みなさんもご存知のように、エルフは長生きです。
どのくらい長生きかというと、500歳くらいまで生きる、ということでいいんじゃないでしょうか。
人間と比較すると、だいたい5倍です。
「それはすごい。さぞかし、有意義な時間を過ごしているのでしょうね。」
軽率な発言ですね、臼井さん。
実は、そんなことありません。
私たちと彼らの生い立ちを見比べてみましょう。
まず、この世に誕生したときです。
人間「バーブー」
エルフ「バーーーーーブーーーーー」
5倍です。
彼らが発したいのは同じ「バーブー」ですが、エルフは「ーーーーーーーー」分、かかってしまうのです。
次に、小学校です。
人間:九九
エルフ:四五四五
各5倍です。
覚えることよりも、1×1から言っていくことや、書き取りが大変です。
エルフ達は小学30年生までの時間のうち、5%を四五四五書き取りに費やすのです。
中学校を見てみましょう。
人間:障害物競走
エルフ:障害物競走
一見同じですが、エルフの方は、5倍危険になっています。
網くぐり・・・電流が流れています。
平均台・・・設置高度と距離が5倍です。
パン食い・・・20%の割合で釣り針になっており、50%の割合で、疑似餌です。
跳び箱・・・中に人がひそんでいます。
ハードル・・・これだけは横に5倍伸びているのみとなっています。
白い粉から飴探し・・・白い粉が毒になっています。
成人してからはどうでしょう。
人間:成人式
エルフ:市長から「これからもお元気で」という手紙が来る
我々の感覚だと、5倍長生きなんだから、成人のときは20×5=100歳がエルフにとっての成人では、と思われます。
しかし、彼らの世界でも100歳からは、人間のそれと同等の扱いとなってしまうのです。
そして、そこから寿命である500歳までは、世間話に費やす時間が5倍だったり、袋から出たネギの長さが5倍だったり、モチも5倍伸びたり、5倍疲れやすくなったり、5倍長い距離、渋滞になったりしてしまいます。
どうですか、白井さん。
ああ、臼井さんでしたね。
有意義じゃない、とは言えないですが、我々がエルフに対して有意義ですね、とは言えなさそうですよね。
月: 2008年10月
奇跡2つ。
奇跡が2回以上起こる必要はない。
って、誰かが言ってた。
そんなことを以前、書いたりもした。
確率
こんなのはどうだろう。
「妖精や怪物の住む世界で暮らすことになったひろし。途方にくれていると美人のエルフが声をかけてくれた」
あー、もう素敵すぎ。
物語にありそうな感じだ。
だが、残念な事に奇跡が起こりすぎている。
物語とはいえ、起こりすぎている。
まず「妖精や怪物の住む世界で暮らすことになった」くだり。
これを奇跡と言わずして、何を奇跡と言うだろう?。
次に「エルフが声をかけてくれた」くだり。
たいていの人は、SF世界にワープするという超難関をどうにかすれば、そのあとはめくるめく大冒険が約束されていると思いがちである。
実際、何らかの理由でその世界を救うために、SF世界での居住を余儀なくされている、というシチュエーションもあるだろう。
しかし、だからといって、見ず知らずの人類に声をかけてくれるエルフがどれだけいるだろうか。
やつら、長生きらしい。
「あ、人間?。ほら、あっちにこの世界から抜けるための出口、あるで。」
そう言われるに違いない。
そうあしらわれなかった場合も、その多くは「お前の力で大魔王を倒してもらいたいんで」が背景にあるだろう。
さらに「美人」。
エルフは美人である、という説が当たり前のように闊歩している現在。
我々が考えなくてはいけないことは「美人のエルフがいる背景に、普通のエルフはどれほどいるのか」である。
エルフ白書とかが手元にないのでなんとも言えないが、ぶっちゃけエルフじゃなくても、美人に声をかけてもらえるってだけで、奇跡である。
というのは、話としてゆるすぎるか・・・。
とにかく、奇跡だらけである。
ということで、奇跡を1回だけ許容するとすれば、冒頭のヤツは、以下のとおりになる。
「妖精や怪物の住む世界で暮らすことになったひろし。途方にくれている。」
「田無で暮らすことになったひろし。新宿駅から500mくらい離れたところで美人が声をかけてくれた。」
「武蔵小金井で暮らすことになったひろし。コンビニで気持ち耳のとんがった人を見かけた。」
・・・手の届きそうな奇跡、ありそうじゃないか。
ことば変数
駅のエレベータの外側を覗くと、アルミで出来た土台部分が見えて、そこには猫の足跡が点々としていた。
僕がそこから得られる情報は、これだけ。
「猫がそこを歩いた」。
ここに、奇跡を付加してみる。
