すみれ組の危険物処理班

この間、ネプチューンの深夜番組で「ハリガネムシ」が取り上げられていました。
寄生虫が3度のトイレより好きな人は、ストーリー上に
「ハリガネムシ」
を確認すれば、必ず
「カマキリ」
「水辺」
「洗脳」
という、一連の「例のヤツ」を想像してしまうでしょう。
僕も、一番好きな花火が「へび花火」というだけあって、その番組は興味深く拝見させていただきました(ほぼ終わってたけど)。
でも、今日の話は幼少の頃。
ハリガネムシのことなんて、全く知らなかった、真っ白な頃・・・。
その日、僕と友人Aくんは、いつものように知らない人の家の庭に侵入していました。
なぜかというと、駄菓子屋さんみたいなところへの近道だったから。
本当に、子どもというのは良く分からない存在です。
そのときでも、子どもながらに「知らない人の家の庭に入ってはいけないのではないか」と気付いていたように思うのです。
でも、まさにその行為をやっているときでさえも、なんだかほわーんとしている。
自分は対象外、というか、まぁ、ほわーんなのです。
この「ほわーん」という、なんとも掴みにくい感じのものは、僕が知らない人の庭の池でヤゴを取りまくっていたときも、漫然と頭に霧をかけていたものです。
要は、この霧のような雰囲気が「してはいけないこと」であるはずなのですが、そんなものは「お菓子を買いにいく」「ヤゴを取る」と言った、子どもにとって「ニュース速報で全人類につたえなくてはならないもの」に匹敵する事件の前では、極めて儚いのです。
「やってはいけない、きまりごと」の尊厳、なし・・・。
大人が決まりごとをどうこうしているこの社会では、子供はその思想を根底から揺さぶる、精神的テロリストなのかも知れません。
大人はこのテロ行為に対して、「子供だからなぁ」とかいう感じで自己防衛するしかないのです。
よーし。
予定通りの脱ハリガネムシっぷり。
とにかく、僕はよく人の庭に侵入していました。
その日も、何のこともなしに通過するはずでした。
しかし、突然Aくんが庭にできていた水溜りを指差したのです。
「え、自分の顔が映っているって?」
・・・
もちろん、ハリガネムシを発見したのです。
明日へ。

病む二人

「一寸先は闇」という言葉があります。
何かいいことがあって、うかれ気味の人に使ってみよう。
その人はうかれすぎていて、空いたペットボトルを頭にポコポコ当てていたのに、その言葉を聞いたら、ペットボトルをくずかごに入れてしまうでしょう。
そして、
「・・・京都議定書、か・・・。」
とかつぶやくでしょう。
あなたは、ただうかれていただけの人を、なんとなく残念な気持ちにさせてしまったのです。
病むあなた。
でもだいじょうぶ。
つぶやいてる彼に
「一寸先花見」
と言ってあげましょう。
たぶん
「・・・駄洒落、か・・・。」
と言う。

「ありがとう」と 君に言われると なんだかアセりが生じるみたい

教習所で「サンキュー事故」というのをはじめて聞いた。
駐車場の入り口付近から出てきそうな車に対し「先にどうぞ」と車道側の車が待つ。
待たしては悪いと、駐車場側の車はあせりが生じたりするため、十分な注意を払わずに動き出す。
よって、歩道の自転車や対向車線の車への接触事故などを起こしてしまうことが多くなるわけだ。
このようなシーンのとき、駐車場側の運転手には様々な情報が流れ込んできてしまう。
上記に挙げた「相手を待たしている」という認識のほかに
・歩道に危険はないか。
・ゆずられた空間にはどれほど車体を入れることができるか
・縁石に乗らないで済むような角度で侵入しようとしているか。
・対向車線にどれほどはみ出るか。
・入ろうとしている場所の前の車は高価そうか。
・ゆずってくれた車の人は怖そうか。
・今日の前髪の調子はどうか。
これらを速やかに消化できる情報処理能力が必要となる。
雨の日は視界の悪さと最後に挙げた項目の重要性も手伝って、より大変だ。
僕の場合、だいたい上記をクリアして次のイベント「ハザードを付けてありがとうを伝える」前に脳内大騒ぎに達してしまう。
とにかくこういう場面では、車の運転はよりゆっくり、確実に安全を確認しなくてはいけない。
さもないとサンキューの後味が最悪になってしまう。
それにしてもネーミング。
ポジティブすぎやしないか。サンキュー事故。
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「お弁当買ってきたよ。」
「おー。ありがとー。」
「はい、これ。」
「・・・。鳥のから揚げが入ってるヤツって言ったのに・・・。」
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「こんな暗い話題の電話、夜更けまで聞いてくれて、ありがとね・・・。」
「・・・うん・・・。」
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「故あって逃げなくちゃいけないけど、ここにいて本当に楽しかった。今までかくまってくれて、サンキュ!!。」
「えー・・・。」
以上、サンキュー三段。

