玉玉厨子厨子

昨日からのつづき。
【あらすじ】
「お前、玉虫厨子かよ!!」というツッコミを考えるにあたり、玉虫厨子自体の理解を深めたい。
しかし、それには以下のしょうがない事象が気にもなり。
「羽をちぎられた玉虫の今後」
「玉虫厨子作成時の流れ作業」
「玉虫の集め方」
「集めすぎで余った玉虫たちの今後」
=====
「羽をちぎられた玉虫の今後」
・とりあえず玉虫厨子にとまらせてあげる
・嫌いな人の背中にそっと付けられる
・おつまみ
・将棋の駒の代わり
・かごに入れておき、ときどきざっくりと混ぜられる
・別に作っていた「虫厨子」に貼り付けられる
・あっさりと仕上げられる
・集めて、まくらに入れられる
・一応、逃がされる
・案外、幸せに暮らす模様
・水切りに使用される
・紙ひこうきの先端に付けたりされる
・背中に栗の皮を付けられる。
・背中に旗を立てられる。
・はし置き
・万年筆のキャップ挿しとしての生涯
・胸元のちょっとしたアクセント
・カーテン止め
・糸をつけて賽銭箱に放り込み、小銭をつかませてそれをせしめる
・ミニカー代わり
・フィギュアとしてコレクションされる
・口に含んで勢いよく吐き出し、その距離を競う大会がある
・ミルクチョコをたっぷりとコーティング
「玉虫厨子作成時の流れ作業」
・たくさん玉虫の入ったかごが届く。

・2?3日、薄暗いところで寝かせる。
※これを「つやだし」という。

・職人の手により、つやのあるものだけが選別される。
※つやのないものはオスとメスに分けられる。
その後、つやのない個体1に対して、つやのある異性2の割合で2時間放置すると、つやが出てくる。
出ないやつもいる。

・選ばれた4人が玉虫厨子を囲む。
※決まりにより、東西南北にきっちり陣取る。

・つやの出ている玉虫を取り出し、飛び立つまで待つ。
※時間がかかる。

・玉虫が飛び立とうとする瞬間、外羽を両手でピッっと抜く。
※うまい人になるほど、玉虫に気付かれない。

・ときどき、内羽だけで飛んでいく玉虫がいるので、おどろく。
※うまい人になるほど、おどろく回数も多い。

・ごはんつぶで玉虫厨子に外羽を貼り付ける。
※ごはんつぶは多めに。

・日が暮れたら作業を止め、その日あった出来事を日記に記す。
※作業中に考えたことなどを記す。

・就寝。
※もう眠たいです。
明日。
「玉虫の集め方」
「集めすぎで余った玉虫たちの今後」。

玉虫厨子厨子

昨日からのつづき。
【あらすじ】
「お前、玉虫厨子かよ!!」というツッコミが是であるならば、その是は僕らは玉虫厨子をどう思っているからこそのものなのだろうか。
っていうか、玉虫厨子って、ねぇ?。
=====
玉虫厨子。
それは教科書にあったが、それが美術のものなのか、歴史のものなのか、はたまた国語だったか。
もう、定かではない。
記憶は虚空のかなたに。
夜露は夜明けとともに、きえ。
白い吐息は、はかなく。
いや、定かなものも、あった。
保健体育の教科書でなかったことだけは、確かだ。
保健体育の教科書に玉虫厨子が載っていたら、それはもうかなり深い意図を感じなくてはならない。
まず、玉虫!!。
え、もういい?。
確か写真入りだったけど、白黒だからいまいち玉虫っ気がわからなかった気のする「玉虫厨子」。
彼を語る上で外せないのは「厨子って、なに?」ではなく、「玉虫のはね?」である。
そう。
昔の人、「厨子」と呼ばれる仏壇みたいなものに「玉虫の羽」をばかすか貼ってしまったらしいのだ。
教科書では平然と「玉虫の羽が装飾されている」だの「豪華絢爛」だの書いただろうが、幼かったとはいえ、そんな言葉に僕らはだまされなかったハズ。
その印象をまとめると「・・・うわ?」になるだろう。
そら綺麗かもしれないが、虫の羽、ちぎって付けたか?という微妙な感じ。
少なくとも「やったぜ超きれい!!」とは喜べない。
この時点で、すでに大半の人が「うわ?」ゾーンにいる。
だが、しょうがない人たちなんかは、さらにこんなことも考えてしまい、困惑することとなる。
「羽をちぎられた玉虫の今後」
「玉虫厨子作成時の流れ作業」
「玉虫の集め方」
「集めすぎで余った玉虫たちの今後」
・・・うわ?。
明日。
しょうがない人たちのために。