奇跡 + 0
「あ、あそこ。猫が歩いたんだね。」
奇跡 + 1
「あ、あそこ。魚くわえた猫がいたんだね。」
奇跡 + 2
「あ、ルンバだね」
○奇跡 + 1では「何でコイツ、猫が魚くわえてんのがわかったのか」という点が、それにあたる。
足跡付近に魚の尾の跡でもあったのが見えたのか。
前足の跡が強めに残ってたため、体前部に重さが加わっているのがわかったのか。
どちらにしても、彼の能力には驚愕するばかりである。
○奇跡 + 2では「足跡でダンスの種類が特定できるアイツ」という点と、「猫がルンバをたしなむ」の2点がそれにあたる。
彼は、この短い文章で、奇跡を2つも演出してしまった。
ちなみに、彼が猫の色が黒であること、足跡からタンゴであることを見つけ出したら、奇跡数はもう少し上がる。
今度は、まどろっこしさを付加してみる。
まどろっこしさ + 0
「猫が歩いたんだね。」
まどろっこしさ + 1
「あそこ、ほら。肉球のあとが、点々としてるじゃん。あれ、猫が歩いたってことかな。」
まどろっこしさ + 2
「あれ。ほらー、あれ。なんだろ。あの、点々。え、もう電車来た?。でも、ほら。」
○まどろっこしさ + 1では、肉球のくだりが、それにあたる。
そんな跡があるのは、猫が歩いた以外はちょっと考えにくいため、「猫が歩いた」でいいはず。
肉球うんぬんは、いらん。
○まどろっこしさ + 2では、本題に入るのが遅い点と、電車が来てしまった点が、それにあたる。
あー、まどろっこしい。
僕はひとりだったので、心の中で「猫」と思いました。
意味のある欠落
なにやらへんな本を読んでいたところ「○○の調査(1944年?1946年の資料なし)」ときた。
ここで「なんだよこの調査、完璧じゃないじゃん!!」と怒るやつはそんなにおらず、たいていの人は少し、文章以外のところを物思うだろう。
調査内容としては単なる資料無しだが、広く考えると「意味のある欠落」と言えそう。
TVドラマ「古畑任三郎」では、中森明菜が薄幸ただなかの漫画家の、特に薄幸部分を、もう扮しているとかじゃないんじゃないかというくらいに扮していた。
詳細ははぶくが、この回で古畑は、本来はあるはずのものがない、という点に着目。
犯人、中森明菜を見つけ出している。
普通あるものが、ない。
そのことが、あったときよりも多くの意味を持つことが多分にあるのだ。
今、テレビのリモコンが紛失状態だ。
いつも置いてある場所に、ない。
この欠落は、以下のような意味を持ちそうだ。
「違う場所に置いた可能性」
「あんまりテレビを見ないように、という警告」
「誰かがもってった可能性」
だが残念なことに、テレビのリモコンの意味とは「その場所にある」ということよりも「遠距離からテレビを操作する」が重要であり、上記の欠落による意味増加は、それをなんら解決しない。
上記の意味では、物思うことすらできない。
・・・いや、やろうと思えばできるか?。
「あのとき、リモコンを別の場所に置いてしまうくらい、落ち込んでいたんだっけ。あの夏を思い出して・・・。」
「あんまりテレビを見ないように、という警告かもね・・・。久しぶりに墓参り、行っとくか。」
「誰かがもってったのかな。でも、誰もいないし・・・。久しぶりに墓参り、行っとくか。」
墓前にリモコンがあったら、ばんざい。
遊具に勝る睡眠
昨日から。
【あらすじ】
電車で座ってたら、隣の人が熟睡して、寄りかかってきた。
その寄りかかりさまを、周囲も気になりだしてる。
そのとき、何をするべきか。
【普通】
・電車の揺れを利用し、一気に五分にもっていく。
・相手が完全に寄りかかりきったところで、いきなり体をどかす。
==========
【普通じゃない】
==========
◆「うーん。ちょっと、寄りかか・・・。え?。ちょっとねぇ、あんた!?。どうしたんですか、ちょっと!!。」と言う。
あわてて起きます。
相手が起きたら「寝てただけですか。僕はてっきり「ファーレンハイトの憂い症候群」なのかと思いましたよ。」とか、意味不明なことを言おう。
◆寝人に水平器を置く。
これはいい。
このためだけに、常に水平器(泡のやつ)を持ち歩こうかと思うくらいだ。
あなたの迷惑度が今、測定される。
◆寄りかかられている時間を計測、お金に換算し、その分を貯金する。
周囲の注目も、お金の計算のときは、気にならないだろう。
◆「今、劇の練習中です」という張り紙をしてあげる。
◆頭の中で九九を繰り返す。
◆自分の短所、長所を3つずつと短所の改善策を挙げ、将来設計に役立てる。
◆「この人、まだ育つ気です。まだ育つ気です。」と言う。
