過剰なコードが畳を掃く。

探しているものといえば「掃除機のコードに巻き付いている赤いテープ」で、これがないとコードを掃除機から引っこ抜いてしまう事になる。
この赤い、ものによっては黄色いテープはコードの終着を示している訳だが、本来ならばこのテープを見るほどにコード長が必要なシーンは、実はあまりない。
「おれの家はこのテープを見るくらい、コードを伸ばす必要があるぞ」
こういう殿方もおられるであろうが、よくみてほしい。
そのコードは余って掃除機に踏まれていないだろうか。
コンセントを身近な位置に移動すれば、そんなにコードを出さなくてもよかったのではないだろうか。
これらが当てはまるのなら、それはコード長に余剰があるわけで、テープを見るくらいコードを伸ばす必要はない。
これらが当てはまらないのなら、住んでるところ広そうだから、お前のレベルは殿だ。
よかったな殿。
ただ、最近の掃除機はコードがないらしいぞ。

天使のくだり

こんなことを考えながら川を見てみると、いつもとは違った川が見えてくるかもしれませんね。
そう言って先生は教科書を閉じた。
はもんは、さかなが空に飛び立つためのれんしゅう
はもんは、さかなが空に飛び立つためのれんしゅう
ぼくは最後の行をくり返しつぶやきながら、下校中、いつもの川沿い。
ガードレールから身を乗り出して水面を見ると、魚もいないのに下からつついたような波紋がふたつ、広がった。
はもんは、さかなが空に飛び立つためのれんしゅう
はもんは、さかなが空に飛び立つためのれんしゅう
ふと、僕の目の前を白い羽毛が落ちていく。
風のないその日に、羽毛は周りに空気がないかのようにすっと、緩やかに流れる川へと落ちた。
波紋がひとつ。
この波紋は、誰の、何のための練習なんだろう。
はもんは、さかなが空に飛び立つためのれんしゅう
はもんは、さかなが空に飛び立つためのれんしゅう
はもんは、てんしが地に降り立つためのれんしゅう
はもんは、てんしが地に降り立つためのれんしゅう
僕は天使のくだりを想像させた羽毛がどう用意されていたのかを調べるため、上を見上げた。
そこには小さいくす玉のようなものがあり、それのついているポールが近所の2階から伸びている。
おそらく2階ではポールについているレバーを引くおばさんがいるのだろう。
情操教育も大変だ。
ふと、見上げたくす玉に貼り紙のしてあるのが見えた。
私は今年56歳になります。
母は昔から働き詰めで、86になる今でもその精神は失われておりません。
いつもは私がこのポールを支えるのですが、今日は突き指をしてしまったため、やめておこうかと思いました。
しかし86歳になる母が替わってやると言って聞きません。
本当に聞かないんですから。
ここで貼り紙は終わっている。
よく見るとくす玉が小刻みに震えている。
情操教育も大変だ。
水面に目を戻すと、さっきの羽毛を魚がえさだと勘違いしてつついている。
この波紋は、ふたりの、何のための練習なんだろう。

頼んでないのよ人形神

閉店時間であることを知らずに、最上階に近いところで本を物色していた。
すると、よくある閉店間際音楽が流れてきた。
というか、ずっと流れていたようだ。
なんとなく他人行儀になったスタッフを見ても、ああ閉店なんやなと感づいた僕はエスカレータを降りようとした。
するとエスカレータ付近でおじぎをする店員さんが。
各階、去りゆくお客さんに対しおじぎをするルールのようだ、このデパートは。
降りゆくフロアをのぞいてみると、女の人が立っている。
ということで各フロアのおじぎさん模様。
6階
男性スタッフ
5階
女性スタッフ
4階
女性スタッフ
3階
女性スタッフ
2階
女性マネキン
1階
女性スタッフ
本日マネキンに対しておじぎをしてしまった回数
1回

