その後体を横に倒しながら「なしよ」と言う、ちょっとしたスポーツだ。
どんなシーンで使われていたのかはよく知らないのだが、誰かが勝負に負けたときや、商品を獲得し損ねたときなどに用いられたのではないかと推測する。
すると、勝負に勝ったときは、なんと言っていたのだろう。
「ばんざーい、ばんざーい」だと、もうなんか、気分悪い。
勝者も、体は「なしよ」を言いたくて、ほぼくねくねしていると思って間違いないだろう。
「ばんざーい、ありよ」というのを考えると、すぐに「なしよ」の場合に見られた動きに対抗しうるものが思いつかない、という問題にぶつかる。
ばんざいがないとき、ばんざいしつつ横に倒れるのは至極当然の結果だと我々はイメージできるが、ばんざいがあるときは、ばんざいの後、なすことは何もないのである。
ばんざいがあるために、なすことが何もなくなってしまうのだ。
こんなことが起きて、いいのだろうか。
うん。
やっぱ、ばんざいは「ない」方が助かる。
これほど「ない」方のことが渇望されることも、そうはないはずだ。
追記
勝負に勝ったときは、おそらくすぐにインタビューなどをして、事なきを得ていたのだと思う。
それにしても「ばんざーい、なしよ」って、どんなときに使われていたんだろう・・・。
いいわけ。
【こんなふうに言い返してみたい!。猫背な男のつばめ返し集】
Q「ちょっと、あんたプライドあるの!?。」
A「そんなもんあるなら、とっくに自害しているよ!!。」
Q「ちょっと、チヒロとワタシ、どっちを取るのよ!?。」
A「おれ、国籍スイスなんだ。」
Q「キミ、レポートの提出が遅れているよ。」
A「今、やっと装丁の段階です。」
Q「この、期末テストの成績。どうしたんだね?。」
A「ちょっと、安全ピンのことで頭がいっぱいで・・・。」
Q「だから、それじゃ子供が調子に乗るだけだろう!!。」
A「調子に乗らせないで、どうすんだ!!。」
Q「なぁ、今日、ゲームやりに遊び行っていい?。」
A「おれ、国籍スイスなんだ。」
Q「あんた、そのメガネ似合わないよ。」
A「え、あ、そ、そう・・・?。」
Q「この、役立たずの、でくのぼうが!!。」
A「・・・♪悲しいことがあると 開く 皮の表紙・・・」
Q「ちゃんと聞いてるの!?。はぐらかさないでよ!!。」
A「あ、鈴虫だ。」
Q「そんなだから、あなたって優柔不断って言われるのよ!!。」
A「おい、ちょっと見てみろよ。食器棚の下、すごいほこりだぞ。」
Q「手を抜いただろう。」
A「外角いっぱいだ。」
自動研磨装置
どこぞのフライパンは、そのコーティングされた何とかというものが、10万回フライパンをこすってもはがれないことをうたい文句にしている。
このフレコミは、フライパンを10万回こするという、一見不毛な作業の賜物である。
このような作業において、僕らは普通「機械にやらせる」と考える。
例えば人間にやらせたらどうなるか。
某A社(フライパン命)の研磨班。
「おい、21型フリップの研磨、依頼来てるぞ。」
「話しかけんなよ!!、何回研磨したか、忘れちゃったじゃないか!!。」
このようになってしまうのは明白である。
したがって、僕らが「研磨は機械にやらせる」と考えるのは妥当だし、おそらくそうやっているだろう。
「自動研磨装置」とでも言うべきか。
どういうものかは分からない。
何かがくるくる回って、そこに取り付けられたフライパン返しが定期的にフライパンにコンコン当たるのだろうか。
大工道具のカンナのような動きをする部分に金たわしを装着するのだろうか。
たぶん両方の機能を備えているだろう。
これほど「消費」という概念を具現化した装置があるだろうか。
やたら人間臭い。
ところで、この「10万回」という数字は、何が基準となっているのだろうか。
何も手がかりがないため憶測となってしまうが、
・平均10万1回目で、フライパンの例のヤツがはがれてしまう
・構造的な理由で、どうしても「自動研磨装置」が10万回を越えたあたりでパワーダウンしてしまう
・10万回くらいで、フライパン返しが壊れてしまう
・そのフライパンを10万回研磨したら、金たわしがなくなってしまう
・10万回研磨したあたりで、何故か検査員に用事が入ってしまう
・自動研磨装置を10万回使用すると、その消費電力はちょうど全国の電力会社が供給できる電力に等しくなる
