「そういうひと」というひとがいる。
例えばそれは「みんなでレストランに入って注文をするが、何故か店員がその人の注文だけを忘れる」。
「全てそろいましたでしょうか?」
店員さんが言う。
しかし我々は、しめのライスだけが目の前にある彼彼女を見、みんな「この人はそういう運命の人だなぁ」と感慨深くなるのだ。
店員さんが悪いとも言える。
「レストランで白米だけを注文するって、あまりないんじゃない?」
しかし責めるわけにもいくまい。
運命は他人ですら巻き込む。
その日、彼は「ジャージャー麺」を注文した。
他の人はどうだったか知らないが、僕は色めきたった。
「こちら、ジャージャー麺のジャージャーになります」
店員さんがそう言ってジャージャー麺の「あん」だけを持ってくるのではないだろうか。
そう思ったのだ。
つけ麺の感じである。
普通、ジャージャー麺は麺と「あん」を別個に持ってくるようなものではないだろう。
しかし、こちらは目の前にお通ししかないような状況でも「料理でそろいましたね?」と思われてしまうような力の持ち主なのである。
期待大だ。
しかもこの期待には「ジャージャー麺のあんは何と言うのか?」というロマン疑問の解答が含まれている。
冒頭書いたようにジャージャーなのだろうか。
それともまた違うのか。
もう、すぐジャージャー麺が来ました。
月: 2010年6月
も
すももも、ももも、もものうち。
圧倒的な「も」の回数から、「も」の練習に適した言葉だと思われがちである。
たしかに、言葉の発達に「使用頻度」は重要かもしれないが、程度はあるし、意味もなくては会話の練習としてよくない。
「も」の入門としては適切ではない。
では、どのような方法が「も」の発達にはよいかというと、それは段階を踏まえていくしかない。
やさしいものから段々と難度の高いものへと順々に推移していくのが、一番早く発達していくのである。
1.やさしい「も」
【木にひっかかった風船も、まかせて!!】
やさしいです。
2.中難度の「も」
【もっとスピーディーに、もっと快適に】
複数の「も」であり、かつこれがウリにできるくらいなので、中難度です。
3.高難度の「も」
【今日は大好きなおにいちゃんと、デートだも!!】
何らかのキャラクターの、語尾に見られそうな「も」です。
おそらく現実にはいないので、高難度です。
合唱について
合唱コンクールで選曲が許されるならば、クラス一丸となって精査する必要がある。
それは「学生らしさ」についてだ。
音楽は成績悪かったので間違っているかもしれないが、なんだかんだいって合唱コンクールでは「生きる喜び」「感謝」やら「跳躍」、「友達」「若さ」という「学生らしさ」を踏襲、そして合唱として映えるものがいい。
もしくは逆に、なんらそういったものを感じさせないものもいい。
単にみんな大好きだからといって、それに当てはまらないものを選択してしまうと、なんか変になる。
例えば「合唱コンクール自由曲 残酷な天使のテーゼ」。
みんな大好きな曲だと思うが、今頭の中で歌ってみても、合唱コンクールではどうかと思うような歌詞が多い。
全員で神話をどうこう叫ぶ部分も捨てがたいが、何気に僕が一番どうかと思うのは「いたいけな瞳」のところだ。
実際どうかと思う点がある分、合唱できるというのならかなり面白いだろうが。
どうかと思う点を考慮してみると、意外かもしれないが名曲「思い出がいっぱい」は曲名から内容から、合唱コンクール曲としてはどうかと思う。
ちょっと、聞いている大人の都合ありすぎ。
狙っている感がどうしても出てしまうので、たまらん感じにもなる。
「君はまだシンデレラって、お前・・・」
んーパトス!!。
おもわずパトスが出てしまったが、とにかく「自分の子供が親に聞かせる」ということでの「思い出がいっぱい」はもうそりゃあおなかいっぱいだろうよ、だろうさ、である。
追記1
中学のころ、他クラスの「親知らず子知らず」がどうしても歌いたかった記憶がある。
合唱コンクールは、他クラスの選曲がうらやましくなることが多い。
追記2
僕の高校のときの自由曲は「宇宙戦艦ヤマト」。
前年度の優勝クラス「銀河鉄道999」があまりにもかっこよかったがための選曲だったが、歌のシメで全員が敬礼するのは結構すてきだった。
遺恨
ある関係にとって本当の利益というものは、両者が得をすることで、それぞれ単位の異なるものとして生まれるものである。
単位が同じだと、残念ながらそれはただの優劣になってしまい、ちょうどその差分、少ない側には遺恨が生ずる。
=====
え、そうっすかと下手に出たくなるようなものが、メモにあった。
なんだこれは。
内容。
ほとんどあてはまらない気もするが、そうでもないのか。
例えば、ここでいう単位というのはほとんどお金のそれと考えて差し支えないだろう。
となると、この世で遺恨に侵されていないものはキャノンくらいなんじゃないかってくらい、遺恨だらけになる。
「はたしてそうかな!?」
今、マントを装着した、すっごくかっこいい人が意味深なセリフを残して2階にいる僕の目の前を横切った。
はたしてそうかな?