ドーナツが、おいしい。

ずいぶん昔になるけど、友達の家に誘われたとき、ドーナツを持っていったことがあります。
ダンキンドーナツ。
最近は全く見なくなりましたが、昔はミスタードーナツとフォッサマグナを境に、ドーナツ大国日本を二分。
ドーナツ化現象に拍車をかけていた店だ。
包みを見た友達が、
「あれ、それ。どうしたの?。」
なんや。
僕がみやげ持ってきたんが、めずらしい言いたいんか。
と思ったけど、当時は寛大さでならしていたので許す。
そして一言。
「あぁ、うちの近くにミスタードーナツできたから。」
なんとなく選ばれた言葉。
友達のリアクションの速さを試すためでもなし。
うちに近くにミスタードーナツができてもなし。
でも、この一言が、日本ドーナツ界がミスタードーナツばかりになってしまった原因であることは間違いないと思うのです。

「・・・あれは事故だったんです。」

お父さん「おい、母さん。このカラフルなピーマン、おいしそうだな。」
お母さん「やぁねぇ。これ、作り物よ。」
お父さん「えっ、そうなの。良くできているなぁ。」
お母さん「パプリカのレプリカね」
お父さん「か、母さん。今、なんて。」
お母さん「そのピーマン、パプリカって言うのよ。そのレプリカ。」
お父さん「ぱ、パプリカのレプリカ・・・。ふ・・・ふふ・・・」
お母さん「お父さん?。」
お父さん「・・・ぶふっ、ふっ、ふあっはっはっは!!」
お母さん「どうしたの?。」
お父さん「お、お前、面白くないのか?。ぱ、パプリカのレプリカ!!」
お母さん「確かにダジャレっぽいですけど・・・。」
お父さん「は、半濁音、半濁音!!」
お母さん「ふふ・・・、何度も聞いていると、確かに・・・。」
お父さん「ふー、ふー・・・、く、苦しい・・・ひっ、ひっ・・・。」
お母さん「ふふ、ふふふふ・・・。はぁ、お父さん、笑いすぎ。」
お父さん「はぁ、はぁ。こ、これは面白いぞ。」
お母さん「そうですね。」
お父さん「みんなに教えてあげよう。旋風を巻き起こすぞ。」
お母さん「誰から試してみましょうか。」
お父さん「その前に、もう一回、言ってみてくれるかね。」
お母さん「ぱ、パプリカのレプ、レプリカ・・・」
お父さん「パプリカのレプリカ???!!!。はーっはっは!!」
お母さん「はっはっはっ!!」
お父さん「パプリカのレプリカ???!!!。はーっはっは!!」
お母さん「はっはっはっ!!」
お父さん「はーっはっはっ。はぁはぁ、く、苦しい・・・ふふふ。」
お母さん「ふふふ。」
お父さん「ふ、ふははは・・・、はぁはぁ・・・、ふうー・・・。」
お母さん「お父さんったら、ほんとに笑いすぎね。」
お父さん「・・・・・・・。」
お母さん「・・・・・・お父さん?。」
お父さん「・・・・・・・。」
お母さん「・・・し、死んでる!!」

くじかれるのは鼻先から

「冷え性は足先から」らしい。
僕は冷え性ではないので、その辺のつらさが分からないのですが、なかなか体が温まらないのは、寝るとき大変そう。
でも、僕が最初に思ったのは、「大変そう」ということではなく、
「さみしさは指先から」という謎コピーでした。
お。
何かうまいこと言ったんじゃない?。
それとも最近このブログに書いたような「油断」かな?。
4/7俺の後ろには、立つな。その1
でも、冷え性の話をしていて「さみしさは指先からだよね?。」とかいう友達がいたら、やだ。
もしくはその意図をいろいろ考えてみて、やだにたどり着く。
ちょっと、へんだ。
僕が人よりもへんな点を考えてみたところ、「ばかっ毛を引っ張って遊ぶというクセ」が思い当たりました。
それと関連があるのか・・・。
ちょうど何かのツボ部分にばかっ毛があるとすると、かなりの回数、刺激しているはず。
確認方法としては、抜毛したら冷え性について真剣に考えるようになるかどうかを見たらいいかもしれない。
でも、「ばかっ毛を引っ張って遊ぶ」ことができなくなるくらいなら、僕は「さみしさは指先からだよね?。」と言ってしまう方を選んでしまうのです。

