レゾンデートル

簡単なジグソーパズルだ。
無地だけど、ピースが30もない。
道徳の時間。
生徒ひとりひとりに1ピース渡し、自分の名前を書かせる。
それを、生徒自身が教壇に置いてあるパズルの土台にはめていく。
社会性や個人の存在意義を問い、人間性を高める狙いがあるのだ。
一通り教壇の人だかりがなくなると、僕は出来上がったパズルを生徒達に掲げる。
そして、ピースが1つでも足りないとパズルは完成しない、みたいなことを言うつもりだった。
出来上がったパズルを見た生徒達の表情に違和感をおぼえた僕は、掲げていた土台を教壇に戻し、眺める。
1ピースだけ、無地のままのものがある。
生徒の名前が書かれていない。
どうやらこれが、違和感の原因のようだ。
「誰だ、自分の名前を書いていないのは」
手を上げるものはいない。
仕方がないのでひとりずつ見ていってみる。
どうやら、田中の名前だけないようだ。
「田中、何で書いていないんだ」
田中は、誰にも影響を与えないようにして生きている。
そんな印象を与える男だ。
しゃべらないわけでもなく、目立たないわけでもない。
いたって普通に人と接する。
クラスの誰かと冗談を言いあうこともあるようだ。
だが、彼と1日でも会わない日があったなら、その顔も思い出せないのではないか。
そんな男だ。
そして、それを意識して生活している。
「田中、何で何も書いていないんだ」
田中は席を立ち、教壇にやってきた。
そして、置いてあるパズルを見ている。
「ん。どうしたんだ」
「一応、書いたんですけど?」
田中はパズルに手を伸ばし、無地のピースだけをうまく外す。
そして僕に、ピースの埋まっていない土台部分を示した。
そこには田中、と書いてあった。
生徒達はそれを見て、感心したり笑ったりした。

おはしをどうぞ。

アンケート2
「都内夫婦100組に聞きました。夫婦ゲンカの原因は?。」
1位:互いの仕事のこと
2位:両親関係
3位:子供の学校行事
4位:料理
5位:家族サービス
6位:特にケンカしない
7位:身だしなみについて
A「このような結果が出ました。」
B「うーん。上位のはよく分かるけど。特にケンカしないが6位にあるって、ある意味大丈夫かな」
A「そうですね。ちなみに、この結果では3位までで全体の約90%を占めています。多くの夫婦ゲンカの原因がこれらであると言えます。」
B「うん。じゃ、次をみてみよう。」
「都内夫婦100組に聞きました。夫婦ゲンカのきっかけは?。」
1位:スプーンが汚れていた、汚れていないの言い合いから
2位:シャンプーの容器にボディソープが混入していた件
3位:使っていたスリッパを、ちょっとのすきに奪われた
4位:勝手にエアコンを弱に設定した
5位:耳かき使用後、ゴミ箱上でないのに、その先に息を吹きかけた
6位:スマッシュブラザーズが異様に強い
7位:その他
A「日本人はカレーの好きな人が多い分、深刻ですね。」
B「深刻だな。」
註:前回アンケート「TSUBAKIをどうぞ。」

君の名は

もうすぐで「世界樹の迷宮」というゲームの2が出る。
やりたくなるゲームなので楽しみなのだが、予約してなかった。
うーん、ざんねん。
ところでこのゲーム。
内容がレトロ感ありでテーブルトークみたいなのが人気だと思う。
しかし、それ以外にもポイントがあるとみた。
「登場人物に好きな名前がつけられる」。
この仕様だけで「購入」のボタンをクリックする人が30人はいるはずだ。
いつか「DSのファイナルファンタジー?は、固有の名前が付いていて、なんだかなー」ということを書いた。
ファミコンのときのそれは自由に名前がつけられたのだが、DS版では固有名が付いている。
DS版だってすごく面白かったのだが、好きな名前が付けられればなぁ、という気もする。
このように、ある種の人にとっては、好きな名前が付けられるというのは、重要。
好きな小説の登場人物。
クラスの好きな異性。
今まで飼ってきたペット。
そんな名前をつければ、ちょっとゲームが楽しくなる人たちだ。
一方、「むしろ名前つけるの面倒」という人もいる。
名前入力画面で何も入力せずにゲームを進めようとして、「名前を入力してください」とか言われ、カチンとくる人たちだ。
確かに、特別名前をつけることもない感じのときに名付けろと言われると、かなりめんどい。
ということで、この2人に将棋をやらせてみると、こうなる。
ぱちり。(いけ、フシギダネ(歩)!!)
ぱちり。
ぱちり。(進化だ、フシギダネ(歩)!!)
ぱちり。
ぱちり。(いい動きだ、よしひろ(歩)。)
ぱちり。
ぱちり。(逃げろ、フシギソウ(と金))
ぱちり。
あ!!。(よ、よしひろが・・・。)
・・・じゃまくさいな。
ちなみにチェスだと「クラスチェンジだ、?」とかなります。
ということで、あなたのとなりでサンドイッチを食べているあの人。
チョキとかグーに、名前を付けている人かも、し・れ・な・い・・・。
ちなみに僕がゲームキャラの命名をするとき、けっきょく何も浮かばないので、宇宙賃貸サルガッ荘(著・TAGRO)という漫画の登場人物からもらうことにしている。

