お好み焼き

何かあれば、お好み焼きだ。
なんてうまいんだ、あいつ。
いいことがあればお好み焼きを食べようかと画策している。
本日それが実り、食べに行った。
レジでぼーっと店員さんを待ち、カウンターに通される私。
ひとりで食べに行ったのだ。
お好み焼きはひとりで食べることが多い。
ちょっと人より、好きすぎるのかもしれない。
ところで、ひとりでのお好み焼きは楽でいい。
例えばふたりでのお好み焼き屋さん風景を考えてみよう。
たいていテーブル席にある鉄板は1枚だ。
そこで種類の違うお好み焼き、へたするとお好み焼きともんじゃ焼きという組み合わせが鉄板一枚上で起こるのだ。
国取り合戦である。
少しでも相手の生地と混ざろうものなら、さっきまでの和気あいあいとした空気はどこへやら。
お前が悪いあんたが悪いと罵詈雑言が飛び交い、最終的には領空、制空権どうこうにまで話が進む。
その点、ひとりは安心。
私の島を、誰も侵しはしない。
さて、カウンター席はまだ準備がされていないらしく、「今から火をお入れいたします」と店員さん。
頼むぞと私。
数分後、火の状態を見て、「熱されるまで、もう少しお待ちください」と店員さん。
任せたぞと私。
すると、「カウンター席様、鉄板待ちでーす!!」と店員さん。
私もいつか鉄板ネタが持てるだろうかと私。
お好み焼きと焼きそばを堪能していると、「お冷はいりますか」と店員さん。
いりませんと私。
数分後、「お冷はいりますか」と別の店員さん。
そんなに私はお冷を欲している顔をしているのかしらと私。
食事後、満席の店内を駆け巡る、忙しくて精算どころじゃなさそうな店員さん。
声をかけられず、レジの前で泣きたくなってきた私。

どうしよう

誰もが一度は間違えることに「アタックNo.1」と「エースをねらえ」があるだろう。
実際、僕もそうだった。
ということで、そんなに間違えるなら、いっそのこと混ぜてしまえ、というのが本日。
「アタックNo.1」
「エースをねらえ」

「アタックをねらえ」
「エースNo.1」
「カレーにチョコレート」。
混ぜてみたら、案外よかったの体である。
アタックをねらっているのだろうし、エースがNo.1であることはみんな納得だ。
ではもうひとつ、違う混ぜ方をしてみる。
「アタックエース」
「No.1をねらえ」
これも問題ない。
ということで、ここまで問題がないことが、内容としては問題である。
どうしよう。
「どうしよう」とくれば「カリオストロの城」での銭形だと思うが、どうか。
自慢じゃないが、僕はあのモノマネが得意であるしかし、誰にも見せたことがない。
「誰にも見せたことのないモノマネ」とくれば、米良美一のもののけ姫だと思うが、どうか。
たいていの人は、一度はやってしまっているのではないか。
仕方ないので、混ぜてみた。
「もののけの城」
「カリオストロ姫」
これもやはり案外よかったの体で、いまいち問題にならね。

解体

「マグロの解体」がなぜ、あんなにもメディアで取り上げられるのか、疑問だった。
迫力はあるし、ああいったものが捌かれゆく姿はあまり見られないものではあるが、実際見てみると「ふーん」な感じになってしまうだけだから。
ところが先日、何の何かを覚えていないのだが、「マグロの解体」という行為に対して、その「解体」という言葉を指摘した意見があった。
詳細は覚えていない。
が、それを聴いて僕は驚き、そして反省した。
「マグロの解体」の「解体」部分のすごさに気づいていなかったからだ。
それは圧倒的な構造物、要は建築物を分解していく際に主に使用される。
例えばビル。
ビルが分解される際、それを表す言葉として「解体」というものが使用される。
その言葉は、「マグロの解体」のそれと同じものということなのだ。
ビルの解体はいろいろ計算されて、リスク、コストが最小になるようになされているだろう。
そうなるとマグロの解体という言葉も、やけにアナトミーなものをかもし出す。
何か厳かな雰囲気さえ、まとう。
なんだ、すごいいいんじゃないか、マグロの解体。
と、これまでを踏まえると。
ビル由来ということでいけるかもしれない「マグロ爆破」。
世界まる見えで取り上げられないだろうか。
いや、むしろ既に放送済みだったりしないだろうか。
「ビル爆破を三世代にわたって請け負い続けているスティーブン一家」
「マグロ爆破を三世代にわたって請け負い続けている川上一族」
・・・川上一族のいるとするならば、それはマグロが獲れすぎているということに他ならない。
マグロの肉片をまたぐ猫が多いかも、ということに他ならない。

