地上の星

「泊」というものの定義を、ちゃんと知らなくてはならないなと思っているのは、やはり「0泊2日」とかいう、なんかイッテQでよく聞かれそうなフレーズに触れたことがあるからだろう。

2日の部分は全体のことなのだろうが、では「泊」はその中の、何を指しているのだろうか。

ということで特に調べてもいないのだが、とりあえず「0泊」というものをちゃんと考えてみるとすると、まず「イヤー移動ばかりで大変だったヨ」という、なにでお前はイニシアチブを取ろうとしているんだという小っ恥ずかしさを感じることになった。

しかしこれはひねくれた考えであって、普通は「遠くて交通手段に乏しい」ことの大変さを簡潔に伝えるもの、と考えるべきだろう。

まあ、どちらであっても「泊」というものが、ただ寝ることだけではなく、ちゃんと横になってとか、お茶請けを食べてとか、無理な姿勢でないとか、冷蔵庫の冷え具合を確認したりとか、布団を縦にしたり横にしたりとか、ベッドとシーツの間に潜り込むとか、枕を折って高さを調節するとか、ぐっすりと寝ることとか、そういうものが伴っていないと成りたたないものらしいということには気づかされる。

ということで、さほど遠くない将来に「野口さん、滞在期間〇〇日を更新」みたいなものが「野口さん、今回は3泊4日の予定」と変わる刹那を目の当たりにしたときは、その「泊」の質に、僕なりに注目してみようと思っている。

ブルー

先日、オンライン会議のようなものをやっていたとき、参加者のひとりのPCの調子が悪い、といったん退出。

すぐに戻ってきたが、調子はいまいちらしく、話を聞いているとどうも「ブルースクリーン」が出た、とのこと。

経験者は多いだろう、あの恐怖の画面なのだが、あれについてはひとつ気になっていたことがあって、それはなぜ「青色の背景」なのだろう、ということ。

赤色などの警戒色のほうがいいのではないか、と思っていたのだ。

調べてみると「ブルースクリーンの色を変える」など、混乱しか生み出さそうなツールがあったりして混沌としたが、デフォルトがなぜ青色なのかはよくわからなかった。WindowsPCのベースとして設定されるものだったりするのだろうか。

あれは確か深刻なエラーが起きたときになるはずだ。場合によってはソフトのみならず、ハード故障も疑わなくてはならない感じもする。

「大変な時なのに、何をちょっとさわやかな色にしとるんだあほ」

しかし一方で「こんなときだからこそ冷静になれ」という意図があるのかもしれず、そうだとしたら、さっきはあほ言ってごめん、という気にもなるが。

いつの日か、窓から望むと、青空にブルースクリーンの英文が浮かぶ。

大王、3999年7月の過ごし方としていかがでしょうかね。

今からそいつを

今うどんを打ったら、さぞコシのあるやつが出来上がるであろうというくらいに、やり場のない怒りというかモヤモヤする何かを感じる、ということが最近多い。

そのたび、身近に「手打ちうどんセット」がないことに、ほんと言うと特に何も感じないのだが、もしあったとしたら、こぶしをビニールに入った小麦粉に振り下ろす。そんなことにもなるのだろうか。

試してみたい気もするがただ、どうも「手打ちうどんセット」というのは、自分で購入するイメージがない。あれはなんか、定年後に誰かから贈ってもらう、そんなものなのではないか。

まだその時期を得ない自分としては、唐突にあしながおじさん的な人物から、Amazonの荷物が届く、というシチュエーションが一番良い気がする。

「目の前に手打ちうどんセットが、来ちゃったんなら仕方がない。一つやってみるか」

ありがとうあしながおじさん。いい感じで「手打ちうどんセット」を入手させてくれて。

で、くれてついでに仕事も手伝ってもらえません?

供養

久々に何か書こうとメモを開いてみると、8割は下ネタで、これは僕もまだまだ捨てたもんじゃないねと部屋をうろうろしてみたりする。

しかしあとの3割が形になってないことに気づくと、立ち止まり、さてどうしたものかと、形のないそのうちのひとつに「多摩テックの供養」とある。

確か、どっかで飲んでいるときに、何かの拍子に隣の席の人が言ったのだ、「多摩テックはもうなくなっちゃったんだよ」と。

そのとき、どこか片隅には「多摩テック、もうない」と記憶があったので、ああそうだったな、くらいに思ったのだが、同時に「こういう時は何か、感傷的な気分になるべきなのかな」と不思議に感じた。