スプラッシュ青春

最近知人がハマってしまい、その結果AKB48の曲を聴くことが多い。
こう書くと「人に頼まれてサンタフェ買いにきました」的な、実はおまいなんだろという雰囲気も出るが、幼少よりアイドルにあまり注目できていなかったためか、今更その生き方を変える事もできないわけで、今のところいい曲があればそれを聴く程度の姿勢。
何かしらアイドルに感化されたかというと、あるとすれば街中で見かける女子がみなAKB48に属しているように感じられ、そしてほぼ例外なくかわいく見える症状くらい。
ひとつ、すごく楽しくなった曲がある。
確か冒頭の歌詞で「コーラを振ったあと、それを相手に渡す」旨の内容だった。
何か青春。
しかし気になるのは、このフレーズを10秒くらいかけて歌っていること。
正直「コーラ振った」くらいのところで、それを気になる相手へのいたずらに使用する事が分かってしまうため、そのひとくくりを10秒かけて歌うのはどうなんだ、と思った。
ひとフレーズを歌い終わったとき、「ほらやっぱりいたずらに使ったー」という気持ちになるのだ。
しかしよく考えてみると、当たり前のことに時間を費やす意外性、成り立たせる難しさへの挑戦というか、そういったものを感じるようになった。
あるいはなるべくしてなることの美しさ。
そして他の行動を際立たせる効果。
「コーラを振ったのち、それを静置。君に会いにゆく」
一見何をやっているんだという気にもなるが、前に「コーラを振ったあと、それを相手に渡し」ているため、こういう行動を取る事もあるか。
会いにいく前に緊張していたんだねと感慨深くもなりえる。
「コーラを振ったのち、後ろの座席にバラの花束をたくさん積みこむ作業に取りかかる」
コーラのことは全く無視してしまったわけだが、これも以前、相手に渡したという事実がある限り、いろいろ考えたくなる行動に昇華する。
「東京タワーをキャンドルに見立てるため、喫茶店の席をいそがしそうに変えていく」
もはやコーラがなくなってしまったが、これですら以前の経験から、「振ったコーラ」のことを思い出さずにはいられない。
「今ではこうやって東京タワーをキャンドルに見立てようとしているが、以前は振ったコーラを相手に渡すルーチンワークもやっていたっけ」と。
こうなると、我々はいつ何時も「振ったコーラ」のことを思い出してしまうことに。
そしてそれは、まさに何か青春そのものらしいで、ある症状をもたらしてしまうわけである。

還元則 その2

昨日からのつづき。
【あらすじ】
ポイントカードが苦手。
=====
ポイントカードを持っているのに探す手間が申し訳ない、めんどうくさいという人間がいる。
そういう者たちにとって「持っていないと嘘をつく」のはけっこう日常茶飯事。
以前、こんなことがあった。
ツタヤでレンタルビデオを借りた後、同じフロアにある本屋コーナーにて本を購入するとき。
そこで「カード持ってない」と嘘をついた。
この短時間でカードのありかを忘れた訳ではないが、あまりに「カードありません」を頻繁に使用していたため、何となくそう言ってしまったわけだ。
店員は怪訝な顔をした。
今なら理由が分かる。
僕はレンタルしたビデオを例の発色の良い青パッケージに入れて所持していたため、それがまさにカードなくしてはレンタルできないものなのである。
それを持っているのに「カードない」とはこれいかに。
店員はそう思ったんだろう。
こんなこともあった。
ビックカメラで、レジにて財布からお金を取り出すシーン。
店員にはカードが見えたのだろう。
僕はそれに気づかないまま「カードありません」とやったところ、いや今ありましたよとの指摘。
この財布のどこかにあるのは知っている僕だったが、すでに嘘をついている建前上、その嘘を貫き通す責任があった。
いやないですよ。
「いまその隙間にありましたよ」
見間違いですよ。
前のお客さんの残像ですよ。
おたくのお店と同系列の病院の診察券ですよ。
お前のコンタクトレンズにそういう模様が入ってるんですよ。
KARAのプロマイドですよ。
秘密クラブ「ハーフ&ハーフ」の会員カードですよ。
もちろんそんなことは言わず嘘もつらぬかず、時間をかけてカードを渡す僕。
ポイントで全ての清算を済ます事ができた僕。
結構ちゃんとポイントカード使えてる僕。

還元則 その1

あまりポイントカードが得意ではない。
お得なのはわかっているがそれが嫌だ、とかいうあまのじゃく精神は全然ない。
しかしポイントカードはお金と違い、すさまじく厳密には財布内では管理されていない。
そしてそれは生きていく上でどんどん増加していく傾向にある。
その結果、レジにてお金のやり取り以外のどうこうが発生してしまう。
それが少し苦手なのだ。
「当店のポイントカードはお持ちでしょうか」
こう来られたら、高価な買い物やテンションが高かったとき以外は「ないです」と答えるようにしている。
「ないです」
実はうそで、財布のどこにあるのかが不明なだけなんである。
ただ探せばいいのだが、その時間を店員、後ろの客に課せることが気になる。
「ないです」で待たせることがないと考えれば、まあいいかという心境である。
しかしよく間違えるのだが、ここで「忘れてしまいました」という内容のうそにしてしまうと、場合によってはより人を待たせることになる。
「今もう一度作っておいて、あとでマージする」方法のある店が多いからだ。
「お作りになりますか?」
もちろんお作らなくていいのだが、ここでもうちょい待たせしてしまっている。
そして熱心な店員さんだった場合、さらにカード作製時間を取らせる事になってしまうのだ。
「ないですそして今日は作らなくていいっす」
「ないですそして今日は作らなくてよくて、これからもう帰るところなんで」
「ないですが作らなくてよくてもう帰るんで早めにリリースしてもらえませんか」
誰も悪い人いないのだが、できればそう一気に言ってしまいたいくらい。

