どうしよう

誰もが一度は間違えることに「アタックNo.1」と「エースをねらえ」があるだろう。
実際、僕もそうだった。
ということで、そんなに間違えるなら、いっそのこと混ぜてしまえ、というのが本日。
「アタックNo.1」
「エースをねらえ」

「アタックをねらえ」
「エースNo.1」
「カレーにチョコレート」。
混ぜてみたら、案外よかったの体である。
アタックをねらっているのだろうし、エースがNo.1であることはみんな納得だ。
ではもうひとつ、違う混ぜ方をしてみる。
「アタックエース」
「No.1をねらえ」
これも問題ない。
ということで、ここまで問題がないことが、内容としては問題である。
どうしよう。
「どうしよう」とくれば「カリオストロの城」での銭形だと思うが、どうか。
自慢じゃないが、僕はあのモノマネが得意であるしかし、誰にも見せたことがない。
「誰にも見せたことのないモノマネ」とくれば、米良美一のもののけ姫だと思うが、どうか。
たいていの人は、一度はやってしまっているのではないか。
仕方ないので、混ぜてみた。
「もののけの城」
「カリオストロ姫」
これもやはり案外よかったの体で、いまいち問題にならね。

たれ

いわゆる「手タレ」という仕事がある以上、昨今の健康志向もあって、「腹タレ」がいることは想像に難くない。
これからその生息数が減少すると思われる、メタボなおなかを提供するプロである。
彼らが社会的に「でぶタレ」と違う点は、その体型を、薦められたものじゃあないよ、と宣言している点だろう。
彼らは「こんなおなかに、効く!!」といった感じの広告に登場するのであり、それは「こんなおなか、ダメ」と言っているのと等しいわけだ。
現在肥満は、降りもしないのに降車ボタンを押してしまったバス乗客のように、すこぶる敵視されている。
しかし上記のような人たち、または病により、故意では無いが見た目上はそういったことになっている人たちもいるのである。
そんな背景がある以上、彼らだけはその不当な扱いを避けられるべきである。
ところがそうなると、この制度(?)を悪用する人が現れるだろう。
医者「おや、ちょっと太りすぎですね。いけませんよ」
タレント「いや私、おなかのタレントでして」
医者「え、なんですか、それ」
タレント「○○胃腸薬のCMのおなか、あれ私なんですよ」
医者「そうなんですか。ちょっと触らせてください」
こうなって、無罪放免である。
これでは本職も、特に死んではいないが、うかばれない。
無論彼らは、そう遠くないうち、声をそろえて「メタボ免罪符」の発行を求めるだろうが、そうなると今度はメタボ免罪符の偽造が横行する。
本物のメタボ免罪符に印刷されている「太ってGOMENNE」の部分が、偽造されたものになると「太ってGOMENE」となっているのだ。
そうなると会議(なにかの)は、偽造問題とその精巧さもさることながら、そもそも本物に印刷された「太ってゴメンネ」自体が何事か、ということになり、踊る。
すると今度は新聞の一面が「会議は踊る。されど痩せず」といったことになり、後世になんとなく伝わるだろう。
これはこれでおそろしいことではあるが、何よりもおそろしいことって。
今回はこれで終わりということである。

解体

「マグロの解体」がなぜ、あんなにもメディアで取り上げられるのか、疑問だった。
迫力はあるし、ああいったものが捌かれゆく姿はあまり見られないものではあるが、実際見てみると「ふーん」な感じになってしまうだけだから。
ところが先日、何の何かを覚えていないのだが、「マグロの解体」という行為に対して、その「解体」という言葉を指摘した意見があった。
詳細は覚えていない。
が、それを聴いて僕は驚き、そして反省した。
「マグロの解体」の「解体」部分のすごさに気づいていなかったからだ。
それは圧倒的な構造物、要は建築物を分解していく際に主に使用される。
例えばビル。
ビルが分解される際、それを表す言葉として「解体」というものが使用される。
その言葉は、「マグロの解体」のそれと同じものということなのだ。
ビルの解体はいろいろ計算されて、リスク、コストが最小になるようになされているだろう。
そうなるとマグロの解体という言葉も、やけにアナトミーなものをかもし出す。
何か厳かな雰囲気さえ、まとう。
なんだ、すごいいいんじゃないか、マグロの解体。
と、これまでを踏まえると。
ビル由来ということでいけるかもしれない「マグロ爆破」。
世界まる見えで取り上げられないだろうか。
いや、むしろ既に放送済みだったりしないだろうか。
「ビル爆破を三世代にわたって請け負い続けているスティーブン一家」
「マグロ爆破を三世代にわたって請け負い続けている川上一族」
・・・川上一族のいるとするならば、それはマグロが獲れすぎているということに他ならない。
マグロの肉片をまたぐ猫が多いかも、ということに他ならない。

