羊の皮をかぶってはみませんか?。

前回、芥川龍之介の本を買いました。「鼻」。
しかし、買った文庫本のタイトルは「羅生門」。
確かに、こっちの方が有名っぽい。
「羅生門」ってのは、確か中学くらいの国語の教科書に載ってました。
・・・
ふと、イギリスあたりでは「人毛で作られたカツラをかぶると、人格が変わる」と言われていることを思い出しました。
なんかの本に書いてあったことです。
今は人毛のカツラはほとんどないのかもしれないけど(あるかも)、昔はそればっかだったはず。
昔の人は性格がブレていたに違いない。
また、ルイ○○世とかのクルクル髪型のような立派なカツラが人毛だったとしたら、相当希少価値が高かったはず。
結果、カツラ世襲的な感じであると考えられ、その一族はだいたい似た性格だったろう。
現在では、人工のカツラが主流だろうけど、その場合はどうなってしまうのでしょうか?。
芸能界でカツラ着用を疑われている人たちが、サイボーグ的なものの考え方をしているかどうかをチェックしなくてはならないようです。
また、CMが印象的な「腕に毛を生やすヤツ」では腕が別の人格を持ってしまうかもしれません。
「あの技術で人差し指に毛を生やせば、歯ブラシがいらない」とかいう人がいそうですが、近くにいたら涙ながらに止めましょう。
ただ、親指先端に毛を生やしてあげると、「親指ウォーズ」的にはオケかも。
追記「羅生門」概略
おばあさんが「しば」みたいな、似たものを刈っていたら、追いはぎにあう話。

ア行で交わる神話とグミ

何だかわからないけど、無性に芥川龍之介の「鼻」が読みたくなりました。
古本屋なら確実にありそうだけど、あいにく近くには普通の書店しかありません。
うおー鼻!!。
我慢できないので新刊を買うことにしました。
その本屋はけっこう広くて、各ジャンルの本がずらり。
ないことはないだろう。
ところが見つからない。
文庫本コーナーにはずらりと本が並んでいます。
しかし見つからない。
なぜかというと、本棚に作者名の書かれた仕切り板がないからなのでした。
どうにか「あいうえお」順には並んでいるようですが、これでは時間がかかる・・・。
めんどい書店だな・・・。
・・・ん?。
!!!!!!!!!!!!!!!!!
違う。
仕切り板がある。
しかも、ずらりと並んだ文庫本の中に、2名のものだけ。
その、栄えある作者は
「阿刀田 高」と「大槻 ケンジ」でした・・・。
な、なんでだろう・・・?。
追記「鼻」概略
すごく鼻の長いお坊さんがいて、嘘をついたりすると伸び縮みする話。

隣のレジスタント

日本が平和だと、未だに思っている人たちがいるが、もちろんそんなことはない。
既に我々は、あらゆる組織によって毛穴の汚れ具合についてまで詳細に監視されており、反社会的活動が未然に防がれているのである。
例えば、道をゆずってもらったのにハザードランプを点灯しないものに対しては注意が適応される。
注意が3つたまると、その車の駐車場の上に電線がはられ、とりふんが車に落下する確率を高められてしまう。
また、10kgのお米を買うとき、バーコードがついている方を下にしてレジ台に置く人物には最大級の警戒がなされるという。
警戒は注意6個分に相当する。
駐車場に電線をはられた上に、自宅近くの電柱に、怪しく点滅するランプのついた黒い箱をセットされてしまう。
ただランプが点滅するだけの箱なのだが、明らかに怪しいために当人は盗聴されているかもという憶測を考えてしまうようになるのだ。
反社会的行動、注意されたし。