・自動研磨装置による10万回の研磨を行う時間と、検査員の寿命がだいたい同じ
・10万回研磨を待たずして、確実にフライパンの取っ手部分がぶらぶらしてきてしまう
・何故か検査員が10万以上を数えられない
・10万でカウンタストップがかかる
・社長のラッキーナンバーが100000
・統計的に「普通に使って、フライパンを計10万回も研磨する料理はない」ことが実証されている
といったところか。
役者(フライパン、自動研磨装置、フライパン返し、金たわし、電力など)のどれかのリミットが10万回なのだろう。
また、もうひとつ10万回という数字に対して考慮しなくてはならないことは、憶測の最後に挙げたものにもかかわってくるが、「結局どのくらい使えるの?。」というものである。
考えるに、フライパンに一番ダメージを与える料理方法は中華料理ではないか。
すごくあぶるし、おたまなどでがんがんやる。
カニの甲羅なんかはかなりダメージも多そうだ。
メーカーとしては「一番荒ぶる料理法」中華料理を検査項目に入れないのはマズいと思われ、それが基準ではないかと考える。
したがって、10万回というのを「どのくらい使える?」に換算する場合、「一日何回中華料理を作るか」と「平均的な中華料理の、フライパン研磨回数」が分かればいいのではないか。
一日の食事のうち、中華を一品食べたい。中華料理を一品作る時の研磨回数を30回(今、動きでやってみた)とすると、9年間とちょい、いける。
なかなか有能ではないだろうか。
もちろん、中華率が減るのであれば、その分活用できる期間が増えることになる。
しかし、上記のような考え方だと、当然「自動研磨装置」にはカニの甲羅を装着する部分が必要と考えられる。
全くのところ、「自動研磨装置」は興味深い。
予想外
映画「アウトブレイク」は未知のウイルスか何かと、人間か何かとの戦いを描いたものである。
うわさによると、人間は免疫系というウイルスや病原菌、エンガチョへの対抗手段を持っているらしい。
ところが、それが対抗手段として最大に効力を発揮できるのは「いままで会った事のある」相手の場合である。
相手が「未知のウイルス」となると、免疫兄弟がそいつのことを知らないため、うまくウイルスをあしらえないことがある。
われわれの体は未知のもの、言い換えれば「予想外のもの」に弱いのである。
そしてこれは、別にウイルスとか病原菌とかエンガチョに限った話ではない。
TVや本、話題に触れるとき、ハナから「こいつの送信するもの全てを受信して、あらゆる解釈をして、感心したり笑ったりしよう」という人は、まずいない。
どんな人でもいくらかは「流れ」を予測して、これらのものに触れているはずである。
いうなれば「情報免疫」。
たとえばニュース番組のスポーツコーナーで以下のような感じで番組進行が行われたとしよう。
「本日の巨人対阪神、9回表に逆転に成功した巨人、9回裏には守護神宇田川を投入。」
ここで、だいたいの人は思うだろう。
「きっちり3人でシメた」と来るのか、それとも「ところがその宇田川の5球目」と来るのか。
ここで「情報免疫」を持たない人が「ところがその宇田川?」の方に触れてしまうと、どうなるか。
「えぇーーー!!、と、ところが?!?。もう、俺のキャパシティーを超えてるよ!!。」と言うに違いない。
「情報免疫」とは、考えうるベーシックな方「きっちり3人でシメる」と、想定しうる予想外の方「ところがその宇田川?」を前もって予想しておくことにより、予想キャパシティーを超えないようにする機能である。
ここまでくれば、話は簡単。
僕らは「情報免疫」を打ち破るものを、求めている。
例えば上記の例を考えてみる。
「9回表に逆転に成功した巨人、9回裏には守護神宇田川を投入。」であるが、そのあと、
「9回裏には守護神宇田川を投入、取れない汚れにヨゴレトレール、その5球目」となったらどうなるか。
これは、予想外。
視聴者は「そこにCM持ってきたか?」となり、感涙にむせぶこととなる。
「9回裏には守護神宇田川を投入、その5球目が右手から放たれた瞬間、ボールはうなりをあげてゴールキーパー野本に向かっていった」となったらどうなるか。
これは、かなりひねくれた人なら免疫を持っているかもしれないが、多くの一般人にはバナナシュートであり、防げない。
また、
・「野本」って誰?
