猛攻の善意3

昨日からのつづき。
【あらすじ】
人間以外にも「おせっかい」ってあるの?。
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・アリ
アリはフェロモンという化学物質をみちすじの頼りにすることで、効率よい団体行動ができる。
ナイル側周辺に生息するアリの一種は、次来る仲間に、さらにわかりやすいように、フェロモンを矢じるし状に塗擦するという。
・ウマ
仲間が早く走れるように、首を大きく振る(効果はないことが研究の結果判明している)
・エビ
エビは尾をはじくことで、すごい速さでバックする。
エビが集団で、尾をはじきバックして逃げようとする際、そのスピードをより素早くみせようとするため、同タイミングで前進するエビがいる。
・シマウマ
「おまえ、俺よりも竹を割ったような性格してんのなー」
・蚊
「おまえの二酸化炭素察知能力ったら、ないよ」
・パンケーキリクガメ
よりやわらかふんわりとなっております。当社比
・大蛇
「おまえの方が、よっぽど狙われてんよ」
・きのこ
「なんでそんなに菌糸くっきりしてるの?。何かケアしてるの?」
・ミナミリュウキュウアシジロナナツガイゴミムシダマシ
「大丈夫だって!!。お前のほうが長いって!!」
・・・おせっかいが、お世辞に・・・!!。
猛攻の善意おわり。
注)
ミナミリュウキュウアシジロナナツガイゴミムシダマシ
たぶんいません。

ジャージャー麺

「そういうひと」というひとがいる。
例えばそれは「みんなでレストランに入って注文をするが、何故か店員がその人の注文だけを忘れる」。
「全てそろいましたでしょうか?」
店員さんが言う。
しかし我々は、しめのライスだけが目の前にある彼彼女を見、みんな「この人はそういう運命の人だなぁ」と感慨深くなるのだ。
店員さんが悪いとも言える。
「レストランで白米だけを注文するって、あまりないんじゃない?」
しかし責めるわけにもいくまい。
運命は他人ですら巻き込む。
その日、彼は「ジャージャー麺」を注文した。
他の人はどうだったか知らないが、僕は色めきたった。
「こちら、ジャージャー麺のジャージャーになります」
店員さんがそう言ってジャージャー麺の「あん」だけを持ってくるのではないだろうか。
そう思ったのだ。
つけ麺の感じである。
普通、ジャージャー麺は麺と「あん」を別個に持ってくるようなものではないだろう。
しかし、こちらは目の前にお通ししかないような状況でも「料理でそろいましたね?」と思われてしまうような力の持ち主なのである。
期待大だ。
しかもこの期待には「ジャージャー麺のあんは何と言うのか?」というロマン疑問の解答が含まれている。
冒頭書いたようにジャージャーなのだろうか。
それともまた違うのか。
もう、すぐジャージャー麺が来ました。

合唱について

合唱コンクールで選曲が許されるならば、クラス一丸となって精査する必要がある。
それは「学生らしさ」についてだ。
音楽は成績悪かったので間違っているかもしれないが、なんだかんだいって合唱コンクールでは「生きる喜び」「感謝」やら「跳躍」、「友達」「若さ」という「学生らしさ」を踏襲、そして合唱として映えるものがいい。
もしくは逆に、なんらそういったものを感じさせないものもいい。
単にみんな大好きだからといって、それに当てはまらないものを選択してしまうと、なんか変になる。
例えば「合唱コンクール自由曲 残酷な天使のテーゼ」。
みんな大好きな曲だと思うが、今頭の中で歌ってみても、合唱コンクールではどうかと思うような歌詞が多い。
全員で神話をどうこう叫ぶ部分も捨てがたいが、何気に僕が一番どうかと思うのは「いたいけな瞳」のところだ。
実際どうかと思う点がある分、合唱できるというのならかなり面白いだろうが。
どうかと思う点を考慮してみると、意外かもしれないが名曲「思い出がいっぱい」は曲名から内容から、合唱コンクール曲としてはどうかと思う。
ちょっと、聞いている大人の都合ありすぎ。
狙っている感がどうしても出てしまうので、たまらん感じにもなる。
「君はまだシンデレラって、お前・・・」
んーパトス!!。
おもわずパトスが出てしまったが、とにかく「自分の子供が親に聞かせる」ということでの「思い出がいっぱい」はもうそりゃあおなかいっぱいだろうよ、だろうさ、である。
追記1
中学のころ、他クラスの「親知らず子知らず」がどうしても歌いたかった記憶がある。
合唱コンクールは、他クラスの選曲がうらやましくなることが多い。
追記2
僕の高校のときの自由曲は「宇宙戦艦ヤマト」。
前年度の優勝クラス「銀河鉄道999」があまりにもかっこよかったがための選曲だったが、歌のシメで全員が敬礼するのは結構すてきだった。

