スプラッシュ青春

最近知人がハマってしまい、その結果AKB48の曲を聴くことが多い。
こう書くと「人に頼まれてサンタフェ買いにきました」的な、実はおまいなんだろという雰囲気も出るが、幼少よりアイドルにあまり注目できていなかったためか、今更その生き方を変える事もできないわけで、今のところいい曲があればそれを聴く程度の姿勢。
何かしらアイドルに感化されたかというと、あるとすれば街中で見かける女子がみなAKB48に属しているように感じられ、そしてほぼ例外なくかわいく見える症状くらい。
ひとつ、すごく楽しくなった曲がある。
確か冒頭の歌詞で「コーラを振ったあと、それを相手に渡す」旨の内容だった。
何か青春。
しかし気になるのは、このフレーズを10秒くらいかけて歌っていること。
正直「コーラ振った」くらいのところで、それを気になる相手へのいたずらに使用する事が分かってしまうため、そのひとくくりを10秒かけて歌うのはどうなんだ、と思った。
ひとフレーズを歌い終わったとき、「ほらやっぱりいたずらに使ったー」という気持ちになるのだ。
しかしよく考えてみると、当たり前のことに時間を費やす意外性、成り立たせる難しさへの挑戦というか、そういったものを感じるようになった。
あるいはなるべくしてなることの美しさ。
そして他の行動を際立たせる効果。
「コーラを振ったのち、それを静置。君に会いにゆく」
一見何をやっているんだという気にもなるが、前に「コーラを振ったあと、それを相手に渡し」ているため、こういう行動を取る事もあるか。
会いにいく前に緊張していたんだねと感慨深くもなりえる。
「コーラを振ったのち、後ろの座席にバラの花束をたくさん積みこむ作業に取りかかる」
コーラのことは全く無視してしまったわけだが、これも以前、相手に渡したという事実がある限り、いろいろ考えたくなる行動に昇華する。
「東京タワーをキャンドルに見立てるため、喫茶店の席をいそがしそうに変えていく」
もはやコーラがなくなってしまったが、これですら以前の経験から、「振ったコーラ」のことを思い出さずにはいられない。
「今ではこうやって東京タワーをキャンドルに見立てようとしているが、以前は振ったコーラを相手に渡すルーチンワークもやっていたっけ」と。
こうなると、我々はいつ何時も「振ったコーラ」のことを思い出してしまうことに。
そしてそれは、まさに何か青春そのものらしいで、ある症状をもたらしてしまうわけである。

還元則 その2

昨日からのつづき。
【あらすじ】
ポイントカードが苦手。
=====
ポイントカードを持っているのに探す手間が申し訳ない、めんどうくさいという人間がいる。
そういう者たちにとって「持っていないと嘘をつく」のはけっこう日常茶飯事。
以前、こんなことがあった。
ツタヤでレンタルビデオを借りた後、同じフロアにある本屋コーナーにて本を購入するとき。
そこで「カード持ってない」と嘘をついた。
この短時間でカードのありかを忘れた訳ではないが、あまりに「カードありません」を頻繁に使用していたため、何となくそう言ってしまったわけだ。
店員は怪訝な顔をした。
今なら理由が分かる。
僕はレンタルしたビデオを例の発色の良い青パッケージに入れて所持していたため、それがまさにカードなくしてはレンタルできないものなのである。
それを持っているのに「カードない」とはこれいかに。
店員はそう思ったんだろう。
こんなこともあった。
ビックカメラで、レジにて財布からお金を取り出すシーン。
店員にはカードが見えたのだろう。
僕はそれに気づかないまま「カードありません」とやったところ、いや今ありましたよとの指摘。
この財布のどこかにあるのは知っている僕だったが、すでに嘘をついている建前上、その嘘を貫き通す責任があった。
いやないですよ。
「いまその隙間にありましたよ」
見間違いですよ。
前のお客さんの残像ですよ。
おたくのお店と同系列の病院の診察券ですよ。
お前のコンタクトレンズにそういう模様が入ってるんですよ。
KARAのプロマイドですよ。
秘密クラブ「ハーフ&ハーフ」の会員カードですよ。
もちろんそんなことは言わず嘘もつらぬかず、時間をかけてカードを渡す僕。
ポイントで全ての清算を済ます事ができた僕。
結構ちゃんとポイントカード使えてる僕。

