お土産

先日、ついにゲンゴロウを捕獲するために遠出をした。

どのくらいの遠出かというと、自動車で数時間。
知り合いにちょっとしたお土産でも買っていこうかな。

そのくらいの遠出。

グーグルマップで水色の場所を見つけては「ああこの池にゲンゴロウがいるのだな」と興奮して、眠りが浅くなったくらいであったから、それは楽しかった。

楽しかったが、結局何もしなかった。

ゲンゴロウがいなかった、ではなく、本当に何もしなかったのである。

というのも、以下のような理由である。

池が干上がっていた。
私有地かどうかわからないので、心配。
何か大型の獣を捕獲する罠が近くにあり、怖かった。
お寺の近くの池なので、何か不謹慎。
高速道路がすごく混んでいた。

インターネットで調べた、ゲンゴロウを捕獲するトラップもあったのだが、それを使用することもなく、網を一度たりともふるうことなく、ほうとうを食べて帰ってきたのである。

季節もちょっと秋半ばだったから、そもそも時期も良くないかもしれないが、残念な結果だった。

強いて良かったと思うところは、知り合いにお土産を買わなかったことで、もし買っていってしまったら、「はいこれゲンゴロウ取りのお土産」と言って渡さなくてはならない。
そしてその釣果?が「ほうとうを食べてきた」では、様にならないからである。

もちろん、上記の良かった点を「強いらなくてはならない」理由は、そもそも「ゲンゴロウ取りのお土産」というのを知られたくないからである。

ごま

やはり担々麺というのは、ごまペーストをどれだけ使用しているかでおいしさが決定する。
気がする。

それは日本人向けなのかもしれないが、ペーストでぎとぎとの方がいい。
麺にスープいやペーストが絡むし、そもそもごま風味のものはおいしい。

それがどうだ。
一級河川のようなスープでといた、ペーストが体をなさないやつ。
その、ペーストが体をなさないやつを、一級河川のようなスープの上にちょこんと乗せたようなやつ。

あれは一体どういった了見なのだろう。

担々麺は甘辛くなったひき肉が乗っていればいいのだろうか。
それとも山椒が効いていればいいのだろうか。

それよりもごまペーストだ。
言い方は悪いが、ちょうど汚泥で身動きとれなくなった麺みたいなやつだ。

よく見かけるだろう、汚泥で身動きとれなくなった麺を。
あんな感じがいい。

ということで先日、そういうのを食べたかったのだが、やめた。
それは、そういうのがどこのお店で出ているかを知らないということと、実は担々麺を食べると大抵腹を下すからであり、結構腹を下すくだりは内緒である。

平均化

朝やっている星座占いで気に食わない点とくれば、6位と7位の差だ。

6位は魚座。
一生懸命がんばるといいことがありますよ。

7位は射手座。
目立つ行動をとると裏目に出るかも。

くっきりといいか悪いかが分かれている。

また、ラッキーアイテムやパーソン的なものの紹介が、最下位のものにしかないのも謎だ。
おそらく12位の人は、このラッキー系を手に入れることで4位くらいまで迫ることができるため、相対的に11位が特に。

特に悲惨なのである。

7位から11位までのラッキー系は、おそらく12位のラッキー系よりも入手しやすいものであるはずだ。
と、一方で1位の人を蹴り落とす「アンラッキーアイテム、パーソン」の存在に、今更気付いた。

「1位はさそり座。今日のアンラッキーアイテムはうんこです」

なんて直球なんだ。
絶対どこかでついてしまうのだろう。

「1位は双子座です。今日のアンラッキーパーソンは刃物を持った人です」

ともかく、1位から12位までラッキーを下げる上げるはあるにしても、それを平均化させるものがあることは興味深い。
ぜひ朝のやつはそこへんを補完し、全員満遍ない世界にしてもらいたい所である。