深夜に木琴を探す意義

ある作家は、自伝にて次のようなことを書いている。
「人間なんてものは、寸前まで何を書くのか決めていなくても、机に向かって少し集中さえすれば、何かは書けるものなのですゲヒャヒャ」
ゲヒャヒャにならって集中してみます。
・・・
見えました。
何かのイメージ。
なんかわからないけど、僕が何か問題を出しています。
そして、
「ここのあて先まで、どしどし送ってね」みたいなことを言っている。
例の、虚空に向かって指を差している映像だ。
そんなことをしている自分のイメージが圧倒的に腹立たしいが、そんなことよりも気になることが。
「どしどし」である。
押入れから木琴を探し出し、叩いてみた。
うーん。
だいぶ「どしどし来るはがき」のイメージとは違う音色だ。
誰が最初に言ったんだろう?。
最初に言った人は、たぶん天才だ。
もちろん、いきなり「どしどし送ってね」とかは生まれなかっただろう。
そのため、かなりの試行錯誤をスタジオでやったに違いない。
「さらさら送ってね」
「ちょっと少ない感じだよね」
「だむだむ送ってね」
「お、濁音いいね」
「ぴごぴご送ってね」
「ちょっと、やりすぎって感じだよね」
「かむかむ送ってね」
「ちょっと、ある意味いいんじゃない?」
「どしどし送ってね」
「!!!。ちょっと、鈴木さん呼んできて!!!」
こんな感じ。
偉大だ。
ちなみに僕が思うに、「かむかむ」は最終段階まで「どしどし」と争ったはずだ。

日∧o冫σ美孑ちゃω

僕は昔から「シンニュウ」には一目置いていた。
「シンニュウ」とは「進」とか「遠」とかに見られるうねうねした部分のこと。
その、子供向きする(少なくとも僕はしました)形に加え、国語の授業で「シンニュウ」とも言うという、何だかよく分からない説明により、いつもはよくケンカするけど気になるアイツみたいな感じを持つこととなった。
ちなみに「之繞」って書くらしいです。
確か、ずいぶんこの「シンニュウ」を書く練習をしたおぼえがある。
ノートに「シンニュウ」の部分ばかりを書いた。
けど、いくら書いても「え」にしか見えない。
「え」には見えないものでも、自分の納得いく形のものはそう書けなかった。
しょうがないので「えー」と書くつもりで書くことにし、結果、現在の僕に至る。
今そのノートがあったらギャル語練習帳みたいなものになったかもしれないな・・・。
ちなみにタイトルはギャル語変換サイトみたいなところを参照。

よもやまさんって、誰?

旅行の雑談。
旅行2日目、虹を見ました。
皆さんは虹というとどんなものをイメージするでしょうか?。
何かキレイな色をしていて、アーチ上。
空にぽかんと浮いていたり?。
庭に水をまいたときに小さい虹ができたり?。
そのときの虹は面白かった。
虹アーチの端が、遠くの地上にちゃんとかかって(降り注いで?)いたんです。
僕は今までそんな虹は、絵とかでは見たかもしれないけど実際は見たことありませんでした。
それを見た誰もが想像しただろう。
漫画にあるような「虹の橋を渡っていく」シーン。
あの場所に行けば、あわよくば・・・。
また、「行け! 稲中卓球部」が好きな人は、一味違った解釈でよだれが出るかもしれない。
前も書いたけどこういうとき、僕は高揚しまくる。
「みんな、はやく!!」みたいな感じ。
あらゆる手段で教えたい感じ。
マタギが獲物を追い詰めた感じ。
若干違うのがあるけど、まぁ楽しくなるわけだ。
とりあえずこの高揚は、バスを待つ間にカラオケに一人で行くことによって抑えた。

ボンビコール

宿を後にした僕は、夜行バスに再び乗るまでの10時間ばかりをどうするか考え、まだ行ってない観光地があったので、そこでうろつくことにした。
そこも人が多い。
しかも、直線的な道の両脇に甘味処が多数あるため、さながらアメ玉を目指すアリの大行進。
僕は羽を得、蝶(蛾も可)のようにひとっ飛びしたいと思った。
でも、僕の背中には相変わらず羽はない。
それに、羽を持っていても飛べない蛾もいるしな。
変態するのも気がひけるな。
ということで思うのをやめることにした。
僕は観光客の一員として、そのフェロモンに圧倒されながらも、それを頼りにみんなが行きたがっている場所に向かった。
しかし彼らは散り散りと色んな甘味処へと消えていく。
僕がたどったのは、昔の残り香みたいなものだったのである。
歴史ある場所で残り香なんて言葉を思いつき、意識できたことはうれしかった。
・・・
それにしてもまぁ、面白くはないので自転車を借りることにする。
見てくれは「ママチャリ更年期」といった趣の自転車を借り駆る。
(ちなみにカラカルというカッチョイイねこ科がいるが、このときは圧倒的に更年期的な駆りであった)
制限2時間のうち、道に迷っていたのは1時間30分だった。
知らん街で1時間30分のサイクリング。
これをどうとらえるかは人による。
この時間を2行で終えることをどう思うかは人による。
とにかく自身も更年期的になってしまったため、僕も先人に習い甘味処へ向かうことになるのだ。
(10/14五臓七腑にしみこむピースたち)
何件目かの店を出たとき、もうずいぶんと時間が経っていたことに気付く。
今度は夕焼けが目にしみこむ。
旅も終わりだ。
夜行バスの中、僕は眠たくなるまで、あの残り香を五感で思い出すことだろう。