・「キーパー野本に向かっていった」なのか、「キーパーの元に向かっていった」なのか、どっちなの?
といった点でも、多くの人の免疫系を切り抜けられることだろう。
「9回裏には守護神宇田川を投入、もうそろそろこの生体を脱出できるくらいのエネルギーを得ることができたな、その5球目」となったらどうなるか。
な、なにそのニュースじゃ味わえない急激な展開!!。
さ、サイコーじゃない・・・。
僕も、こういった予想外は大歓迎。
近頃で、かなりやられたのは映画「博士の異常な愛情」のラストあたりの一言。
ねじの回転・7942版
「どうしても分からない問題があったら、発想を180度回転させてみなさい。」
「それでもわからないんですけど。」
「そう・・・。なら、さらに180度、回転させてみなさい。」
もうおわかりでしょう。
今回のオチとしようと思っていたのは「ちぎれる」です。
ただ、ポイントなのは「頭を360度回転したら、ちぎれる。」ということではなく、「考え方も360度回転しちゃったら、ちぎれる。」んじゃないかなーと思ったわけで。
よく、「360度回転しちゃったら、それは元に戻ることだ。」というのがあります。
確かにそういう場面は多いです。
直立していて、その場で頭から足を軸に360度回転した時の風景は、同じ。
まぁ、ちょっと鳥の位置が変わっていたり、あなたを取り巻く外気が乱れまくっているかもしれませんが。
でも、360度の回転で、元に戻らないものもあります。
例えばねじ。
こいつが360度回転したら、見えてる部分の全長が変わります。
例えば時計の長い針。
こいつが360度回転したら、短い針の位置が変わります。
例えば生活のリズムがずれ、行き違いの多くなった芸能人夫婦。
こいつらが360度回転したら、もういろいろと近いです。
これらのものと同じで(かなり不条理)、考え方も360度変わったら、元のとはちょっと違うと思うのです。
例えば「りんごをうさぎに切る」のを、ナイフ無しでやらなくてはいけなくなったとします。
0度だと
「手と爪で、何とかうさぎを仕立てる」
「いいや、そのまま食べよう」
とかだと思います。
180度くらいになると
「幼稚園児を持つ母親に渡す」
「りんごと寿命がある限り、りんごを床に叩きつけて、偶然うさぎができるのを待つ」
とかだと思います。
そして、360度だと、おそらく
「手と爪で、何とかうさぎを仕立てる。手を洗ってから」
「いいや、そのまま食べよう。教会の前で」
とかになってしまうのです。
些細ですが、かなり決定的でもあります。
もしかしたら、他の360度も元には戻らず、些細に変わっているのかもしれません。
汝。
その場で頭から足を軸に360度回転することなかれ。
やや埋まるもしくは浮く。
端の遠いたとえ
本を探すときは、インターネットが便利である。
この前、ほしい文庫本を調べてみたら、amazonで古本9000円で売っていた。
これは、どういう組織が関与していると考えればよいのだろうか。
やはり古本関係のシンジケートなのだろうか。
とりあえずシンジケート調査以外の目的で、古本屋に行きました。
立ち読みの人が多い。
思うにこれは、買う金ほしさ、というよりは「買ったら家に置かなくちゃいけなくなり、邪魔」と考える人が多いということなのだろう。
確かにどんなに好きな本でも、邪魔になってしまうことはある。
ふらついていると、コミック文庫本コーナーで店員さんが2人、古本の収納について話している。