フォントサイズ

新聞を読んでいるときに気になるのがフォントサイズ、字の大きさだ。
ちなみに、フォントサイズをフォトンサイズとすると、なんとなくかっちょいいロボットの武器っぽくなるが、今回の話とは関係ない。
字の大きさ。
見出しやその題目の概要などが少し大きく印刷されているのである。
「主要国首脳会議 開催」
「新型ウイルスの脅威」
「明日 真夏に迫る猛暑」
程度の差はあれど、新聞を読むものにとって、興味あるものばかりだ。
と、何面かを流し見していくと、上記の見出しと同じフォントサイズで、こうきた。
「さきにとろみ あとで具材」
何か料理の話のようだが・・・。
題材がカテゴリ、重要度に分けられて、それに見合った新聞の場所(面)に掲載されることはわかる。
しかし、それにしてもこの落差は何か。
フォントサイズは変わらない分、その内容が着目され、その落差が浮きだってしまう。
仕方がないが、先に優先度の高いと思われる内容の見出しを見てしまっていると、「なにを、具材を入れるタイミングのことで堂々としているのか」と疑問に思ってしまうのだ。
ところで、このような話になると、どうしてもスポーツ新聞も気になる。
スポーツ新聞は見出しのフォントサイズがすごく大きいから。
そしてその内容は、たいてい「カープ、竜虎狩りで滝登り」みたいなものである。
さすがにあそこまで大きいと、「この内容の見出しがそんな大きなフォントサイズなら、他の字の大きさなんてどうでもいいよね」的な雰囲気となりそうだ。
実際、世界的な事柄を扱った内容の見出しに対し、比較するものためらわれるくらいに大きなフォントの「巨人投壊」見出しは何度もあっただろう。
でも、安心して欲しい。
スポーツ新聞はスポーツを扱う新聞なので、スポーツのことを押していかないと逆に怒られるのだ。
それでも本当に大変なことがスポーツ以外で起きたりすると、それを一番大きく見せてくれたりもする。
そのとき、作り手にどのような葛藤が生じるかは、想像に難くない。
そのスポーツ新聞は、正座をして読まなくてはならなさそうである。

お客体

知ればなっ得!!
百円均一のお店で得するための何か条!!
=====
1.店内に入ったら、まずは大まかな商品配置を案内図などで確認しましょう。
店員さんの手を煩わせずに買い物ができるため、問い合わせ分の時間が短縮でき、店員さんからの印象もよくなります。
結果、目的の商品が見つからないとき、店員さんから「どうかいたしましたか?」と、声をかけてもらえるかもしれません。
2.入店して5分ほどたったら、周りに聴こえるくらいの音量で「ここに来れば、何でもそろっちゃうわねぇ」と言いましょう。
百円均一のお店で「何でもそろう」という旨の言葉を発したことのない人はいません。この場合、そのひどく凡庸なセリフを言うことで、自分は敵ではないことを周囲に知らしめることができます。
同類のものとして「えっ、これも百円!?」や、「ここだけで生活できるんじゃない」があります。
また、店員さんとしても、悪い気にはなりません。
結果、百円均一のお店でよく見られるレジ混みのとき、店員さんが隣のレジでめくばせのブルースをしてくれるかもしれません。
3.手に取った商品を棚に戻す場合は、ちゃんと元の状態にして戻しましょう。
これを行わないと、商品が使用感たっぷりになってしまい、その商品に対する購買意欲を、誰も持たなくなってしまいます。
その先には、最終的には日本経済の衰退が待っていますので、ちゃんとして戻しましょう。
また、店員さんにとっても、商品を元通りにする手間が省ける点で、喜ばしいことです。
結果、店員さんが目玉商品のそばで、おいでおいでをしてくれるかもしれません。
4.店内では、「百円よりも高い商品があるんなら、百円均一のお店じゃないじゃん」という旨のセリフは言わないようにしましょう。
お店によっては百円よりも高い商品を扱っている場所もあります。それに対し、私たちは上記のセリフをはきがちではありますが、ここはひとつ、言わないようにしてください。
言っても百円にまかることはありません。
また、店員さんたちも百円均一ではないことを既に承知しています。そのため、均一という言葉を使用しないなどの配慮をしていますが、どうしても後ろめたく感じているようです。
彼らに非はありません。そっとしておきましょう。
まとめ
基本的に、店員さん主体で動いていきましょう。