サン・ドニのポーズ

では今日は、昨日のおさらいから、新しいものも含めて。
ヨガのポーズをやってみましょう。
まず、「三日月」のポーズ。
はい。
次に、「英雄」のポーズ。
はい、苦しいですけど、がんばって。
次。「三角」のポーズ。
はい。いいですね。
「弓」のポーズ。
はい、次。
「猫」のポーズ。
はい。よくできました。
では、ここからは新しいものも含めたポーズをやってみます。
どんなものかわからなくても、とりあえず実践してみてください。
ヒントを上げます。
では。
「船」のポーズ。
はい。これは前のやつですね。
次、「かえる」のポーズ。
そう、そうです。
では次、「スライド式携帯電話」のポーズ。
うん、いいです。はい。
じゃあ次は楽な、「大」のポーズ。
はい。手を広げて寝転ぶだけですね。
次。「ぬ」のポーズ。
少し難しいですけど、そう。ひざを抱えて、はいそう。
じゃあ次、「う」のポーズ。
これもいけますね。まず、点を表現するためにはまず、首を、そう。
そうしないと。
・・・
・・・・・・
「うまくいった」の合図。
固唾をのんで見守っていたあいつ。
手早く指図。
もうすぐ来るだろう警察。
誰がどうみても自殺。
「これで遺産は僕たちのものだ」とセリフそして宴。

有姿実行のポーズ

では今日は、昨日のおさらいから、新しいものも含めて。
ヨガのポーズをやってみましょう。
まず、「三日月」のポーズ。
はい。
次に、「英雄」のポーズ。
はい、苦しいですけど、がんばって。
次。「三角」のポーズ。
はい。いいですね。
「弓」のポーズ。
はい、次。
「猫」のポーズ。
はい。よくできました。
では、ここからは新しいものも含めたポーズをやってみます。
では。
「船」のポーズ。
はい。これは前のやつですね。
次、「キン肉マンが空を飛ぶとき」のポーズ。
はい、合ってますよ。はい。
次、「かえる」のポーズ。
そう、そうです。
次、「シーソー」のポーズ。
はい。
次は「孔雀」のポーズ。
そうです。
じゃあ次「かかし」のポーズ。
「先生」
「なんです?」
「気になってるんですけど、僕らはいつごろ着陸できるんですか」

かたつむり

でんでん むしむし かたつむり
おまえの あたまは どこにある
つのだせ やりだせ めだまだせ
なぜ「むし」の部分を繰り返すのかは不明だが、よく知られた歌である。
この歌で気になるところは、やはり「やり」部分で、実際気になられている方も多そうである。
これについては諸説あるのかないのかいまいち分からないので、各自調べていただきたいのだが、もちろん当ブログでは正答に興味はない。
ここでは「かたつむりの歌に出てくる、やりだせとは」について、諸説紛々の中の正答っぽいものから、一番縁遠そうなやつを見たい。
1.歌の作者が、よくゾイドで遊んでいた
?ゾイドらない人のためのゾイド講座?
ゾイド:なんだか地球上の生物の形をした機械兵器みたいなやつで、プラモデルがある
ゾイドの中に、たぶんかたつむり型の兵器もいたのである。
作者は幼少よりゾイドをたしなんでおり、その武装の一つに「でんでんむスピア」とか「かたつむランス」があったのであろう。
それを出せとかたつむりに言っているのである。
2.歌の作者が、かたつむりを「小さいトロイの木馬」か何かと思っていた
あの渦巻く殻から、槍を持った兵士が出てくると思っているのである。
命令口調で槍を出すように言っているところをみると、そこに潜んでいることは既に見破っているぞということを兵士達に気付かせ、その士気を下げようとする意図もありそうである。
3.交尾をせがんでいる
この歌でいう「やりだせ」は、いわゆる「槍出せ」ではなく、イメージ的には「ヤリだせ」ということなのであり、作者の性錯綜がうかがわれ、こんなこと書いている僕自身も滅入る。
ところで、かたつむりは雌雄同体である。
作者がそのことを知っていたとするなら、かたつむりの交尾を強要しようとする作者の錯綜は、もう大変なことになっていそうである。
ところで僕は、もうかたつむりの身も、殻も触れなくなってしまいました。
だから、基本的に何も出してくれなくて、登場もしてくれない方がよいです。
かたつむり、終わり。

