以前、貼り紙について、ちらりと書いた。
「ハチに注意して」みたいな貼り紙だった。
この貼り紙は僕に「貼り紙は2種類の距離を持つ」ということを気づかせた。
すなわち、「その字が読めなくなるまでの距離」と「実際にその情報を知らせたい距離」である。
「ハチに注意して」の貼り紙の例では、明らかに「見える距離>知らせたい距離」であるため、問題にはならないだろう。
貼り紙の文字が読めなくなるくらい距離の離れた場所でハチに刺され、そのことを広告主をとがめても、彼はこういうだろう。
「それ、うちのハチじゃありませんよ。」
また、そもそも貼り紙自体が読めないはずのため、被害者もただ運の悪さを思うにとどまるはずだ。
このようなケースは
「犬のフンおことわり」
「落石注意」(貼り紙じゃないか)
などでも同様だろう。
問題は「見える距離<知らせたい距離」の場合である。
幸か不幸か、警告や危険性を伝えるような貼り紙では、このようなケースはまずない。
「天変地異に注意」
「保険料問題をないがしろにしないでください」
これらは、既に大抵の人が注意していることであったり、そもそも「見える距離と知らせたい距離」の差が大きいため、貼り紙というツールが適切ではないということをみんな知っているのである。
よって、貼り紙としてあまり存在していない。
気になるのはある種の「広告系」の貼り紙である。
「トイプードル譲ります」
この内容は「見える距離<知らせたい距離」の状態であるべきではないだろうか。
そうだとしたら、ここは貼り紙ツールの出番ではない。
別の情報の伝え方があるのではないだろうか。
もっとも、広告主が「譲ってもすぐに会える距離がいい」というのであれば、広告主はえらいが、それでももう少し「譲りたい気持ち」を広げてはどうか。
このようなケースは
「家庭教師やります」なども含まれるだろう。
しかし、「貸しマンション」などの貼り紙に関しては、そこそこローカルでなくてはならない。
世田谷区に近畿地方の安いマンション情報を発信しても、それはほぼ「何も発信しませんでした」と変わらないのである。
貼り紙をこれから貼るというとき、以上のような点を考慮しなくては、貼り紙の効力を最大限に発揮させることは出来ない。
でないと、リーガルの貼り紙業界の人に「こいつわかってねぇよ」と思われてしまうことだろう。
結論
インターネットって、すごいね。
投稿者: nimbus7942
職業、モンスターハント。
最近「モンスターハンターポータブル2」というゲームばかりやっていて、いけないな、と思う。
ゲーム内容はいたってシンプル。
恐竜みたいなやつと戦い、アイテムを得ていくのだ。
だいぶ流行っているゲームで、人によって「ここが面白い」という点は違うだろうが、僕がこのゲームの面白さについて特記すべきと思う点は「主人公のもろさ」である。
スーパーマリオブラザーズでは、パワーアップしたマリオが敵にぶつかると、「ワンワンワン」とかいう効果音とともに、パワーダウンしてしまう。
モンスターハンターでは、たいてい主人公は「うわっ」とか言いながら景気よく吹っ飛び、ごろごろ転がる。
それはそれは転がる。
マリオに登場する敵は、基本的にマリオのことをあまり気にせず、頭上をジャンプで越えられても気にせず画面上から姿を消してしまうような、前向きなやつが多い。
それに引きかえモンスターハンターでは、基本的に主人公に対して、みな敵意むき出しである。
主人公に気づくやいなや、その喉元を狙ってくるのだ。
したがって、それはそれは転がる間に、たいていのモンスターは大接近してくるのである。
しかも、モンスターと戦っているというのに、主人公は腹が減る。
腹が減った状態で何か行動しようものなら、たとえ恐竜の面前でも、「はぁ」とため息をつく。
お前!!。