玉虫厨子

こないだ、うまいこと言ったらしく、その場が盛り上がった。
夢の中の話なので、恐縮なのですが。
夢の中の僕は、誰かにこう言っていた。
「お前、玉虫厨子かよ!!」
なんかウケていた。
でも、そのほかの事は思い出せない。
ここで気になるのが、僕が「玉虫厨子」ツッコミを、どんなボケもしくは事象に対して放ったかという点である。
まっさきに思いつくのは二世タレント的なことに対してだが、どうも違う気がする。
実際、夢の中の誰かが、玉虫の羽を体に付けるといったことをやったのだろうか。
どんなボケだ、それは。
それとも、レアなトレーディングカードに対してか。
・・・うーん、わからなくなり、眠たくなってきた。
なんでも「玉虫厨子」でツッコめる気がしてきた。
蚊にたくさん刺された様子を「玉虫厨子」と表現したかも。
ウェディングケーキのことかも。
DVDか?。
「今朝、目覚ましがどうやっても止まらなくてさぁ」
「お前それ、聴覚的な玉虫厨子かよ!!」
・・・解決しない。
しかし、違う観点から考えてみるといいかも、というのがひらめいた。
僕らが「玉虫厨子」をどう思っているのか、を探るのだ。
たぶん、そこへんをうまく拾ったはず。
夢の僕。
例えば、教科書で紹介された「玉虫厨子」を、僕らは単にスルーしたか。
「よく出来てる」くらいで済ませたか。
違うはず。
美麗、虫の羽、何千匹・・・。
奇妙な感覚を持ったに違いないのだ。
明日。
昔の人、玉虫厨子つくっちゃったか?って感じに。

若大将

「加山雄三、ついにパチンコデビュー」
最近、情報番組でやってました。
ここで気になるのは「ついに」部分だ。
なんだその高み。
「とにかくパチンコデビューがしたくて、これまで頑張ってきました。」
加山雄三がそんな人だったなら、我々も手放しに喜ぶのだが。
だが、あくまで憶測だが、彼にそのような目標はなかったのではないか。
なぜなら、それが目標なら、アプローチの仕方が変すぎるからである。
試しに、パチンコ機種の名前を考えてみよう。
パチンコデビューが目標で、それを目指しまくったなら、念願がかなったときのパチンコ機種名は
「CR加山雄三?777でワハハのハ?」
とかなっただろう。
ちなみに「ワハハのハ」は、出演したパチンコ列伝Vシネマのタイトルである。
だが、実際のパチンコ機種名は、こんなだ。
「CR加山雄三?海とエレキと若大将?」
変である。
言い換えると、基本的にパチンコデビューを目指した人生ではない。
どちらかというと、海の男を目指し、若大将を目指した人生だ。
そんな人生を、どうにかしてパチンコに結び付けようとすると、こうして変になる。
海とエレキと若大将。
伝導率高すぎである。
こうして邪推してしまうと、冒頭の「ついに」。
どうやら「高み」の意味の方ではない、「人気低迷してんで脱ぎました」的な「ついに」であるとも取れる。
どうにも「ついに」の含蓄っぷりには、困るね。
ただ、テレビで若大将は「しあわせだなぁ」と言っていた。
じゃあ、特に問題はないですな。

抜け殻と紅葉

アニメ映画「マインド・ゲーム」のラスト近くで「Viva!」という曲が流れる。
サウンドトラックで聞くまで気付かなかったのだが、この曲にはところどころにセミの鳴き声が入っている。
やはり、セミの鳴き声なんだな。
セミの鳴き声は、単に虫のなすこと、というだけではなく、何かしら人間、特に日本人とセミを食す文化圏の人、素数年齢の人あたりに訴えかけるものがある。
ごめん後半うそ。
夏。
空気と同じくらい密に周囲に存在している、セミの鳴き声。
そのときは火で腐海を焼き払いたくなるくらい腹が立っていたとしても、その声が少なくなってきて、夜に一声だけ聞こえたりして、カラスに追われているセミがビービー言ったりして、セミが道に転がっていたりして、つぶれてたりして。
腹が立っていたことも忘れ、なんだか心に重く来るものがあるだろう?。
また、セミの鳴き声はもはやデフォルトで、むしろそればかりしか聞こえないことは静かだ、とはよく言われるところ。
セミの鳴き声は、我々の中にかなり刷り込まれているに違いない。
そのためか、童謡「虫のこえ」でも、その感慨は見事にとらえられている。
*****
あれ松虫が 鳴いている
ちんちろ ちんちろ ちんちろりん
あれ鈴虫も 鳴き出した
りんりんりんりん りいんりん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ
*****
かかったな。
セミいねーよ!!。
2番の歌詞にも、いねーよ!!。
そして虫のこえ。
特におもしろくねーよ!!。
セミが秋の虫でなくて、ざんねんだったな!!。

ドリア三味、ごちそうさま。

ドリアはあつあつなので、食べるのに時間がかかる。

食べている途中で満腹感が得られる。

食べ過ぎることがない。

ヘルシー。
以上の命題が、真か偽か。
判定するため、150人のモニターを用意し、あつあつのドリアを3日間、提供しました。
「その調査で言えることは?」
あつあつなのに、がんばって食べる人が多いことがわかりました。
「ドリアが冷えてたら、どうなったんだろう?」
既に実験しています。150人のモニターを用意し、冷え冷えのドリアを3日間、提供しました。
「その調査で言えることは?」
食の進まない人が多いことがわかりました。
「・・・うん。冷凍食品のドリアに、別の可能性が示唆されたな。」

