集団平衡

電車に乗っていたりして暇なとき、ときどき考えるのが「人間だけが見える風景」についてだ。
どういうことかというと、例えば沿線のアパートなんかが見えたとき、その住人だけが見えたらどうだろう。
そう考えてみるのだ。
ある程度規則正しい区画を保持しつつ、いろんな人が浮いている感じになるはず。
掃除をしている人、風呂に入っている人、食事中の人など、それぞれが浮いているのが楽しい。
青空にも映えそうだ。
もちろん人の描写は完全に妄想側の僕にゆだねられているわけで、全く当たっていないだろう。
しかしまあいい。
暇がつぶれるから。
さて、この妄想で一番考えがいがあるものは、実は本人も乗っている、電車だと思う。
例えば飛行機なんてのを、その概観を取っ払って、着席している人のみを見られるとしよう。
確かに壮観だ。
とても整列して人がたくさん座っている。
それが滑走路をすごい速さで進行し、ある速度に達した瞬間、離陸するのだ。
「おいおい座っている人があんなに速く進行しちゃだめだろう。しかも整然としている」
しかし電車にはもっとスリリングな要因がある。
「立っている」
これだ。
たくさんの立っている人が、つーっと地面と平行して進む。
それぞれが色んな方向を向いているが、誰一人として大きく動こうとはしない。
そんなものが想像できる。
ポイントは「立っているだけだが、なにやら加速減速する」というところだろうか。
立っているだけの多くの人が加速減速する画も面白いが、彼ら全員の動きでその増減が表現できているだろうこともいい。
そして運転手はすごく偉そうに見えるはずだ。
今の、電車の例で考えてみると、電車が透明でなくて本当によかったと思う。
もし透明だったら、踏み切りで信号待ちしている人なんかは指差して笑うだろう。
「立ってるだけなのに進んじゃってるよあいつら」
電車は、移動手段としてはかなり一般的である。
そして乗ったんだからそりゃ進むんである。
しかし、大勢の人が無言で無動作で目の前を通るという独特さには、それすらかすむ。
その運搬原理の根本を揺るがすような事態になりかねない。
電車に色がついていて、本当に良かった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です