本当につまらないものですが

昨日から。
【あらすじ】
「ヤクルトいかがですかー」をサイエンスする。

「ヤクルトいかがですかー」

「ヤクルトのおいしさ、忘れていませんかー」
=====
もっと積極的に、かつ相手に失礼のないように、ヤクルトをすすめてみる。
「ヤクルトいかがですかー」

「ヤクルトたちと遊んでみませんかー」
生きて腸内に、というアレである。
そのことが遊んでいることになるのかは定かではないが、まあいいだろう。
残業のお父さんが、昼間の販売員さんのことばを思い出し、つぶやく。
「たまには、ヤクルトたちと遊んでみるか・・・」
ほのぼのである。
次。
「ヤクルトいかがですかー」

「ご家族、無事ですかー」
少し怖いが、言っている人がヤクルト販売員であることで、その意図はむしろ「ヤクルトで家族全員を気遣ってくれている」ということが言える。と思う。
残業のお父さんが、あわてて家に電話し、けだるそうな妻の声を聞く。
そして「たまには、ヤクルトでも買って帰るか・・・」
ほのぼのである。
次。
「ヤクルトいかがですかー」

「ノッポさん、待たせていませんかー」
いつぞやも書いたが、ヤクルトの容器は工作に有用なのであり、そういうことなのである。
だから、必要なときに限って無い、というのは避けたい。
いつだって、洗った容器が炊事場付近にあってほしいのである。
次。
「ヤクルトいかがですかー」

「ヤクルトですかー」
何気に名コピーと思っているが、どうだろうか。
以上、つまらなく終わり。

つまらないものですが

もういくつ、「つまらないものですが」という言葉に対してツッコミを入れたことがらを目の当たりにしてきただろうか。
まあ日常的な言葉だが、その謙遜ぶりと「つまらないものを相手に送るのかよ」という美しいほどに明瞭な返しができるため、「日々の生活を違う角度で見てみたら」という考えを述べる上で恰好の例題となるのだ。
誰なんだ、俺は。
ところで、先程すれ違ったヤクルト販売員さんの「ヤクルトいかがですかー」は、こうなる必要があるだろうか。
「つまらないものいかがですかー」
必要はない。
いや、ヤクルトのことではなくて、言い方のほう。
いまだ日本が謙遜主義国家だとしても、ここまでいう必要はない。
というかこの場合、もっと積極的にヤクルトしていいと思う。
「ヤクルトいかがですかー」
弱い。
おまえ達は、ヤクルトに絶大な自信を持っているのだろう。
ヤクルトでみんなを健康にさせたいのだろう。謙遜も度が過ぎると、ど謙遜になるぞ。
と、怒ってばかりでは士気も上がるまい。
まずはこういうの、どうだろうか。
「ヤクルトいかがですかー」

「みなさん、ヤクルトいかがですかー」
「ヤクルトいかがですかー」では道行く人のほかに犬猫、植物、アスファルトなど、森羅万象にヤクルトをすすめていることになり、曖昧である。
そこで「みなさん」を付けることにより、ターゲットをヒトに限定するのである。
また、同様の理由により「鈴木さん、ヤクルトいかがですかー」も、悪くはないだろう。
たぶん。
次。
「ヤクルトいかがですかー」

「ヤクルトのおいしさ、忘れていませんかー」
かなり積極的ないかかですかである。
あたかも相手のほうに非があるように言い、飲んでいただく試算だ。
うそも方便。
本当においしさを忘れていたかもしれないが、それでも顧客に非のあるように見せる販売員の罪悪感による苦悩を考えると、辛いものがある。
長いので次回に続こうと思う。

もろ

いつでも恋人が出来てしまうスポーツって、なーんだ?はい「つき合ってる」ということでフェンシングです。
なんとなく思い付いたなぞなぞだが、まあよく出来ているのでどこかで見たのかもしれない。
ところで、適当に挙げた割には考えさせられる点がいくつかあることに気がついた。
まず、「つく」ことが含まれているスポーツについて。
僕はフェンシングくらいしか思い付かなかったが、モロ「つき」というのがある剣道や、組稽古で正拳突き?みたいのをやっていさげな空手など、つき合いたい人必突なスポーツもある。
ただ、剣道のそれはフェンシングに比べて頻度が低く、「私たち、本当につき合ってるの?」と不安になりそうだ。
また、空手で「つき合っている」というのは、なにやらなぞなぞのほのぼのイメージを払拭するくらいの殺戮イメージがある、気がする。
血生臭い。
・・・あれ?。
俺、「モロ」って言葉使うの、久しくね?。
次は、なぞなぞによく見られる「なーんだ」について。
なんだこの、にくらしい言い方は。
とっても「知るか」と言いたくなる。
「今日のぼくの朝食、なーんだ」
この問い掛けに反応してあげる人は、ほぼこの男に弱みを握られていると考えて間違いない。
なんて頭にくる「なーんだ」なんだ。
「前はシルベスター、後ろはスタローン。これなーんだ」
お、これの回答はなかなか考えさせられるな。
「知るか」や無視もありだが、なにか相手の裏をかきたいな、と相手に思わせやすい気がする。
回答として、今の気持ちとしては松島トモ子がいいか。
さっきまでは「あれ、肩に毛玉ついてるよ」だったけど。

