「そんなことするなら、プールで釣りしていたほうがマシだ!!」
こんな言葉を考えましたが、近いことができるところはあるらしい。
それに、結構検索でひっかかる。
ということで
「そんなことするなら、水溜りで釣りしていたほうがマシだ!!」
これは、検索するまでもなく、多いかな。
ということで、
「そんなことするなら、ビルの屋上から毛鉤垂らしていたほうがマシだ!!」
ということになりました。
思いがけない釣果が期待できるし。
カテゴリー: 雑文
凪
現在保持している話は、長くてめんどいので、今回はどうしようかと書きあぐねている。
さて、管理者ページを今見ているわけだが、ここでできる、ほとんどの機能を、僕は知らない。
例えばこのページの上の方に「トラックバックテーマ」というものがあり、見るものに「あなたは猫派?、それとも犬派?」みたいな選択を求めてくる。
何かレスポンスすると、知り合いが増えたりするのだろうか。
それはとっても、いいこと。
でも、今日のテーマはどうも違うことが気になる。
今日のテーマは「あなたは使い捨て傘派?ちゃんとした傘派?」だそうだ。
そもそも傘に使い捨てがあるという認識が無かったのだが、それよりも際立つのは、以下2点である。
・語呂の悪さ
・ちゃんとした傘の呼び方
「ツカイステカサハ」
個人的には、だいぶな語呂の悪さである。
ビニール傘と書くにはいかなかったのかもしれない。
僕だって、こう言う以外に、どう言い回せばいいのか、わからない。
ただ、なんとも、慣れ親しんだ言葉から構成されたものという感じがしない。
文字を見ないで棒読みを聞かされたのち、誰かに「アイヌ語で獲物を見つけたぞ、という意味です」とか言われても納得してしまうような気がする。
また、「ちゃんとした傘の呼び方」である。
気にも留めなかったことだが、「全体:傘」に対する「部分:使い捨て傘」。
それ以外の部分の傘はなんと呼べばいいのだろうか。
ある程度、その範疇を捕らえたものとしては「透明でない傘」ではないだろうか。
ただ、「あなたは使い捨て傘派?透明でない傘派?」とやってみると、逆に「使い捨て傘」の言い回しに「大人の都合」みたいなものを感じてしまう。
それに、そもそも傘の印象は、人それぞれだよ的な部分がある。
ある傘について、誰かは使い捨てだ、と思っていても、一方はちゃんとしたものだ、という風になってしまう。
俺の傘は、ちゃんとしているのだろうか・・・。
この悩みは、なかなか哲学的に発展もしくは退行しそうだ。
ということで「あなたは使い捨て傘派?ちゃんとした傘派?」。
これだけ触れたのに、結局何もレスポンスしない管理者の行うこのブログは、今日も凪だ。
はだか3
前回からのつづきです。
【あらすじ】
全裸のマズイ点は、やっぱアレがあーなるところだよね。
だが、僕はもうひとつ、マズイ点を全裸に感じている。
それは「全裸のほうが特殊」ということだ。
例えば「ヌーディストビーチ」。
これは、普通の海水浴場は「着用者ビーチ」であるということだが、もちろんそうは言われず、あくまでヌーディの方が特別扱いだ。
どんなに普遍的にヌーディたちが闊歩しようと、それはまだ特別なのだ。
前回触れた「全裸を楽しむ人々」を考えてみよう。
「裸で何が悪い」
彼らの顔をよく見ると、そんなことを言っているような気がする。
この意思は一見、彼らの意図と同調していそうだ。
しかし本来、彼らの行動には「裸で何が悪い」ということ自体があってはいけないはずである。
彼らの行動の真実は「スーツを着て歩いていたら、なんだか知らないけど脱げていってしまって、最終的に裸になりました。」くらいの自然さを帯びるはずだ。
しかし彼らは、誰かに、何かに「裸で何が悪いんだ、あ?」と言ってしまっている。
着用者が気付きもしない何かに、身構えてしまったのである。
そして、着用者からみて、そんな彼らは特殊である。
このように、全裸は全開で、特殊で、マズイ。
この時代はなんだかんだいって、まだ着用の時代なのである。
追記
でも、いいところだってあるんだぞ!、という方もいるはずだ。
確かにそうだ。
全裸でふとんに入るのは、気持ちいいし。
だから、半そでをちょっと長めに着るなどして、少しずつ社会に全裸をならしていくといい。
性急な発展は、破滅を招くらしいし。
はだか2
昨日からのつづき。
【あらすじ】
全裸。
ところで昨日、裸祭りに触れ「なんだかわからんが全裸はマズイ」と書いた。
何がマズイのだろうか。
2?3日前までは、ヴィーナス像のフォトグラフが検閲にひっかかり投獄される編集者が絶えなかった日本だが、今ではポスターやメディアなどで「ヌーディストビーチ」なるものに触れることができる、いい時代になってきた。
また「裸で何が悪い」といった趣で、全裸を楽しむ人々もいるらしい。
しかし、だからといって、街中を全裸で歩くものは猫や昆虫類くらいしかいないし、それを強要されることもない。