一対と一個

一ヶ月前ほどに「一対のハンドグリッパー」のことを当ブログで書いた。
あけて、しまうのだろう・2
※ハンドグリッパー:にぎにぎして握力を高める装置
この「一対のハンドグリッパー」の記載をするとき、「一対」「一個」のどちらにするのかを迷った、ことを先ほど思い出した。
この違い、かなりの差だ。
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久々の終電。
既に家の明かりは消されているので、忍び足で居間に向かう。
お、テーブルの上に「なんか、料理皿の上に広げる傘みたいなヤツ」がある。
何か食べ物を作ってくれたのかな。
傘みたいなヤツを取り去ると、テーブルの上には
「一対のハンドグリッパー」
「一個のハンドグリッパー」
が・・・。
===========
上記の件、そうない事例ではあるが、考えてみよう。
もし「一対のハンドグリッパー」がテーブルに置いてあったとするならば、あなたは「なんや鍛えろいうことかい」と思うだろう。
「一対」であることで、ハンドグリッパーの役割を最大限にアピールしている。
一方「一個のハンドグリッパー」が置いてあったとすると、どうだろう。
最初は唖然とするだろうが、よく考えてみよう。
ちょっと、よく考えてみてもわからないのではないだろうか。
「いやがらせ」
「ジョーク」
「利き腕だけ鍛えろ」
「両手を鍛えろ」
「ハンドグリッパーにみぎひだりの差はあるかどうか、確かめろ」
「手羽先か何かと間違えた」
この、一個のハンドグリッパーに、どんなメッセージがこめられているのだろう・・・。
配偶者を起こさねばならぬ。
このくだん、「靴」に置き換えてみよう。
「一対」の方はこう変わるだけだろう。
「なんや明日これはいて行けいうことかい」。
しかし「一個」の方は以下だけになるのではないか。
「いやがらせ」
「ジョーク」
「高レベルの闇鍋跡」
靴は、一個だけでは靴の役割を全く持たないのだ。
しかし、ハンドグリッパーは一個でもそこそこ元の機能を失わない。
一般的にもともと一対が基本形のものが一個になってしまっていた場合はその機能を失うこととなるが、ハンドグリッパーについてはそこが結構ぼやけるようだ。
以上を熟考した上で、僕は「一対のハンドグリッパー」を採用した。
一個にしていて、そのことで疑問が生じたとしても、起こすものがいないのだ。

法定速度

テレビ番組のラスト。
画面下を、すごい勢いでスタッフ、提供の文字が流れていく。
どんだけ読ませないつもりなのだろうか。
読まれたらマズいことが書いてあるのだろうか。
気になるので目で追う。
ナンバーすら確認できない。

十六茶 × ロビン

当ブログに、半年に一回ほど取り上げられる「ロビンと100人の友達(Robin with his 100 friends)」の話。
PansonWorksというとこがやってる、キャラクタものだ。
それが今、十六茶のペットボトルサイズを買うとちっこいフィギュアがついてくるようす。
いつか挙げたけど、今までこのシリーズでちゃんと100人分、何かが出たことはない。
僕らはいつか「ロビンの風」が吹くのを待っているのだが・・・。
今回が、そうなのか・・・。
そして十六茶のフィギュアは、どのくらいの友達が出てくるのだろうか。
ということで調べていってみると、やたら「KinKi Kids」が出てくる。
どうやら、今回のフィギュアにはロビンの友達に混じり、Kinki Kidsの2人が参加しているようだ。
それを知らなかったので、フィギュア一覧を見ていて
「Koichiはクルマ好きか?」
「Tsuyoshiはフィッシングが好きなんだ?」
「ロビンは日本の友達が多いな?」
とか普通に感じていたよ。
ところで今回の件により、どうやらKoichiとTsuyoshiはロビンの101番目と102番目の友達になった、ということで間違いないようである。
ず、ずるいぞ!!。
僕だってなりたいわい!!。
僕はいままで、これほど自分が硝子の少年でないことを悲しんだことはない。
でも、たぶんKinKi Kidsはロビンのことをよく知ったから、友達になれたのだろう。
僕がロビンについて知っていることは、
発明がすき
ゲームがすき
グリーンティがすき
ということだけだ。
ん・・・すきなものだらけだな、ロビン。
十六茶は、どうなの?。
追記
フィギュアについてくるミニブックによると、
Koichiは、歌や踊り
Tsuyoshiは、歌やギター
が得意だそうだ。
なかなか秀逸な紹介文だと思うのだが、いかがだろう。