モンスターの前でため息なんかついたら、そのにおいを嗅いだモンスターの食欲をそそるだろうが!!。
でも、動かしてて楽しいので、やってしまう。
中毒性の高いゲームだ。
しかし、「腹が減る」以上にリアル志向のゲームが増えても、困ると思う。
「ああああ」は虫に刺された!!。
→まさかとは思ったけど、「ムヒ」10Gで買っといてよかった?。
「7942」の隣の席の男性が貧乏ゆすりを始めた!!。
1のダメージ。
1のダメージ。
1のダメージ。
→ダメージあるんだ・・・。
「すくえもん」は前の席に座るカップルが気になりだした!!。
→字で出るな、字で。
ここまできたら、ゲームをやらなくても大丈夫になるだろう。
ウランに青い飴を与えるな
世代の違う、特に年下の人との会話は、難しい。
なんたって「世代が違う」のである。
しかし我々は、往々としてそういうシーンを経験することが多い。
どこぞの親戚が小学生を連れてきただけで、いやおうなしに迫られるのだ。
「年下の人との会話」が。
一昔前の小学生男子との会話は、とりあえず「ポケモン」さえ出れば万事解決であった。
今はなんだろうか。
女子になると、小学生でも人によって独特で、会話内容に閉口してしまうことがある。
方向としては、相手が話す内容を広げて、それにかぶせて話す、といった感じか。
※男女ともに、猫などのツールがあると、会話ではないが場をもたせるのが楽である。
一方、いろんな人との出会いを経たような年代になると、男女問わずに適当な会話ができる場合が多い。
僕が思うに、一番こういうシーンで困るのが「思春期の女子」ではないだろうか。
男でも女でも、「思春期の女子」を前にしたら、電波少年のアイマスクを取った瞬間を味わうに違いない。
人間の人生の種類において、最も共有できる話題が少なく、ユニークであるのが「思春期の女子」時代な気がするのだ。
会話相手のこちらがおっつけないほど、先鋭的であったり、快活であったり、逆に内向的だったり。
いい意味でも悪い意味では「手が出せない」状態になりそうなのである。
未来、人型ロボットが作られたとしても、おそらく「思春期の女子」型が、色々な意味をもたせなくても一番高価になるだろう。
御茶の水博士が「アトム」や「ウラン」の年齢設定をあのようにした理由は、「思春期の女子」型AIが作製できなかったのではないか。
「思春期の女子のモデルが、明瞭にならない。」
「やつら、俺の鼻のことを異様だと思ってやがる。」
また、もしできたとしても、その年齢設定から「思春期の女子」をはずしたことが、これまた色々な意味で、なんとなく理解できるのである。
結社の揺るがない宣言
下水道用のマンホールをよく見ると、「汚」という字を丸で囲った表記が見られるだろう。
マンホールとはいえ、あんまりではないだろうか。
でも、分かりやすい。
この分かりやすさを他のものに採用してみると、例えば、丸に「電」だと何かケーブル的なものが通っているところなんだと想像できる。
丸に「車」だと、トンネルに通じていそうである。
丸に「バツ」だと、地下に警察署でもあるのか、と疑える。
丸に「穴」だと、そんなことは分かってるよ!!、と言える。
丸に「丸」だと、よかったよかった、と思える。
丸に「ゴーストの絵」だと、なんだ、ゴーストバスタれてないじゃないか、と思い電話する。
丸に「秘」だと、あぁ、やっぱり日本にもそういう地下結社があるんだなぁと、感慨にふけることが出来る。
そして、今ここに、丸「楽」を記すこととしよう。
おやすみなさい。
無造作内容
「無造作ヘア」に代表される「俺ってやんちゃ系」、「ちょこっと混沌」が流行して久しい。
こう書かれている時点で既に「流行」という点からは遠ざかっているかもしれない。
だが、今日もつんつんした髪型の青年が、ガラス窓の前でつんつんに磨きをかけるし、ジーパンの多くは不規則に破れている。