知らない人に少しだけ説明すると、多摩テックは遊園地的なやつで、恐竜の子供みたいなやつがマスコットだった気がする。

あの、子供のころによく行った多摩テック。

確か、コーヒーカップの遊具は、平面を滑走するのではなく垂直に回転するんだったな。

ソフトクリームが左巻きなのが名物だった。

と、もうお分かりのように、僕は行ったことがない。

もう少し詳しく言うと、行ったかどうか覚えてない。

そんな奴に供養なんて、多摩テックもされたくないかもしれないが、どうであれその時は「多摩テックの供養」なんてメモを取り、何かしらの「供養のあて」もあったのだろう。

「あて」はすっかり忘れてしまったが、まあこのご時世、何かがなくなるということに、おセンチにもなるさね、ということで。

ついでに、ネタもなんか1割増えたということで。

三味2

【前回までのあらすじ】

必殺仕事人の三味線を使う人が人を殺めるときの音階が知りたい。

僕の中では、絶対のこの音階であってはくれるな、というものがあり、それは「ファ」である。

なぜかというと、僕としては「ファ」は愉快な、ポップな音階であって、それが人を殺めるなんて思いたくないからだ。

何せ、この「人を殺める」は、「音で殺るぞ‼」青春バンドシーンではなく、歌でなんか、うまいこと仲良くなりましたというマクロス的なものでもない。

だいぶ直接的に殺めにかかっている。

あの、仕事人の「三味を使って悪人を殺める一連の仕組み」が楽器という可能性も否定はできない。

となると、どうしても音階が知る必要があるのだ。可能な音域であるとか、吊るす高さで音を変えられるのか、など。

ただ、僕がたどり着けたのは「ファ」はやだな、という感覚的なものでしかなかった。

この話の終点は、この話で絡んでいた相手がさらりと言ってのけた。そりゃあ「シ」でしょうよ、と。

相手がバーのマスタでよかった、「シ」に気づけなかったことを、酔っているからと言い訳できるから。

それにしても「三味を使って悪人を殺める一連の仕組み」が楽器という可能性は、ちょっとご飯何倍でも行けそうな感じですな。

三味

こないだ「必殺仕事人」がテレビでやっていたのを見て、それほど明るくない僕でも「三味線の人は誰なんだろう」と思った。

確か仕事人のメンバーの中に、三味線で悪人の首を絞めて引導を渡す京本政樹がいたのだ。

京本政樹は、かなりのアンチエイジンガーではあるが、さすがに今では引退しただろう、三味による殺害は体力もいったことだろうし。

しかし観ていると、三味線を扱うメンバーがいないことに気づいた。なかなかインパクトのある仕事方法だったのに、何か問題があったのだろうか。

ふと、昔から気になっていたことを思い出した。

「三味線の人が引導を渡すとき、ぴん、って弦をはじくのだが、あの音階が知りたい」

これを思い出したとき、ちょいちょい聞いてみるのだ。絶対音感を持つ人がたまたま「あれはファですよ」と言ってくれるのを。

でも基本、この話を持ち掛けても相手は間違いなく「こいつ何言ってんだ」風になる。このネタはどうも相手の心には響かないのであった。

むじな

何かの本で「昔話などに出てくるタヌキ汁は、実際はアナグマのものを使用している」というのを見たとき、「アナグマって日本にいるんだ」ということに驚いた。

ケニアとかにいるもんだと思っていた。
サバンナとかで穴を掘っているんだと思っていた。

でも、もっと前に「ムジナ」というものが、タヌキやらアナグマをまとめた呼称であることを調べたことがあった。
そのとき、「同じ穴のムジナ」というのは、住んでる穴は同じだが、生物学的な分類は違うのかもしれないぞ!というのを、「同じ穴のムジナ」を誰かが使った時に言ってやろうと思ったが、今のところ、まだその機会を得ず。

どうも、ラーテルか何かと勘違いしていて、日本にいないと思っていたのかもしれない。
ラーテルは最近、ライオンよりも強い哺乳類としていくつかのメディアで取り上げられたりもする、白黒のやつだ。
考えてみると、アナグマもラーテルも、そのフォルムは鈍重な感じで、なんかもっちりしていてかわいく、似ている。

と、確かラーテルの和名はミツアナグマと、アナグマ感が出ているやつだったことに気づき、芋づる式にミツオシエという鳥との、禁断の異種族ちょめちょめなことが、記憶の奥底から顔を出した。

ここで、熊の右手の例の話を鑑みると、以下のことを考えなくてはならない。

・ラーテルのおいしいところは頭部である可能性
・ミツオシエが豚をうまいこと、浅瀬のはちみつプールに誘導できたら、すごくおいしい豚足が4つ手に入る可能性

いや、そんな話はどうでもいい。
僕が勘違いしていたラーテルもアナグマであるので、「アナグマが日本にいない」という勘違いも、仕方がないことなのである。
むしろ、この勘違いが本当のことであってくれたら、僕は「アナグマって日本にいるんだ」アハ体験をする必要もなく、平穏な生活を送れていたはずなのだ。

このせいでどれほどの脳細胞がアハしてしまったのかと考えると、より「アナグマなんて日本にいないでしょ?」に傾倒したくなる。

ところが、である。
個人差はあるだろうが、どうもタヌキはあまりおいしくなくが、アナグマはたいそうおいしいのだそうだ。

かわいくておいしい。
アナグマは日本にいてよし!。

ジューシー

どの字体が一番おいしそうかといったら、それは「キン肉マン」のタイトルのあれであって、思い出してもらえれば机上を唾液で汚しつつも納得のおいしさである。

特に「肉」の字の、あの密々しさ、照りはどうだ。

ところで僕の一番好きな超人はキングザ100トンというやつで、それは「分銅」に手足がついた、分銅のようなやつだった。

なぜ好きなのかというと、粘土のように様々な形に変形できる能力を持つから。

確かストーリー上は悪役なのだが、多様な形状を自在にするそのさまは、万能性や完全さを見出すことができ、ひいては正義であり悪でありと、完璧にお前超人の種類まとめようとしてんだろ、という浅はかな私情はさておき。まあ好きだった。

さすがに今はそれほどでもないのだが、熱を上げていたころのことは、血殺のVサインをしてみせてくれている遠足の写真を見れば、わかる。

需要

ちょっともう、懐かしさすら感じる「ライザップのCM」

あの、ふとっちょ→やせの映像経過に合わせてイキる音楽。
あれを逆にするだけでだいぶ面白くなると思っているのは僕だけだろうか。

スローで荒ぶる脂肪。

詳細は忘れたが、ある演出家か何かが「太っているなら肉を見せろ」と演者に言ったとか。

そうなると、正しいほうのライザップのCMはもはや「なんで痩せてしまったんだ」「スロー映像にまでして、何を見せているつもりなんだ」と憤りすら覚えるのである。