百科のひとつ その2

昨日からの続き
【あらすじ】
ことわざって昔のギャグだったかも。
では、今のギャグはことわざとして伝えられるのか。
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流行語大賞というものがある。
詳しくないが、流行語を決め、何かの辞典にそれを載せるのではなかったか。
そして結構、決定した流行語はギャグ的なものであることが多いはず。
しかし昔の流行語大賞の発表シーンや辞典を見た時、我々はどう考えるだろう。
なつかしっ。
これだけではないだろうか。
昔はよかったんである。
昨日記載したように、娯楽。
少なくとも現在のような即効性と規模の点において、抜きん出た娯楽がなかったのだ。
昔の人は米のとぎ汁を飲んだだけで酔っぱらったという(※うそ)。
そんな金額の書かれていない小切手のような連中にとって、言葉遊びは後世へ伝える義務を決心するくらいのことだった。
しかし現在。
流行語は短い生涯を終え、なつかしっになる。
辞典に載ったのだとしたら、辞典というものは突き詰めるとたくさんの人のなつかしっを集めたものと言える。
「辞典は人の思い出です」
多くの取捨を通じて、あの厚さで足りているわけだから、記載物はすべて、生粋の思い出である。
これからはこころして五十音コーナーを眺めていきたい所存。

百科のひとつ その1

調べていないので何なのだが、ことわざというのは生まれた当時に流行っていたギャグなのではないかと思いついた。
例えば「猫に小判」は、江戸時代あたり。
寝ている猫の横に小判を添え、それを版画か何かで販売したところ、たいそうウケたのだろう。
「小判使えねーよ!!」
そう江戸っ子内部でもてはやされ、皆の記憶に残った。
そしてそれが今、あたかも語学の一片を担うかのように振る舞う「ことわざ」を形成するまた一つとなったのである。
昔はアミューズメントなこともあまりなかったのだろう。
ウケが今の常識とは比較にならないほどの規模になったし、長く続いたわけだ。
もしかしたら、あまりに面白いので後世に伝えようという向きもあったかもしれない。
ところで、栄枯盛衰。
ギャグというものは、いつかはウケなくなるのが一般的であり、ギャグはそういうものでなくてはならない。
ことわざはウケのスパンは長いが、それでもいつかは廃れると思われる。
また、それを待たずして将来、猫や犬が進化してきたときも廃止されていくだろう。
すなわち、動物が言語や文化を習得してきたら、ちょっと彼らに聞かせたくないことわざが多いからである。
上記の「猫に小判」に加え「犬も歩けば棒にあたる」「馬の耳に念仏」などは、そのころには動物虐待よりも重度の卑下を宿してしまうだろう。
では一方、今のギャグは今後ことわざになりえるのだろうか。
明日。

食欲の飽き

最近は比類なき万能感と、ぞうきんをしゃぶっているような暗澹たる気分が交互にやってきて、いわゆるそれって躁鬱?。
そう言える分にはどちらでもないんだろうけど、とにかく困っていることはある。
「そううつ」も絶対書けないだろうけど、そもそも「あんたん」ってこんな字なの?。
ということではなく、昼ご飯がラーメンばかりなのだ。
あれは困る。
何が困るかって、飽きる。
ラーメンに飽きて仕方がない。
故に冒頭のセリフは、ラーメンを食べない時の万能感。
飽きているのに豚バラチャーシュー追加の大盛りを頼んでしまって、それを前にしたときの暗澹たる気分。
そのことを詠っているのだと、今分かった。
それにしても贅沢な話である。
ラーメンに飽きるなんて思いもしなかった。
大盛り頼んじゃっているのだから、何だ好きなんじゃないという感じもする。
しかし飽きている。
そしていつも同じお店へ、いつもの顔で行っているのもいやだ。
顔が覚えられてしまう。
こっちは飽きているというくらいだから、味を覚えているのだろう。
そうなると、店主がこちらの顔を覚えてしまうのも、時間の問題だろう。
確かに僕はラーメンに飽きている。
だが「あの人最近来ないね」とも思われたくない。
何かいい方法はないだろうか。

ねじれるほどにこがれ

僕は自々ともに認める「きな粉」好きであったが、駄菓子にある「きなこ棒」というものには魅力を感じなかった。
やはりきな粉は餅についてなんぼのものである。
きなこ棒を一度も食べた事がなかった。
しかしこのあいだ。
スーパーで買い物、レジで並んでいると、そう遠くないお菓子コーナーにてねじれた感じの駄菓子を発見。
何かと確認してみると、きなこ棒とある。
250円と、なんか駄菓子じゃないなという気もしたが、興味本位で購入する事にした。
家に帰ってさっそくパッケージを開けてみると、この「ねじれきなこ棒」は半生タイプなのか。
妙にやわらかい。
駄菓子屋のほうのがどういうものなのか分からない以上、これが半生であるのか普通の状態であるのかは分からないが、一つ言えるのは、これを食べた事で歯の詰め物が取れてしまうことだけは避けなければならないということだ。
試しに一本をしゃぶってみると、すばらしくおいしい。
うちではきなこ餅を食べる時、焼いた餅を一度湯にくぐらせる。
これはきな粉をたくさんつける目論みなのだが、そのときにできる副産物。
ちょうど水を含んで凝固したきな粉そのものに非常に良く似た味がする。
こんなにおいしいのなら、昔から食っておけば良かったと思ったが、どうなのだろうか。
これはあくまで250円の方のきなこ棒であって、駄菓子屋の方のはこれと同じ味かどうかは疑わしい。
そう。
今回の件で、少なくともきなこ棒メーカーは2社あることに気づかされた。
もちろん同じメーカーかも知れない。
だが、片方は駄菓子というくらいだから相応の値段。
一方、今目の前にあるねじれた感じのきなこ棒は250円。
駄菓子と高級志向の駄菓子。
高級志向の駄菓子は、いつか菓子になれるのだろうか。