霧が晴れたら その2

昨日からのつづき。
【あらすじ】
プロレスにある「毒霧」というものについて何か考えよう。
※毒霧:変な液をぷーっと相手に噴きかける。
=====
「毒霧成分がウイルスやほこりをキャッチ。毒霧クラスターはシャープだけ」
「部屋の消臭ができるファブリーズ毒霧タイプ」
「塗料を含んでの、プラモデルの塗装」
「刀傷に苦しむ患者に医者が毒霧、麻酔をかけ候」
「高知県山岳部に濃毒霧注意報」
「毒霧にかかる虹」
「俺が調合したやつよりも、単にリステリン噴いた方が効いたよ」
「よりミストの粒子が細かくなるように、歯の隙間の調節に時間をかける」
「いくらうがいしても、口から緑のが出るわ」
「毒霧を受けた相手の胸元に、やきそばの短いのがついていますねー」
「神の御心が太陽となり、吐息が風となり、毒霧が酸性雨となった」
「毒霧を仕込んでいるのを忘れてため息をついてしまったので、だっらー」
「風車がびちゃびちゃ」
「吐息とそれに伴う毒霧をすりこむ事で、手のかじかみを防ぐ」
「低濃度の毒霧は虫除け効果があるため、夏のプロレスラー付近には混雑が見られます」
「カレーうどんと向いの人のシャツが、えも言われぬ色に」
「キスをすると、相手のくちびるガードがハンパない」
「毒霧によるぼやけから回想シーンに入っていく画期的な場面移行手法」
「まずプロレスラーの両手がみどり」
「作るシャボン玉もみどり」
「くちびるのしわもみどり」
「つまようじの先、みどり」
「妻、みどり」
「青信号のことを、みどり」
「投げ込まれるタオルにも、拭き取ったみどり」
終わり。

霧が晴れたら その1

思い出し笑いの最たるイベントは、お茶を噴き出すことだ。
それは単に見た目すごいことになるだけではなく、目の前の食事がだ液ミストにさらされることを意味している。
ある人はそれを毒霧と形容した。
毒霧は確か、あるプロレスラーが得意とした攻撃方法で、口からへんな色の液をぷーっと霧状に吐き出す。
これを浴びた相手は何らかのダメージがあるのだろう。
そして「毒霧」を披露した思い出し笑いのその人は、あだ名が「ムタ」「ライデン」などとなる。
そして話は少しだけ戻るが、お茶のミスト粒子の細かさと思い出し笑いの我慢の度合いあるいはその面白さは、比例するだろう。
僕は今までそれほどちゃんと毒霧のことを気にしていなかったが、あらためて考えてみると毒霧を噴く彼自身が一番危険なんじゃないかということに気づいた。
さすがに液そのままを口に含んだまま試合進行はできないだろうから、袋かなにかに入れているのだろうが、それでも破裂の危険は常につきまとう。
霧でも効果のある刺激物が、もれなく口内で炸裂するのである。
危険だ。
そして試合において、相手以外の危険を口の中に仕込んでおいてもよいのだろうか。
試合への集中力の数%は、確実に口の中を気にする事に費やされるに違いないだろうし。
と、夢のない話はここまで。
毒霧のインパクトはプロレス技のひとつと数えられるくらい、ちゃんと確立している。
物理的な攻撃というよりは心理的なものである気もするが、その点もよく見ればプロレス技としては数少ない「MPにダメージを与える」という、プレミアの高い技だといえよう。
次回は毒霧についてなんか考える。

混ぜてみました。

颯爽!! カウンセラー手品師の今日!!
「じゃあ手に取ったハートの6を、コンプレックスに感じているところへこちらへ見えないようにあててください」
「なぜあなたが、私が差し出さなかった方の手を見たのか、一緒に考えてみましょう」
「そう、子供の頃からお父さんが仕事ばかりしていたの・・・。ちなみにこの封筒にお父さんの名前が書いてある紙を入れておいたから、確認してみて」
「あなたが破った家族写真もほら、この通り」
「はい。これで悩みは消えました」

骨髄異色

「生みそずい」の「ずい」は何なのかを書こうと思ったが、既にそう思っていた人が多数で、みんなすごいなの心境。
みんな、それほど忙しくないんだなの心境。
由来は「ずいずいずっころばし」の「ずい」らしく、神髄や随一の「ずい」に通じるということで、それが意味だそう。
となると「ずいずいずっころばし」の「ずい」は何なんだという気にもなるがよくわからず、とりあえず「驚きの白さ」とでも訳できればいいのではないだろうか。
今回、不条理というか楽したい方針が取られている事については、返す言葉もない。
ただ「ごまみそずい」と続く事が、何かしらヒントになるかもしれない。
「ごまみそ、驚きの白さ」はかなりおかしいため、もう少しちゃんと考えるか。
ここは発想の転換というか、生みの親より育ての親というか、先ほどの「生みそずい」を考えよう。
「生みそずい」の「ずい」は「随」であり「髄」だった。
「ごまみそ髄」
ごまみそのプロはその技術の高さを尊ばれて「あいつは骨髄にごまみそが詰まっている」とでも比喩されたのかもしれないし、されなかったかもしれない。
それを決めるのはあなたの道徳心だ!!。