F・I

第一印象から始まってある程度その人の「目安」が決まるまで、おおよそ三段のステップがあることは、よく知られていることである。
?
神経質で慇懃な感じ

ときどきおもしろげなことを言う

よく分からない
?
背が低い

一人で夜空を見上げていそう

一人で夜空を見上げてはいなかった
それぞれ、人から聞いた僕の「印象変遷」をまとめてみた。
?を自分ながらに解析してみると。
神経質で慇懃な感じ
これはおそらくめがねが起因しているのではと考える。
僕はよくめがねをかけているのだ。
ときどきおもしろげなことを言う
僕としてはたいがいおもしろげなことを言っていたつもりだったのだが、どうやらときどきなのである。
よく分からない
難しいところである。
?だと、
背が低い
事実背が低いのでしかたない。
一人で夜空を見上げていそう
何があってこういう印象を持たれたのか、未だに分からない。
一人で夜空を見上げてはいなかった
判明してなによりである。
今回は、別に自分を卑下する目的ではなく、なんだかんだ言って第一印象は外見が多いという点が重要である。
かなりもっともな話であるが。
ところでそうなると、例えばこのような印象変遷があったらどうだろう。
一人で夜空を見上げていそう

一人で夜空を見上げてはいなかった

背が低い
?の変遷が変わっただけだが、かなり問題ではないか。
背の低さに気づくの、遅すぎである。
そして実際に背が低いことが最終印象であるなら、ちょっとショック大きそうだ。
しかも、外見である「背が低い」にも勝る第一印象「一人で夜空を見上げていそう」である。
宮沢賢治か。
いや、宮沢賢治がいつも「一人で夜空を見上げてた」かどうかは知らないが、そうも言いたくなる印象ではないか。
ウルトラマンか。
いや、ウルトラマンがいつも「自分の住んでいた星に思い馳せていた」かどうかは知らないが、そうも言いたくなる印象ではないか。
星占術か。
いや、星占術が「夜空を見上げる仕事」かどうかは知らないが、そうも言いたくなる印象ではないか。
このように考えると、第一印象というのは結局最終的な印象をも左右するものである気がするのである。
次回
こんな「印象変遷」を相手に植え付けたなら、おまえすごいよの回。

まつりしばり

「さくらまつり」
夏にやっていたらどうだろう。
おかしいじゃないですか。
さくら、ないですから。
このように、一般的に「まつり」というものは、しばりがある。
「さくらまつり」の場合は「さくら」だ。
必ずこのまつりには「さくら」が付きまとう。
「お酒ばっかり飲んで、さくら見てないじゃないですか?」
ほらね。
見てすらいなくとも、「さくらまつり」にはどうしても「さくら」が付いてくるのである。
以下、こんなまつり、あったらいいね。
=====
「秋場所うっちゃりまつり」
相撲がこんなことになっては大変だ。
力士達は多分にプレッシャーを感じるに違いない。
なにせ「うっちゃり」のしばりが、有無を言わさず付いてくるのである。
それ以外の決まり手で勝ったりしたら、お客さんが失望してしまうかもしれない。
なんたって「秋場所うっちゃりまつり」に来たお客さんだから。
誰だこんな企画をしたやつは。
仕方ないので、みんなと相談、「限りなく上手投げに近いうっちゃり」「寄り切りうっちゃり」などの誕生となるだろう。
「河川敷いもにまつり」
実際あるような気もするのだが、もしそれが芋煮以外のものも提供しているのであったら、それは「いもにまつり」ではなく「まつり」である。
「いもにまつり」をうたうなら、芋煮一本で行かなくてはならない。
どこを見ても芋煮である。
湯気である。
まつりの終わる頃には、芋煮を見すぎて、もはや芋煮を芋煮と認識できなくなっていることうけあい。
「高幡不動伸縮自在まつり」
どうしたことだろう。
何か、高幡不動には伸縮自在で有名なものがあったのだろうか。
なぜ「高幡不動尊まつり」というデフォルトを差し置いての「伸縮自在まつり」。
道祖神的なものもありそうな気がするぞ「伸縮自在まつり」。
とりあえず第一回目は何が催されるのかが気になって、人結構集まると見た。
この辺、まつりのあと。

