車後の狩猟本能

人にまだ狩猟本能というものがあるとしたら、それはただ胸のうちに秘められ続けるものなのだろうか。
風に舞うビニール袋を見つけると、思わず踏みつけたくならないか?。
本気でちょうちょを追ってみたいだろう?。
アマゾン奥地に生息する珍獣「アルトバイエルン」は、君に捕獲されるのを待っているぞ。
老山龍の天鱗がなかなか手に入らないのに、何度もゲームをしてしまうだろう?。
こんなふうにして、僕らの狩猟本能は日常生活においても見え隠れする、グラビアアイドルのなにかのような性質を持つ。
そしてそれは「混雑する駅の改札口」でも見られるもの。
改札から出るとき。
僕らの改札口ターゲティングはだいたいそれの15mくらい前から始まっている。
出る用の改札口は右、左のどちらに固まっているのか。
一見出る用でも、入る側からも利用できる、トラップ口でないか。
前に使用した人が遮へい板にひっかかっていないか。
使えそうな改札口でも、実はきっぷ入れ口が塞がっているのではないか。
人の流れが集中しやすい口を選ぼうとしていないか。
野口五郎が待っていやしないか。
遮へい板にトリモチがついていないか。
定期が正しく認識されなかったとき、遮へい板が前後に出現するタイプじゃないか。
・・・遮へい板、いじりすぎだね。
車後の狩猟本能、おわり。

やさしい報告。

アニメや小説は、景気よく大事故が起こったりする。
もちろんそれはその物語上、必要であるから起こるのであって、そうでないものはあまりないだろう。
落ちこぼれ学生達が、鳥人間コンテスト優勝を目指す。
しかし、会場に向かう途中、橋げた落下の大惨事が!!。
「な、なぜこんなことに・・・。」
物語とその作者に問いかけたい人、急増である。
ところで、そんなシーンについて、例えば現場の記者がこんなフレーズを使うことがある。
「さいわい死傷者ゼロのですが?。」
物語上、その事故の死傷者数が最重要キーになっていることはほとんど無いはずである。
しかし、記者は紙面もしくは放送時間を割き、言った。
「さいわい死傷者ゼロのですが?。」
記者が言った、ということ。
それは作者がそう言わせたのであって、その意図は「事故はあったが、物語とはいえ、死者を出したくなかった。」に他ならない。
物語進行に対する影響はさておき。
ちょっと、作者のやさしさを感じるのである。

2次会は何故花見に。

ある飲み会に遅れてしまった。
「もう、2次会始まるくらいじゃない?」
一緒だった人と、そんなことを喋っていた。
「ところで、2次会がなぜか花見だったら、どうする?」
暇なので、そんな憶測をしてみた。
この話は、花見のシーズンのころだったのだ。
「なんだかんだいって、まだ寒いよね。」
「そもそも、なんで2次会が花見に?。」
僕が思うに、どこも居酒屋がとれなくて、後はもう屋外かマクドナルドか、くらいの状態だったのでは、と思う。
これでは、マクドナルドに迷惑をかけるわけにもいかないので、花見を選択するだろう。
ただし、2次会に関する選択肢に「2次会を行わない」があるのに、花見が選択されてしまった理由は気になるところだ。
「だるいよ。帰ろ。」
このフレーズさえ、誰かが発すれば、みんな帰ることができたのかもしれないのに。
・・・どうやら、だるさよりも今年の桜がきれいだったことが強かったのだろう。
はれて、その人との間では、2次会は花見となった。

コメントの解答

昨日、お祝いの席でのコメントについて書いた。
これも数日前に書いたが、僕が人前でしゃべるときは
何も考えずにしゃべる→余計なことをいい、怒られ反省する。
考えてしゃべる→聞くほうもしゃべるほうもつまらない。
という、いいこと全くなしの状態になることが多い。
先日のお祝いコメントはほぼ「何も考えずにしゃべる」だった。
あのあと、「こうしたらいいんじゃないか」というのをメモっていた(!!)ので、それを書いてみる。
「お祝いの品として、マリオカートのハンドルを渡す。」
??????????????
えー、僕は○○さん(祝われ者)の後輩のnimbusと申します。
以前より大変お世話になりまして、まぁこうめでたいことになりましたので、ここにいる仲間とともにプレゼントを贈ろうか、ということでひとつ、ご機嫌をうかがおうかというしだいでして。
はい。
まず、ここにいる、○○さんにお世話になったメンバの紹介を少しだけしたいと思います。
えー、向こうから、小遊三。
小遊三は昔、○○さんと道に落ちていたざくろを食べたことがあるそうです。
次に好楽。
好楽は全裸愛好会という団体に所属しておりまして、彼の歩いた後には彼の衣服しか残されていないという、ハイクオリティな性癖の持ち主でございます。
次が昇太ですね、
昇太は誰よりも早く、CDのラップをはがすことができるという特技を持っております。
最後が歌丸。
見た目まんまですね。
はい、こうして○○さんのお祝いということで、オールキャストでお送りしておりますが、あいにく私の、プレゼントを持つ手がだれてまいりました。
このプレゼントをお渡しすることで、感謝とお祝いの礼とさせていただきます。
??????????????
僕はこれから小一時間、自己嫌悪でアメトークを見ても笑えないだろう。