ちなみに12位の星座の人のラッキーパーソンは「へびつかい座の人」というのが、いいと思う。

目は涙がつくる

「ほんの少し、スープがしょっぱくなった」というヤツがきたら、これはもう「泣いてます」をいい感じに表現したかったということで間違いない。

「ほんの少し、スープがしょっぱくなった」
「汗だくで、それが注ぐからだ」

これはあまり聞かない。

「ほんの少し、スープがしょっぱくなった」
「日体大の生徒が来はじめた春ごろからだ」

これもあまりない。
スープをしょっぱくするのは、涙でなくてはならない。

しかし、スープをしょっぱくするのが、ただの涙では冒頭の「いい感じ」にはならない。

「ほんの少し、スープがしょっぱくなった」
「塩加減が足りなかったので、レンゲでスープを眼球に注いでは戻し、を繰り返したためだ」

浸透圧的に塩ラーメンと体液がどうなるのかはわからないが、眼球のくだりの涙は違う。
ほんの少し、スープをしょっぱくするのは、悲しいことを隠し、それでも伝ってしまう心の調味料としての涙なのである。

ということで、風呂に入っていたら唐突に「ロボットが悲しくなった時、飲んでいたスープはこってりする」んだと妙に納得してしまった。

急で困ってしまったが、特に反論もない「ロボットと、スープがこってりする」関係。
強いて言えば「製麺する機械が故障したまま出荷されてしまったから、スープがこってりする」というのもあるかもしれないが、少々風情と衛生技術を欠く。

ともかく、この流れだと「しじみが悲しい時は、二日酔いに良い」や「フェニックスが悲しい時は、ハリーポッターが元気になる」などの派生も考えられ、意外に話が広がらなくて困った。

口に出して言いたくなる言葉。

運転中の車に突然、屋根から「かん」という乾いた音が聞こえたので、それでそうか。
今はどんぐりのシーズンなのだ。

気づいている人もいるだろうが、どんぐりは大人が拾っても多少はテンションが上がるくらい、美しいものだ。
早速拾いに行こうと思うが、そのときは夕暮れが迫っていて、もうどんぐり拾いをそんな中でしたら絵画に収めても遜色ない。
大人が拾っているところ以外は遜色ない。
そのくらいに合うシーズンになってきている。

そういうことで、一方では大人がどんぐり拾いしてはいけないという美学が、おそらく大人の多くにはあり、それは僕も所有しているため、僕はどんぐりの浅瀬を歩き過ぎて、そのまま散歩コースの神社へ行くことにした。

神社のことはよく知らないのだが、誰もいない神社の整然さが好きだ。
数カ所に集められたイチョウの黄色い葉が、夕方の気温に対して明け方は妙に寒いこの季節のことを思い出させ、その流れで色彩の少なくなった川辺でも眺めようかと神社下の水路を見下ろすと、湛えているはずの水が一滴もない。

こないだの雨で、何かでかいものが堰き止めてしまったのだろう。

せっかくなのでいつもは川底にあるはずのコンクリートを歩道にして歩く。
こういうことをちゃんとやっておくと、ここがまた川底に戻った時も「あそこを歩いた時、こんな感じだったなあ」と思い出されて大変良いのである。

そのまま川沿いの方に行くと、素晴らしい紅葉を見せるイチョウの木があるが、これはまだ緑色で落葉もほとんどない。
神社で見た黄色い落葉は、たぶん神社ということと夕暮れ、その雰囲気で落ちてくれたのだろう。

帰る時、避けることかなわずどんぐりを踏むことになる道に差し掛かった時、「ムッ」のことを思い出した。
以前も触れた気がするが「ムッ」はどんぐりを潰して粉末にし、寒天みたくした食べ物で、確かどんぐりを潰す。

足元にムッがたくさんできているんじゃないかと思うと同時に、それを作るために大人がどんぐりを拾うのはそんなにおかしなことじゃなさそうだということで、先ほどの美学は修正する必要があるかもしれない。

ぷちぷちとムッを作って進んでいくと、踏むことで作る食材というものはどのくらいあるのだろうと気になってきた。

ぶどう、うどん。
これしか思いつかない。

そういえば、この実を踏む感触、葉の色。
ぎんなんでも、何か潰して作るものがあれば足踏みのラインナップに加えられたのに。

というか、もしかしてぎんなんを潰して、なんか面白い食材できるんじゃないか?。
ムムッ!、産業スパイの気配!。

鵺子

グリフォンは「タカだかワシの上半身」に「ライオンの下半身」がついたような姿をした怪物だそうだ。

そうですかという感じだが、困ってしまうのがその系列にいるやつ。

「ヒポグリフ」というそれは、生まれも諸説あるらしいが、とりあえずグリフォンと雌馬から生まれたであるとか、グリフォンのメスだとかいうやつである。
そして容姿は「タカだかワシの上半身」に「雌馬の下半身」ということで、なぜかライオン要素が消えてしまっている。