こうした社会的な背景にあり、未だ、その魅力や注目度をうまく利用できていない分野が多いことに気付いた。
今日のブログが、そのような分野に対して何かしらの提示が出来れば、幸いである。
・無造作そうめん
もちろん太さ、長さは一定していない。
食すときも、一口サイズにまとめておく、というようなことはされておらず、むしろ全体を絡ませる感じで勝負している。
(派生として、無造作揖保乃糸がある。)
・無造作自動販売機のボタン
ボタン配置が明らかに異なるばかりでなく、お金を入れても出てこないこともあり、むしろそのほうが多い。
困ったときにかける電話番号が、うそ。
・無造作乱丁
こういう風にそれっぽく言われると、怒る気すら薄れそうである。
「無造作乱丁によるものは、お取替えの対象にはなりません。」
・無造作サッカー
ときどき11人対35人とかになっている。
審判は一般公募で、各種カードの持参を求められる。
・無造作係長
性格、髪型など、いろいろな「無造作」が考えられるが、どれにしても、案外働きやすい環境を提供してもらえそうな気もする。
・無造作ぐし
髪をとく部分の一本一本の長さ、硬さ、方向性が無造作。
誰しもこのくしを前にして思う。
「お前が無造作で、どうすんねん。」
・無造作歯ブラシ
無造作ぐしの亜種である。ところが、歯ブラシの用途から考えると、とんでもなくアリな方向でもある。さらりと流す。
・無造作生きざま
2?3回は、おいしくないご飯を1年ほど食べるような経験が必要である。
本が出せる。
・無造作パチンコ
想像するに、台に張られている透明な板に穴が開いており、パチンコをすると、ときどき玉が飛び出してくるような仕様であると思う。
・無造作ゼブラゾーン
もう、ぐっちゃぐちゃである。
よく、小学生が石灰で白線を注ぎ足しに来る。
・無造作暦
8月は42日くらいあり、喜ばれる。
カレンダーは、空白の方眼紙のようになっている。
サマータイム導入みたいなノリで、どうか。
・無造作配線
タコ足とかいうレベルではない。
消防署に確実に怒られる。
消防署は無造作ではないからだ。
・無造作中華飯店
すでに導入されている店もあるだろう。
いいことだ。
・無造作「クイズ年の差なんて」
そんなクイズ番組があった。
年齢差はせいぜい3歳くらいである。
・無造作金たわし
むしろ、今までのはそんなにテクニカルだったの?、と言わせる感じ。
しかし、今までの「金たわしの無造作っぷり」を覆す無造作っぷりの「無造作金たわし」の登場だ。
たくさん挙げた。
少々無造作を違う意味として取り上げた感もあり、何かためになった人は、いるんだろうか。
まぁ、こんな感じのは、いつかやるであろう「無無造作」の回でもありそうである。
おわり。
恋ドロビング
「日本でジョギングを流行らせた人が、亡くなったらしいよ。」
よく分からないのだが、とにかく亡くなったそうだ。
残念だ。
しかし、ちょっと疑問が生じた。
我々日本人は、彼がジョギングを流行らせてくれる以前、一体何をしていたのだろうか。
幸運なことに、日本人の間では「食べてすぐに横になると、牛になる」という、かなり民族伝承的であやしい噂が、まかり通っている。
したがって、「食後に何かしら運動する」ということは既に行われていた可能性が高い。
その中にいたはずなのだ。
「おれ、食後に、左足を前に出して、その後すぐ右足をその先に出すのをすばやく繰り返す運動してるんだよ。」というヤツが。
彼は、みるみる健康になり、体型も整った。
皆が何をしているだと聞くので、もっと詳細に言わなくてはならなくなった。
「おれ、食後に、左足を前に出してから、その先に右足を出す。それと同時にこう、体の重心を前に移動させていくような動きをすばやくやっているんだ。やるとわかるけど、ちょっと両足ともに地面から離れる瞬間とかもあるけど、すぐに慣れるよ。」