還元則 その1

あまりポイントカードが得意ではない。
お得なのはわかっているがそれが嫌だ、とかいうあまのじゃく精神は全然ない。
しかしポイントカードはお金と違い、すさまじく厳密には財布内では管理されていない。
そしてそれは生きていく上でどんどん増加していく傾向にある。
その結果、レジにてお金のやり取り以外のどうこうが発生してしまう。
それが少し苦手なのだ。
「当店のポイントカードはお持ちでしょうか」
こう来られたら、高価な買い物やテンションが高かったとき以外は「ないです」と答えるようにしている。
「ないです」
実はうそで、財布のどこにあるのかが不明なだけなんである。
ただ探せばいいのだが、その時間を店員、後ろの客に課せることが気になる。
「ないです」で待たせることがないと考えれば、まあいいかという心境である。
しかしよく間違えるのだが、ここで「忘れてしまいました」という内容のうそにしてしまうと、場合によってはより人を待たせることになる。
「今もう一度作っておいて、あとでマージする」方法のある店が多いからだ。
「お作りになりますか?」
もちろんお作らなくていいのだが、ここでもうちょい待たせしてしまっている。
そして熱心な店員さんだった場合、さらにカード作製時間を取らせる事になってしまうのだ。
「ないですそして今日は作らなくていいっす」
「ないですそして今日は作らなくてよくて、これからもう帰るところなんで」
「ないですが作らなくてよくてもう帰るんで早めにリリースしてもらえませんか」
誰も悪い人いないのだが、できればそう一気に言ってしまいたいくらい。

骨髄異色

「生みそずい」の「ずい」は何なのかを書こうと思ったが、既にそう思っていた人が多数で、みんなすごいなの心境。
みんな、それほど忙しくないんだなの心境。
由来は「ずいずいずっころばし」の「ずい」らしく、神髄や随一の「ずい」に通じるということで、それが意味だそう。
となると「ずいずいずっころばし」の「ずい」は何なんだという気にもなるがよくわからず、とりあえず「驚きの白さ」とでも訳できればいいのではないだろうか。
今回、不条理というか楽したい方針が取られている事については、返す言葉もない。
ただ「ごまみそずい」と続く事が、何かしらヒントになるかもしれない。
「ごまみそ、驚きの白さ」はかなりおかしいため、もう少しちゃんと考えるか。
ここは発想の転換というか、生みの親より育ての親というか、先ほどの「生みそずい」を考えよう。
「生みそずい」の「ずい」は「随」であり「髄」だった。
「ごまみそ髄」
ごまみそのプロはその技術の高さを尊ばれて「あいつは骨髄にごまみそが詰まっている」とでも比喩されたのかもしれないし、されなかったかもしれない。
それを決めるのはあなたの道徳心だ!!。

肉は切るし、骨は断たせるし。

久しぶりにジョギングをしたら次の日、体中が痛いこと痛いこと。
骨にとげが生えたらこんな感じになるんじゃないだろうか。
それでも暇には勝てず、自転車でどこかに行こうか。
しかしその自転車がつらい。
痛い。
今日が試合じゃなくてよかった。
試合をするような何かをしていないのだが、とにかくよかった。
それでも自転車をこぎ、特に行き先を決めるわけでもなくふらふらと走り出す。
痛い。
太ももの、こことここが特に痛い。
今日がアグレッシブな祭りじゃなくてよかった。
近所の祭りに参加したこともないんだが、とにかくよかった。
神社。
よくわからない神社についた。
ここはどこなんだ。
神社へ行くためには100億万段くらいある階段を上らなくちゃいけないようだ。
足が痛いなあ。
少なくとも今日、僕が変形ロボじゃなくてよかった。
今日にかぎっては変形できないから、とにかくよかった。
骨にとげ生えてるから、攻撃力は高くなってんだけど。

共鳴は産道を伝って

去年のおおみそかも、夜中に川沿いの神社へ様子を見に行ってきた。
「様子を見に行った」というのは的を得ていて、財布すら持っていってないから、おみくじをすることも賽銭を入れる事もなく「おー並んでいるな」と感心するだけなんである。
事実、賽銭箱の前にはなかなか長い列ができていて、この列の長さが長いほど不況だったりするのかもしれないなどと考え。
しかしみんな楽しそうだ。
夜中に出歩き、しかも神社の明るさやたき火が放つ明滅が新鮮なのだろう。
ぼくだってそういうがあるからこうして自転車で寒い中をわざわざうろうろしているわけだし。
そう遠くないところから鐘の音が聞こえてくる。
近くにお寺があり、そこはおおみそか「お坊さんの手ほどきで自由に鐘ついていいよ」運動が行われているのだ。
さっそく様子を見に行った。
自転車でそこへ向かう途中、そこでも列ができていることに気づいた。
鐘をつく列だ。
この列は、ちょっと腑に落ちない。
おみくじ、賽銭が何かしらメリットがありそうなのに対して、「鐘をつく」システムにそういったものは一見なさそうだから。
たまたま「鐘あいてます」などと貼り紙のしてある鐘があったりしたらつくかもしれないが、わざわざ並ぶかな、と思ったのだ。
鐘とつつき棒?の間にアロンアルファをつけておいての実験だとしたら、少し気にもなるか。
しかしそれでも並びはしないだろう。
前の人の結果を見ればいいのだ。
鐘とつつき棒?の間にアロンアルファをつけておいての実験と見せかけておいて、ただアロンアルファのチューブを思いっきりつぶしてみようということなら、少し気にもなるか。
しかしかなり離れたところで見物できればよい。
トマトをつぶすという、日本版トマト祭りというのを考えてみた。
しかしおおみそかに、鐘でやるすじあいは、トマトにも寺にもない。
これならかなり興味が引かれそうだというのを今考えてみると「ハンバーグの生地を下に置いた状態で鐘をつくと、味が良くなる」とか「鐘の下に置いたメトロノームがぴたっと止まる」とか、そういうのがいい。
そういったものがない、ただ鐘をつくのもなあ。
ところが考えてみると鐘をつくというのは一般的な人生においてそんなにあるものじゃなく、興味が出るのは仕方ない。
しかも、おおみそかだから出歩いてみたとしても実はそれほどアミューズメントに富んだところはないので、鐘でもつついてみようかと並ぶ気にもなるのである。
そしてもちろん、以前どこかで僕も鐘をついているわけで、しかも驚くべき事に、その鐘には貼り紙はなかったはず。
僕は反省し、この寺の水路にいるカワニナを探そうと小道に入る。
水がない。