クイナ、鳴かないのか?

「鳴かぬのは」
こう問われたのは夢の話で、朝方の半分目覚めているようなときだった。
それは、なぜかヤンバルクイナを捕獲しようとしている夢。
僕が「ヤンバルクイナだ!!」と興奮しながら指差した先には、確かに小型のすばしっこい鳥類がいたが、あの赤い足が特徴的なヤンバルクイナではなさそう。
冴えない茶褐色をしている鳥だった。
しかし、なんだかヤンバルクイナじゃないなと残念がる僕を制し、班長らしき人が「たぶんメスだろう」といい、捕獲作業は継続したのだった。
その途中に問われたのだ。
「鳴かぬのは」
僕はそのとき、夢の中ながらに「このクイナのくだりの前に見た夢が、例の「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」の関係であったことを思い出した。
詳細はわからないが、とにかく「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」というフレーズが出たのだろう。
クイナの夢からも覚めた僕は、なんとなく気になっていた。
「なんだ、鳴かない理由があるはずじゃないか」
どうにも「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」の残虐な感じばかりがクローズアップされがちなのだが、確かにホトトギスにも鳴かない理由があるはずだ。
今にも絞め殺そうと、手をふるわせている男がいる。
どうにかして鳴かせようと、口笛を吹く男がいる。
こんな男がカゴの前にいては、むしろ鳴くもんかと意固地になってしまうだろう。
ひなたぼっこしている男がいる。
これはもちろん、鳴く理由がない。

口頭に向くやつの今後

昨日からのつづき。
【概要】
***口頭に向くやつのあけぼの***
大昔、人々はしゃべることで人をおもしろがらせる、いわゆる「口頭に向くやつ」を手に入れるどうこう以前に、そもそもしゃべることが出来なかった。
***初歩的な口頭に向いてるやつの発祥***
哲学者が大声で「おつかれさまでーす」と言ってみたところ、くたびれた格好のくせに何言ってんだ、と受けた。
***初歩的な口頭に向いてるやつ「写実主義」***
それのあるがままを言葉にすることによって、おもしろくする。
もしくはおもしろくなった体でやり過ごす。
***口頭に向くやつ「落差」***
「かすみうまっ!!」
うまくないと思われる霞をうまいと表現する。
その落差を、磁器を愛でるかのように楽しむ。
***口頭に向くやつ「印象派」***
「アジャパー」
なんだかわからないが、受けたときの破壊力はすごい。
わからないところに想像力を働かせて。
あるいはわからないこと自体を楽しむ。
*****
「口頭に向くやつ」は今後、どのような展開を見せるのだろうか。
結論
それが知りたいんだってば。
20111028に戻る。

口頭に向くやつ。

ふと気づくと、いわゆるネタがない。
そんなことがどれほどあっただろうか。
だいたいそうだった。
ネタはなく、メモも何書いたのかぜんぜん思い出せない。
ということで、前のブログを見ても「こんなこと書いたっけ」というものが非常に多く、その点は自給自足だ。
ともかく、書くことなくなったらやめるかと思っていたブログはずいぶん長い間続いている。
自給自足ではあるが、もう昔のを見るのは怖すぎ。
万年床の敷き布団の裏と同じ印象。
このブログの主たる目的として「面白いことの補正」がある。
こう、口にするのも恐ろしい尋常句と「ちょうどいいもの」、そして突飛すぎるものが並んでいたとき。
「ちょうどいいもの」を選択できるよう、あとあと自分の書いたことを見てその観点を補正していこうというものだ。
この目的は、こないだ飲み会で急遽やってみたネタがすべったところから見ても、あまりうまくいっていないよう。
常々思ってはいたが、再確認させられたわけだ。
「本ブログ内容は、少なくとも口頭には向かない」
少なくとも、である。
だから活字にも向かないし言語としても向かない。
あんなにお手軽なペペロンチーノにも向かない。しかし何となくアルデンテにはしやすそうだ。
何はともあれ、人間関係やコミュニケーションとしても有用そうな「口頭に向くやつ」を考えていきたいところ。
しかし、よくわからない。
なんなんだよう。
口頭に向くやつって!!。
次回
口頭に向くやつの歴史的変遷を創作。