俺たちに他意はない

昨日、掲題の演劇を見に行ったことを書いた。
とてもおもろかったのだが、さきほど、演劇の最中にひとつ気になるキーワードが出てきていたのを思い出した。
「ブッシュマスター」
どうだろう。
だいたい2割の人はコイサンマン的なものを感じるのではないだろうか。
そして1割の人は毒ヘビという正答を思い、7割の人は興味を持たない。
劇ではこのブッシュマスターの毒を使って、川のさかなを獲るシーンを描いていた。ごめんここうそ。
ブッシュマスターの毒が登場し、人に注射したり、血清がどうこう言っていた。
僕は劇中、なんでブッシュマスターの毒が出てきたのか、気になってしょうがなかった。
劇の内容からすると、そこで使われる毒は特別ブッシュマスターのものでなくてもよさそうだった。
なぜ、なぜブッシュマスターなんだ・・・。
ちょっと名前カッコよすぎるだろ・・・。
それとも公演日別に「今日はブッシュマスターの毒で」「今日はアマガサヘビね」とか、変えていたんだろうか。
・・・なんや。
毒の強さ、攻撃性はさておき、ブッシュマスターの名前のカッコよさに比べて、なんや、アマガサヘビ。
まぁいい。
こんなように、日ごとに変えるくらいだったら、もはやヘビ毒にこだわる必要も無い。
「今日はヒョウモンダコ」「明日はボツリヌス」「最終日は三太夫」なのか。
「明日は生肉を食わせる」「醤油をじょうごで・・・」「石鹸をバターと偽って・・・」
・・・血清がどこかに行ってしまった。生肉の血清は難解だ。
まぁ、こう書いていてわかるのは、それほど毒に執着するこたないじゃないか、ブッシュマスターを選んだ役者さんや、今回の僕、ということだ。
ということで「俺たちに他意はない」。
ブッシュマスターの件では、相応に他意があったようである。

見に行く2

年末、シベリア少女鉄道の「俺たちに他意はない」を見に行った。
序盤は「なんか、劇としてどうなっちゃうんだろう」というような雰囲気だったが、後半はやたら盛り上がった。
漫画でしか見られないようなネタのたたみかけを、ちゃんとやっているので面白い。
前作「永遠かもしれない」が「男梅キャンディ」であったとすると、今回は「中にシュワシュワする粉末が入っているコーラキャンディ」となるだろうか。
ところですでに記したように、最初は盛り上がる場所など皆無。
資源としての有用性が見いだされていないころの海洋深層水みたいだった。
だいぶ徹底的にそういう場面をなくしたのだろうか。
しかし、後半は盛り上がる。
舞台の技法として、こういうのがあるのだろうか。
そういえば昔、ドラゴンクエスト6が出たときのファミ通評価で、誰かが「序盤の盛り上がりに欠けるが、中盤からは引き込まれるようにハマった」的なことを言っていた。
また、ライブなどで「最初は静かな曲ばかりだったけど、後半はアップテンポな曲で盛り上がりを見せた」みたいな話は多い。
やはり、こういうすえひろがりな技法があるのだ。
しりすぼみは、やだもんね。
それにしても問題は、僕が何でドラゴンクエストのくだりを今でも覚えていたかということ、この話が本当かどうかを確かめる術を持っていないことだ。

メモ

例えば、何かを思いついたときのメモだ。
思いついたからといって、喫茶店でいきなりメモをとり始めると、なんだかアヤしいのだ。
メモとしては「悟られずに背中にシールを張っていく男?。それなら平沢だ」とかいうよくわからないものでも、周りの人から見れば急に神経質にメモをとりだした男である。
油断ならない。
ということで、まずはコーヒーを飲みながら本を読み、その合間あいまにメモをとるのはどうだろうか。
周りの人も、これなら「本に何かいいことが書いてあったんだわ」となり、安心だ。
今日の僕はそうした。
本「イモムシは土の中に入ると、転じてサソリとなる」
メモ「トトロの一番小さい白いヤツの動き」
一挙両得だね。