もう一度考えてみたまい!
そういう意味だとしたら、何に対してもう一度考えるべきなのだろうか。
いや、考えるまでもない。
「遺恨をニコンに置き換えてのひとねたとしてはそれ、いかがなものか」
これだろう。
しかしマントを装着した人にそんなことを言われたくはない。
僕だって懸命に「遺恨でひとねた」を考えたんだ。
でも、いまいちだった。
いまいちだったものをここでリストにするのも遠慮したいくらい、いまいちだった。
もうキャノンのくだりだって、すでにそれは僕のあずかり知らんところのものになっているんだから。
捕手
野球ニュースで「打たせて取るピッチング」と聞くと、なんとなく覚せい剤のこと?。
そんなふうに考えてしまうのはそう。
それほど野球に興味がないからなんだろう。
ところが、だ。
ある警察署内の映像がテレビで流れたのだが、そこに大きく「打たせて捕ろう 覚せい剤」と掲げられているじゃないか。
なにやら不穏な、法的でない。
ノルマ、おとり鮎的ものを感じずにはいられないが、そういう方針なら仕方がない。
有名な「覚せい剤打たずに ホームラン打とう」という例のやつがあるけど、これを混ぜてみたら「覚せい剤打たずにホームラン打たせて捕ろう 覚せい剤」となり、分からないなりに病気がちな少年が明日打ってねと願ったホームランのような感じもする。
それにしても気になるのは「打たせないようにすることはできないのか」というところだ。
打たれなければいいに決まっていると思うのだが。
でも、方針なら仕方がない。
「打たせて捕る」んである。
ある警察署。
どうもそのスタンスが「肩の弱いキャッチャー」と同じと考えられちゃうのは、なぜか。
クラッシュタイプ
多くの人が「外国のかっぱはズッキーニが好物」と考えているだろうが、間違いだ。
多くの人が外国のかっぱについて何かを考えていると思っているのが、間違いだ。
今、クラッシュタイプの蒟蒻畑を飲んでいるのだが、こいつは吸う力を鍛えさせてくれる。
となるとどこで「吸う力」が試されるんだという話題にもなりそうだが、それを今考えてみたところ、割合的に11/13はしもねたになってしまい、困ってしまう。
ちなみにズッキーニを含めると12/14になり、著名な誰かの誕生日みたいになる。
こんなことを書くと11/13生まれの人に著名な人はいないのか、ともなるが安心してほしい。
11/13も、著名な誰かの誕生日である。
戦前など、昔は誕生日をずらして届出をすることがあったそうだ。
その意図はよく知らないが、運勢か何かを考慮したものもあったかもしれない。
一方、今では誕生した日をずらすというのはなかなか難しいだろう。
致命的なまでにみんなが忌み嫌う日があったとしたら、そうでないかもしれないが、そんな日はない。
2月14日。
おそらく一部であるが、ある理由で嫌いな人、ある理由でめんどうだと思う人がいるだろう。
ある理由で自意識過剰になる人、ある理由でもう持てないよ?という人がいるだろう。
近頃うわさの角界。
おすもうさんが「もう持てないよ?」と言ったら、おもしろいのではないだろうか。
ある意味、おすもうさんは「持つ」ことが主な仕事である。
仕事である以上、長い間それをやることで飽きてしまうこともあるかもしれないが、ここはひとつ、飽きないでもらいたい。
押してもいいのだ。
色々手を変えれば飽きないので、不善をなすこともなかろう。
すもうとくれば、多くの人が「外国のかっぱはレスリングをしたがる」と考えているだろうが、それも間違いだ。
ボルボックス
今ではさすがにそう思ってなんかいないが、小学高学年くらいまでは、「自分はボルボックスが見える」と思っていた。
※ボルボックス
植物プランクトンの一種で、丸く小さい。
プールの時間、みずたまりに反射した光を、焦点がずれた感じで眺めると丸くきらきらしたものに見える。
それを僕はずっとボルボックスだと思っていたのだ。
「そこのみずたまり、ボルボックスたくさんいるから近づかない方がいいよ」
今となってはわからないが、そんなことを言ったりしていなかったか、心配だ。
ボルボックスがたくさんいることを示唆している点も怖いが、何よりも「ボルボックス」という名前のものは、なんだか毒素をいっぱい出しそうだ。
その点も怖い。
そう考えると、例え本当にボルボックスが見えていたとしても、それを公言することは得策ではない気がする。
ボルボックスに罪はないが、いかんせん濁点が気に障る。
少なくとも日常生活においては、ボルボックスにも、ボルボックスを話題にするやつにも、近づかない方がいいのである。
礼儀
なんだかんだ言って、最近はサッカーなのである。
で、その話題になるとどうしても出てくるのが「サッカー大好き派」とそれ以外の2タイプである。