クラッシュタイプ

多くの人が「外国のかっぱはズッキーニが好物」と考えているだろうが、間違いだ。
多くの人が外国のかっぱについて何かを考えていると思っているのが、間違いだ。
今、クラッシュタイプの蒟蒻畑を飲んでいるのだが、こいつは吸う力を鍛えさせてくれる。
となるとどこで「吸う力」が試されるんだという話題にもなりそうだが、それを今考えてみたところ、割合的に11/13はしもねたになってしまい、困ってしまう。
ちなみにズッキーニを含めると12/14になり、著名な誰かの誕生日みたいになる。
こんなことを書くと11/13生まれの人に著名な人はいないのか、ともなるが安心してほしい。
11/13も、著名な誰かの誕生日である。
戦前など、昔は誕生日をずらして届出をすることがあったそうだ。
その意図はよく知らないが、運勢か何かを考慮したものもあったかもしれない。
一方、今では誕生した日をずらすというのはなかなか難しいだろう。
致命的なまでにみんなが忌み嫌う日があったとしたら、そうでないかもしれないが、そんな日はない。
2月14日。
おそらく一部であるが、ある理由で嫌いな人、ある理由でめんどうだと思う人がいるだろう。
ある理由で自意識過剰になる人、ある理由でもう持てないよ?という人がいるだろう。
近頃うわさの角界。
おすもうさんが「もう持てないよ?」と言ったら、おもしろいのではないだろうか。
ある意味、おすもうさんは「持つ」ことが主な仕事である。
仕事である以上、長い間それをやることで飽きてしまうこともあるかもしれないが、ここはひとつ、飽きないでもらいたい。
押してもいいのだ。
色々手を変えれば飽きないので、不善をなすこともなかろう。
すもうとくれば、多くの人が「外国のかっぱはレスリングをしたがる」と考えているだろうが、それも間違いだ。

新種

平日の釣堀に来る人のことをとやかく言うことにそれほど不思議はないのだが、実はこうして来ているわけだから、その点俺は何も考えないのが一番の得策だった。
隣に座った初老が、ため息混じりにつぶやいた。
大発見だと思ったんですよ。
つぶやいた割には十分俺にも聞こえるくらいの声量で。
何の気もなしに、この話にのってみる事にした。
え、発見、ですか。
そう、発見。それも大発見だ。
大発見ですか。しかしどうも、その発見は世間に認められるようなものではなかった、と。
そりゃあんた、こうしてあんたとここで話しているくらいんだから。
で、その発見って、なんだったんですか。
・・・ずいぶん恥をかいたんだ。それを掘り返すつもりはないよ。
あ、魚かかってるよ。
かかっていませんよ。で、どうだったんですか。そちらが話を持ち出したんですよ。
おりゃあ、全く新しいと思ったんだ。
全く新しい恒温動物。
現在でも新種が発見されることはあるが、脊椎動物は極めてまれだ。
そんななかの新発見だ。
しかも、今までタイプとは明らかに違う。
分類学を根本から見直す必要があると考えたくらいだから。
へえ、それはすごいですね。
すぐに名のある学者に資料を送ったよ。
そうしたら、1日もせずに回答があったね。
「あなたが新しい恒温動物と報告されましたものは、小籠包です」だって。
料理だそうじゃないですか、あれ。
もちろん知らなかった私がいけないんですが、考えられますか。
新種と疑われる生物の報告についての回答資料に、レシピが載っていたんですよ。
ちょっと、私の予想を超えすぎていた。SFですよ。
そりゃ相手も驚いたんでしょうけどねえ。
で、傷心の釣堀ですよ。
博識を気取った素人が受ける罰ですわ。
この老人が俺をかつごうとしているのかは、全然わからなかった。
しかし、そうだとしてもなんだか好感が持てるというもの。
どうですか。このあと、中華屋にでも行きませんか。
どうせ暇ですし。
誘うと、どうとも読み取れない表情で老人。
あなたねえ。
くやしいけれども私、小籠包にはうるさいですよ、と一言。