フォントサイズ

新聞を読んでいるときに気になるのがフォントサイズ、字の大きさだ。
ちなみに、フォントサイズをフォトンサイズとすると、なんとなくかっちょいいロボットの武器っぽくなるが、今回の話とは関係ない。
字の大きさ。
見出しやその題目の概要などが少し大きく印刷されているのである。
「主要国首脳会議 開催」
「新型ウイルスの脅威」
「明日 真夏に迫る猛暑」
程度の差はあれど、新聞を読むものにとって、興味あるものばかりだ。
と、何面かを流し見していくと、上記の見出しと同じフォントサイズで、こうきた。
「さきにとろみ あとで具材」
何か料理の話のようだが・・・。
題材がカテゴリ、重要度に分けられて、それに見合った新聞の場所(面)に掲載されることはわかる。
しかし、それにしてもこの落差は何か。
フォントサイズは変わらない分、その内容が着目され、その落差が浮きだってしまう。
仕方がないが、先に優先度の高いと思われる内容の見出しを見てしまっていると、「なにを、具材を入れるタイミングのことで堂々としているのか」と疑問に思ってしまうのだ。
ところで、このような話になると、どうしてもスポーツ新聞も気になる。
スポーツ新聞は見出しのフォントサイズがすごく大きいから。
そしてその内容は、たいてい「カープ、竜虎狩りで滝登り」みたいなものである。
さすがにあそこまで大きいと、「この内容の見出しがそんな大きなフォントサイズなら、他の字の大きさなんてどうでもいいよね」的な雰囲気となりそうだ。
実際、世界的な事柄を扱った内容の見出しに対し、比較するものためらわれるくらいに大きなフォントの「巨人投壊」見出しは何度もあっただろう。
でも、安心して欲しい。
スポーツ新聞はスポーツを扱う新聞なので、スポーツのことを押していかないと逆に怒られるのだ。
それでも本当に大変なことがスポーツ以外で起きたりすると、それを一番大きく見せてくれたりもする。
そのとき、作り手にどのような葛藤が生じるかは、想像に難くない。
そのスポーツ新聞は、正座をして読まなくてはならなさそうである。

お客体

知ればなっ得!!
百円均一のお店で得するための何か条!!
=====
1.店内に入ったら、まずは大まかな商品配置を案内図などで確認しましょう。
店員さんの手を煩わせずに買い物ができるため、問い合わせ分の時間が短縮でき、店員さんからの印象もよくなります。
結果、目的の商品が見つからないとき、店員さんから「どうかいたしましたか?」と、声をかけてもらえるかもしれません。
2.入店して5分ほどたったら、周りに聴こえるくらいの音量で「ここに来れば、何でもそろっちゃうわねぇ」と言いましょう。
百円均一のお店で「何でもそろう」という旨の言葉を発したことのない人はいません。この場合、そのひどく凡庸なセリフを言うことで、自分は敵ではないことを周囲に知らしめることができます。
同類のものとして「えっ、これも百円!?」や、「ここだけで生活できるんじゃない」があります。
また、店員さんとしても、悪い気にはなりません。
結果、百円均一のお店でよく見られるレジ混みのとき、店員さんが隣のレジでめくばせのブルースをしてくれるかもしれません。
3.手に取った商品を棚に戻す場合は、ちゃんと元の状態にして戻しましょう。
これを行わないと、商品が使用感たっぷりになってしまい、その商品に対する購買意欲を、誰も持たなくなってしまいます。
その先には、最終的には日本経済の衰退が待っていますので、ちゃんとして戻しましょう。
また、店員さんにとっても、商品を元通りにする手間が省ける点で、喜ばしいことです。
結果、店員さんが目玉商品のそばで、おいでおいでをしてくれるかもしれません。
4.店内では、「百円よりも高い商品があるんなら、百円均一のお店じゃないじゃん」という旨のセリフは言わないようにしましょう。
お店によっては百円よりも高い商品を扱っている場所もあります。それに対し、私たちは上記のセリフをはきがちではありますが、ここはひとつ、言わないようにしてください。
言っても百円にまかることはありません。
また、店員さんたちも百円均一ではないことを既に承知しています。そのため、均一という言葉を使用しないなどの配慮をしていますが、どうしても後ろめたく感じているようです。
彼らに非はありません。そっとしておきましょう。
まとめ
基本的に、店員さん主体で動いていきましょう。