ここでは双方どうこうするつもりはないのだが、気になることもある。
これは僕が勝手にそう思っているだけなのかも知れないが、いわゆる「それ以外」な人たち。
その幾人かは「サッカーの知識がないことを示すことが礼儀」であると思っているのではないだろうか。
実は僕もそのきらいがあるわけでして。
全く悪いことではないと思うんですが、ただ、少し度が過ぎている人もいそうでして。
「サッカー? おいしいの?」
ここまでくれはさすがに冗談、それに話題のアクセントか何かだと考えられる。
しかし、どうだろう。
「フットサルのお化け?」とかなると、ちょっとおまえめんどいよ、と言えないだろうか。
おまえ分かってるだろう?、と。
「オフト監督だよね」
これも、どうにも他意を感じずにはいられない。
ああオフトだよ、オフトが11人集まんねん、とか流したくなる。
ところが、本当に小学校のときに1回だけやったくらい、の人になると、それはもうサッカーは球技であるということくらいしか分からないかもしれない。
「人を狙ってボールを蹴るんだろ?」
なかあてか何かと勘違いすることだってあるかもしれない。
「ボールがきたらすぐにゴールに向かって蹴る方が、結果的には点が入るんじゃね?」
ピンボールが好きなのかもしれない。
「TVゲームのを実際にやるやつだろ?」
家にこもりがちだったのかもしれない。
「サッカーね。シュートで有名な」
・・・・・・
せっかくの機会だから、少しは詳しくなっておきたいところ。
僕も。
集団平衡
電車に乗っていたりして暇なとき、ときどき考えるのが「人間だけが見える風景」についてだ。
どういうことかというと、例えば沿線のアパートなんかが見えたとき、その住人だけが見えたらどうだろう。
そう考えてみるのだ。
ある程度規則正しい区画を保持しつつ、いろんな人が浮いている感じになるはず。
掃除をしている人、風呂に入っている人、食事中の人など、それぞれが浮いているのが楽しい。
青空にも映えそうだ。
もちろん人の描写は完全に妄想側の僕にゆだねられているわけで、全く当たっていないだろう。
しかしまあいい。
暇がつぶれるから。
さて、この妄想で一番考えがいがあるものは、実は本人も乗っている、電車だと思う。
例えば飛行機なんてのを、その概観を取っ払って、着席している人のみを見られるとしよう。
確かに壮観だ。
とても整列して人がたくさん座っている。
それが滑走路をすごい速さで進行し、ある速度に達した瞬間、離陸するのだ。
「おいおい座っている人があんなに速く進行しちゃだめだろう。しかも整然としている」
しかし電車にはもっとスリリングな要因がある。
「立っている」
これだ。
たくさんの立っている人が、つーっと地面と平行して進む。
それぞれが色んな方向を向いているが、誰一人として大きく動こうとはしない。
そんなものが想像できる。
ポイントは「立っているだけだが、なにやら加速減速する」というところだろうか。
立っているだけの多くの人が加速減速する画も面白いが、彼ら全員の動きでその増減が表現できているだろうこともいい。
そして運転手はすごく偉そうに見えるはずだ。
今の、電車の例で考えてみると、電車が透明でなくて本当によかったと思う。
もし透明だったら、踏み切りで信号待ちしている人なんかは指差して笑うだろう。
「立ってるだけなのに進んじゃってるよあいつら」
電車は、移動手段としてはかなり一般的である。
そして乗ったんだからそりゃ進むんである。
しかし、大勢の人が無言で無動作で目の前を通るという独特さには、それすらかすむ。
その運搬原理の根本を揺るがすような事態になりかねない。
電車に色がついていて、本当に良かった。
あだ名6
くそう。
こんなあだ名だったら、ある種の雑誌の裏広告に載ったかものコーナー。
◆ビネガー
用法:
「ビネガー最近、ナルじゃね?」
由来として考えられるもの:
すし屋の息子
写真部
◆ポイズン
用法:
「あ、それポイズンの体操着入れだよ」
由来として考えられるもの:
目のまわりを紫色に縁取っている
かみそりの刃に毒を仕込んでいる
◆思い出
用法:
「思い出が黒板消しを綺麗にするのがうめえよ」
由来として考えられるもの:
事情によりもらえなかった52年前の卒業証書を手に入れるべく登校している
教室で数々のイリーガルな行為を行った
◆無形文化財
用法:
「無形文化財ん家あたりを境に、自転車通学のできるかが決まってるらしいよ」
由来として考えられるもの:
しぐさのひとつひとつが、かなり優雅
アニメ声
◆青鬼
用法:
「青鬼の立ち読みスピードがハンパない」
由来として考えられるもの:
すりこぎを持つ方向が違う
ネコミミを装着したが、何らかの理由でどうしてもそれがネコミミの体をなさなかった