らんま3/2

昨日から。
【あらすじ】
「らんま1/2」の「1/2」を変えて遊ぶ。
一昨日:らんま1/144
昨日:らんま5/8、5/9
=====
今回は分子の大きいやつを考える。
「らんま29/6」
こういうのだ。
例えば「11/7」のように月日に収まる組み合わせの場合は、昨日提案したように、誕生日5月9日のように考えればいい。
しかし29/6だ。
割り切れもしねえ。
らんまはいったいどうなってしまったのだろうか。
少なくとも、このときのらんまは「水をかけたら女、お湯をかけたら男」のようなメリハリの効いた状態ではないだろう。
「いつもは6だが、このときはおよそ29のちからを発揮できていた」
「いつもは一人だが、このときはおよそ5人いた」
これあたりが一番しっくりくるだろうか。
あるいはやはりサイズか。
「いつもは6フィートだが、あのときは29フィートくらいあった」
どちらにせよ、らんまはいったいどうなってしまったのだろうか。
そして「余り」の存在だ。
商が1以上になるものだから割り算をしたくなるが、対象がらんまという人である以上、小数点は控えたい。
そうなると余りはどう考えればいいのか。
29/6だと、商が4、あまり5。
4倍、あるいは4人のらんまと、らんまに足りない何かが5くらい。
肉片か何かだろうか。

らんま2/2

昨日から。
【あらすじ】
「らんま1/2」の「1/2」を変えて遊ぶ。
昨日:らんま1/144
=====
5/8
5/9
一見似ている両者だが、前者はチップス、後者は昨日の日付である。
「らんま5/8」
「らんま5/9」
元々の意味を重んじるなら、らんまはなんらかの作用で5/8サイズに縮小してしまい、かつ誕生日が5月9日である、ということになる。
他にも考えられる。
らんまは5位だった。
欄間の修理日など。
しかし困るのが、「5/8」「5/9」が「らんま1/2」の「1/2」部分、すなわち「男もしくは女に変わるよ」という意味の「2」であり「1」である場合。
「らんま5/8」
昨日のように、8人の人格を持つ多重人格者なのだろうか。
いや、それなら「1/8」でいいじゃないか。
8人のうちの1人なのだから。
いや待てよ。
多重人格には、それぞれの人格の強さみたいなものがあるとか読んだことある。
「らんま5/8」はそのうちの5番目に強い人になっちゃっている状態のことともとらえられる。
また、実は「男か女かになる」という特徴は変わらないのだとしたら。
「5/8は男で、3/8は女」ということなのではないだろうか。
このときの「5/8」「3/8」が、何を意味するのかもちゃんと考える必要がある。
5/8は過半数を超えているから、それが「男」に割り当てられているのだとしたら、より男っぽいと解釈できる。
となると3/8は「女」で、女にはなるが、ちょっと足りない、と解釈できるか。
となると気になるのが「より男っぽい」「女にちょっと足りない」の「より」「ちょっと」の基準だ。
誰なんだ。
それはおそらく「4/8の男」「4/8の女」に他ならず、約分するとそれはまさしく「らんま1/2」であり、やっぱり「らんま1/2」がちょうどよかった割合だと、今一度確認できる。
それに、これらは何となく「8時半の男 宮田征典」を彷彿とさせ、いろいろ楽しい。
「それに」ってのもないですが。
次回、駄目そうな気もするが、分子の方が大きい場合をズームイン。

らんま1/2

パチンコ屋のポスターを見ていると、「らんま1/2」がはじっこに書いてあった。
あれ、なんで僕のパソコンは「はじっこ」が「恥じっこ」って出たかな・・・。
それはさておき、ずいぶん昔にやっていた「らんま1/2」。
そのタイトルは、この漫画で最も特徴的な「水をかぶると女性に、お湯をかぶると男性になる」というダイナミックな性転換を意味する「1/2」が目立つ。
確かにどの程度の量をかぶると転換するかとかも気になるが、目立つのならしょうがない。
「1/2」について考えよう。
1/144
5/9
5/8
身近にはさまざまな「1/2」的なものがある。
それを「らんま」で考えたとき、どうなるのだろうか。
・1/144
あまり得意ではないが、確かガンダムのプラモデルの縮小サイズはこんなだった。
144倍すればガンダムになるのだ、あれは。
なぜ12の自乗なのかはよくわからないが、考えてみよう「らんま1/144」。
まずプラモデルと同様、縮小サイズのことを言っているのだとしたら、らんまは将棋の駒みたいなもんであり、それはふけば飛ぶよなという例のジェネレーションギャップを恐れない手法ということで、内容は冒険漫画になるだろう。
また見方を変えれば「日本家屋プラモデル1/144」の「欄間部品」のことであるともとらえられそうだ。
一方、「らんま1/2」の意味の方だとしたら、一時期はやった多重人格者関連のノンフィクション。
やたら多いが、なんとなく12の自乗というのも、多重な人格を管理しやすそうだし。
次回、つづき。