抑止力

穴があったら入りたくなるほど恥ずかしいことがあったのだが、残念ながらその穴がない。
しかたがないので用意しようと、近所の公園でスコップ片手にうろついていたところを警官に捕まった。
あなた、何しているんですか。
いや、ちょっと。「穴があったら入りたい」って言うじゃないですか。いきなり正直に言うのもどうかと思うんですけど。今、まさにそういったことになりまして。
その用意なんです。
いや、だめでしょ。やめてください。
すいません。確かにスコップを手に大の大人が公園をうろついてちゃだめですよね。
・・・そういうことじゃないんですよ。
誰だって、いつだって穴があったら入りたいくらいの過去や癒えないもんがあるんですよ。
それでも塞ぎこまないのは、そう、穴がないから、それだけなんです。
穴がないことだけが、その抑止力になっているんです。
知らなかったですか。
そんな、穴を掘るなんてそぶりを他人に見せては、社会生活の根底を揺さぶることになります。
即刻、やめていただきたい。
警官が指差す僕の背後を振り返り見ると、列ができていた。

距離

なんだかよく分からないが、小沢氏と距離をおくんだそうだ。
ここでの距離というのはどうにか2通りの意味を持たせることができる。
しかし一方はどうにもならない感じになる。
「給食のとき、隣の席の小沢君から遠ざかるように、机を移動させる」
距離をおいたわけだが、「給食の」くらいですでにやれやれ、の様相である。
「小沢君ちに遊びに行くのだが、線路向こうだ」
距離があるらしいが、もはやこれは小学生の「あーそーぼ!!」的な問題で、やはりそういうことじゃないでしょ、の様相。
となるともう一方の意味が正解となるわけで、その意味たるものを徹底的に遂行させることができたとすると、おそらくこうなるだろう。
「は、オザワシ?」
距離である。

散文にて。

3Dテレビよりも、それを見て宙を掻く3Dめがね装着者ん方がおもろい。
とか書いてみたら、なんとなく昔の「片方赤で、片方青のやつ」を思い出した。
今のは違うんだろうか。
分からない。
それにしても「片方赤で、片方青のやつ」。
当時としても、ちょっとポップすぎたんじゃないだろうか。
そんな歩行者用信号機みたいな、ポップンミュージックみたいな、ウルトラBっぽいやつが、立体めがねとして昔あったんである。
ところで話は変わるが、うちのねこが部屋でおしっこをかましてしまうので、本来屋外で使うべきねこ避け剤みたいなものを買ってきてみた。
おしっこポイントに置いておく方針である。
さっそく開封してみると、それは正露丸のにおいだった。
そして効果なかった。
パッケージに「長い間住み着いた場所には効果が薄い場合がある」と書いてあったけど、そのとおりだった。
むしろその正露丸臭は、長い間住み着いた僕らに効果があった。
何か言うたら「正露丸だね」と口にするから。

マスクびーん

マスクにまつわるものとして、やはり一番映えるのは「くしゃみをしたとき、マスクがびーんってなる」ことじゃないだろうか。
漫画に見られるような「マスクびーん」は、一体どのくらいのくしゃみをしたら見ることのできるものなのか。
まあこちらとしては、実際にできるかどうかはそれほど興味はなく。
どちらかというと、できちゃったとしたら、粘液のついたマスクが次は口に迫ってくることが心配だったりする。
そして、マスクにまつわるものとして、一番映えるのが「マスクびーんによる耳もげ」になるんじゃないかな、とか思ったりすることのほうが重要なんである。

オナガについて。

本当はいけないことなのかもしれないのだが、家で野鳥を保護していたことがある。
オナガというその鳥は、尾が鋭く長いという、見た目の優雅さに対して、かなり怪獣じみた鳴き声を放つやつである。
この鳥が家にいたおかげで、僕はオナガの鳴き声をまねることができる、気がする。
それを林でまねれば、オナガが返事をしてくれる、気がするくらいだ。
その道端に落ちていたオナガの雛に、僕は「オナガマニア」と名づけた。
オナガが好きで、ついにはオナガになってしまった。
そんなドラマをもって、命名したのだ。
そんなオナガは計3回、脱走した。
脱走といえども鳥なので、飛んでいってしまったことになる。
今でもよく戻ってきたなと思う。
何せそいつは揺れる木の枝にすら餌がもらえると思って、ピーピーねだるのだ。
ちょっと自然に戻してもだめなんじゃないか。
本来はすぐにでもそうすべきなのだが、まあできませんでした。
さて、実は問題は他にもあったのである。
彼もしくは彼女の名前は「オナガマニア」なのだ。
脱走したときが大変だ。
そんな背景を知らぬ人がある家を通りかかるとき、そこから大声で「マニアーック!!」と聞こえるのだ。
オナガマニアでは長かったのか。
僕らはそいつをマニアックと呼んでいたのである。
僕は当事者だから気づかなかったが、心を鎮めて、客観的に当時のことを考えると、その家はミステリーである。
ときどきマニアーックと聞こえる家。
まさか鳥を呼んでいるとは思われまいて。