◆「においが取れるから、ムシューダなんだ・・・。」とつぶやく。
◆人間の重さを実感し、殺人を犯したら死体の処理が大変であるから殺人はしないようにする、と肝に銘じる。
後半の方が、もしかしたらやってる人いるかも、みたいになりました。
睡眠、おわり。
遊具に値する睡眠2
昨日から。
【あらすじ】
電車で座ってたら、隣の人が熟睡して、寄りかかってきた。
その寄りかかりさまを、周囲も気になりだしてる。
そのとき、何をするべきか。
==========
【普通】
==========
◆電車の揺れを利用し、一気に五分にもっていく。
寄りかかられたということは、自分の座席領分が侵されているということです。
これを取り戻すためには相手を押し戻す必要がありますが、露骨にやるのも考えもの。
周りの人が見ていますよ。
「迷惑なのはわかるけど、あんなに露骨に押し戻さなくてもねぇ」
おばちゃんの声が聞こえるよ。
ということで、駅付近での電車の揺れを利用しましょう。
半寝状態を周囲にアピール(うつむく、電車の揺れに逆らわない)し、駅付近の揺れで一気に相手を押し戻すのです。
アクションが大きいので、相手も気付いて体勢を整えてくれることも期待できます。
これは、誰も傷つけない行動として有用です。
また、何度かやると「あ、こいつまた寝るだろうから、少しだけ多めに押し戻しておこう」という予測ができ、相手との駆け引きが楽しめます。
◆不動をキープ。相手が完全に寄りかかりきったところで、いきなり体をどかす。
相手を完全に油断、寄りかからせておいてから体をどけ、相手をびっくりさせる。
かなり対敵性の高い行動です。
どんなに相手が重くても、そのときは不動をキープしなくてはなりません。
そうしないと「落差」がでません。
しかし、それで相手を信用させてしまえば、こっちのもの。
体をどかしたときの相手のびっくり具合から、その体あずけ度がわかったりします。
「おまえ、見ず知らずの人に、どんだけ体あずけとんねん」と。
また、これで起きた寝人は「いかん、だいぶあずけてた」と気付くことが多く、再発防止にも役立ちます。
ただし、この行動で相手が起きなかった場合。
自分の姿勢がつらくなるばかりでなく、あなたの隣の人が「あ、こいつ」となる可能性があるので、注意です。
次回、普通じゃないほう。
遊具に値する睡眠
まずはこちらから。
====================
○○駅→△△駅で目覚める。
だいぶ寝過ぎである。
また眠り出す。
△△につくと、「あれ、ここ、降りる駅?」の体。
意識を失いすぎである。
体はゆるく、リズムを打ち出す。
何をそんなに左右に揺らすことがあるのか。
象か、おまえは!。
◇◇駅。
一瞬「ここどこ」といった面持ちだが、なんとか体制を整える。
ケータイをちらりとみる。眠り出す。
体制はまだ「寝」だったようだ。
今気付いたが、隣の人に寄りかかる頻度が、左右同じくらいだ。
彼なりの歩み寄りだろうか。
左の僕は思った。
××→●●
ケータイをいじり、
眠り出す。
オンオフが、はやい。
新人類だろうか。
●●を出る。
彼はケータイを開けたまま、微動だにしなくなった。
寝ているのだろうか。
メールを待っているのだろうか。
あ、なんかキタ!。
動いた!。
でも、期待したメールではないようだ。
あ、またキタ!。
今度のは返信をするようだ。
と、彼は☆☆駅で降りてしまった。
つまらない。
====================
以上、「電車で座ってたら、隣の人が熟睡し、寄りかかってきた」際にケータイでメモした内容である。
別に寝るのは問題ないし、寄りかかってくるくらいなら、そんなに文句はない。
頭が目の前に来るくらい横になられたら、困ることは困るか・・・。
でも、額をすり寄せてくるとか、頭が異臭を放つとかでなければ、せいぜい困るくらいで終わる。
このような状況において、何が許せないこととなるのか。
それは「すごく寝ている人の隣の人が、特別になってしまう」こと。
「あんなに寄りかかられて、どうするのかしら。」
「あいつ、勇気ないなあ。もう少し、んっんって動いて、気付かせないと。」
このような目で見られてしまう。
注目されてしまうのである。
隣人として、これはつらい。
「はい、なんですか。僕が何か、ありましたか!?。」
「ええ、寄りかかられている僕ですよ、はい。で、どうしますか、はい!?。」
「なんかサブいですか。僕がですか。そうですか。」
ちょっと、言葉でどう言えばいいのかわからないが、そんな感じだ。
僕は、さっき書いたように、寄りかかられるくらいでどうこうはない。
しかし、この雰囲気は我慢できない。