ピレネ

人は挑戦する生き物であり、それは全ての人が一度は挑戦してみたある事柄で証明づけられる。
「まきぐその作製」
朝からこんなことは書きたくないのだ。
しかしどうも、人は一度は、作ろうとした経験を持つらしいのである。
アメリカにこんな逸話がある。
「おばあちゃん、なんでピレネはうまくできないの?」
「昔の人はうまく作っておったんじゃよ。でも、あまり高くすることができたものだから、神様が起こってその頂きに雷を落としてくずしてしまったんじゃ。それから、人がピレネを作ろうとしてもすぐくずれてしまうんじゃとさ」
まきぐそのことを「ピレネ」と呼ぶのは古来よりであるらしいから、なんとなく昔は高かったというのも間違いではなさそうだ。
え、「作ろうとした経験を持つ」あたりから信用ならない感じだって?。
おかしいなあ。
おかしいねえ。

ものことばについて。

その人は不意に目線をそらすと、どこからか椅子を持ってきて、おもむろに腰を下ろした。
「おもむろ」には楽しいところがたくさんだ。
まず、その意味は何となく「急に」っぽいが、実はそうでなく「ゆっくりと」。
漢字で書くと「徐に」と一文字におさまり。
そして「徐に」はやはり「じょに」と読んだ方が味、迫力ともに増す。
今ちょうど何作目かの「パイレーツオブカリビアン」のCMがやっていることも踏まえると、ここは「ジョニー」で行くのもいいかとも思うが、僕は、ジョニーのたぐいはほとんど知らない。
引き出しない。
じゃあ他にはあるのかと問われれば特になく、僕は疲れたから椅子に座りたい。
そう、椅子だ。
その人は不意に目線をそらすと、どこからか椅子を持ってきて、ゆっくりと腰を下ろしたんである。
その様子をみて、こう思ったんだった。
「ものことばってのもいいな」
花言葉というものがある。
説明はいらないだろう。
魚言葉というものがある。
これは吉田戦車の漫画にあったもので、それ以外の説明はいらないだろう。
まとめると「ものことば」というのは、説明はいらないだろう。
僕はその椅子を見て「お前には時間がかかる」という意味を見いだすことが出来た。

おそらく今月いちばんの勇気。

もしかしたら、もう「原文ママ」は触れるだけでやけどをしてしまう。
そんな危険なものになってしまったのかもしれない。
しかしそれは今まで多くの人の心に何かしらの影響を与え続けていたことの裏返しに他ならない。
読書中、唐突に現れる原文ママ。
「原文ママって、なに?」
僕はずいぶん長い間、なんとなく「もともとの文章があって、間違いがあったとしてもそのまま書いてますよ」を意味するものだとは認識していた。
しかしその曖昧なイメージを吹き飛ばすのが、やはり「ママ」だ。
なぜカタカナなんだ。
「原文のまま」でいいじゃないか。
なぜ出版社はかたくなに「原文ママ」をつらぬくんだ。
「今風にアレンジしました」でいいじゃないか。
なぜ変だったり、卑猥な文章に味があるとか、そういう発想になるんだ。
わざわざ変だった文章をさらすことないじゃないか。
なぜ人々は争いをやめないのだろうか。
多少のことは許し合えばいいじゃないか。
なぜ大便をするとき、それより前に小便が出てしまうんだ。
小便は次回のトイレタイムまで取っておきたいこともあるじゃないか。
(原文ママ)
なぜパパじゃなくて、ママなんだ。
「原文パパ」がいたっていいじゃないか。
(勇気)

パン散財

先日「散財」という言葉を使用したので、何となくそれについて。
最近、ちゃんと昼ご飯を食べるようになってしまった。
それまでは野菜ジュースと菓子くらいだったが、今ではごはんだ。
もちろんいいことであり、「無駄にお金を使う」という意味での「散財」にはあたらないと思う。
それでもそこそこの値段のものを毎日食べ、そして以前の野菜生活を考えると、ちょっとお金の減りの早いのが罪悪感にもなる。
今のところ、僕関連で「散財」とはこの程度の、正直書くこともない内容くらいしかない。
「散財」を獲得するには、このくらいのことはしなくちゃいけないだろう。
もちろん、ここでの散財とは贅沢や粋という意味を持ってはならず、そして金額どうこうでも、購入することですらないということを目指したい。
・サッカー観戦が決まって、うれしさのあまりグローブを購入
・お札の薫製づくり
・お金を金庫に入れるやいなやのマスドライバー射出を目指しての、マスドライバー開発費
・景品が釘で固定されているUFOキャッチャー挑戦
・のらねこに対して、避妊去勢費用として政府の補助金を輪ごむ留め
・整形した目元を見られたくないので、サングラス購入
・へそくりをマリアナ海溝へ
・苦手な豚骨ラーメンの大盛りを、のこすのこす
だめだ。
そこそこ何かしらの意味を持ってしまっている。
散財ってむずい。
散財で思い出したことがある。
「仕方ないけどなんか無駄だな」と思う、パン屋の包装だ。
あれはパンの種類別に分けてくれるから、膨大な小包ができあがる。
確かに揚げパンとカレーパンを同じ袋で包んでほしくはない。
揚げている点がかなり似ているが、カレーパンが揚げパンのきなこに汚染されるのは、ちょっと考えものだ。
しかし同じように、レジ横に購入したパンたちの種類別パックを見ても、ちょっと考えもの。
すごく袋を使うし、手間もかかる。
レジの横に「パンを小分けにする担当」の人が必要なくらいなのだから。
そしてこのパンの包装を確認するためだけにパンを買ったなんてなれば、少しは散財になるかと思ったがそれも行わず。
散財ってむずい。