やはり、何かがマズイのだ。
まず思いつくのが、全裸は人体の秘宝館が全開になっている、という点だろう。
我々は他の生物と同様、いくつかのホットスポットを有しているが、コイツが全開ともなると、ちょっと社会生活に支障をきたしそうだ。
と、これでもう、十分な説明となるだろう。
この理由により、我々は、自らの神秘珍々ニコニコ園を隠蔽するのだ。
次回、もうひとつのマズイ点。
はだか
もうほとぼりも冷めたと思うので、裸祭りについてだ。
実は今でも、何がそんなに話題になったのか、知らないのだが、とにかく全裸がマズイ、という話だろう。
何気にみんな内心思っていたのではないだろうか。
「メガネさえかけていれば、全裸じゃないのに・・・」
異論はあるだろうが、僕はそう思う。
ただ、メガネをかけているということによって、全裸が醸し出す何かがキレイに無くなる、ということではない。
むしろ、人によっては、その何かが増大しているような印象を受けるかもしれない。
ただ、とにかく全裸ではない、ということである。
このような考え方をすると、全裸というものをクリアするには、かなりの項目をチェックしなければならない。
例えばアクセサリをつけている人は、全裸ではない。
銀歯のある人は、半永久的に全裸にはなれないだろう。
髪を染めている人も無理かもしれない。
社会人はおのずと、全裸になれないようになっていくのである。
明日へ。
遅検閲
舌が、酸味等で腐敗したものを感知し、食べないようにするための器官であるなら、それが口の中にあるのはちょっとへんだ。
そんなことを飲み会の帰り、考えた。
口の中と言えば、食物たちが栄養になるための、最初の通過地点だ。
僕なりの考えだが、腐ったものはここに入る前にチェックされていた方がいいと思う。
「あれ、なんかすっぱいぞ・・・。しまった、腐ってたか。」
この時点で、いくらかの腐敗チウムが体内に取り込まれていると思われる。
もっと先に、腐敗していることを教えてくれよ、舌!!。
でも、舌としては食物をうまく食道へ運んだり、つまったものをぐりぐりしたり、もちろん味もわかるし、触感とかも感知できるよ、と言いたいところだろう。
よって、まぁ舌のことは許してあげて、対象物を食べられるか、判別できる器官が、別途必要となる。
まずは指先だ。
いつか指先で味を感じる話をしたかもしれない。
食材に触れるだけでなんとなく味がわかるため、腐敗や辛味で口内を脅かされることが無くなる。
ただし、指にそんなのがあると、例えば電車のてすりには誰も触らなくなりそう。
お金もあまりいじりたくなりそうだし、握手なんてのはより始原的な意味合いを持ちそうだ。
ということで、指先で味を感じ取ることができる世界には、触るところに前もってシトラスの味などを付加することのできる、リップクリームのような商品があるだろう。
手袋も売れるが、一応指先は出てないと役に立たないため、ライダーがしてそうな指先ちょんぎれ手袋だろう。
次にほっぺ。
食物を口に入れる前に、一旦そのそばにあるほっぺに触れされるのだ。
みんな、幼稚園児のナポリタン食事風景になること、うけあいである。
わきの下なんて、どうだろう。
この世界の認識では、ちょっと汚げだ。
だが、実際にそこに味蕾的なものがあったりした場合、そこに飴玉等を仕込むことで、いつも甘みを感じていることができるというメリットもある。
・・・ラッコかなにかか、おまえは。
ということを考えていると、むしろ舌にとって味覚は最重要機能ではなく、嚥下等の補助の意味合いが強い器官であった、とか言えそうだ。
さっきは攻めたりして、ごめんな舌。
僕は、そんなお前で虫歯をつつくのが、大好きなことを、今思い出したよ。
仙人はいそがしく。 2
昨日からのつづき。
【あらすじ】
フルーツ紅茶というものを飲んだが、ほぼオレンジだった。
紅茶、負けるな。
「オレンジよりも強い茶葉」を求める、机上の旅路へ。
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オレンジよりも強い茶葉は、いずこに。
ひとつ言えるのは、そこらの茶葉ではオレンジに負けてしまう可能性が高い、という点である。
そうでなかったら、フルーツ紅茶は、もっと紅茶紅茶しているはずだから。
よって、強い茶葉は秘境にあるに違いない。
ここで自動販売機から席に戻った我々は、恐らくその秘境とは、ギアナ高地か中国の山奥の方、であると断定する。
秘境といえばギアナ高地か中国の山奥の方。
万人が納得のチョイスである。
ところで、強い茶葉。
ギアナ高地や中国の山奥の方にあるようなのだが、その入手は困難を極めるにちがいない。
なんたって秘境なのだから、常人には無理だ。
しかし、我々は「フルーツ紅茶」を美味しくしなければならない。
秘境の強茶葉を取得する必要があるのだ。