「それ、なんていう運動なんだよ?。」
「名前?。特にないけど、おれは「恋泥棒」って呼んでるよ。」
このとき「ジョギング」が流行る礎が、完成した。
手品師がいたら、手品を見よ。
「手品師が右手を差し出したら、左手を見よ」という感じのフレーズが、なにかどこかであった。
多少なりとも、口の近くの空気を吸ったり吐いたりする人生を送ると、そういう「裏を意識する」ような考えがどうしても生まれるもの。
また、「貯金しとく」と言われてお年玉を奪われたり、今日は誰とも遊ぶ約束できなかったな、と歩いていたら自分以外の全員がつるんで遊んでいたり。
そんな体験をしていると、もう少し「裏意識っぷり」が早めに生じる。
でも、そんな裏社会を垣間見た僕でも、手品のタネは見つからない。
もちろん、手品の技術もすごいんだろうけど、なんだかんだ言って結局、僕らは右手を見てしまっているのだ。
僕は意識した。
上の例における「左手」にこそ、真理があると。
「パラマウントベッド」という、介護ベッドの会社がある。
そのCMでは、以下のようなセリフをおばあちゃんが言う。
「ぱらまうーんと、楽よ。」
何か、ベッドの下にモーターがついているのか。
ベッドが寝ている人の上半身を自動で起き上がらせてくれるため、利用者、あるいは介護者も、ともに楽、ということである。
楽なのは実に結構だ。
しかし、それだけではない。
このセリフは「手品師の両腕」技法に則しているのである。
どういうことか。
手品師で例えると、差し出した「右手」は、明らかに「うーんと、楽よ。」の部分である。
そして、一見価値のなさそうな「左手」は、「ぱらま」である。
パラマウントベッドは、意図的に「ぱらま」を隠そうとしたのだ。
それほど隠したい「ぱらま」を、堂々と社名にすら使うとは。
確信犯である。
「彩りが、いいよね。」
「白いごはん」には、何が合うのでしょうか。
赤が映え、定番でもある梅干。
ご飯を包み込む時の「ぱり」という音が感涙モノの、のり。
程よい塩味を提供してくれるお新香類。
あとひく旨さ、納豆。
どれもおいしい。
そして、最後のは安いコピーのようになってしまいました。
ここ2、3日「ピラフ」には何が合うのか、という疑問が生じ、困っています。
本場(元来、トルコ料理らしい)では、
「やっぱり朝のピラフには、八角だよな。」
「ピラフがメニューにあるのに、オニオングラタンスープがないのはどういうことか。」
「ピラフを食べるときは、食卓に卒業写真を飾らないと感じがでない。」
「当店のピラフ・スプーンは、しゃぶるだけでピラフの味がするほど、ピラフをすくい続けております。」
「ピラフを枡につめるのは、ピラフに木の香りを移すためです。」
「えーと。懐中電灯、ラジオ、防災ずきんで、あと、氷砂糖とピラフ。」
「横綱にもなると、ピラフを撒く量が違う。」
「3月3日は、お友達を呼んで、おやつにひなピラフを食べましょう。」
とか言われているかもしれません。
そんなことは分からないですが、僕は、このピラフ疑問が生じた直後、
「ピラフにはジローラモが合う」
という回答を思いついてしまいました。
全く関係のない(あったらごめん)2つのものが、さも関係あるかのように、癒着しました。
それ以来、何か分からないんだけど、僕の中では圧倒的に
「ピラフとくれば、ジローラモだよな・・・。」
となってしまいました。
この、他に類を見ない「あらゆるものに影響をあたえないっぷり」を存分に発揮する「ピラフ→ジローラモ」誤解。
コレが解かれるのは、僕がよりピラフに合うものを見つけたときだ。
もしくはジローラモ氏に、ピラフをどう思うかを質問できたとき。
先は長い。
アレゴリカ・ワークス3話
昨日からの続きです。
【あらすじ】