ダック

ある中華屋さんに入ると、目をひくのが「北京ダックまつり」の貼り紙だった。
安いのかおいしいのか、とにかくまつりなのだった。
「まつり」というのを食品に使うことは結構あることだ。
しかしその軽快な雰囲気の一方では「ダックたちは地獄」を感じずにはいられない。
別に菜食主義とか過剰な食物事情とかをどうこうするつもりは全くないのだが、あまりにダックたちのことを忘れている気もする。
「食う側が食われる側のことを考える」
自体がかなり自然的なことではない。
しかし、ちょっと「まつり」と称するのは、あまりにまつりまつりしすぎている。
僕も「まつり」にあてられたのか、今までダックたちのことを忘れていたからか。
北京ダックって食べたことないですし。
次回
「まつりしばり」

幽霊船

幽霊船というものがあったとしたら、そいつは絶対海路がわかってないといけない気がする。
せっかく幽霊になったんだから、誰かに見てもらわないとだめなわけで、一方生きてる船の方は、わざわざ用のない、海路から外れた領域に行くこともないわけで。
幽霊船は海路上に陣取っていないと、いくら待っても船来ませんになってしまうのだ。
その点、幽霊電車というものがあるとして、そいつも「この無念、誰か見て!!」なものだとしたら。
幽霊電車はレール上にいることさえ守っていれば、おそらく大丈夫だ。
レール上を走っていれば駅を通過できるし、同レール上の生きてる電車をびびらせることもできよう。
ただ、これでは幽霊船、幽霊電車の対策として「海路、レールに近づかない」ができてしまうかもしれない。
あるいは新しい海路、レールが作成されてしまうかもしれない。
そのとき、彼らはその決まりきった道を捨て、宙を飛んで来るだろう。
誰かに見て欲しいからね。
しかし残念。
宙に浮かぶ船や電車を見ても、私達は彼らの無念さを汲み取ることはできない。
それを幽霊どうこうとは認識せず、どちらかというとメルヘンを感じてしまうだろうから。

もう、漬ける漬ける。

昨日からのつづきです。
【あらすじ】
「ハブ酒」「マムシ酒」「ムカデ酒」。
漬けたはいいけど、結局のところ何がにじみ出てんの?
=====
「こないだの漬ける?、の件だけど」
「まあそれはいいとして、今付き合ってる人とかいるの?」
「うん?、いやまあ漬ける話はいいじゃん、この際」
「ああ、いないんだ、そう」
「え、に、濁り?。いやまだ漬けるの話、ね」
「それにしても今、特別な感情を持ってる人とかはいるの?」
「え、に、憎しみ?。まだ酒に漬ける話?。生きたまま酒に漬けるから、憎しみが酒に溶け出・・・。あ、ち、違うの?」
「・・・ぼ、僕?。何か怒ってる?。漬けるやつの話じゃないから?。あ、ごめんね」
「ごめんね、じゃあまずは漬ける話からしようか」
「ウェイターさん、ハブ酒あります?」
「あ、ないのね。そりゃそうですよね、こんなとこにないですよね」
「え?、女の子連れておいて、バーでハブ酒所望って?」
「どれだけ、直球じみているんだ、あんた、と」
「ちょっとウェイターさん、コースターにこんなこと書かれても困りますって」
「しかもそのコースターの上に乗っているのはハブ酒じゃなくてカクテルじゃないですか」
「ああごめん、ちょっとメモが、ね・・・。で、恋人はいないんだったよね」
「いやいやいやわかってますって。漬けるやつの話だよね」
「そう、漬けたはいいけど、結局のところ何がにじみ出てんのか、だ」
「これはなかなか難しかったよ」
「お酒に溶け込むようだから、その性質を利用して分離抽出しようと思ったんだ」
「そうしたら、ね」
「その性質を担う箇所が物質にはあるんだけど」
「官能基とかって言うんだけど、その性質を見出して、どうにか抽出できたん・・・」
「・・・いやあ、これ以上は言えないな・・・」
「・・・だって今、僕はハブ酒のハブのようなものだもの」
「官能基のせいで」
「今ここで、恋愛物質が溶け出しちゃっているんだもの」
「・・・ってオチのメモを先に相手に渡すの、やめてもらえません?」