コメントの実践

昨日からのつづき。
【あらすじ】
多くの人の面前で、お祝品を手渡すことに。
===============
「お祝いの品として、マリオカートのハンドルを渡す。」
以下、僕がマイクを手にしてしゃべった内容(ほとんど覚えてないかつこんなに流暢でない)である。
??????????????
えー、僕は○○さん(祝われ者)の後輩のnimbusと申します。
以前より大変お世話になりまして、まぁこうめでたいことになりましたので、
ここにいる仲間とともにプレゼントを贈ろうか、ということでひとつ、ご機嫌をうかがおうかというしだいでして。
はい。
実はここにありますのはマリオカートのハンドルでして、本体はもうお住まいの方に郵送していまして、まぁこうハンドルだけを
渡す、そんな具合でございます。
さて、本来ならばこのプレゼントを渡すだけでなく、ここで僕のモノマネナンバーの十八番である、「ハッピーバースデーをケネディに歌う、マリリンモンロー」をやるところではありますが、時間もどうこう、ということで、控えさせていただきます。
ということで、プレゼントの方をお渡しいたします。
これからの人生も、うまいハンドルさばきで安全運転。
一同願っております。
??????????????
僕がいつも後悔することのひとつは「素人なんだから、別にオリジナリティを発揮する必要は無い」ということ。
このコメントだって、少なくともマリリンのくだりは生まれたての小鹿で十分のはずだ。
マリリンのことを話す数秒前まで「マリリンは、わからんやろ・・・」と思っていたが、言ってしまった。
そのときは、実は結構盛り上がっていただけた。
結局やらなかったので、色々な人からお叱りを受けた。
そりゃあ色々な人から、だ。
でも僕は知っている。
「結局、みんなそれほどマリリンのまねは、見たくない」だ。
その点、ハンドルさばき云々はスマートな気がするが、いかんせん落ち着きすぎだ。
まぁ、とにかくこのコメントにて、様々な人からダメダシを受けた。
「何もいわずにハンドルだけ渡したほうがよかった。」
「前置き長い」
「マイク持つと全てダメ」
等。
何故なんだ!?。
なぜ俺にみんな、笑いに対する厳しいアドバイスをくださるのだ!?。
そんなみんなは僕が「何がおもしろいことなのか、わからなくなってきた」という愚痴を聞いていた輩だ。
感謝である。
そしてその感謝をかみしめつつ、僕は小一時間、自己嫌悪ですごい形相になっていたはずだ。

コメントの2

昨日からのつづき。
【あらすじ】
多くの人の面前で、お祝品を手渡すことに。
===============
渡す品が今、こうして目の前にある。
「wiiマリオカートのハンドル」だ。
これは、この会での主役、祝われている方(何て言うんだ、ひとことだと。)のリクエストであり、ゲーム機本体等はすでに郵送されている。
まぁ、現場でも何か手渡したいね、みたいな感じになり、これだけを用意していたわけだ。
ところで、このいきさつを知っていても、「お祝いの品がマリオカートのハンドル」というのはなかなかいい。
気にいっている。
ほとぼり(なにかの)のさめた頃、「マリオカートのハンドルを送られた人は、そう。買った新車が自宅に送られてきたときのような感動が、少しでも味わえるのだろうか」というのを書こうかと思っていた。
だが「買った新車が自宅に送られてきたとき」というのを一言で表せる言葉がどうしても思い出せなかった。
それが気になって、なんとなく書かないでいた。
確か、あるはずなのだ、「買った新車が自宅に送られてきたとき」を表す日本語が。
「入庫日」とか、「新入日」みたいの。
何なんだったろうか。
「新車到着日」は長いし、なんとなく「そんな日、記念日みたいな名前つけないでいいやん」という感じだ。
勘違いなのか、誰かの造語なのか・・・。
…まぁいい。
僕的には、冒頭のほとぼりも、入庫日のほとぼりも、既にさめたのだった。
つづく