走れ

ただし「いやー、間に合った」
田中「なんだよ、ずいぶんぎりぎりだな。待ち合わせの時間」
ただし「ああ」
田中「何かあったの?」
ただし「いやー。友達の結婚式があって、さっきまでそれ行ってたんだ」
=====
ただし「これだけです」
-「これだけですか」
ただし「はい。これだけで、メロスですよ」
-「・・・」
ただし「これだけで僕のあだ名、メロスですよ。酷いものでしょう」
-「ええ、まあ」
ただし「あまりいないでしょう?。周りにあだ名、メロス」
-「まあ、いませんね」
ただし「妙に知られているから、困るんですよ、このあだ名」
ただし「ただ走っているだけでも、面白いらしいんですよ、このあだ名知ってるやつから言わせると」
-「でも、あだ名の由来、なかなか気が利いてるじゃないですか」
ただし「まあそうですけど」
-「それに、なかなかカッコいいらしいですよ、メロス」
ただし「え、そうなんですか」
-「治のなかでは」
タダシ「ふーん。悪い気はしないですけどね」
-「いいじゃないですか。解決ですよ」
タダシ「まあ、そうですね」
-「じゃあ、この問題は解決ということで」
メロス「まあそれでいいですけど」
-「・・・何か、問題が解決したとたん、見違えるようにカッコよくなりましたね」
メロス「え、そ、そんなことないですよ」
-「いや、何か外人みたいですよ、メロス」
メロス「何だ、冷やかさないでくださいよ」
-「ほんとですって。メロス!! メロス!!」
メロス「ちょっ、ちょっと!!」
-「メロス!! メロス!! メロス!!」
メロス「ちょっと!!。何いい具合に終わらそうとしているんですか!!」
nimbus7942「・・・ごめんなさい」

らくする

うかつにもGWなるものが存在することを思い出したのがその連休の前日。
いつもながら、計画的にどうこうすることがなかったため、だらだらと日々を送るかたちとなってしまった。
まず本。
本棚のひとたなを、小説エッセイ漫画問わず、ひとさらいするように読んでみた。
何度か読んだものばかりだったが、なんだか目新しいイメージも受けたりして、いい感じだった。
「読んだ内容を消化し、自分のものにする」
これが徳であるとするならば、前読んだものでも再発見があるという現象は非なるものなのか。
そうだとしたらその非は本と読者、どちらにあるのだろうか。
そういうことを考えるとほんと、すぐ眠れる。
次に映画。
「パコと魔法の絵本」と「きまぐれロボット」を借りたが、とてもよかった。
特に「パコと魔法の絵本」はその題名から、なんとなくハリポな感じがして。
面白いのに、その点不遇な面もあったりしたんじゃないか。
そういうことを考えるとほんと、すぐ眠れる。
次にゲーム。
PSP「ペルソナ」とDS「ダン←ダム」をやったが、面白かった。
特に「ペルソナ」はなにやらカッコよくなっていたけど、ゲーム中に流れる音楽「幼児虐待」はそのまんまで、よかった。
でも添付されていたサントラを見たら、その音楽の題名が「幼児虐待」じゃなかったので、ああそうなんだと思った。
やっぱりその名前で、何か不遇な面もあったりしたんじゃないか。
そういうことを考えるとほんと、すぐ眠れる。
ということで、上記のとおりGW中にネタ的なものは考えなかった。
そのため、このようにどうでもよいような日記調に。
でもいいGWだった。
ひとつ、勉強したから。
GW中、思いつくネタをことごとくスルーしてみた。
その気持ちよさといったら、なかったのだ。