花びら

僕の住むところでは桜のシーズンも終わって、川辺はいくらかの平静を取り戻したよう。
それにしても桜。
中学生くらいまでは花見なんてするよりもゲームしたいという考えだったけど、今は開花の具合を確認しに、夜さんぽするまでになりました。
これを老化と言うか。
ともかく桜。
大抵の人は桜の、淡く色づいたような景色がわっと視野に入ったりするだけでテンション上がるでしょ。
花びら散る中を歩きたいでしょ。
桜にたまらんものを見出しているわけです。
「花びらが、風のかたちを教えてくれるんだ」
これ、だいたい20%の人が言ってるね。
内容、少々恥ずかしいね。
でも、そこは桜でテンション上がっちゃったから。
しょうがない。
「見て。蝶が花びらと戯れている」
これ、だいたい5%の人が言ってるね。
内容、恥ずかしいね。
ところで、群生した桜もいいけど、遠くの山を望むと見える、一部分桜もなかなかですね。
山の中を歩くと、ある場所だけ花びらがしきつめられていて、それで桜だって分かったりするんですよね。
「花びらのじゅうたんみたい」
これ、100%の人が言ってるね。
内容、恥ずかしいね。
でも、そこは桜でテンション上がっちゃったから。
しょうがない。
と言うわけで、統計的に見ると桜のシーズンは恥ずかしいことを言えてしまうけど、それはしょうがないということが分かりました。
むしろ、言えるときに言っておけという感じもします。
言う相手がいないものにとっては、桜ばかり気にかけることになるのですけどね。
いつもなのですが、花粉症の薬で今、やられていますので、これで終わり。今回の口調、気持ち悪いですね。

無意味試合2

昨日からの続き。
【あらすじ】
「引き分けはさんで3連敗」と言うことのできる以上、「引き分け」 は「何もありませんでした」とされてしまう可能性がある。
ということで、実際「何もありませんでした」となってしまいそうな野球の試合を考える。
=====
『来ないので、急遽片方チームの監督がアンパイヤを勤めた。』
両チームの監督ともに、なかったことにしたい試合となるだろう。
『ずいぶん打ち込まれた投手。しかしその不調の原因が、病気がちな母親のことを想ってのことであることが試合終了後に判明』
全国的な「何もありませんでした」、「何もありませんでしたよね」運動に発展する可能性あり。
『外野の空いているところでバーベキューが行われていた』
選手が注意してもどかない。
選手も強気に出ない。
『試合翌日に地球規模の天災発生』
正確にいうと「どうであっても誰も気に留めない」ということになる。
『消化試合』
やや辛口。
『大規模な災害があった国の首相が出場していたことが、大々的に報道された』
もちろん、「何もありませんでした」としたいのは首相以下パネラーの皆さんだろう。
『停電のため、黒板にチョークで得点を記入していたが、雨が降ってきてしまった』
停電なのに試合を続行した上層部に怒り心頭だった審判が雨にうたれながら、ついに。
「あーもう!!。やめやめ!!」
『大量のムクドリが球場に乱入。打つたびにボールとムクドリが落ちてくるありさま』
なんだかそれが二塁打扱いとなり、試合はおおわらわ。
『審判だと思っていたが、のちに行司だったことが判明』
行司も、なかなか切り出せなかっただろうに。
『選手だと思っていたが、のちに自動販売機であったことが判明』
誰だ、こんなところに自販機を設置したヤツは。
『野球だと思っていたが、のちにテニスだったことが判明』
「道理で!。やけに高得点だったのが気になったんだ!」
本試合であやうく猛打賞を獲得しそうになった選手の談。
『かくしだまだと思われていたが、のちに盗難であることが判明』
まだ出てきていないので、心当たりのある人はあとでスタッフルームまで来るように。
=====
いやー。
「のちに判明」系は、たくさんでいいやね。
君も、自分だけの「何もありませんことが、のちに判明」を探してみるといい。
よく眠れるかもしれないよ。
ということで、試合終了。