となると、もしグリフォンの繁殖が雌馬だけに依存するのだとしたら、どんどんグリフォンは減っていきそうである。

もちろんヒポグリフと雄ライオンの交配が期待できるなら、それでグリフォン生まれます、ということもありえそうだが、どうだろう。
雄ライオン、なんか分が悪くないだろうか。
ちょっと難しいのではないか。

そんなこんなで、グリフォンは一見減っていくはずだ。
しかしそうではない(そもそもいないが)のだとすると、表現型としてライオン要素は馬要素に対して劣性なのだろう。

要はABO式血液型におけるO型の感じで、「一見A型だけど、実はO型も持っている」。
馬要素のない遺伝型になった時、はれてライオンが出てくるのだろう。

ライオンはO型だったのか。

ところで、なんでこんなことを書いたのかというと、なんで「ヒポグリフォン」じゃないのかということを書こうとしたら、すでに多くの人がそれに疑問持っているらしかったからで、話題を無理やり変えてみたのである。

追記
人間にあてはめたら、ライオンはY遺伝子、馬部分がX遺伝子ということでよさそう、ということにいまさら。

水生昆虫

ここ数日、水生昆虫への想いが募ってきていた。

小さい頃好きだった「タガメ」という水生昆虫は、今見ると結構気持ち悪いことになってはいるが、それでも一度も手にしたことがない。

その無念さが、唐突に思い出されたのだった。

それでも、近所でそれを望むのは難しく、もう少しいそうな奴ら。

例えばコオイムシ。
タガメを小さくしたような虫だが、これも捕まえたことがない。
動画でわちゃわちゃ動いているさまをみると、捕まえたくて仕方がなくなってくる。

名の由来は「子を背負う」という、オスの背中に卵が産みつけられる生態からだが、どうもタイプしてみると「行為無視」となり、へー「こうい」「こおい」は同じことを示したいと「思われているんだな」と感心したり、俺は行為を無視したことなんてない、大概の行為はやってきたし、受け入れてきた。
なんて憤ったりした。

それらを求めて網を購入、いそうな場所をガサガサ、しようと思っているのだが、実際してみたのが一箇所。
とにかくいそうにない。

それでも自転車に網と虫かごを入れ、長い坂を下っていると、ずいぶん幼稚な、年相応ではない自分の姿を想像して赤面しそうになる。
が、下り終えた時、思ったのが「帰る時、この坂をあがるのはつらそう」ということだった。

これがもう少し若かったら「次にも同じような坂が現れたら、あがるのはつらそう」になるし、さらに若かったら「次に同じような坂があったら気持ちいい!」だろうし、さらにさらに若かったら「コオイムシ!コオイムシ!」になる。

帰路の上り坂と自転車の網は、僕を歳相応にしてくれるだろう。

睡蓮

やっぱりこう、性別柄のせいか、エロいことに換算できることは勝手に頭の中でしてしまう、というわけでして。
これってもう、仕方のないことなんですよね。
もう生まれてn回目の性徴期が過ぎる頃から。

そういうことを、あなたのような人になんでいきなり言っているのかもどうかと思うんですが、最近はそう。

板ずり、ですね。

もう、最初からそういった方面の言葉だと思いましたよ、ほんとに。
料理番組で最初に聞いたときも、なんでいきなりそんなことを言うのか、と思ったくらいですから。

ただ、それが調理の言葉だってことを知っても、やはり第一印象というのは怖いですね。
最初がエロいと思っちゃったから、治らなくて。

いやむしろ、あれでしょ。
たいがいがきゅうりだもの。
板ずりやるの。
収まりませんわ、エロが。

そもそも食材の下ごしらえっていうのが、その本来の意味も、語感も。

広がっていくわ、板ずりから。
パンデミックですわ。

確かエロテロリストがインリンだったから、その仲間みたいなもんですわ。

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こんなことを日曜日の夜に考えるのは、明日に良くない。
そういえば、春から仕込んでいる睡蓮鉢の花も咲かない。
たぶん、こう言った不純なことを考えるのは睡蓮の花にも良くないのだろう。