みつけだそう super treasure

♪みつけだそう super treasure
作詞 nimbus7942
作曲 nimbus7942
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♪朝日がいつもと変わらず 俺のほほを照らし出す
♪そっと なぜるかのように
♪人はなぜ 光を追い求めて生きるのか
♪たとえ 手が届かないものだとしても
♪みつけだそう からあげクン1個増量期間のスケジュール
♪ほら 道ばたに花が咲いているよ
♪みつけだそう ミッツ マングローブの女の部分
♪日が 落ちて暗くなる前に
♪get you
♪生ける屍たちの 駅へと続く行進なのさ
♪あの たどたどしい足取りの男は
♪屍だから 希望もないが夢もない
♪あると すれば昨日の酒の残り
♪みつけだそう ノースリーブにアームウォーマーの女が示す生肩の可能性
♪愚民 政治混沌の世界
♪みつけだそう サラダに混入したらしい 虫
♪日が 落ちて暗くなる前に
♪みつけだそう 遠足前の保険証
♪道ばたの 花が誰かに摘まれている
♪みつけだそう 早く虫
♪夕飯が 冷える前に
♪get you

エコ人生論

風の強い日に気になる事と言ったら「回転する看板」。
時として武具ともなり得るその回転速度は、目を見張るものがある。
しかしもうひとつ気になる事ができた。
「両面の絵柄」だ。
「回転する看板」は、片方ずつ違う内容を描く。
勝手にそう考えていた。
回転によって両面が動的に切り替わるわけだから、より情報をのせる意味があるだろう。
それならば違うものを書くでしょう?。
ところがこないだ見た回転看板は、両面同じ事が書いてあった。
なぜなんだ。
納得がいかない。
=====
おしらせ
なんか今考えた、回転看板を使った教訓ばなし
「回転看板には3種類ある。人間も同じだ」
「両面おんなじ事を書いているやつは、逆境に立たされたときでも動揺せず、普段通りのことができるやつだ」
「片面ずつ違う事を書いているやつは、そういうときにころころ態度を変えるから信用できない」
「でも、例えば片面にめがね、もう片方に人の顔を書いていた場合」
「回転する事でひとつの絵になる、なんてやつには注目した方がいい」
「ピンチのときに頼りになるやつというのは、こういうやつのことを言うのだ」
=====
あ、あのカギ屋は信用できるんじゃないか。
納得。

いつまでん

その本屋からエスカレーターを降りていくと、目の前には子供服売り場があった。
子供は成長するのが早いから、新しい服を次々に買うのは気が引ける。
そんな話を思い出した。
しかし考えてみると、大人と子供の時間の流れ方は同じじゃないだろう。
「そんな子供に、いつまでお下がりを着せておく気?」
と、このフレーズが唐突に考えだされたので、困っているのだ。
子供服のことをずっと考えていたわけではない。
どちらかというと「コーヒーを飲んでいてむせて、口からはいたのがキーボードの上にこぼれて、そのコーヒーには砂糖を入れていたっけ?」ということくらいだった、考えていたこと。
ただ、むせただけ。
しかし出るんだ口から、よくコーヒーが。
さっさと手で押さえるなり向きを変えるなり、ティッシュを取るなりするべきだったのに、思いのほか体が言う事を効かない。
効かないというよりは、どちらかというと「むせる事」が思いのほか大変なこと。
思いのほかコーヒーが口からはき出されること。
思いのほかそれに驚きを感じている自分がいること。
予想外の出来事のせいで体が動かない。
そんな感じ。
「キーボードが乾いたとき、砂糖のべたつきでキー押しの感じがどっこいしょになっちゃう」とあせる一方で「あーあべとべとになるわー。でもいいや、なるがいいさね」とどこかやけくそにもなる。
そのやけくそ感が「そんな子供に、いつまでお下がりを着せておく気?」という謎コピーを生み出したのか。
いいんだ。
いつまでもお下がりでいいじゃないか。
それよりもキーボードのべとべとのが重要でしょう?。
キーボードを干す。
べとべとは避けられないだろうが。
そして午後5時。
日もくれたのに干されたままのキーボードが言うわけだ。
いつまで干しておく気?
ごめんなさい。