漬ける。

日頃より「ハブ酒」「マムシ酒」「ムカデ酒」のようなカテゴリのものが、気になってはいなかった。
昔なら、タンパク源に乏しかった地域であった風習だったのかもしれないが、今ではそんなこともあるまい。
となると、その存在意義は「昔からの一連の流れ」「劇的な効果」「見た目のうわー感」のいづれかではないか。
そんな気がする。
「昔からの一連の流れ」
冬などに、食事情がかなり厳しくなった地域があった。
そこでは冬になる前、食べられるものなら虫から毒キノコからなんもかんも集め、塩蔵したという。
昔の話ではあるが、食で苦労したことのある場合、その文化が根強く生き続けることは十分に考えられることである。
そんな感じのある種の人たちは、とにかく何か漬けたい衝動に駆られるのである。
もう、ぽいぽい漬けるのである。
どうも酒漬けにされるのは毒を持った生き物のようだ。
酒が毒を消すのだろうか。
それとも単に、それらがおいしかっただけなのだろうか。
「劇的な効果」
代替がないほど、これらの酒には劇的な、RPG的な効果が得られるから、人々はそれらを酒に漬けるのではないだろうか。
体があったまるとかではない。
中年だがまた背が伸び始めたとか、かなり驚くべきことでなければ、わざわざこんなことはしないだろう。
ハブやマムシなど、漬けたやつの毒に強くなったりするのだろうか。
しかし一般的にそいつらはコンビニなどに生息していない。
彼らの毒を恐れなければならないシーンは、おそらく彼らを捕らえようとするところであって、なんだか本末転倒。
滋養強壮にいいのだろうか。
となると、私達はどんなことで「滋養強壮によかった?」と感じればいいのだろうか。
興味は尽きない。
「見た目のうわー感」
これが一番の存在意義ではないかと考えている。
すなわち「どうだい、俺こんなもの飲むんだぜ。大したもんだろ」である。
度胸。
昔は重宝がられたこの言葉も、今ではなかなかお目にかかれず、自体も大抵重んじられない。
己が度胸をかかげるため、彼はヘビを酒に漬け、飲むのだろうか。
そうだ。
この手のお酒を飲んでいるおっさんの奥さんは、どうしているだろう。
自慢げなおっさんの横で「やれやれめんどくさ」だったら、おそらく確定である。
次回
気になるところ
漬けたはいいけど、結局のところ何がにじみ出てんの?

アニメ化

以前も書いたが、アニメ化ってある小説漫画がすごく多いような気のするのは勘違いだろうか。
正直、家にたどり着いたころにはアニメを見ようとする意志がわかないほどへばっていることが多く、あまり見ない。
ただ一方では、絵がかっこよく動いたりしているとそれだけで「おお・・・」という気にもなる。
絵が動くってのはなかなかにすごいことだ。
ただ、アニメ化はその市場的なものがとかく重要ではあると思うのだが、どうにも小説漫画に紐づいていることが多い。
当たり前だ。
しかし律儀に小説漫画ばかりをアニメ化することもないじゃないか。
オリジナルなものもあるが、もっとユニークでもいいんではないか。
紙袋さえ論破できなさそうなまま、列挙。
・空中をただよっていたくもの糸を振り払おうとする動き、アニメ化
確かあれは子供のくもが旅をしているんでしたっけ?。
・爪が伸びる過程、アニメ化
傷が癒える過程とかもいい。いいにも程度があるが。
・景気よく転がして、出しすぎてしまったトイレットペーパーを巻き戻す動き、アニメ化
ぜひ時間をかけてアニメ化してもらいたい。
トイレットペーパーの軸を一回転させると、1ターンお経を唱えたことになるらしいし。
・氷の彫刻が解ける過程、アニメ化
見るほうも疲れるわ。
・人の顔が普通から笑顔に変わる瞬間をスローで再生し、それをアニメ化
これは何気にかなり面白そうな気がするが、もうあったりするのだろうか。
・「箱の中身はなんだろな」で箱の中に紙束とペンを入れておく。
趣向を変えてみた。
験者には冒頭のアニメ化もっと冒険してみね?の話をした上で、「箱の中身はなんだろな」を行うのである。
彼が、その中身が「紙とペン」であると認識したとき、彼に何らかの使命が生まれたりしたら、明日も晴れるかもね。
アニメ化終わり。