ということで僕は、冒頭のメモを、寝ている彼の目の前でうってみていたのだ。
(ほぼひざまくら状態にまで、寝人は横になっていた、ということ)
起きたら、目の前でうたれているこのメモを見た彼を見て、僕が楽しめるはず。
起きなかったら起きなかったで、まあいいか。
周囲の注目も、こういう風にすれば、少しは楽しめるものか。
ところが、寝人は急に目覚め、僕のケータイ画面を見ることなく、行ってしまう。
でも、楽しめた。
寝人の、もう一人の隣人が、僕のうっていたメモを、にやにやしながらのぞきこんでいたから。
明日
今日のようなシチュでは、これをやれ!!、を考察。
みんな、安心。
【問題】
雑誌「小学五年生」の表紙が小学五年生でないのは、問題ではないか。
【回答】
カメラマンの方ですので、大丈夫です。
【問題】
「爆笑レッドカーペット」のカーペット移動速度は、速すぎて危険ではないか。
【回答】
何気に色々考えた挙句の速度ですので、大丈夫です。
【問題】
知らない人からケータイに電話がかかってきます。
【回答】
知らない人が知らない人へかけているだけなので、大丈夫です。
【問題】
背中をかきたいのに、届かないところがあります。
【回答】
ちょうどそこに、いい霊がいます。届かなくて正解です。
【問題】
学校でうわばきが盗まれてしまいます。
【回答】
ユニセフの流れに乗っています。大丈夫です。
【問題】
本屋で大きなリュックを背負いながら立ち読みする人は、敵ではないか。
【回答】
邪魔ですが、敵ではありません。大丈夫です。
【問題】
真夜中に、森から釘を打つ音が聞こえてきます。
【回答】
知らない人が知らない人へ呪いをかけているだけなので、大丈夫です。
【問題】
久しぶりに運転する人の、助手席にいます。
【回答】
背中の届かないところに意識を集中すれば、大丈夫です。
引き分け言い分 コーンスープ
最近、とにかくコーンスープだ。
粉末タイプではないヤツ。
近くのスーパーには、スジャータの「コーンクリームポタージュ」と「コーンクリームポタージュ粒入り」が売っており、これだけを買いに行く。
コーンスープを飲んでない人は、試していただきたい。
レンジでこれをあたためる。
牛乳あたためモードみたいのがあったら、それがいい。
僕は熱めが最善であるという経験則を持っているため、2回あたためる。
いやー、うまい。
飽きるまで、だいたい3ヶ月くらいはかなりの頻度で飲むだろう。
ところで、このスープには粒入りタイプとそうでないもの、2種類あり、それでいつも困る。
「コーンスープを飲みたいんだろう?。粒なんかなくていいじゃないか。」
「わかってないわ、お前。スープがあるだろ?。飲むだろ?。おいしいだろ?。飲むだろ?。粒があるだろ?。おいしいじゃないか。」
「その粒が邪魔だというんだ。」
「お前なあ。粒、すごく甘いんだぞ。しかも、しゃきっていう歯ごたえがある。ミックスベジタブルでよくありそうな、ゆるいやつじゃないぞ。」
「うーん。」
「お前、トースト一面に、満遍なくバターを塗るタイプだろ。どこを食べても味が一律なように。」
「そういう君は、バターをざっくりと塗るタイプだろうね。味の濃淡を楽しむために。」
このような葛藤の後、僕はだいたいストレートタイプを選んでしまうが、粒の偉大さを知らないわけではない。
あいつは、甘い。
とはいっても、その粒がないのに、粒入りと対等であり、僕を困らせるあるストレートタイプも、たいしたものだ。
とにかく、なめらかだ。
なぜこうも、僕を困らせるのか、スジャータ。
こうなったら、よし。
even!!。
モダン
本日、体の調子が悪い。
モダン焼きを食べたのに、お好み焼きとの区別がつかない。
と、このように、もはや「モダン」という言葉はモダン焼きでしか使われない。
「やあ、今日の君は、いっそうモダンだね。」
どこまで、時代をさかのぼればよいのだろう。
いくつの街を越えてゆくのだろう。
見返り美人までとは言わないが、どう控えめにとっても「いいんだけどね。でも、ふるくさだよね」と言っているようにしか聞こえない。
セクハラ、もしくは何かハラである。
「モダン」が純粋なモダンでなくなった今、その意味は「洒落てる」「かっわゆ?い」「全裸よりかは幾分マシ」「魅力値が上がったねぇ」「近代的な構成」などの形で生きている。
形は変わるが、その意志が損なわれることはない。
逆に言えばその分、「モダン」自身は、本来の意味以外の部分が強くなってしまっている。
モダン本人は、変わりゆく自分をどう思っているのだろう。
結構かわいそうなことになっているのではないか。
そしてそれは、モダンな人たちにも同じことが言えるはず。