はなきんの儀

夕食を済ませ、その片付けに来たおばはんから周辺のことを聞きだす。
ほう、近くの神社で何か行事があるらしい。
カメラを持って行くことにした。
その行事は「月」への感謝だか何だかをするらしい。
その日はバッチリ曇りで、感謝の対象は今のところ拝めない。
別に屋台などが出ているわけではないので、境内をうろつく。
すると、にわかに中庭が騒がしくなってきた。
はかま姿のおじさんが闇からぞろぞろ現れて、「いかにも」って感じの楽器を奏ではじめた。
そして、月への感謝を、立ったり座ったり、団子を供えたり舞したりで表現した。
要するに、僕はちゃんと見てなかった。
夜の神社と言うだけで十分楽しかったんである。
しかし、儀式も佳境というところで雲がさっと流れ、満月が煌々と夜空に輝いたとき、正直こいつらやるな、と思った。
夜の神社で満月。
知り合い全員にメールを飛ばしたい心境である。
それにしても、来た日がちょうどその行事にあたっていてよかった。
ついてるなぁ。
行事も終わり、儀式に使ったすすきを持って帰るとご利益があるとかいう放送が流れはじめたのでそこを後にする。
ふと、神社を出たところにある看板に目が行った。
「○○の儀、本日開催。」
そしてその隣には
「××の儀、何月何日予定。」
一週間後である。
宿で聞いてみると、集客のためか、かなり頻繁に行事があるらしい。
そういえば、看板には「第二回 ○○の儀」とあった。
に、二回目かぁ・・・。

嘘はうけません。

とにかく人である。
どこに行っても観光客ばかりである。
わくわく動物ランド調だと霊長目ヒト科ホモサピエンスだらけ。
ムスカ調だとごみだらけ。
もう、寺の敷地内なのか歌舞伎町なのか分からなくなる。
ちなみにテラの敷地内とすると、僕ら仲良しみな兄弟となる。
こういう思いをする機会は多い。
もちろん自分もその中の一因を担っていることにも気付いているけど、こんなに多くなくても・・・、とか考えてしまう。
このとき人間は、時間の差はあれど、
周りの人が自分と同じような質量を持ち、自分と同じような人間関係を持ち、自分と同じように物事を考えていることを忘れる。
こう聞くと、当たり前のことだから忘れたりしないと思うかもしれないが、誰でも忘れるときがあるのは確実だろう。
そして、その時間が長いような人は、この街はけっこう住みやすいはずだ。
君は、そんなことは忘れないというような、綺麗な目をしているね。
どう?。
これから僕らの体重について語り合わない?。
宿泊先でかわいい従業員の人がいたら使ってみようと思ったが、
来たのはおばちゃんと外国の方だった。
確実にダメな感じ2×2である。

生ける仏は義務教育

お寺にでも行くしかない。
みのもんたも寝ているかもしれない時間にバスは到着し、僕は雨の路上にやんわり放り出された。
確か、近くにたくさん仏像がある寺があるはず。
それを思い出し、歩いてった。
早朝。
寒い。
雨。
だいぶ「うきうき、寺気分」にはなれないが、着いた。
!!!!
なんということであろうか!!。
いくつもの立像がある中、歯が抜けたように空間が。
そこには
「現在修復中」だの、
「なんとか博物館の要請につき、出陣中」だのの立て札が。
「修復中」の君。
欠席扱いなんで。
「出陣中」の君。
「出陣」って言うんだ・・・。
立て札よりも花瓶か何か置いた方がいいのにね。
近くにいた中学生に言おうと思ったけど、彼は像たちに向かって手を合わせていたので、僕は彼に手を合わせてみた。
君、今「仏像の数+1」になったで・・・。