ユニフォーム

世界陸上なのだろうか。

最近テレビでアスリートの映像を見ることが多いが、彼らはたいそうタイトなユニフォームを着ており、かっこいい。

それにしても、体にぴったりしてる。

陸上競技に限らず、大概のスポーツはスピードを要求されるものが多く、人間本来の身体機能を阻害するような衣類は適さない。
というのはわかるのだが、そうなると当然気になるのが「全裸のほうがいいのではないか」ということだ。
もちろん倫理的な理由もあるだろうが、他にユニフォームが全裸より優れている点はないのだろうか。

まず思いつくのが「体毛」だ。
人間には要所に限らず、全体的にちょいちょい毛が生えている。
これが空気の抵抗を受け、結果スピードを損ねる。
そこでつるつるのユニフォーム、というわけだ。

ただし、それだと「体毛を全てそり落とせばいい」のでは、ということになる。

となると次は「でっぱった部分」の話に、どうしてもなる。
何かとは言わないが、人間には器官としてでっぱった部分が数多くある。
それも空気の抵抗を受ける、あるいはぶるぶるぶらぶらしてしまうため、それをユニフォームで抑えるのだ。

そこは外科的なやつでどうにか、という向きもあるだろう。

しかし、それはもう本気すぎ。
主催者側のルールで存在するかどうかは知らず、では義足はどうか鼻の高さを100mにしてもいいかなども考えなければならないかもしれないが、動機がただ「競技に勝ちたい」だけの外科的なやつになると、ちょっと引く本気である。
あんまし良くない気がする。
規制前、規制を回避するスタイルのドーピングや、アマゾネスの件のように良くない気がする。
時代や根源的な部分にそぐわないきがする。
となると、ぶるぶらはユニフォームで抑えるくらいがちょうどなのかもしれない。

また、ユニフォームを着ることでひどい怪我をする機会が少なくなるのも見逃せないだろう。
例えば全裸でサッカーをやると、ちょっと危ない気がする。
スパイクがないにしても、芝との擦り傷や転んだときの衝撃など、ユニフォームが防いでくれている怪我の要素は結構ありそうだ。
したがって、ある種の企画ものは性欲というよりは視聴者に「転んだら痛そう」と思わせるものである。

最後に、スポーツ医学的な、整形外科的な、ツボ的な。
難しい理論で身体能力を向上させる、というのもあったりするかもしれない。
例えば、太もものある部分を圧迫すると、違うところの筋肉がより効果的に使える、とか。

あとは、ゼッケンにより誰かがわかり、アナウンサーの人が助かる。
スポンサーの広告をボディペインティングで表現しなくて済むなど、細かい「ユニフォームの利点」が幾つかあることが、勝手にわかった。

そうなるとまた気になるのが「ユニフォームに適さないもの」ということで、今日は余った時間を振袖について考えることに振ることにした。

暑い夏

どうなのかは異論あると思うが「世界で一番暑い夏」というのは、それを言ったのが北半球ならその範疇で「一番」ということなのだろうか。

本当に一番かは、半年後の南半球の調子を待たなければならないのではないか。

いや、それとも半年前の南半球の気温を鑑みての「世界で一番暑い夏」発言だったのだろうか。

そうなると考えないといけないのが「季節は北半球が先か、南半球が先か」という点で、おそらく後の方が「世界で一番暑い夏(です!)」と言え、先の方は「世界で一番暑い夏(の可能性がある。あと半年後に判明します)」になるわけだ。

と、いつも不思議なのが「日本が夏のとき、オーストラリアは冬です」というやつで、あれは「日本もオーストラリアも夏ですが、オーストラリアの夏は寒い」ということではいけないのか。

一律「太陽に対しての地球の位置」でそれを決めたらいいんじゃないだろうか。
と思ったりもしたが、よくよく考えてみると、季節というのはふわふわしていてよいわけで、冬が夏だろうが暑かろうがあまり問題ではない。

何かしらのアニメのキャラクターの名前の「冬」のところを「夏」にしてしまったら、だいぶ印象変わるかもしれないが、明日の気温はたぶん、平年と変わらない。
そこで変わるのだとしたら気候というものは何かしら意識を有しており、しかもそのアニメに感慨を抱く。
誠に人間的な意識を有していることを示しており、これは気候の新たな研究の余地、あるいは気候が擬人化されることが先か。

ともかくその後の気候がどうなるか。
気にならないこともないが、そうか。
せっかく意識を有しているというのなら聞いてみたい。

気候として、北半球と南半球のこと、どう思ってる?