天敵の話

ハブにマングースがいるように、高価な万年筆に超絶筆圧人間がいるように、希少なカエルにマングースがいるように、小動物にマングースがいるように、ものにはかならず天敵という存在がある。
それにしてもマングースは天敵として取り上げやすいような気がする。
じっくり考えてみると、万年筆もマングースに弱かったような気もしてくるくらいだ。
これを人為の悪と捉えるべきか、がんばってるじゃないかと捉えるべきか、または他の観点をもって捉えるべきが、むずかしいところである。
ここではどうしたってどうなるものでもないので、ふわっふわにしたい。
さて、上記のような「天敵」の関係。
小学校の理科の教科書とかにあったかもしれないが、それは食物連鎖を説明する上でのひとつのキーワードと言えよう。
しかしながら、一見そのような「自然のつながり」を持たないものでも、かならずそれはある。
・小心者→小さな声では応じない店員
楽だよね、こういった方向性。
ただ、厳かな観点を持てば、もはや人間にとっての天敵は人間しかなりえず、もはやそれは食物連鎖の域を脱している唯一の生物である、なんていえるかもしれない。
・伸びるサロンシップ→シールはがし剤
これはどうなんだろうか。
シールはがし剤で「サロンシップが簡単にはがれてしまう」ようなら、サロンシップはシールのようなものであり、じゃあ俺らの体はタンスか何かか、という気がしてくる。
そもそも「サロンシップが簡単にはがれない」のも困ってしまうが。
・マイケル富岡⇔黒田アーサー
なんとなく。
僕の一存。
相互的に天敵のような気がし、それはいわゆる「ライバル」みたいなものであるか。
・はさみ→ペンチで切るべきはりがね
はさみは一度負けたらかなり利便性が下がるため、負けさせないようにしなくてはならない。
・強盗→強盗撃退スプレー
そりゃそうだろうが、なんとなくこの関係を天敵とみる世界はいやだ。
・小心者→勧誘の人
小心者、よく食われていますな。
傷だらけであろう。
もっと広がると思ったのだが「天敵」。
また今度。

卒業文集 13番

卒業文集
13番 巣鴨
みなさん卒業おめでとうございます。
私はある意味卒業間近な人に人気があるから、自分自身が卒業できるなんて思っていませんでしたけど、どうもできるみたいです。
ありがとうございます。
私がこの学校で学んだことは「勘違いはときどきいい方に働く」ということです。
この学校に転校する前、私は「原宿」みたいと言われていたことがあります。
今でも人気の原宿ですが、当時は特集ミニコミまで出るような存在でした。
その頃から私は「ロージン」という言葉をたびたび聞きました。
私と「ロージン」は深い関係にあるというのです。
そのロージンのことを、私はずっと「ローライズ調のジーンズ」のことであり、「若者くささ」もしくは「若者ぶりくささ」が原宿とまあ合っていると得意げでした。
いつか、姓名判断をしてもらっているときにその勘違いに気づかされました。
「ロージン」とは「高齢者」のことであると知ったとき、恥ずかしさと同時に「ロージン」について、いかに多くの人をこれまで傷つけてきたかを感じました。
高齢者を前に「ロージン」のことを勘違いしたまま話したりしていたのです。
ひどい話です。
しかしこれが幸いな方に働いていました。
高齢者の方はたいそう「ロージン」が好きらしい私を好いてくれたのです。
私は私で「おばあちゃんの原宿」というミドル標語を気に入り、現在に至っています。
原宿に対する思いは今でもかわりありませんが、もう勘違いしていません。
今では「原宿?、人多そうで体つらっ」って感じるようになってしまいました。
これも私らしいと、卒業間近の人に好評です。
みなさんもこれからどんどん「体つらっ」と感じる人になってください。
あとみなさんがよく聞いてくる「とげぬき地蔵は地蔵にとげを刺すのか、それとも事前に刺されているとげを抜くのか」についてですが、わたしもよくわかりません。
ぜひおいでください。

雨に唄えば

最近、楽器ケースを持ち歩く人が増えているような気がする。
何かアニメの影響かもしれないが、そもそも音楽をたしなむ人が短い間で激増減するとは考えにくく、単に僕がケースにこれまで注目していなかったのかもしれない。
何より、楽器ケースの中に銃器を仕込んでいるものが2割くらいいることを考えると、日本の電車内はある意味ビッグバンドビートである。
で、これを傘の話に置き換えてみる。
最近、傘を持ち歩く人が増えているような気がする。
これはちょっとおかしい。
最近に限らず、雨の降る日はあるのであって、傘を持ち歩くのだって同様に、最近に限ったことではないはずだから。
何かしらこのセンテンスに意味があるとすれば、天気予報の精度についてくらいだろう。
ただこう言い換えると、もう少し深く切り込めそうだ。
最近、折りたたみ傘を持ち歩く人が増えているような気がする。
確かに昔のに比べると、最近の折りたたみ傘は「より折りたためる」。
どうかと思うくらい小さくちぢこませることができるものもある。
そのため「折りたたみ傘を持ち歩く人」が増えているとも言えるわけだ。
さらにその内の2割は銃器を仕込んでいるというのだから、折りたためる分計画性が高く、その点日本の電車内はある意味ゲリラ豪雨である。