にじり土足

昨日「愛鳥家」や「菜園家」だとか書いていて、こんな書き出しを思いついた。
「人はたくさんの家を持っている」
これは複数ある人の性質や面のことを「○○家」という言い方に注目、なぞらえたわけだが、僕は結構こういうのは嫌いだ。
なんか、安すぎる。
ただ、そう思う原因は最近の「○○家」と名づいたラーメン店の乱立かもしれない。
さてどちらかというと今回気になるのは、いろんな「○○家」を考えてみたらおもしろいんじゃないかということだったが、ちょっと考えてみてもいまいち思いつかない。
例えば「倹約家」というのがあるのだから「散財家」もあるだろうと検索してみると、そこそこヒットする。
ただ、その差は歴然としていて、それは散財家というものがよりあとに作られた言葉であることを意味している。
あるいはやはり「散財」というのはあまりほめられたものではないということで、「おれ散財家!!」と手を挙げて宣言する人が少ない、ということなのかもしれない。
そんなこんなで「○○家」はそれほど僕のなかでは広がっていない。
唯一なんか思いついているのは、冒頭の「たくさんの家」というところ。
以前何かで「小さい家がたくさん立っているところ」の映像を見たことがある。
それは道通神社というところで、確か蛇の神様をまつっている。
そしてその蛇が住めるようになのか、奉納された小さい家がたくさん立っているのだ。
その見た目はかわいいが、反面異様でもあるだろう。
そしてこれだけは言うのが心苦しいのだが、いちおう。
蛇足だがそこに住む蛇は土足だ。
それにしても今までのキーワード。
「愛鳥」「菜園」「蛇」「散財」
なんか尋常っぽい話が出来そうじゃあないですか。

ひな殺し

目の前の木、とはいっても50mくらい先なのだが、また鷲のものとも鷹のものともわからぬ猛禽類が巣を作ったらしい。
うちのなかでは愛鳥家かつ菜園家で通っている近所のおじさんが知りあいと、木を指差しながら話していたから。
茂みに見え隠れする巣っぽいものを眺めながら、僕はくしゃみのことを思い出していた。
本かなにかで見たことがある。
野鳥のひなは神経質で、巣の下でくしゃみをするだけでショック死してしまうことがある、と。
本当だろうか。
空気の振動かなにかがいけないのか。
それとも許容範囲を超えた大きな音で、生命活動が停止してしまうのだろうか。
どちらにせよこれが本当なら、私たちはおとなしい顔をしているが凶悪な飛び道具を口に装備しているわけで、それはくしゃみという名の遠距離撲殺術。
ひな殺しの別名を得るに値する。
そしてよく知られているように、人間界で「ひな殺し」というと、一般的には「ロリコン」と同義である。
ごめんこれうそ。
ただ、流し目で女子を卒倒させるだとか、男性の目を釘付けにさせるバデとかについては案外的を得た言い換えにも見える。
まあ何が言いたいかというと、以前書いたけど鷲鷹を見るための双眼鏡を買うかどうか、ということだけなんでして。

お前の母ちゃん、しかと。

以前触れたような気もするが、かなり昔のような気もするので「おまえのかあちゃん、なんとか!!」についてです。
いわゆる「お前の母ちゃん、でべそ!!」のたぐいで、調べてみるとどうも以前触れたというのは「やーい。お前の母ちゃん fall’n love !!」というもので、当時こそ平然と公表していたのだが今では、こいつと街で出会ったとしてもシカトするだろう。
基本的に以前触れたものはあまり扱わない方針ではありますが、なんかいいのが思いついたので、今回。
「お前の母ちゃん、セミオート!!」っていうのが突然浮かんだのだが、これは結構いい。
少なくとも今日はいい。
本当は「オート」の方が、少々直球ながらもいいと思うのだが、いきなり「オート」「オート」言われると「嘔吐」と勘違いされそうな気がする。
その点「セミオート」は「セミオート」だから、勘違いされることはない。
どうもこいつの母さんはセミオートを彷彿とさせるんである。
あとは「お前の母ちゃん、おまけ!!」というのを今考えたが、これは普通に憤りを覚えるし、「お前の母ちゃん、売女!!」とかだと、先ほどの種類の憤りとともに、そう叫んだお前は何歳なんだという疑問が噴出する。
「お前の母ちゃん、だけだ!!」だと「何が?」とすごく不安になるし、「お前の母ちゃん、ピンチ!!」だとお前誘拐でもしたんかいと疑いたくもなる。
「お前の母ちゃん、板でドーン!!」だと誰か既に言っていそうだし、「お前の母ちゃん、床下!!」だとお父さんが主犯のサスペンス。
やはりおもしろいのは「セミオート」だ。
明後日あたりにはシカトするだろうけど。