コメント

あるお祝いの席にて、その会の主役、祝われ者に対してプレゼントを渡すことになった。
急遽その事が決まった。
けっこう多くの人たちの面前で行わなければならない。
僕はたいてい、おもろいことを言おうと努力している人間だが、それゆえに余計なことを口にすることが多い。
一方、そのおもろいことを客観的に見てみると、何か考えてからしゃべるときは、必ずつまらないことを言っている気がする。
よって、
何も考えずにしゃべる→余計なことをいい、怒られ反省する。
考えてしゃべる→聞くほうもしゃべるほうもつまらない。
ということになる。
僕は少しの笑いを得るために、人より多くの何かを失う、パフォーマンスの悪い生物と言える。
もしかしたら酸素も人より多く消費しているかもしれないし、人より多く座席ゾーンを有しなくては座れないかもしれない。
人よりもかぜ薬量が多くなくては効かないかもしれないし、ルーだってより多く消費しなくては、おいしいと感じることができないかもしれない。
僕がこういう流れで何かおもろいことを口にしたあと、小一時間ほど自己嫌悪に悩まされるのには、こういう理由があるようだ。
そういえば、今もそんな心持ちだ。
つづく。

奥深い本

「奥の深い本です!!」
本屋さんで、こんなポップを見るとすごく挑戦的な感じがします。
個人的な意見ですが、本を読んでどうこう、というのは、その内容が主観的であったり、かなり強烈に方向付けされていたとしても、100%読み手依存。
「奥の深い本です!!」は、あたかも「この本奥深いんだけど、お前にわかるかなぁ?」と言っている気がするのです。
例えば、本の文中に
「これだけ削りくずがあっては、さすがにメンボクナイ!!、ということで、さっそくスイッチを2回押したのであります。」
というくだりがあったとして。
人によってどうとらえるかは千差万別。
この文で
「削りカスと書かずに削りくずと書いたのは何故だろう?」
ということに気付いてもいいし、
「スイッチ、2回。」
だけを重要視してもいい。
「カタカナを使うな、カタカナを。古くさい。」
と思ってもいいし、
「過去を懐かしむ気持ちも「生」に対してみると、明らかな負の衝動である。」
ということがわかってもいい。
もし、この文に奥深いものがあるとしても、それは切れ込んだ崖のようなものでなく、見渡す限り、平坦なはず。
「奥の深い本です!!」という本を、奥深いものを探すように読んでしまっては、イカンのかもしれないです。
ちなみに僕が例文を読んだとしたら、とりあえずそこ周辺を読み返します。
ちょっと、衝撃的ですから。
例文。

混み

電車に乗っていると、こんなアナウンスが流れた。
「現在、前3両が大変込み合っております。なかほどの車両は空いていますので・・・」みたいなのだ。
な、なんでわかったんだ運転のひと!!。
おそらく
・その時間帯は、昇降口の関係上、だいたいそこが込んでしまうことがわかっている。
・見てた。
・車掌が見てた。
だろう。
じゃあ、おそらくじゃないほう。
・ブレーキの効きが良すぎている。
・チョロQの逆みたくなっている。
・呼気の二酸化炭素量を計測する装置が各車両に実装されている。
・前とまった駅のホームが「なかほど」部分のない、有名なホームだった。
・もれた客が申し訳なさそうに運転席にいた。
・湯気が出ていた。
・前3両がほぼ円筒形になっていた。
じゃあ僕は、おそらくの方で。

電子辞書

昨今の「電子辞書における大艦巨砲主義」の肥大がはなはだしい。
以前は国語辞書と英語関連くらいで、もちろんそれに特化したものもあるようだ。
しかし、特に総合的な機種においては辞書関連がそれぞれ2?3種類、そのほか料理や薬など、途方も無い情報がつまっている。
電子辞書開発陣は、もう5年くらい前には気付いていたのではないか。
「もう、特に入れるもん、なくね?」
でも、せっかくなので、さらに色々入れた。
すごく入れた。
最近はワンセグ見れたりもしちゃった。
そしてこれから。
おそらく昆虫図鑑ときのこ図鑑が入る。
お経が入る。
遠赤外線が出る。
聖書が入る。
枕の下に置いて寝ると、よくアルファ波が出る。
有名な小説が入る。
いい香りがする。
情報の入れ替えが可能になったりしながら、人の関わった全てのことを網羅するようなものができるのだろう。
だが、それでも多くの人にとっては、人の英知はまだまだ手のひらサイズに納まる程度の量しかないはず。