頃2

昨日からの続き
【あらすじ】
いろんな「頃」というものを考えてみる。
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「ウーロン茶がダイエット効果をウリにしていなかった頃」
ウーロン茶で帳消しにできるカロリーってあるもんなのか、わかりません。
「FUJIWARA原西のギャグが、まだ人間が理解できる数だった頃」
もうそろそろ終わりかも。
「白い石が宝石だった頃」
道路にらくがきをしたことある人にとっては、かなりいい比喩だと思うのだが、いかがか。
「より面白いギャグがブリリアント ゲリーンか、ゲリリアント ブリーンか決めあぐねていた頃」
今日は土曜日だけど、もう起きようかなーとまどろんでいるとき、両方思いつきました。
「バナナが病気のときしか食べられなかった頃」
あ、普通だ。
「ドラゴンクエストで、戦闘になる度に武器を装備し直さなくてはいけないと思っていた頃」
ずいぶんRPGってめんどくさいんだなと思いました。
「斉藤由貴が生気のない「夢の中へ」をうたっていた頃」
夢の中はたぶんあんな感じなので、OKだ。
「東鳩キャラメルコーンのCMで「♪とおはと、キャラメルコーーーン」というフレーズが入っていた頃」
いまでも入っていたら、まだ使っちゃ駄目な「頃」だ。
「頃という言葉を考えたとき、懐かしいものを持ち出すのはどうかなと思っていた頃」
これを書く少し前に「持ち出すことにしよう」と考え直したため、だいたい10分くらい前の頃。

昔のことを思い出してそのことを伝える場合、「それがいつ頃か」を伝える必要が、基本的にはある。
それがないと伝えたことは全て「現在のこと」「進行中のこと」と認識されてしまい、ちょっと密度濃すぎる今となってしまう。
過去形を用いることで操作はできるが、「それがいつ頃か」を付加しない理由はないのである。
しかし難しいもので、この「それがいつ頃か」は、詳細に言ってはいけないことになっている。
日記などの証拠から、細かい時間がわかっていたとしても、である。
「去年の2月14日、13時頃。俺、ひったくり犯を捕まえたんだ」
人に話すにはなかなかのイベント。
しかし、いけない点もある。
もちろん、一番いけないのは詳細な時刻が出ている点。
これでは相手に「そんな昔のことの時間を覚えているって、細かい」と負のイメージを持たれてしまう。
「お前は今後、ずっとそのことをいろんな人に自慢していくんだね」
他にも、「日付がひったくりの切実さを表していて、悲しい」「ひったくったもの、チョコじゃないだろうな」などがあるが、とにかく細かい時間はいけない。
そのいけなさを体得しているのか。
人は「必要でもない限り、曖昧にそれがいつ頃かを話す能力」を得ている。
まず思い出すのが「手紙の冒頭のあいさつ」だろうか。
「このごろは葉もすっかり色づいてしまい、遠くに見える山も化粧をしたような鮮やかさになりました」
「もう冬ですね。お元気でしょうか。nimbus7942です」
こうくるわけである。
「このごろは葉もすっかり色づいてしまい、遠くに見える山も巨人の返り血を浴びたような鮮やかさになりました」
「鮮血ですね。お元気でしょうか。nimbus7942です」
「このごろはやっとパンもおいしくなり、トースターの強で焦げ目を多めにするも、弱でふっくらさせるのもよしのシーズンとなりました」
「ダブルソフトですね。お元気でしょうか。nimbus7942です」
「このごろは空気も澄み、遠くのモスキート音まで聞こえるようになりました」
「若作りですね。お元気でしょうか。nimbus7942です」
あー完全に話逸れたわ。
次回、いろんな「頃」を考えてみる。

メビウスリング

目の前にマジックテープがある。
10cmほどの長さの、べりりと剥がすやつだ。
なんとなく思った。
「マジックテープのメビウスの輪を作って、それを剥がすとどうなるのか」
手元にあるマジックテープは長くない。
僕の頭でそれをシミュレートするにはマシンの性能とメモリが足らず、おそらく自律神経関連で使っているところもそれに回さなくてはならない。
そうすると死ぬ。
あれ、それって自律じゃないじゃん。
ともかく、「マジックテープのメビウスの輪」の問題はよくわからない。
確か、メビウスの輪を真ん中から切っていくと、連なった2つの輪になるという、ちょい意外だった。
その「ねじれ」をひとつ増やしたメビウスの輪だと、大きな輪になったような気がする。
マジックテープのやつも、テープ的な紙が2枚あればできるのでやってもいいが、あまり重要そうでもないため、妄想で終えることにする。
※マジックテープのメビウスの輪を剥がしたらどうなるか。
1.両手を広げての指先から指先までの長さがわかる。
2.剥がしていく度に、剥がし終えたところが勝手にひっついていく。
3.自分はマジックテープを剥がしているつもりだったが、実は20年間意識不明の患者で、病室のベッドで目が覚めることになる。
4.その様子を見ていた人と、友達になる。
5.ちょうどマジックテープを必要としていた人に見つかり、取引を持ちかけられる。
眠いので終わり。