片方にレクチャーをしているようだ。
「でね、例えばゴルゴの場合は、この引き出しの中に、こうやって・・・。」という内容。
僕は思った。
例えとしてゴルゴを扱った先輩店員の判断は、正しいのだろうか。
ちょっとゴルゴは早いのではないだろうか。
ゴルゴと言えば、すごくたくさんの巻が出ているはずである。その点では、異例と言えなくもない。
だから、古本の収納方法をレクチャーするのであれば、もっと手ごろな巻の出ているものがいいのではないかと。
そうすれば、新米の店員は段階を踏んで、少な目の巻のものから「○○全集」と呼ぶにふさわしい書籍までを扱っていけるのではないか。
「うん。君もこの全6巻のは、対処できるね。」
「で、次なんだけど、これが特殊で。ゴルゴなんだけど。」
「ゴルゴは特殊なんですか?。」
「うん。ほら、こうして引き出しを2つ分使う点と、入りきらないのは地下書庫のE-4に置かなくちゃいけない点が、そうなんだ。」
でも、おそらく僕の考えは間違っているだろう。
このことを2人に話しでもしたら、
「おたくに何がわかるっていうんですか。今ね、ゴルゴのターンオーバーの速さは、類をみない状況なんですよ。ゴルゴをさばききれるようになれなくちゃ、だめなんですよ。」
と来るに違いない。
素人には分からない何かが、ゴルゴにはあるのだ。
ところでこの2人、さっきから本当にゴルゴばかりいじっている。
本棚下の引き出しから、ゴルゴを入れたり出したりしている。
やはり巻が多い分、時間もかかるのだろうか。
すると今度は、別の店員さんが別の引き出しからゴルゴを出し始めたではないか。
これは、店に来た目的を、当初の調査に変えたほうがよさそうだな。
封筒その2
昨日からのつづき。
【あらすじ】
こんな手紙はいやだ。
※封筒じゃなくなってしまいました。
・もう、封筒の中でガサガサいってる。
・何かが漏れている。
・銀のエンジェルが張ってある。
・やや巻物。
・焦げてる。
・飛行機を折った折り跡がついている。
・みっちり、ひらがなのみで書いてある。
・チラシの裏を利用している。
・毛がセロテープで張ってある。
・「毛在中」とある。
・封筒の素材が網戸。
・封を開けるところに、読めない梵語が書いてある。
・エイトフォーが散布されている。
・封がホッチキス。
・まだ暖かい。
・明らかに一度、封が空けられている痕跡がある。
・全ての漢字にルビ。
・切手のギザギザが綺麗に切り除かれている。
・真っ赤。
・宛名に「様々」と付け加えられている。
・何度も往復はがきで送ってくる。
・コースターの代わりにした跡がついている。
・切手をはがしてみると、裏に差出人の名前が書いてある。
・箇条書き。
・あぶり出しで書かれたらしいが、あぶらなくても読める。
・端に小さく「たらこっち」が書いてある。
・「わ」と「れ」の練習が行われている。
・スライスハム。
・明らかに配達用バイクのタイヤの跡がついている。
うーん。
テキトーな割には、たくさんかけた。
こういう感じのは、書くのが楽そうで、実際に楽なので、とてもいいと思います。
でも。
手紙という点で、もう古いな。
今はメールだ。
現代における「カミソリの入った封筒」は、メールだとどのようなものになるだろう。
ウイルスとかはありがちとして、どんなんなら「カミソリの入った封筒」並みのいやがらせを確保できるのか。
都合上、それ明日。