ドリア三味、おかわり。

小さな洋食屋さんで、ドリアを注文する。
昼食どきでも、夕食どきでもない。
お客さんが自分しかいない。
そんなとき、厨房の方から「チーン」と聞こえたら。
名指しである。
彼はファミレスが嫌いだった。
厨房から店員さんが出てくるたびに、自分の注文した料理なんじゃないか、と見てしまう。
極度に腹が減っているわけでもないのに。
その行為はなんだか子供じみてる。
しかし、気付くとやってしまっている。
軽い自己嫌悪。
レンジの音に気付かないふりをしていると、くたびれたエプロンをした店主がドリアを持って、近づいてきた。
「あんた、チーン聞こえなんだか。」
「え?」
「あんた、チーン聞こえたら、それはあんたのドリアに決まってる。」
「なら、食べる準備をしとくもんだ。」
いやな想像をしてしまった。
そんな不躾な店主はいないだろうが。
そうこうしていると、くたびれたエプロンをした店主がドリアを持って、近づいてきた。
彼はあわててスプーンを手に取り、それでテーブルの木目をなぞり始めた。
店主はその行動を一瞥もせず、何事もないようにドリアをテーブルに置いて、愛想良く彼といくらかの言葉を交わしたあと、立ち去った。
軽い自己嫌悪。

ドリア三味、一味。

洋食レストランなどのウィンドウを見ると、大抵グラタンがあり、ドリアがある。
ここで気になることが。
シーフードグラタン。
チキンドリア。
こうあるとすると、メニュー的には「シーフードドリア」「チキングラタン」もあるのではないか、という疑惑が生じるのである。
ドリアについてはさほど詳しくないが、両者ほとんど同じ感じで調理される料理であるゆえ、簡単に片方の材料も使えるのでは、と思ってしまうのだった。
しかし、もしそういうことが可能であるなら、このように表記されるはずだ。
シーフード(グラタンかドリア)
チキン(グラタンかドリア)
きつねにおける、うどんかそば。
そんな次元である。
しかし、そんな風に書いてあるのは見たことなく、注文時に確認する勇気もない。
怒られるかも・・・。
どうなんだ。
このように、客を惑わす曖昧な表現はPL法のようなものにひっかかる危険があるため、お店はその点、考慮すべきだ。
「かしこまりました。シーフードですね。グラタンとドリア、どちらも調理可能ですが」
「ドリアでお願いします」
「申し訳ございません。ただいまドリアは切らしております」
・切れているのはドリアではなく、米だろう。米を切らすな、米を。
・そして片方ができぬのなら、聞くな。
・お前はマギー司郎か。
この辺のツッコミも、何らかの法にひっかかる危険がありそうだが。

カウボーイ疾走

近頃、どうにも面白いことを考えたり、喋ったりというのがルーチンで、いけない。
そんなことを半年前くらいから、また思い始めてしまい、その点どんよりだ。
歯も痛いしな。
そんな感じのは、過程は違えど誰にでもあるはずで。
みんなはそいつをどうやってブロッキングしているのか、気になるところ。
ここ2?3日のあいだに、僕の部屋にカメムシが侵入してくる。
そのまま放っておくと、春ごろにカラカラになった彼らを発見することになるため、見かけたら外へ放つようにしている。
ところで、カメムシといったら、危険を感じたとき、くさい臭いを出すことで、若者たちにも知られている。
この習性は、人間のいなかった頃はそこそこ有効な防御術だったろうが、今のご時世では、その点がむしろ人間に嫌われ、いわれなき迫害を受けてしまう。
悲劇の虫である。
おととい、窓をこつこつ叩く音がし、すわ中学校時代の初恋の人が小石を投げているのでは、と覗いてみたところ、カメムシが僕の部屋から懸命に外へ出ようとしていて、そいつが窓にぶち当たるである。
「まさかの内側だよ・・・。」
くさい臭いを放つ彼を素手で持つ理由はない。
ティッシュで彼をつまみ、ほっぽった。
そのあと、軽くティッシュをかいで、どんな臭いなのかを確認しようとしたところ、以外にも何の臭いもしない。
さっき放したカメムシは、臭いを出せないヤツだったのか。
それとも、それほど危険を感じなかったため、出さなかったのか。
事実、僕はやさしくカメムシをつまんだから。
ところが、昨日も同様の件があり、そのときもカメムシはくさい臭いを出さなかった。
僕は確信した。
カメムシたちも「危険が迫ったからくさい臭い」という一連の動作に、嫌気がさしてしまったのではないだろうか。
「もうちょい、何かことのありようがあるはずだ。僕らはもう、やりすぎたし、出しすぎた。」
カメムシも苦労しているのである。

待合室

駅の待合室近くを、親子連れが歩く。
連れとはいっても、親は子供を自由に歩かせていた。
ふと、その子が待合室に入りそうなそぶりを見せる。
それを見た母親が言う。
「たっくん。そこ入ったらばいばいだよ。」
たっくんは、これからどのような人生を送り、どのように待合室と接していくのであろうか。
ともあれ、地獄待合室の誕生である。