律速段階その2

あらすじ
夏に雪合戦的なことがやりたかったので、水風船による模擬ゲームを開催。
「蛇口」という補給ポイントを抑えるという戦略を構築。
小学生のあかしである奇声で、その火ぶたは切っておとされた!!。
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開始早々、蛇口に向かう7942とA!!。
そして対戦者であるBとC!!。
蛇口付近であいまみえる2チーム!!。
・・・
やっとゲームが既に破綻していることを悟ったので、とりあえず100個分の水風船を前もって作っておくことに。
それを50こづつに分け、再び拠点に戻る。
いく。
いくぜ。
出来上がっている水風船50個を目の前にした小学生は危険だ。
何をしでかすか分からない精神状態だ(何をしでかすかは分かっているが)。
そして、あらためてゲーム開始!!。
・・・
みなさん。
水風船50個をかいかぶってはいけない。
だいたい30秒。
30秒で投げきってしまうのである。
また、あまり遠くから投げても当たらないので、結局は拠点から離れなければならない。
中距離戦だ。
前線と拠点を行き来すること十数回。
そして、すぐ弾が切れたことに気付く。
しかし、2チームの周りには割れていない水風船が!!。
それを投げるが、やはりすぐなくなる。
やや、見ろ相棒。
相手チームの近くに、まだ割れていない弾があるではないか。
いくぞ、相棒。
こんな流れで、1分後には超接近戦になってしまうのである。
奇声から一分後。
色とりどりの割れた水風船が散乱する中、びしょ濡れの4人組。
彼らの心中に去来するものは、もちろんスタンドバイミー的なものではなかった。
雪はいいなぁ。
残弾のことは気にしなくてもいいから。
降りさえすれば、周りに無限にあるもんだからな。
もちろん水だって、蛇口をひねれば絶え間なく流れ出るのだ。
これらの無限をゲームにおいて有限に変えたのは、水風船の数であり、僕らのおこづかいだった。
こんな経験をしているから。
雪が降らないことは、僕は人よりも少し多く、ざんねんなのだ。

律速段階その1

雪合戦が楽しいことは、誰だって知ってる。
問題は、人数だ。
複数人いればできるけど、2人だとちょっと寂しい。
小学校などでは、雪の日は一大イベントとなる。
雪合戦が楽しいことは知っていたけど内向的な僕は、人を集められるカリスマ性を持つヤツが、雪合戦を言い出さないかと考えたものだ。
そんなある日、雪合戦の魅力が内向という壁を瓦解させた瞬間があった。
夏。
夏だったよ。
だけど、どうしても危険性の少ないボール的なものを投げ合って、それを避けたりして楽しみたい!、と思った。
仕方がないので水風船を100個くらい購入。
2対2のデイゲーム。
いつもの公園で待つは、言いだしっぺnimbus7942と参謀Aくん。
滑り台要塞で守りは万全だ。
対するは、ぶっちゃけ覚えていないB、Cくん。
残念ながら女子でないことだけは確かだ。
ジャングルジムを拠点にするとは、おろかな奴らだ。
ついに。
ついに、危険性の少ないボール的なものを投げ合うことができる。
と、興奮のさなか、Aくんが
「蛇口付近をおさえるべきだ。」との意見。
ナイス参謀、A。
取るべきストラテジーも決まり、あとはゲームをするだけだ。
そして、ついにゲーム開始の奇声が発せられた!!。
ごめん。
とにかく時間がないのでつづく。

創造事故

人は、創造する。
どんなに創造できないと思われるタイミングでも。
創造を忘れた人は、ブーである。
いつごろだったか。
連日大忙しで、疲れ果てていたとき。
自宅について自転車に鍵をかけたとき、自然と口にしていた。
「あぁ、もう、つかれんチョフ書記長だよ・・・。」
「疲れた」 + 「ゴルバチョフ書記長」なのだが、なのだがで片付けられないほど、「 + 」してはいけない2つだ。
何がいけないかって、とにかく単位が違う。
単位が異なるものを単純に比較してはいけないのである。
ただ、生み出した私の親心というわけではないが、口にしてみるとちょっと幸せになるような気もする。
どちらにしても。
もてあますような創造をした人は、ブーである。