桃太郎を説明するとき、相手が「桃」と「犬、猿、キジ」、「鬼」と「退治」を知らなかった場合。
「あんず太郎は、AIBOと寛平ちゃんと鳳凰と出会いました。」 と例えてみた。
「そしてあんず太郎は、鬼退治に行きました。」
「鬼?。」
「桃太郎」を説明するとき、相手が「鬼」を知らなかった場合、何に例えればよいだろうか。
鬼といえば、「お地震カミナリ火事親父に」に代表されるように、恐れられているものベスト4を囲んでしまうほど、恐れられているヤツである(それにしても言いづらい)。
その圧倒的な恐れられっぷりを保てるような例えでなくてはならない。
・恐竜
なにげに、すごい名前付けられたね。
・糸を引くカレー
納豆入りというわけではないよ。
・虫みたいな動きをする車
キュッキュキュッキュ車線変更する黒い車は、怖いです。
・永遠の闇
何のゲームだ。
・死
ブログで書くことじゃあないな。
・コーチ
まぁ、なんか流れで書いた。
・強制終了すら受け付けない状態のPC
けっこうあるので、慣れたりもする。
・三角コーナー
ずぼらな人の家のは、もはやフロンティア。
うーん。
いまいち。
どれも怖い(と思っているもの)けど、鬼じゃあないね。
とりあえず、ラムちゃんでいいや。
「あんず太郎は、AIBOと寛平ちゃんと鳳凰を引きつれ、ラムちゃんとラムごっこをしました。」
そう。
本当は「鬼退治」なのだが、説明している相手は「退治」を知らないのである。
今回はみんな大好きラムちゃんのイメージを尊重し、「鬼ごっこ」を引用してみた。
こうして、「桃太郎」を例えるときに使う、新たな説明文が誕生した。
「あんず太郎は、AIBOと寛平ちゃんと鳳凰を引きつれ、ラムちゃんとラムごっこをしました。」
・・・オリジナルより、華やかさが上がりました。
追記
「ラムごっこ」って、なんだかすごい。
アレゴリカ・ワークス2話
昨日からの続きです。
【あらすじ】
桃太郎を説明するとき、相手が「桃」と「犬、猿、キジ」、「鬼」と「退治」を知らなかった場合。
「あんず」から「あんず太郎」が生まれた、と例えた。
「あんず太郎は、砂の山に割りばしを立てたりしたのち、犬と猿とキジに出会いました。」
「犬、猿、キジ?。」
「桃太郎」を説明するとき、相手が「犬、猿、キジ」を知らなかった場合、何に例えればよいだろうか。
犬を何かに例えなければならない現場に、私は居合わせたことがない。
それは、とっても幸せなことである。
要は、犬を何かに例えるのは、むずい。
猿を何かに例えなければならない現場にも、私は居合わせたことがない。
逆に、何かを猿に例えるというシーンは、そこそこあったし、テレビなどでもよく見られる。
これは犬のときにも言えることだが、「猿」は人間にとってかなりベーシックな存在なのだろう。
キジを何かに例えなければならない現場にも、私は居合わせたことがない。
これは、例えること以前に、人生においてキジをどうこう言う場面が少ないからである。
したがって、キジの例え方も「コレ以外ありえない!!」というわけにはいかないだろう。
このように、「犬、猿、キジ」を何かと代替するのは、難しい。
でも、あえて僕はこれらを「AIBO、寛平ちゃん、鳳凰」と例えてみたい。
AIBOは犬を模倣しているし、
寛平ちゃんは、見ず知らずの人間からですら、猿的なイメージを持たれている。
さらに、本人もそれを大事にしているのではないかと思わせる点を考慮した。
鳳凰は、まぁ鳥だから。
要は、面白そうだからである。
あれ、そうでもないや。
一行突破を待たずして、面白くなくなったや。
とにかく、このようにして物語は進んだ。
「あんず太郎は、砂場にゴムボールを隠したのち、AIBOと寛平ちゃんと鳳凰に出会いました。」
明日へジャンプ。
追記
あんず太郎が仲間に与えたのは、それぞれ「電力、机のかど(もしくは血)、竹の実」です。
調べてみた。