ということで、仙人の登場である。
「仙人に茶葉を取ってきてもらうのがよいのではないか。」
仲間の一人が優れた意見を出した。
この世には70億に迫る人間が存在するという。
そのうちの1人がギアナ仙人でも、おかしくはない。
この際、「私はギアナで仙人をしています。」とバーなどで語るだけでも、そうであるとしよう。
しかし、この仙人委託案は暗礁に乗り上げる。
「仙人への謝礼は、どうするべきか。」である。
もちろん、無償でやってもらえるかもしれないが、そこはギブアンドテイク。
安定した強茶葉の供給には、そういう関係があったほうがいいのだ。
しかし、相手は仙人である。
あの仙人。
くねくねした杖の似合う仙人。
あごひげが長いので、いつもがけっぷちに立っていると噂の仙人。
山に隠って暇なので、いくつものけもの道を作って遊ぶような仙人。
何かを欲することがあるだろうか。
山吹色の菓子折りなども、効果が無いだろう。
ここで我々のひとりが、「仙人は霞を食う」という噂があることを思い出した。
何かの比喩かもしれないが、とにかく食うという。
考えるに、霞は食べるのにすごく時間のかかりそうなものである。
よって、これを濃縮したものは、仙人にとって霞を食べる時間を大幅に短縮するものではないだろうか。
これを強茶葉と交換するようにすれば、我々は強茶葉を入手でき、仙人は長い食事から開放されることとなる。
万事解決である。
ということで「フルーツ紅茶の会社は、六甲のおいしい水とかを用意しておいてもらいたい」。
率直でない空論である。
仙人はいそがしく。 1
「フルーツ紅茶」。
発端である。
まず我々は、この飲料に使われているフルーツが「オレンジ」であることを確認した。
「なぜオレンジ紅茶と言わないのか。」
率直な感想である。
そして、我々はその飲料に26%のオレンジ果汁が含まれており、それが「紅茶と果汁の黄金比」であると書かれているのを確認した。
「25%でいいやん…。」
半端な数字は、そうでないものよりも印象を深く与える。
「紅茶と果汁の黄金率を実験したら、こんな半端な数字でした。ちゃんと実験した感じがするでしょ?」
率直な感想である。
さらに我々は、その飲料を口に含み、ほぼオレンジジュースであることを確認する。
「オ、オレンジジュースや…。26%しかオレンジ入っていないのに、紅茶が無い・・・。」
「ということは、紅茶よりもオレンジの方が4倍くらい強いんだな。」
正確な意見である。
こうして我々は「オレンジよりも強い茶葉」を机上で求めることとなった。
つづく。
直射による、ひきわり。
最近、ちょっと面白いのではないか、と思っていることがある。
ある商品を手に取り、そこに書かれている単語をひとつ、選ぶ。
そして被題者(?)に対して、その単語がどのように使用されているかを問うのだ。
例えば「缶コーヒー」には、その商品のどこかに「直射」という言葉が使われている。
「直射日光を避けて・・・」という、例の警告文を思い出せなかったら、ちょっと「直射」と缶コーヒーは結びつかない。
どちらかというと「直射」は缶コーヒーではなくビームであり、ぎりぎりデカビタCなら許せる、と思う。
まぁ、とにかくそういうことだ。
例えばスナック菓子に、上の例を当てはめてみよう。
もしその商品の裏などに「ひきわり」という言葉が記載されていたら、それはすごく今回の問題に沿うお話となる。
「この商品はひきわり納豆とは全く関係ございません」
こんなことが書かれているスナック菓子を見たことがないが、このように意外性があるものは映え、これをクイズっぽくすることで、ちょっとした知識欲も満たせよう。
ところで気になるのは、このスナック菓子とひきわり納豆との関係である。
昔、因縁があったようで、それはいい方向のものではなさそうだ。
何かの拍子にひきわり納豆として豆腐の横に並べられてしまったのだろうか。
そしてお客さんからクレームが。
「ひきわり納豆だと思っていたら、スナック菓子でした」
メーカーが注意書きを記載するのも、無理はない。
このように、ちょっと意外性のあるコメントがちょっと気になるモンスターハンター日和である。
やる気
サスペンスドラマの「やる気」を計る方法があることに気付いた。
だいたいドラマ冒頭に起こる、「飛び降り」シーンだ。
あのとき、飛び降り本人がもう人形で表現されており、直立の姿勢で落ちていたら、ちょっとやる気ない。
役者さん本人がビル背景に合成され、「うわー!!」の表情がわかるようなら、やる気ある。
言い換えると、直立した人形が落ちるシーンは、むしろ無い方がいいと思う。
もちろん、やたらリアルでも困ってしまうが。
というか、そもそも飛び降りシーンはどれほど需要があるのだ?。
あれがどれほどドラマに彩りを与えるのか。
とかいって、無かったら無かったで、「なんか物足りない」とかなったりして。
今回は、ただの視聴者の文句である。